このお正月、ケニアに1週間ほど里帰りをしてきました。
私のニャティティの大師匠であり、ケニアの父であるオクム・オレンゴが亡くなったとの知らせをうけたのは、昨年の大晦日2011年12月31日夕方のことでした。
まだつい、2週間ほど前のことです。
突然の痛ましい知らせに、頭が真っ白になりました。
すぐにケニアの知人や家族に℡をし事実を確認しました。
そしてお葬式が1月7日に執り行われるという情報を得て、次の瞬間には飛行機を予約していました。
まさに年が変わろうとしている瞬間に必死にインターネットでチケットを購入している私でした。
何とかチケットの確保と、日本での仕事の段取りをつけ、まだフランスから帰ってきて5日もたたないというのに、私はケニアに向かいました。3年ぶりの里帰りでした。


飛行機を4回のりついで、日本から2日半かけて村に向かいます。これでも早い方です。
私の暮らしたシアヤ、アレゴカラプールはあの時のたたずまいと同じ、その赤い土と緑の草木、真っ青な青空で私を迎えてくれました。


「アニャンゴさん、こんなに奥地に住んでいたのですね。。。」と現地のコンダクターの方も驚いています。「そう、このもっと奥。もっともっと先なんです」
3年ぶりに帰ってきた、アニャンゴという娘を、家族と村の人たちはすぐに招き入れてくれました。
居間の奥に立てかけられている、オクム師匠のニャティティが存在感を放ち、半分夢のよう。


しばらく、共に嘆き悲しんだ後、話をきいてみると、師匠は亡くなるつい2日ほど前まで力強く、まるでニャティティの王のように演奏をしていた。
クリスマスの時期も3日間連続のニャティティの王者を決める大きなコンペティションが、シアヤのニーヤで開かれて、そこで1位というチャンピョンの座を勝ち取ったばかりだったと。
その1位に輝いたときの賞状とカップが、誇らしく飾られていました。


「ニャティティを弾かせてください」
そう家族にお願いして、集まってきた100人をゆうに超す村の人たちの前で、オクムと残されたものの魂のためだけの演奏をさせてもらいました。コーラスにはオクム師匠のクワイヤーが入るという豪華さで。それは不思議な場でした。
ニャティティ奏者オクムという大きな柱を失った村は、凍えそうな喪失感に包まれ、とてもニャティティに飢えていた。他の何もそれにとってかわることはできず、ニャティティの音色だけがその場にいる人たちの心を、ほんの少しだけなだめることができる。
誰に言われた訳でもないけれども、これはそういう場だと、肌が感じました。
そして、オクム師匠の最期の内弟子であり、最期の娘でもある私が、今日この場にこれたことに深い運命のようなものを感じました。
オクムのニャティティは、本当によく鳴りました。
主人を失ったニャティティはどんどん、その音色を枯らしてしまうものだけれど、つい1週間ほど前までオクムが弾いていたそのニャティティは、力強くふくよかな音がしました。
全部で20分ほどの演奏でした。
私は、まるで生まれて初めてニャティティを弾いている様な感覚さえ覚えました。
「ニャティティ」しかない。そして、今、この場においてそれは「私」しかいない。
いうなれば、超究極に需要と供給が一致した瞬間とでもいうのでしょうか。
オクム師匠は今、この音をきいている。この場をみている。そうも感じました。


次の日、シアヤの病院に眠る、オクム師匠に会う事ができました。
ありがとう。ババ。本当に、ありがとう。本当に、本当にありがとう。
偉大な キング・オブ・ニャティティ オクム・オレンゴ 永遠なれ ー

Rest in peace_ King of Nyatiti _ Okumu C. Orengo - 29.Dec.2011
ニャティティの王、オクム・オレンゴ 安らかにここに眠る。合掌
Japuonj Erokamano, Erokamano, Erokamano…

本日のSunday Nation新聞に、オクムとアニャンゴのストーリーが載っています。
K’Orengo’s nyatiti falls silent
http://www.nation.co.ke/News/KOrengo+nyatiti+falls+silent+/-/1056/1305362/-/view/printVersion/-/i9mueuz/-/index.html