MelancholiaⅠ

~Roentgenium 資料保管庫~


テーマ:
(11頁からの続き)


〔宋 鴻兵(Song Hongbing) 著『通貨戦争―影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』 第8章 エリート統制と寡頭ステルス より P.354-P.406〕


■本章の主題

「大富豪が持つ渇望と貪欲は富だけで満たされない。彼らの多くは潤沢な財産と、財産によって齎された影響力を駆使して、より大きな権力を手に入れようとする。彼らの権力は、かつての暴君や専制君主では想像出来ないほど大きく、世界を制覇する権力なのだ。それは、世界中の富だけでなく、世界中の人々をも支配する」(註.1)

この描写は国際銀行家達の「最終目標」を的確に表している。即ち、「アングロアメリカ」勢力集団を中心とするピラミッド型の世界政府を構築することである。これは決して事実無根の狂気じみた憶測ではなく、幾世代にもわたる変化と発展を通して行われる戦略的プロセスなのだ。

早い時期に誕生したイギリス・ローズ倶楽部から、後のアメリカの外交問題評議会に至る迄、英米のエリート統制階級は世界制覇という戦略的目標を実現する為に、理論上の模索と実践を繰り返し行ってきた。

この遠大な計画を組織的に実施する為には、3権の背後にある金権の支持が必要不可欠となる。

我々が今日目にしている西側諸国は、民主的で、自由で多様性のある社会であり、過去の少数の金融家達は神聖なる民主政治によって権力の座から追い出され、権勢を誇っていた大富豪達は蒸発したかのように世の中からいなくなったようにも見える。

歴史は本当に変わったのだろうか。資本主義は少数の権力集団の為のものでなくなったのだろうか。国際銀行家達は至上の権力を放棄し普通の人となって隠居したのだろうか。

人間の本性は変えられるものではない。貪欲と支配の欲望は、人類が誕生してから現代社会に至る迄、変わったことは一度もないし、将来も変わることはない。変わったのは貪欲と支配の形態だけだ。

商業資本主義から産業資本主義へ、そして今日のいわゆる多角的資本主義に至る迄、少数権勢集団による社会の大多数の支配は、その手段と形式を変えたかも知れないが、その本質は一度も変わったことがなかった。

直接目に見えた少数の金融家達は幕の後ろに隠れ、彼らに代わって巨大な新興財団体制が現れ、既に西側諸国を支配する重要な一部となった。財団の支配者は、かつての金権一族なのだ。


     ◇


■KAL007大韓航空機撃墜事件

1983年8月31日、ソ連サハリン島〔※日本名:樺太島〕防空レーダーのスクリーン Screen〔※表示画面〕で、正体不明の大型機が極東弾道ミサイル発射基地の上空に現れたことが確認され、Sukhoi Su-15戦闘機2機がスクランブル発進〔※緊急迎撃発進〕をした。5分後に、パイロットは基地司令官からの攻撃命令を受けた。

当日、世界各国は、Boeing 747の大韓航空KAL007 Korean Air Lines Flight 007 がサハリン島上空でソ連空軍の戦闘機に撃墜され、乗員乗客合わせて269人全員が死亡した、と伝えた。このニュースは世界を震撼させ、冷戦期の最も重大な事件の1つになった。

アメリカ側の発表によれば、8月31日アラスカのアンカレッジ国際空港 Ted Stevens Anchorage International Airport からソウルに向かったKAL007は、人為的原因だけでなく機械の故障によって誤ってソ連カムチャッカ半島とサハリン半島の上空に侵入した為、早朝3時27分、サハリン島上空でソ連空軍のミサイルに撃墜され、乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。

当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン Ronald Wilson Reagan(1911-2004)は、一般人に対するソ連の攻撃は決して許されることの出来ない冷徹な行為であり、国際社会から制裁と非難を受けるべきだと激しく非難した。

一方のソ連は、KAL007の領空侵犯 Airspace Incursion は事前に謀議され諜報任務を執行中のものであり、カムチャッカ半島とサハリン半島の軍事施設を偵察する目的であった為、国家安全の為に撃墜するしかなかった。これはやむを得ない自己防衛であり、不適切な誤解と作為的な非難を受けるべきではないと主張した。

過去20数年来、大韓航空KAL007の撃墜事件を巡り、様々な議論がされてきた。その内、最も驚愕する説を紹介しよう――。

1992年、イスラエル諜報特務局モサド Mossad の情報院がソ連から入手した極秘情報によれば、KAL007は空対空ミサイル Air-to-Air Missile(AAM)で攻撃されたが、直ぐには爆発せずに12分間ほど飛行を続け、破損しながらもサハリン沖に不時着した。乗客はソ連当局によってルビヤンカ刑務所 Lubyanka Prison や極東ウランゲル収容所 Wrangell Prison に移送された。

1996年1月15日、韓国のテレビ局も似たような番組を放送し、KAL007は墜落せず、大半の生存者はロシアの2つの収容所に収容されていると言う。

その日、韓国放送公社 Korean Broadcasting System(KBS)が38ページに及ぶ中央情報局 Central Intelligence Agency(CIA)の機密資料を公表した。それによれば、KAL007がソ連の戦闘機に攻撃された後に海上に不時着し、大半の乗客は幸いにも生存していたもののその後の行方が分からなくなっている。

KAL007の乗客の中に、1人の特別な人物が乗っていた。アメリカ上院議員のラリー・マクドナルド Lawrence “Larry” Patton McDonald(1935-1983)であり、第2次世界大戦の英雄であるパットン将軍 George Smith Patton, Jr.(1885-1945)の従兄であった。

2人のパットン Patton とも「新世界秩序 New World Order」、「国際主義 Internationalism」、「グローバル化 Globalization」の名目で国家主権を破壊する企みに断固反対し、アメリカで大きな影響力と求心力を持っていた。マクドナルドは民主党から1988年の大統領選〔※現職副大統領だった George・H・W・Bush(1924-)が当選〕に出馬する予定だった。当時のアメリカにおいて、マクドナルドは外交問題評議会 Council on Foreign Relations(CFR)と三極委員会 Trilateral Commission を最も激しく批判し、かつ破壊力を持っていた政治家であった。

KAL007発生後、マクドナルドは失踪した。マクドナルドと考え方が似ている米国キリスト教右翼の代表的指導者であるジェリー・ファルウェル Jerry Lamon Falwell, Sr.(1933-2007)は、事件後に次のように述べた。

「私が困惑しているのは、ソ連がKAL007を撃墜して269名の乗員乗客を犠牲にしたが、彼らの本当の標的はマクドナルドであったことだ」

パットン暗殺と同じように、元凶は果たしてソ連なのだろうか。他の可能性があるかも知れない。

マクドナルドを代表とする政治勢力はアメリカの伝統的右翼集団である。アメリカ憲法と立国精神を貫き、権利章典を支持し、個人の自由と民主制度を堅持し、政府による市民権への過度の干渉に反対し、徹底した市場経済を主張し、主権を超えた国際勢力に断固反対することが、彼らの基本理念であった。〔※⇒日本経団連はその国際勢力の下部組織?〕

マクドナルドらはアメリカ国民から絶大な信頼を受けていた。彼らはアメリカ独立戦争と英国植民地支配反対の伝統を受け継ぎ、国民が銃を保有し、政府が暴政と独裁政治を行った場合は国民が武装蜂起する権利を持つことを主張していた。

更に彼らは、小さな政府は国民に奉仕し、大きな政府は国民を支配すると考え、連邦政府の権力にあらゆる手段を使って制限を掛けた。当然、「アメリカ主権」を超えて「世界政府 World Government」がアメリカ国民を支配するなど以ての外(ほか)であった。

彼らの政治信念と、国際銀行家達の利益の核心を成す「グローバル化 Globalization」や「世界政府 World Government」は真っ向から対立し、激しく衝突していた。

1975年11月、マクドナルド議員は国際銀行家達に公開挑戦状を叩き付けた。彼は『The Rockefeller File』(Buccaneer Books 1999年刊行)に序文を寄稿した。



大富豪が持つ渇望と貪欲は富だけで満たされない。彼らの多くは潤沢な財産と、財産によって齎された影響力を駆使して、より大きな権力を手に入れようとする。彼らの権力は、かつての暴君や専制君主では想像出来ないほど大きく、世界を制覇する権力なのだ。それは、世界中の富だけでなく、世界中の人々をも支配する。

ジョン・D・ロックフェラー John Davison Rockefeller, Sr(1839-1937)が、あらゆるあくどい手段を弄してスタンダード石油帝国 Standard Oil Empire を築き上げてから今日に至る迄の100年にわたり、ロックフェラー一族に関して、図書館を埋め尽くすほど本が書かれてきた。私はそれらの多くに目を通してみたが、本書のようにロックフェラー一族の最も重要な秘密――即ち、ロックフェラー家とその仲間達が過去の50年間にわたり、その経済力を生かし、先ずアメリカを、次いで世界全体を政治的に支配するという恐るべき計画を注意深く遂行してきた事実を明らかにした本は1冊も無かった。

これを陰謀と言うのだろうか?そうだ。まさしくそうだ。私は陰謀があることを確信している――国際的規模の、数世代にわたって画策された、全く疑いのない邪悪の計画があることを。

ローレンス・パットン・ラリー・マクドナルド 国会議員 1975年11月



アメリカの主要メディアに無視されたマクドナルドは、自ら宣伝用資料を持って街頭に立ち、町の人々に訴えた。彼のやり方はアメリカ政界のルールを遥かに超えていた為、エリート達の堪忍袋は限界に来ていた。

≪≪更に重大なことは、マクドナルドが大統領選挙への出馬を進めていたことである。選挙演説で、彼は国際銀行家達の世界支配計画を暴露し、数百万の国民達に「耳障り」な内容を聞かせる予定であった。マクドナルドの命懸けなところは従兄のパットン将軍に決して負けておらず、アメリカ国民にとっては2人とも「英雄 Hero」であった。

もし選挙に出馬されたならば、どんな劇的変化が起きるか誰にも予想出来ず、局面をコントロール Control〔※制御、統制〕出来なくなる恐れがあった。コントロールが利かなくなったケネディ元大統領 John Fitzgerald Kennedy, JFK(1917-1963)よりも、マクドナルドの脅威のほうがもっと大きかった。

彼には幅広い国民の支持だけでなく、パットン将軍の威光のお蔭でアメリカ合衆国に忠誠を誓い、「アメリカ主権」を超えた「世界政府 World Government」の理念を認めない軍部の将校にも支持されていた。更に、マクドナルドと彼の同盟者達が中央情報局 Central Intelligence Agency(CIA)と連邦捜査局 Federal Bureau of Investigation(FBI)に対抗する為に、自らの秘密情報ネットワークまで作り上げていた為、「銃を合法的に保有している」民衆に支持された場合、アメリカは何処へ行くことになるのだろうか。

マクドナルドが序文に書いた「ロックフェラー家とその仲間達」が「数世代」の長い期間に画策した計画の「その仲間達」とは、一体何者だろうか?また、この「数世代の計画」はどのような変化を齎したのだろうか?それを明確にする為には、計画の源を探る必要がある。≫≫

〔資料〕オホーツク海 Sea of Okhotsk 周辺地図 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sea_of_Okhotsk_map.png

〔資料〕Sukhoi Company(JSC) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A4

〔動画〕Soukhoï Su-15 - YouTube [4分31秒]
http://www.youtube.com/watch?v=ZgTU_DL7iCw

〔資料〕Boeing 747 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0747

〔資料〕Korean Air Lines Flight 007 - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Korean_Air_Lines_Flight_007

〔資料〕アンカレッジ国際空港 Ted Stevens Anchorage International Airport - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF

〔資料〕Mossad - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Mossad

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E7%89%B9%E5%8B%99%E5%B1%80

〔資料〕イスラエルが世界に誇る対外諜報機関「モサド」 - HEXAGON
http://hexagon.inri.client.jp/floorA1F/a1f1501.html

〔資料〕ユダヤ問題特集 ver.2.0 - HEXAGON
http://hexagon.inri.client.jp/floorA1F/a1f1000.html

〔資料〕ユダヤ人のアメリカ移住史~ユダヤ移民の5つの波~ - HEXAGON
http://hexagon.inri.client.jp/floorA4F_ha/a4fhc100.html

〔資料〕空対空ミサイル Air-to-Air Missile(AAM) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E5%AF%BE%E7%A9%BA%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB

〔資料〕Bert Schlossberg著『Rescue 007:The Untold Story of KAL007 and its Survivors』(Xlibris Corp 2001年刊行)
http://www.amazon.co.jp/Rescue-007-Untold-Story-Survivors/dp/0738857742

〔資料〕Rescue 007 Home
http://www.rescue007.org/

〔資料〕本当の謎は、何処にあったのか - ギャラリーAct1 2010年5月(15件)
http://galleryact1.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/index.html

〔資料〕大韓航空機007便「撃墜事件」の真実を追う! - JAPAN ○ 2010年9月6日
http://honeycreeper1.blog56.fc2.com/blog-entry-47.html

〔資料〕大韓航空機撃墜事件の疑問(シフリンレポート) - JAPAN ○ 2010年9月6日
http://honeycreeper1.blog56.fc2.com/blog-entry-49.html

〔資料〕Lawrence “Larry” Patton McDonald(1935-1983) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Larry_McDonald

〔資料〕ラリー・マクドナルド議員の運命(PDF、全4頁)
http://junpeisatoh.web.officelive.com/Documents/kal007-004-.pdf

〔資料〕1988年アメリカ合衆国大統領選挙 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/1988%E5%B9%B4%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E9%81%B8%E6%8C%99

〔資料〕Jerry Lamon Falwell, Sr.(1933-2007) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Jerry_Falwell

〔資料〕Who Killed congressman Lawrence Patton McDonald? By Todd Brendan Fahey 1~3|disinformation 2001年7月1日
http://old.disinfo.com/archive/pages/article/id1197/pg3/index.html

〔資料〕Gary Allen著『The Rockefeller File』(Buccaneer Books 1999年刊行)
http://www.amazon.co.jp/Rockefeller-File-Gary-Allen/dp/1568493681

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4426400171/250-8121775-5677007

〔資料〕財政破綻後の世界:ラコフスキー調書 補足 - 日本人が知らない 恐るべき真実 2005年11月24日
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051124

≪鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より要約(23)≫|MelancholiaⅠ
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-10984366055.html


     ◇


■ダイヤモンド王国とエリート大統領

ジョン・ラスキン John Ruskin(1819-1900)はオックスフォード大学 University of Oxford の学生達を相手に、

自分達が生きている階級には、教育、芸術、法律規範、自由意志、優雅な気品、自己管理において偉大なる伝統がある、しかし、これらの伝統がスコットランド Scotland、更には世界中の下流階級に広まらないと下流階級は救われない。また、イギリスの上流階級はこの貴重な伝統をより多くの人々に広めていかないと、やがて下流階級に呑み込まれ、伝統も失ってしまう。これを回避する為に、自分達の伝統を速やかに世界の隅々までに広めなければならない、と演説していた。

ラスキンの感動的な話を聞きながら熱心にメモを取っている1人の学生がいた。セシル・ローズ Cecil John Rhodes(1853-1902)であった。以降30年間、ローズはこのメモを肌身離さず持ち歩いた。

「ダイヤモンドは永遠の輝き A Diamond is Forever」は、世界最大のダイヤモンド会社デビアス De Beers のスローガン Slogan〔※標語〕である。デビアス社は世界ダイヤモンド市場の4割を占めており、過去には9割を占めていた時期もあった。

デビアス社の創設者セシル・ローズは、1853年に牧師の子として生れ、イギリスの政治家であり有名な商人でもある。彼は、南アフリカでダイヤモンド Diamond を掘り当てて蓄財し、デビアス・ダイヤモンド帝国を築き上げた。ローズには大きな野心があり、イギリス人にさえ、「地球だけでなく、月をもイギリスの勢力範囲に治めようとした」とまで言われる程であった。

1882年、南アフリカのダイヤモンド採掘業は熾烈な競争に曝されており、ロンドンからの資金援助を獲得出来た者が競争に生き残れると判断したローズは、サンフランシスコ San Francisco からアフリカ Africa に派遣されていたダイヤモンド業を担当するロスチャイルド家の代理人を通してロスチャイルド家 Rothschild Family に近付こうと試みた。

1885年、遂にロンドン行きの船で、偶然ロスチャイルド家のダイヤモンド採掘を担当する1人のアメリカ人技師に出会った。ローズは即座にデビアス社の社長にしてやると約束した。アメリカ人技師の紹介で、2カ月後にローズはロスチャイルド家の当主、ナッティ Nathan “Natty” Mayer Rothschild, 1st Baron Rothschild(1840-1915)と会うことが出来た。

ナッティはデビアス社の将来は良好と判断して、同社の株式5754株を購入して筆頭株主になった。ロスチャイルド家のサポート Support〔※支援〕を得たデビアス社は、現地の有力なダイヤモンド会社を次々買収し、世界的なダイヤモンド帝国 Diamond Empire を築き上げた。

ローズはナッティを心から信頼していた。1888年に両者が面談した際、ローズは「御社の御協力を得たからには、約束したことは全て成功すると信じている」とナッティに表明した。信頼関係を深めた両者は間もなく戦略的ビジネス同盟を結んだ。

1889年、デビアス社が175万ポンドの社債を発行した際、ロスチャイルド・ロンドン銀行 N M Rothschild&Sons は17.8%を購入し、1894年には、ロスチャイルド・ロンドン銀行はデビアス社の為に更に350万ポンドの社債を発行した。

ロスチャイルド家のサポートを得たデビアス社は、更なる成長を見せていた。1896年から1901年の年間配当金は160万ポンド、1902年から1904年の年間配当金は200万ポンドにも達した。

1900年、ナッティはローズを次のように高く評価した。

「君はデビアス神話を創り上げた。ダイヤモンドの生産を独占し、販売市場もコントロールしている。そして、このビジネスモデル Business Method を継続させる体制を作り上げることにも成功した」

植民地主義と帝国拡張の政治理念に関してナッティとローズは完全に一致し、2人の関係も益々緊密になった。ローズが作った会社にナッティは全力を挙げて支援した。

1989年、ローズが英国南アフリカ会社 British South Africa Company(BSAC)を創設した時、ナッティは株主として投資し、無報酬で投資顧問を務めた。1888年6月、ローズは、「帝国の利益の為の会社」に使うことを条件として、兄弟に遺す予定のデビアスの株式を全てナッティに譲ると遺言を書き改めた。彼はナッティが自分の理想を実現してくれる人だと信じていた。

ナッティはデビアスのダイヤモンドが齎してくれる巨額の利益に照準を当てていたが、ローズはナッティの遥か向こうのアメリカ、更には世界を見つめていた。彼はダイヤモンドよりも政治的影響力を獲得することを望んだ。ナッティ宛ての書簡には、デビアスをもう1つの「東インド会社 East India Company」にし、アフリカから「夢を実現する」と書かれていた。

〔資料〕John Ruskin(1819-1900) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3

〔資料〕John Ruskin著『近代画家論』1・2・3|松岡正剛の千夜千冊 2005年6月24日
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1045.html

〔資料〕♥. ♦不思議の国のアリスの部屋♠. ♣ アリス・リデル~Alice Liddell ~
http://muryou8.blog114.fc2.com/blog-category-15.html

〔資料〕Cecil John Rhodes(1853-1902) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Cecil_Rhodes

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA

〔資料〕Carroll Quigley著『Tragedy&Hope:A History of the World in Our Time』(Angriff Pr New版 1975年刊行)
http://www.amazon.co.jp/Tragedy-Hope-History-World-Time/dp/094500110X

〔資料〕悲劇と希望より―金融資本家が力をつけた過程 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051224

〔資料〕De Beers - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%B9

〔資料〕De Beers(デビアス) - 資源企業
http://resource.ashigaru.jp/top_company_debeers.html

〔資料〕Diamond - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89

〔資料〕Nathan “Natty” Mayer Rothschild, 1st Baron Rothschild(1840-1915) - Wikipedia ※Victor Rothschild(1910-1990)の祖父
http://en.wikipedia.org/wiki/Nathan_Rothschild,_1st_Baron_Rothschild

〔資料〕British South Africa Company(BSAC) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BC%9A%E7%A4%BE

〔資料〕East India Company - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/East_India_Company


     ◇


【赤い楯―ロスチャイルドの謎(上) 序章~第2章】

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 序章 ワルトハイムの秘密―白い人名録:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070405

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 金銀ダイヤの欲望に憑かれた男達:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070406

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 フランクフルトの『夜と霧』:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070409

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 シャーロック・ホームズのロンドン:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070410

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 SOSタイタニック:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実 ※事件の類似性
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070412

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 パンサーの宝石:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070413

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 南アフリカのゴールドフィンガー“ミルナー幼稚園”:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070416

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第2章 地球のトンネル 発禁書『金瓶梅』:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070419

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第2章 インディー・ジョーンズⅣ:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070423

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第2章 バーミューダ魔の三角海域:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070426

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第2章 ジェームズ・ボンド『女王陛下の007』:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実 ※Nazi Germanyの背景・伏線
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070504

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第2章 カリガリ博士とマブゼ博士:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070509

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第2章 ロスチャイルド家の反撃:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070514


     ◇


(13頁へ続く)
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:
(10頁からの続き)


■『ターゲット・パットン』

2008年11月、『Target Patton:the plot to assassinate General George S. Patton』と題したセンセーショナル Sensational〔※扇情的〕な本がアメリカで出版された。

第2次世界大戦 World WarⅡの名将パットン将軍 George Smith Patton, Jr.(1885-1945)は自動車事故ではなく、暗殺されたという内容であった。アメリカの軍関係と歴史学界では、これに関して以下に紹介する幾つかの暗殺説がある。

1つはナチス Nazi Germany に暗殺されたという説である。しかし、戦争が終焉し、ナチスがほぼ崩壊した為、今更アメリカの将軍を暗殺しても意味がないので、可能性は低い。

2つ目はソ連 Soviet Union に暗殺された説である。パットンは終始ソ連を敵視し、第2次世界大戦が終戦する前に、ナチスの親衛隊を釈放し、自分が部下と親衛隊を率いてソ連を攻撃するとまで公言した為、ソ連に暗殺される可能性はあった。

3つ目は功績が大き過ぎたから暗殺されたという説である。第2次世界大戦の後半、とりわけ欧州開放でパットン将軍は重要な役割を果たしたことから、アメリカ軍上層部、特にドワイト・アイゼンハワー Dwight David Eisenhower(1890-1969)とオマール・ブラッドレー Omar Nelson Bradley(189-1981)に嫉妬された。当時、アイゼンハワーとブラッドレーはパットンの多くの軍事作戦に対し遅延や抵抗措置を取り、重要物資やガソリン Gasoline をパットンではなく英軍のバーナード・モントゴメリー Bernard Law Montgomery(1887-1976)に支給した。このようなことから、パットンの上官が嫉妬からか、或いは自分の無能さと汚職を防ぐ為に暗殺を命じたという説が流れた。

しかし、『Target Patton』は全く別の恐ろしい説を提起した。

即ち、パットン暗殺の真の元凶はアメリカ戦略諜報局 Office of Strategic Services(OSS)〔※CIAの前身〕であり、その黒幕はOSSの創設者、国際諜報界で「ワイルド・ビル Wild Bill」と呼ばれたウィリアム・ドノヴァン William Joseph Donovan(1883-1959)だと。

本に書かれた刺客の名はバサダ Bazata である。それによれば、バサダは戦争中に同盟国の諜報員を務め、射撃の名人であり、本人自ら当事者の1人であると称していた。

1945年4月、欧州戦線が終息する直前の或る日、ドノヴァンはバサダに面会し、「アメリカの国益に関わる或る種の複雑な」任務があり、「愛国心を見せてほしい」と伝えた。即ち、パットン暗殺であった。ドノヴァンの指示は、どの機関も(暗殺の)事実を認めないし、政府の支持も得られない、自ら実行するしかないのだ。

バサダは任務を遂行しなければ自分は殺されると確信した。1945年秋、バサダは報酬1万ドル ten thousand dollars でドノヴァンと暗殺の契約を交わした。この件に関し、ドノヴァンは「上からの命令に従っただけだ、多くの人がそれを望んでいたと話していた。

1945年12月9日日曜日、パットン将軍と部下を乗せたキャデラック Cadillac が2車線の道路を走っていた。真っ直ぐの道路には僅かの車しかなく、視界も良く、パットンが車窓から外の風景を眺めていた。

その時、対向車線を走っていた1台の軍用トラック Military Track が6メートルほど手前で突然スピンし90度方向転換したままキャデラックに迫ってきた。運転手が急ブレーキを掛け、左に避けようとしたが、間に合わずトラックにそのまま突っ込んだ。後部座席に座っていたパットンは前部座席に頭を強く打ちつけ、頭から鼻まで大きく裂けた傷口から血が噴き出した。パットンは首に激痛が走り、「息が出来ない、指を動かしてくれ」と訴えた。12時30分、パットンを乗せた救急車は最寄りのハイデルベルク130病院 130th Station Hospital in Heidelberg に急行した。

瀕死状態だったパットンは数日間昏睡した後、驚異的な回復を見せ始めた。奇跡が起きたと驚く医者に、将軍の家族や部下もようやく胸を撫で下ろした。事故発生から10日後の12月18日、将軍の状態は更に回復し、アメリカでクリスマス Christmas〔※聖誕祭〕を迎える準備を始めていた。

しかし、帰国する前日の19日、血栓が出来、病状が急に悪化。2日後の21日に、将軍は死亡した。遺体は解剖されなかった。

『Target Patton』によれば、自動車事故ではなく薬物による暗殺が計画されていたのである。即ち、病院で「血栓症や心不全を引き起こす青酸化合物系の薬物」で将軍の命を奪うのである。薬剤はチェコスロバキア Czechoslovakia で作られ、極微量だけで「18から48時間以内に」命を奪えるものだった。

パットン将軍の事故に関する公式事故報告や目撃者証言などの記録は、全て紛失してしまった。将軍を乗せたキャデラックも全く自己記録を取らず、検査もされずに処分され、行方不明になってしまった。たとえソ連側が病院で将軍を毒死させたとしても、アメリカ軍部しか保有していなかった関連資料を全て廃棄することは容易なことではない。

パットンは、生前「味方に殺される」という噂を告げられた時、「かかって来い。速く走らないとわしに追いつかんぞ」と即答した。将軍は1カ月の間に3回も奇怪な自動車事故に遭っていた為、暗殺されることを予測していたのかも知れない。

暗殺の首謀者がビル・ドノヴァンだとしたら、理解出来ない点が出てくる。OSSの創設者としてドノヴァンはトルーマン大統領 Harry S. Truman(1884-1972)に「アメリカに多大な貢献をした1人」と高く評価されていたし、パットンとの間に何の個人的な怨恨もなかった。パットンを暗殺する理由は見当たらない。『Target Patton』にはその答えは書かれていない。

では、ワイルド・ビル・ドノヴァン Wild Bill Donovan は一体何者だろうか。パットンを暗殺する真の動機は何だろうか。

〔資料〕Robert K. Wilcox著『Target Patton:the plot to assassinate General George S. Patton』(Regnery Pub 2008年刊行)
http://www.amazon.co.jp/Target-Patton-Assassinate-General-George/dp/1596985798

〔資料〕Google Books:Robert K. Wilcox著『Target Patton:the plot to assassinate General George S. Patton』(全444頁)
http://books.google.com/books?id=se9tNjBVLqgC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false

〔資料〕George Smith Patton, Jr.(1885-1945) - Wikipedia ※ドイツ降伏後と急死
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3

〔資料〕「第6感」と「輪廻転生」を信じていたアメリカ陸軍の猛将パットン将軍 - HEXAGON
http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha811.html

〔資料〕Dwight David Eisenhower(1890-1969) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BBD%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC

〔資料〕Omar Nelson Bradley(189-1981) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC

〔資料〕Bernard Law Montgomery, 1st Viscount Montgomery of Alamein(1887-1976) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B4%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC

〔資料〕William Joseph Donovan(1883-1959) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Joseph_Donovan


     ◇


■ドノヴァンの経歴

ウィリアム・ドノヴァン William Joseph Donovan(1883-1959)は1883年1月1日にニューヨークのバッファロー New York, Buffalo で生まれ、コロンビア大学ロースクール Columbia Law School を卒業した。同級生に後にアメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズヴェルト Franklin Delano Roosevelt, FDR(1882-1945)がいた。1903年から1908年迄ロースクールで勉強していた間に、後に連邦最高裁長官になったハーラン・フィスク・ストーン教授 Harlan Fiske Stone(1872-1946)に気に入られた。

当時、ストーン教授に気に入られた生徒がもう1人いた。後にアメリカ連邦捜査局 Federal Bureau of Investigation(FBI)長官に就任しワシントン Washington, D.C. を驚かせたジョン・エドガー・フーヴァー John Edgar Hoover(1895-1972)である。

フーヴァーは1924年に初代FBI長官に就任してから1972年死去まで48年間長官を務め、アメリカ史上最も権力のある恐れられた情報機関責任者であった。

ドノヴァンはコロンビア大学でもう1人、後にナショナル・バンクの頭取 Head of the First National Bank になったジャクソン・レイノルズ教授 Jackson E. Reynolds(-)に出会った。彼はモルガン財団 J.P. Morgan&Co. のキーパーソン Key Person〔※鍵となる人物、重要人物〕であり、ドノヴァンにアメリカ戦略諜報局 Office of Strategic Services(OSS)〔※CIAの前身〕の座を用意した人物でもあった。

ドノヴァンの社交範囲は大変広く、中には、ロスチャイルド家 Rothschild Family のニューヨークにおける代理人オーガスト・ベルモントの息子 August Belmont, Jr.(1853-1924)の嫁、有名な女優のエレノア・ロブソン Eleanor Robson Belmont(1879-1979)もいた。

ドノヴァンはコロンビア大学やウォール街の友人のサポート Support を受けて、1915年第1次世界大戦中に、ロックフェラー財団 Rockefeller Foundation の「アメリカ赤十字社派遣団 American Red Cross(ARC)」として欧州に派遣された。当時、同じくこの財団から派遣され救助団の責任者を担当していたのはハーバート・フーヴァー Herbert Clark Hoover(1874-1964)、後のアメリカ第31代大統領である。

アメリカが第1次世界大戦 World WarⅠに参戦すると、ドノヴァンは自ら戦場に赴いた。戦功記録によれば、1918年10月15日、ドイツの機関銃隊を捕虜にしたことにより議会名誉勲章を授与された。ドノヴァンの戦功はアメリカメディアによって広く報道され、ウォール街 Wall Street の銀行家達の認めるところとなった。1919年と1920年にウォール街の秘密使命を背負い中国とシベリア Siberia に派遣されたこともある。

第1次世界大戦後、JPモルガン J.P. Morgan&Co. は海外商業会社を立ち上げ、欧州復興の為に20億ドルの債券を発行する準備に取り掛かった。

1920年、ドノヴァンは、欧州戦場での経歴や数年間生活して構築していた人脈や情報ネットワークが買われ、モルガンから20万ドルの報酬を受けて再び欧州を秘密裏に訪問し、欧州債券市場の情報を収集した。この探査旅行中に、ドノヴァンはバイエルン州のベルヒテスガーデン Bayern, Berchtesgaden “Berghof” でヒトラーに出会い、一晩話し合う機会を持った。そして、ヒトラーを「面白い話し相手」と思った。

1922年、ドノヴァンはニューヨーク州弁護士に任命され、1924年に元コロンビア大学ロースクール教授ストーンの招請でワシントン Washington, D.C. を訪れた。ドノヴァンはストーン教授にエドガー・フーヴァーFBI局長の解任を求めたが、拒否された。ドノヴァンとフーヴァーの間には溝があった様で、この後、CIAとFBIの関係はぎくしゃくするようになった。

1924年から1928年の間、ドノヴァンはハーバート・フーヴァーと密接な関係にあった。フーヴァーはドノヴァンをフーヴァーダム Hoover Dam の調整役に任命するようクーリッジ大統領 John Calvin Coolidge, Jr.(1872-1933)に提言し、また、彼の大統領在任中にはドノヴァンを再考戦略顧問として迎えた。

選挙中にフーヴァーはドノヴァンを副大統領にすることさえ考えたが、ドノヴァンがローマカトリック教徒 Roman Catholic であることから非カトリック教徒の票を失うことを心配して、熟慮の上断念した。フーヴァーはホワイトハウス White House 入りを果たし、論功行賞を行ったが、選挙チームの重要メンバーであったドノヴァンが入閣することはなかった。苦悶の末、彼は政界からの引退を考えた。

1936年から1937年、ドノヴァンはナチス政府に務めていた友人の誘いを受け、スペイン内戦 Spanish Civil War の状況を視察し、ケンブリッジ5人組 Cambridge Five の1人、キム・フィルビー Harold Adrian Russell “Kim” Philby(1912-1988)と出会った。

1937年、ナチスがチェコスロバキア Czechoslovakia を併合したことで、チェコにあるロスチャイルド家の財産は多大な損害を受け、ウィーン Wien(英:Vienna)にあるロスチャイルド銀行 Wiener Bankhaus Rothschild もトラブル Trouble〔※面倒、問題、障害〕に遭遇していた。ナチスに多くの人脈を持っていたドノヴァンが、ロスチャイルド家の要請を受けてナチスの内部情報を収集したことをきっかけに、ドノヴァンとロスチャイルド家の関係は強固なものになっていった。

〔資料〕Anthony Cave Brown著『Wild Bill Donovan:The Last Hero』(Times Books 1982年刊行)
http://www.amazon.co.jp/Last-Hero-Wild-Bill-Donovan/dp/0812910214

〔資料〕Harlan Fiske Stone(1872-1946) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Harlan_F._Stone

〔資料〕John Edgar Hoover(1895-1972) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/J._Edgar_Hoover

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC

〔資料〕第3章 国際金融資本に支配される世界:世界最大の金融財閥ロスチャイルド一族 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050903

〔資料〕ロスチャイルド一族、日本をとる。 By Clifford Shack - さてはてメモ帳 Imagine&Think! 2008年1月14日
http://satehate.exblog.jp/7983092

〔資料〕August Belmont, Sr.(1813-1890) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/August_Belmont

〔資料〕August Belmont, Jr.(1853-1924) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/August_Belmont,_Jr.

〔資料〕Eleanor Robson Belmont(1879-1979) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Robson_Belmont

〔資料〕Rockefeller Foundation - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Rockefeller_Foundation

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E8%B2%A1%E5%9B%A3

〔資料〕Our History:A Powerful Legacy|The Rockefeller Foundation
http://www.rockefellerfoundation.org/who-we-are/our-history/

〔資料〕American Red Cross(ARC) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/American_Red_Cross

〔資料〕Herbert Clark Hoover(1874-1964) - Wikipedia ※Quaker
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC

〔資料〕Hoover Dam - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A0

〔資料〕John Calvin Coolidge, Jr.(1872-1933) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8


     ◇


【Hitler's House】

〔資料〕総統大本営一覧 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E7%B5%B1%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6

〔資料〕Wolfsschanze(総統大本営の1つ) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7

http://www.28dayslater.co.uk/forums/showthread.php?t=54991

〔資料〕Berchtesgaden - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3

http://www.thirdreichruins.com/obersalzberg.htm

〔資料〕Berghof(ヒトラーの別荘) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Berghof_(residence)#Hitler.27s_house

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95

http://www.thirdreichruins.com/berghof.htm

〔資料〕Kehlsteinhaus(ヒトラーのティーハウス) - Wikipedia ※Berghof とは別の建物。1940年~1945年
http://en.wikipedia.org/wiki/Kehlsteinhaus

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9

http://www.thirdreichruins.com/kehlsteinhaus.htm

〔動画〕Surfing on Hitler's Elevator in the Kehlsteinhaus - YouTube [3分18秒]
http://www.youtube.com/watch?v=rTXdYptyCWE

〔動画〕Hitler's Generator on Kehlstein Running - YouTube [5分27秒]
http://www.youtube.com/watch?v=kUurXdTPgfg

〔動画〕Kehlsteinhaus of Adolf Hitler(1-3) History - YouTube [9分24秒]
http://www.youtube.com/watch?v=zzSawVSV5l8

〔動画〕Kehlsteinhaus of Adolf Hitler(2-3) Service Tunnel - YouTube [7分29秒]
http://www.youtube.com/watch?v=Fn4DBWV_UxY

〔動画〕Kehlsteinhaus of Adolf Hitler(3-3) Generator, Buses - YouTube [9分30秒]
http://www.youtube.com/watch?v=ssabtFZk_kE


     ◇


■OSS―「Oh So Social」

1940年5月29日、ウィリアム・ドノヴァン William Joseph Donovan(1883-1959)と共に5年間「アメリカ赤十字社派遣団 American Red Cross(ARC)」に勤務していたウィリアム・スティーブンソン William Edwards Stevenson(1900-1985)がニューヨークを訪れ、欧州で知り合ったイギリス海軍の諜報部ウィリアム・R・“ブリンカー”・ホール提督 William Reginald “Blinker” Hall(1870-1943)からの手紙をドノヴァンに渡した。アメリカに早急に戦略情報機関を設立するようにとの提案であった。

ドノヴァンは手紙を持ってウォール街の友人やロースクール時代の同級生であるフランクリン・ルーズヴェルト Franklin Delano Roosevelt, FDR(1882-1945)を説得し、ロンドンでアメリカ戦略情報局 Office of Strategic Services(OSS)を創設することになった。

ドノヴァンの渡欧は秘密に行われたものの、ルーズヴェルト大統領の秘密使命を受けているのではないかと多くのアメリカメディアに勘繰られた。ドノヴァンはついでにドイツ占領下の東欧も訪問した。ドイツ側は、ドノヴァンがアメリカの諜報機関を立ち上げるという情報を入手していたにも関わらず、面倒を引き起こさない為干渉することはなかった。

欧州から帰国したドノヴァンは情報をルーズヴェルト大統領に報告し、1942年6月13日にOSS長官に任命された。ドノヴァンはルーズヴェルト大統領に「秘密の足 My Secret Legs」と称され、秘密計画の執行役を務めた。

アメリカ戦略情報局OSSでは、J・P・モルガンの息子 John Pierpont “Jack” Morgan, Jr.(1867-1943)が財務を担当し、メロン家のポール・メロン Paul Mellon(1907-1999)も要職に就き、メロンの義理の弟デイヴィッド・ブルース David Kirkpatrick Este Bruce(1898-1977)もOSSロンドン支局の責任者に就任し、後にアメリカ駐フランス大使に栄転した。

更に、FRBを作り上げたポール・ウォーバーグの息子ジェームズ James Paul Warburg(1896-1969)はドノヴァンの私設助手になった。他にヴァンダービルト家 Vanderbilt Family やデュポン家 DuPont Family、ライアン家 Ryan Family らも相次ぎ家族をOSSの要職に就かせた。その為、OSSは「Oh So Social(全てが関係者だ)」と言われたほどであった。

人脈から観たOSSは、まるで国際銀行家の社交界であり、ロックフェラー Rockefeller、モルガン Morgan、ロスチャイルド Rothschild、ウォーバーグ Warburg、ヴァンダービルト Vandrbilt、メロン Mellon、デュポン DuPont ら大富豪銀行家のサービス機関のようであった。

そもそも情報 Information と金融 Finance は密接に関係しているものである。

〔資料〕R. Harris Smith著『OSS:The Secret History of America's First Intelligence Agency』(University of California Press 1972年刊行)
http://www.amazon.com/OSS-History-Americas-Central-Intelligence/dp/0520020235

〔資料〕Google Books:R. Harris Smith著『OSS:The Secret History of America's First Intelligence Agency』(全456頁)
http://books.google.mw/books?id=83aMqklUijYC&printsec=frontcover&hl=en&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false

〔資料〕The CIA:The Office of Strategic Services(OSS) - Modern History Project ※原文記事
http://modernhistoryproject.org/mhp?Article=WorldOrder&C=5#OSS

〔資料〕Sang's Economics Blog
http://sangecon.wordpress.com/

〔資料〕William Edwards Stevenson(1900-1985) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Stevenson_(athlete)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

〔資料〕Rockefeller Foundation - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Rockefeller_Foundation

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E8%B2%A1%E5%9B%A3

〔資料〕Our History:A Powerful Legacy|The Rockefeller Foundation
http://www.rockefellerfoundation.org/who-we-are/our-history/

〔資料〕American Red Cross(ARC) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/American_Red_Cross

〔資料〕William Reginald “Blinker” Hall(1870-1943) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Reginald_Hall

http://www.phil.uni-passau.de/histhw/TutKrypto/tutorien/zimmermann-depesche.htm

〔資料〕森田吉彦 著『兵学者 吉田松陰─戦略・情報・文明』:書評 - 長久手日記 2011年6月5日
http://britintel.exblog.jp/12755015/

〔資料〕David Kirkpatrick Este Bruce(1898-1977) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/David_K._E._Bruce

〔資料〕Paul Mellon(1907-1999) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3

〔資料〕James Paul Warburg(1896-1969) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Warburg

〔資料〕Ryan Family Crest and History|House of Names.com
http://www.houseofnames.com/ryan-family-crest


     ◇


【東(盗)機関】

〔資料〕東(盗)機関 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A9%9F%E9%96%A2

〔資料〕須磨弥吉郎(1892-1970) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E7%A3%A8%E5%BC%A5%E5%90%89%E9%83%8E

〔動画〕NHK特集「私は日本のスパイだった─秘密諜報員ベラスコ」(1982年9月20日放送)1-5 - YouTube [10分01秒]
http://www.youtube.com/watch?v=--2jA-eq0Xw

〔動画〕NHK特集「私は日本のスパイだった─秘密諜報員ベラスコ」(1982年9月20日放送)2-5 - YouTube [10分00秒]
http://www.youtube.com/watch?v=REG2_c4G3M8

〔動画〕NHK特集「私は日本のスパイだった─秘密諜報員ベラスコ」(1982年9月20日放送)3-5 - YouTube [10分01秒]
http://www.youtube.com/watch?v=74BaQeqTusk

〔動画〕NHK特集「私は日本のスパイだった─秘密諜報員ベラスコ」(1982年9月20日放送)4-5 - YouTube [10分44秒]
http://www.youtube.com/watch?v=MxDPsuEkEzg

〔動画〕NHK特集「私は日本のスパイだった─秘密諜報員ベラスコ」(1982年9月20日放送)5-5 - YouTube [6分21秒]
http://www.youtube.com/watch?v=kr8QbG9CGVY

〔資料〕ベラスコの告白 第1章~第7章 - HEXAGON
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc101.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc102.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc103.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc104.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc105.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc106.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc107.html

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060731

〔資料〕高岩 仁 著『戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告』より抜粋 3 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060823

〔資料〕鬼塚英昭 著『天皇のロザリオ―日本キリスト教国化の策謀』より抜粋 1~4 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060826

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060827

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060828

〔資料〕『ナチスを売った男』について~ 元イギリス諜報部員の告白 ~ - HEXAGON
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc150.html


     ◇


■パットン暗殺の動機

アメリカ戦略情報局 Office of Strategic Services(OSS)の人脈を明確にした上で、もう一度『Target Patton』に話を戻そう。

ドノヴァン William Joseph Donovan(1883-1959)とパットン George Smith Patton, Jr.(1885-1945)の間の私怨でないとするばらば、ドノヴァンが公言していた「上からの命令に従っていただけだ、多くの人がそれを望んでいた」の「上」とは一体何者だろうか。アメリカ大統領 President of the U.S. なのか、それとも国際銀行家なのか。

パットン将軍は終始ソ連を敵視し、ソ連軍との摩擦を絶えず引き起こしていた。彼を抑制しなければ、米ソ間の軍事衝突、ひいては戦争まで進展する可能性さえあり、国際銀行家達の利益に背くことになる。

≪≪とりわけ1945年から1948年の間はイスラエル建国の重要な時期であり、シオニスト Zionist は約100年の準備を経てようやく夢を叶えそうになったのである。

第1次世界大戦後にオスマン帝国 Osmanlı Devleti(英:Ottoman Empire)が崩壊し、パレスチナ地区はようやく分離された。第2次世界大戦中に大勢のユダヤ人がパレスチナ Palestina に移住してきた。今、ナチスは崩壊し、英仏は戦争の廃墟で喘ぎ、アメリカは金権の圧力に押付けられ、ソ連は原子爆弾 Atomic Bomb を渇望している。

こうしたそれぞれの理由からようやくイスラエル建国問題に各大国が意見の一致を見たこの千戴一隅の時期に、アメリカで絶大な人望と豊富な人脈と忠誠を誓った軍隊、第3軍 “Patton's Own” Third U.S. Army を有するパットンに邪魔され、米ソ戦争を引き起こされた場合には、建国の夢は更に複雑になり、強いては永遠に遠のく可能性さえあった。国際銀行家達にとって、これは決して許すべからざることであり、如何なる者であろうと、この時期に現れた邪魔者を容認することは絶対に出来なかった。

極めて僅かのエリート達の冷徹な眼差しは、彼らの信仰の共通の最終目標に向けられていた。途中に現れる全ての障害物と邪魔者は瞬時に排除される。≫≫

〔資料〕George Smith Patton, Jr.(1885-1945) - Wikipedia ※ドイツ降伏後と急死
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3


     ◇


(12頁へ続く)
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:
(9頁からの続き)


■ソ連とアメリカの間をうまく立ち回る

≪≪1937年にヴィクター・ロスチャイルドの伯父ウォルター Lionel Walter Rothschild, 2nd Baron Rothschild(1868-1937)が死去した。ウォルターには嫡子がいなかった為、ヴィクター Victor Rothschild, 3rd Baron Rothschild(1910-1990)は26歳で第3代ロスチャイルド男爵を継承した。爵位により自動的に上院議員となったヴィクターは、より広範囲に活動を広げていった。

当時、ソ連の物理学者ピョートル・カピッツァ Pyotr Leonidovich Kapitsa(1894-1984)は既にモスクワに帰国していたが、両者は密接に連絡を取り合い、彼のもとには、原子核物理の最新情報や、機関誌に掲載されていた他分野の重要成果とデータを含め各学界の最新研究成果報告が定期的にヴィクターから送られてきた。

その中には、生物兵器に直接に利用出来る生物毒素に関する研究内容もあり、通常の国際科学研究ルートでは決して入手出来ぬ、大変機密性の高いデリケート Delicate なデータと情報ばかりであった。

ヴィクターは大変な勉強家で、知能指数 Intelligence Quotient(IQ)が極めて高く、家業の銀行業の他に、各分野の科学文献や論文(開示と非開示を含めて)を幅広く読み漁り、研究に勤しんでいた。彼は生物学にも造詣が深く、精子の運動規律、即ち、精子と卵子が出会った時に何故一匹しか卵子に入ることが出来ず、「勝利者」の精子が如何に排他的に動くかを研究したことがあった。また、原子核物理にも興味を持ち、専門家レベルであった。

MI5での初仕事は、イギリスにあるドイツ系商工業企業の経営活動がイギリスにとって脅威であるか否かの分析であった。1940年の早い時期に、ヴィクターは数多くのドイツ系商業企業がナチス政府の為に動いていることに気付いていた。彼は、ドイツ系商業企業がイギリスに対して諜報活動を行っている可能性があり、複雑なネットワーク Network〔※~網。節点 Node と経路 Link から成り、流れ Flow があるもの〕が形成されているものの、全く目立たない為、通常の手段では商業スパイ活動を摘発出来ないと報告した。

当時、イギリスの機械製造業で使用する各種の金型が殆んどドイツのサプライヤー Supplier〔※製造業者、供給者〕に依頼していることに気付いたヴィクターは、アメリカのサプライヤーへの切り替えを提案した。提案を聞きつけたアメリカ政府は喜び、ヴィクターをアメリカ大使館 Embassy of the US in London に呼び出し、具体的な事項について商談した。これによって、ヴィクターとアメリカ政府間で急速に信頼関係が構築された。

防諜に関する素晴らしい業績を上げたヴィクターは、アメリカ政府からアメリカ中央情報局 Central Intelligence Agency(CIA)の前身であるアメリカ軍戦略情報局 Office of Strategic Services(OSS)でアメリカの未来の情報官を育成してほしいと要請された。そして彼が作成した防諜資料はアメリカ情報機関の正式教材に選ばれた。

これにより、ヴィクターはアメリカの特殊名誉勲章 Medal of Honor とイギリスのジョージ鉄十字勲章 George Cross を授与され、アメリカ大統領トルーマン Harry S. Truman(1884-1972)もヴィクターの米軍への貢献を表彰した。≫≫

≪≪ロスチャイルド家は早い時期からハガナー Haganah と密接な関係を持っていた。ハガナーはイスラエル建国の為に1920年に設立されたシオニズムの地下組織であり、イスラエル諜報特務局 Institute for Intelligence and Special Operations(通称:Mossad、モサド)の前身である。ハガナーはロスチャイルド家の支援を受け、欧州全土に巨大な諜報ネットワークと監視システムを構築し、各大都市で反シオニズムの政治組織を監視していた。

ヴィクターが己の政治情報と軍事情報の「資産価値」を高める中で、一番注目したことは如何にしてより重要な取引カードを作り、自分の遠大な計画の為に配置しておくかということであった。

彼は、商業防諜においてはアメリカ製造業者を選択してアメリカ人を引きつけ、同時に、最新鋭の軍事技術に注意を払い、ソ連が一番必要とする軍事技術情報を提供することでソ連に布石を打った。イギリスの情報局に身を置き、米ソの情報の動きを把握し、シオニズム情報ネットワークと深い関わりを持っていたヴィクターこそ、第2次世界大戦 World WarⅡの情報中枢にいた人物であった。

〔資料〕イギリス軍情報部第5課 Military Intelligence section 5(MI5)⇒イギリス情報局保安部 Security Service MI5 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80%E4%BF%9D%E5%AE%89%E9%83%A8

http://en.wikipedia.org/wiki/MI5

〔資料〕イギリス軍情報部第6課 Military Intelligence section 6(MI6)⇒イギリス情報局秘密情報部 Secret Intelligence Service MI6 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80%E7%A7%98%E5%AF%86%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%83%A8

http://en.wikipedia.org/wiki/Secret_Intelligence_Service

〔資料〕イギリス駐アメリカ大使館 Embassy of the US in London - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/U.S._Embassy,_London

〔資料〕Medal of Honor - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Medal_of_Honor

〔資料〕George Cross - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Cross

〔資料〕Haganah - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Haganah

〔資料〕ハガナー情報部 Shai(Hagannah Intelligence Service) - Wikipedia ※1940年創設
http://en.wikipedia.org/wiki/Shai_(Haganah_unit)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%83%A8

〔資料〕イスラエル諜報特務局 Institute for Intelligence and Special Operations(通称:Mossad、モサド) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E7%89%B9%E5%8B%99%E5%B1%80

〔資料〕Internet Haganah - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Internet_Haganah

〔資料〕ナチス・ドイツのお粗末破壊作戦、MI5が資料公開 - AFPBB News 2011年4月6日
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2794324/7050222


     ◇


【Supreme Court of Israel―Rothschild】

〔資料〕シオニズムの変遷~イスラエル建国の舞台裏~ - HEXAGON
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hd/a6fhd200.html

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 金銀ダイヤの欲望に憑かれた男達:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070406

〔資料〕イスラエルとロスチャイルドの百年戦争 - 田中 宇の国際ニュース解説 2005年6月22日
http://tanakanews.com/f0622israel.htm

〔資料〕Supreme Court of Israel - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Court_of_Israel

〔資料〕Jewish Authors Confirm Cutting Edge Analysis of the Black Magick Masonic Control of Zionism, Israel, and Current Middle East Events! |The Golden Report 2003年11月16日
http://www.cuttingedge.org/News/n1874.cfm

〔資料〕イスラエルの最高裁判所の建物に見るフリーメーソン・イルミナティの勝利宣言~Cisco Wheeler著『Behold a White Horse』より - 荒野の声 2009年12月25日
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/arano/arano091225.html

〔資料〕The Golden Report
http://thegoldenreport.com/

〔資料〕Sinister Sites:Israel Supreme Court - The Vigilant Citizen 2009年6月24日
http://vigilantcitizen.com/sinistersites/sinister-sites-israel-supreme-court/

〔資料〕イスラエルの最高裁にイルミナティの「目」が - Kaleodoscope 2010年1月7日 ※米国の“道具”としての役割。この観点は非常に重要
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-3.html

〔資料〕イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団 - Kaleidoscope 2010年11月23日
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-269.html

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-277.html


     ◇


■最重要機密

ヴィクター Victor Rothschild, 3rd Baron Rothschild(1910-1990)はケンブリッジの人脈を使ってイギリス国防科学技術研究所ポートン・ダウン Porton Down の中枢研究部署で重要なポストを得た。

当時、ポートン・ダウン研究所では極秘レベルの研究、主に生物化学兵器に関する研究が行われ、その研究の最終段階は細菌戦に使用する生物兵器を製造することであった。研究の目標は3年以内に完成させ、かつ量産レベルにし、ドイツに対する最終兵器にすることである。ヒトラー Adolf Hitler(1889-1945)がイギリスに上陸し地上戦に持ち込んだ場合は、イギリスは迷わずに生物兵器を使用したであろう。

≪≪毒薬 Poison を研究すると共に解毒剤 Antidote の開発も進められ、生物兵器 Biological Weapon とワクチン Vakzin(英:Vaccine)が同時に研究された。ヴィクターはこの両方の重要データに注目し、メリーランド州 Maryland〔※首都 Washington, D.C. に隣接〕フォート・デトリック Fort Detrick にある米陸軍細菌戦研究所 U.S. Army Medical Research Institute of Infectious Diseases(USAMRIID)のデータやミシシッピ州 Mississippi で行われた実際の測定結果などの情報を密かに収集した。≫≫

ヴィクターがポートン・ダウンに入って4カ月程で、ソ連国家保安委員会 Komitet Gosudarstvennoy Bezopasnosti(KGB)は大量の実験データを獲得し、生物科学研究が急速に進展した。ヴィクターの「情報資産 Information Asset」はソ連で急速に値上がりした。

戦時中、ヴィクターは大量破壊兵器の研究にも注目した。

「情報資産」の価値から観ると、破壊力の大きい兵器は研究が難しく、潜在的影響力が大きく、欲しがる国は対価を惜しまない為、大幅な値上がりが期待出来る「優良資産 Premium Asset」になる。ヴィクターは金に困っていないので、経済利益の追求が彼の目的ではなかった。彼はこれらの「優良資産」を、重要な国際地縁政治の重要カードにし、パレスチナでのイスラエル建国支持を対価として得ることを狙ったのである。

生物兵器に比べて核兵器がより「優良資産」であることを、当然ながらヴィクターは知っていた。

≪≪第2次世界大戦初期からヴィクターは核兵器 Nuclear Weapons の価値を認識して、チャーチル Winston Leonard Spencer-Churchill(1874-1965)に核兵器の研究を強化するよう強く勧めた。チャーチルは当時のイギリスの研究プライオリティ Priority〔※優先順位〕を、1にドイツ空襲の警報用レーダー、2に核兵器と定めた。

核兵器の研究開発において、ヴィクターは重要なメンバー Member〔※構成員〕であった。

チューブ・アロイズ Tube Alloys〔※米マンハッタン計画に引き継がれた最初の核兵器開発プロジェクト〕というコードネームを持つイギリスの核兵器研究は、モード委員会 MAUD Committee 委員長ウォーレス・エイカーズ Wallace Alan Akers(1888-1954)〔※ICI重役〕の下、帝国化学工業 Imperial Chemical Industries(ICI)で行われた。

1941年10月、ヴィクターは中央委員会に入り、核兵器研究開発の全過程を監督する立場となった。イギリスにおける影響力を駆使し、政府の各種研究資金をエイカーズの為に獲得した。第2次世界大戦中、ヴィクターは英米情報機関の中で核兵器に一番熟知し、広い知識を持ち、状況を最も理解している専門家であった。

1941年日本軍による真珠湾攻撃の後、コロンビア大学 Columbia University のトップクラスの科学者2名がイギリスを訪問し、米英の核兵器研究資源を統合するよう提案し、双方がナチスより前に原子爆弾の進捗(しんちょく)状況に高い関心を持ち、ほぼ毎日のようにヴィクターから研究報告を受け取っていた。

当時、ヴィクターは特殊で有利な地位におり、全ての秘密論文と実験データを閲覧出来る権限が与えられていた。ケンブリッジ時代から原子核物理の研究に没頭していたヴィクターは、秘密論文を閲覧する際、いつもその分野の一流の科学者の説明を受け、全ての内容を完全に把握出来るほどになっていた。

ヴィクターは細かい研究内容だけでなく、英米両国の核兵器研究の全体の状況も把握した。全ての情報を整理して核兵器研究に関する総合報告に纏め上げた、ヴィクター所有の「情報資産 Premium Asset」は戦争に極めて重要な影響を与えるに足るものとなっていた。

1933年にイギリスに移住したユダヤ人物理学者ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls(1907-1995)は核分裂の連鎖反応の可能性を理論的に証明し、原子炉で原子爆弾の燃料を作ることが出来、ウラン Uranium(U)〔※約46億年前、地球誕生の時代から存在。超新星爆発によって生成されたと言われる〕の同位体のU235を1キロほど用意すれば原子爆弾は造れると始めて提起した。

1940年迄に殆んどの学者は原爆には数トンのU235が必要だと考えていたが、パイエルスの理論はそれを覆した。パイエルスとバーミンガム大学 University of Birmingham のマーク・オリファント Marcus “Mark” Laurence Elwin Oliphant(1901-2000)は技術面の可能性を共同実験で検証し、一連の設計プランを作成した。

ヴィクターは設計プランを受け入れ、細かく分析、研究した。間もなく、このプランはソ連に渡った。当時、ソ連は、ヒトラーからの圧力が次第に増大し、スターリングラード攻防戦の後、独ソ戦線は膠着状態に陥っていた。このような状況で、核兵器研究の進捗(しんちょく)に高い関心を寄せていたソ連にとって、原爆に関する情報は決定的な誘惑となった。

原子爆弾の研究が停滞していたカピッツァ Pyotr Leonidovich Kapitsa(1894-1984)をはじめとするソ連の物理学者にとって、ヴィクターからの情報は恵みの雨となり、そこから多くのヒント Hint〔※暗示、仄めかし、微かな兆候〕を得て、研究は急速に展開していったのである。≫≫

一方のアメリカでは、エンリコ・フェルミ Enrico Fermi(1901-1954)が1942年の「シカゴ・パイル1号 Chicago Pile-1(CP-1)」で実験中に、パイエルスの核分裂連鎖反応理論を応用して原子爆弾にプルトニウム Plutonium(Pu)が使えることを発見し、世界初の原子炉を造ったのである。

パイエルスらイギリスの学者はフェルミの実験に懐疑的だった。このような状況下で、プルトニウムが果たして原子炉の燃料として使えるか否かを明確にするには、全ての国防研究機関を訪問し、あらゆる研究者に確認し、原子炉の主要技術を把握する必要があった。しかし、如何にヴィクターでも大々的に原子爆弾の詳細調査をしたなら、必ず疑念を持たれるに違いなかった。

冷静沈着なヴィクターは完璧な計画を練った。

ヴィクターはMI5の副部長ガイ・リデル Guy Maynard Liddell(1892-1958)宛てに報告を出し、国立研究所と商業分野の協力機関の安全意識が低く、ドイツ諜報員を有効に防御出来ないことを指摘した上で、安全管理を強化し、防衛意識を高めることを提案した。リデルはヴィクターの報告に一理があると考え、国防先端技術のセキュリティ Security〔※安全、防衛〕を担当させた。

リデルの許可を得たヴィクターは合法的に彼の関心ある「安全状況」を検査出来るようになり、イギリスの全てのデリケート Delicate なプロジェクトの「安全検査官」になったのである。

1942年、ヴィクターはバーミンガム大学 University of Birmingham を訪問し、パイエルス実験室の進捗(しんちょく)状況を確認し、予定通りレーダー研究を行っていたマーク・オリファントをも訪ねた。オリファントは1994年の回顧録に次のように綴った。



生涯一度だけ彼(ヴィクター Victor Rothschild)に会った。ヴィクターはプロジェクトの進捗状況を知りたくて実験室を訪ね、全ての研究報告を閲覧し、報告の詳細まで吸収した。彼は専門家ではないし、知ったか振りもしなかった。彼は沢山の質問をし、メモを取り、科学実験が直面していたあらゆる問題について長時間かけて議論をした。彼は極めて聡明であり、私は彼を好きになった。



MI5のセキュリティ調査は一般の安全保護の基準を遥かに超えていた。ヴィクターは実際にはプロジェクトの進捗状況、とりわけ技術詳細について調査していた。ヴィクターは、オリファントの目を盗んで、レーダーに使われる先端装置である直径3インチのマグネトロン Magnetron を持ち帰った。その日の夜、絵画が得意なヴィクターはケンブリッジの家で、自分が観察した内容と理解に基づきマグネトロンの立体図を精密に描いた。これはカメラで撮った写真よりも分かり易かった。しばらくして、この綺麗な立体図がKGBの事務所に届いた。

翌朝、ヴィクターはマグネトロンをメッセージ Message〔※伝言〕と共にオリファントに届けた。「セキュリティを強化したほうが良いかも知れない。お会い出来て光栄だ。忠実な友人ヴィクター・ロスチャイルドより」。

メッセージを受け取ったオリファントは冷や汗を掻いた。マグネトロンを紛失したことに全く気付かなかった。オリファントはヴィクターを疑うどころか、感激で一杯であった。

ヴィクターの立場からすると、オリファントの実験室はセキュリティ上に問題あると報告して当り前であった。そうなると実験室は非常に煩わしいことになる。しかし、ヴィクターは善意溢れるメッセージで注意しただけだった。オリファントは直ぐに返信し、セキュリティを強化し、設備が記録を残さずに持ち出されることのないようにすると約束した。

1943年、ヴィクターは同じくセキュリティ検査の名目で再び帝国大学ロンドン Imperial College London(ICL)のG・P・トムソン教授 George Paget Thomson(1892-1975)の実験室を訪ねた。トムソン教授はプルトニウムを利用して原爆を造る方法を詳しく説明した。トムソン教授のチームは、原理は良く理解していたが、重水を減速材として原子炉に使用した為、実験は失敗に終わった。

ヴィクターはトムソンの研究を立体図にしてブラント Anthony Frederick Blunt(1907-1983)経由でKGBに提供した。後にソ連の物理学者によれば、これらのデータは彼らが長い間探し求めていたものであり、この情報のお蔭で研究期間が大幅に短縮出来たのだと言う。

長い年月が過ぎてから、ソ連は、1949年のソ連の初の原子爆弾がアメリカのコピー Copy〔※複写、模倣〕であることを初めて認めた。ソ連にとってこの設計は全く斬新な考え方であり、ソ連の物理学者が原子炉の基本原理を理解する助けとなった。当時の英米において、チャーチルのような政府高官と専門家を含めて、ヴィクターほど原子爆弾の全てに詳しい人間は他にいなかったはずである。

ヴィクターは既にソ連にとって必要不可欠な戦略情報源 Strategy Information Sources になった。ヴィクターはようやく条件を提示した。

〔資料〕Porton Down - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Porton_Down

〔資料〕Defence Science and Technology Laboratory(Dstl) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Defence_Science_and_Technology_Laboratory

http://www.dstl.gov.uk/

〔資料〕U.S. Army Medical Research Institute of Infectious Diseases(USAMRIID) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Army_Medical_Research_Institute_of_Infectious_Diseases

〔資料〕アメリカ合衆国の大量破壊兵器 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%87%8F%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E5%85%B5%E5%99%A8

〔資料〕衆議院会議録情報:第61回国会 本会議 第64号 1969年7月24日 ※US Army Chemical Technical Research―日本の軍産学複合体
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0001/06107240001064a.html

http://zenkyoto68.tripod.com/zenkyoto22.htm

〔資料〕Tube Alloys - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Tube_Alloys

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA

〔資料〕MAUD Committee - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/MAUD_Committee

〔資料〕帝国化学工業 Imperial Chemical Industries(ICI) – Wikipedia
http://de.wikipedia.org/wiki/Imperial_Chemical_Industries

〔資料〕誰が何の為に原爆を造ったのか By 鬼塚英昭 - さてはてメモ帳 Imagine&Think! 2008年12月20日
http://satehate.exblog.jp/10383405/

〔資料〕原子爆弾の歴史(年表) 1781年~2005年
http://homepage1.nifty.com/koarashi/index_hoby.htm

〔資料〕地球史年表:地球誕生前 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8#.E5.9C.B0.E7.90.83.E8.AA.95.E7.94.9F.E5.89.8D

http://www.s-yamaga.jp/kankyo/kankyo-genpatsu-2.htm

〔資料〕Rudolf Ernst Peierls(1907-1995) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B9

〔資料〕Marcus “Mark” Laurence Elwin Oliphant(1901-2000) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%88

〔資料〕Enrico Fermi(1901-1954) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F

〔資料〕Chicago Pile-1(CP-1) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Chicago_Pile-1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AB1%E5%8F%B7

〔資料〕Guy Maynard Liddell(1892-1958) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Guy_Liddell

〔資料〕Magnetron - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3

〔資料〕帝国大学ロンドン Imperial College London(ICL) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3

〔資料〕George Paget Thomson(1892-1975) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3

〔資料〕「ナチス製原爆」の謎 - HEXAGON
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hc/a6fhc111.html


     ◇


■ヴィクターの条件―原子爆弾の機密情報とイスラエル建国

≪≪ソ連は1947年に突如、イスラエル問題に関するそれ迄の態度を変え、パレスチナ Palestina でのイスラエル Israel 建国支持を表明した。国際歴史上の大きな謎である。

マルクス Karl Heinrich Marx(1818-1883)は当初からシオニズム Zionism に断固反対し、ユダヤ人国家建設が幻想であると明言していた。スターリン Joseph Stalin(1878-1953)もまたシオニズムに対し批判的であった。ソ連成立以来、ソ連のシオニズムに対する態度は一貫して否定的であった。ユダヤ人資本家がユダヤ人労働者を搾取することを反動イデオロギーとして批判し、パレスチナでユダヤ人国家を建設することは歴史の後退であり、プロレタリア国際主義運動 Proletarian Internationalism に逆行する、と批判した。

1935年5月に、イギリスはシオニズムに反対する白書を発表した〔※King著『The Jew in the modern world:a documentary history』(Oxford Univ Pr 1980年3月刊行)〕。1941年独ソ戦争勃発後、ソ連はシオニズムに対する態度をやや緩和したが、反対する立場に変わりはなかった。

しかし、1947年4月、国連がパレスチナ特別会議 United Nations Special Committee on Palestine(UNSCOP)を開催した際に、ソ連はパレスチナ分割決議に賛成し、態度が逆転した。ソ連の国連大使アンドレイ・グロムイコ Andrei Andreevich Gromyko(1909-1989)が長い講演を行い、戦時中のユダヤ人の「極度の不幸と苦難」に同情を示し、ユダヤ人の建国願望を無視出来ないと述べた。

そして、彼はソ連政府を代表し、パレスチナに「独立した、民主的で、二元的で、同等性のあるアラブ=ユダヤ国」を建設する、実現出来ない場合は「パレスチナをユダヤ国とアラブ国という、2つの独立した自治国家にする」ことを提案した。

また、ユダヤ人がこの目標を実現させる要求と権利を無視、または拒否することは「不公平である」とも述べた。1948年5月15日、イスラエルが建国されると、ソ連は直ぐにイスラエル国を認め、5月26日に大使館を設け、イスラエルを多方面から支援した。1949年5月11日、米ソがイスラエルの国連入りの支持を表明し、イスラエルは珍しく2つの超大国から支持されることとなった。

時間軸を分析して分かったことは、ヴィクターが原爆設計に関する戦略的情報を集め、重要情報を大量にソ連に送ったことと、ソ連のシオニズムに対する態度の変化とは明らかに関連性を持っているということである。

1949年8月29日、ソ連は初の核実験 Nuclear Test に成功した。ソ連がイスラエル政策を調整した時期と、核実験の時期とは完全に一致していた。≫≫

核兵器はソ連にとって重要な戦略的意味を持つものであった。アメリカが1945年に最初の原子爆弾を保有してからは、ソ連はアメリカ核兵器の陰に息を潜めているしかなく、クレムリン宮殿がその威圧感から安心して眠ることも出来なかった。

原子爆弾を持って初めてソ連が超大国としての地位を獲得出来たことを考えると、イスラエル建国支持に回ることで重要情報を引き出したと考えても無理のないことである。同じ時期に起きた2つの出来事を解析すると、明らかに関連性を持っていることが分かる。

アメリカの『原子力科学者ニュースダイジェスト』で、KGBの資料館には、1941年10月に初めての原子爆弾関連資料がクレムリン宮殿に送られてきて、ソ連の関連機関がそれを受け取ったこと、その資料がイギリスの物理学者が核兵器研究をチャーチルに提案したという議事録のコピーであったこと、ソ連政府内が騒然となったが、スターリンはそれを偽情報だと判断した、という資料が残されていると報じた。

この資料が示しているちょうど同じ時期に、ヴィクターはイギリス原爆プロジェクト「チューブ・アロイズ Tube Alloys」の中央委員会に参加し、原子爆弾研究の監督を任されていた。

『原子力科学者ニュースダイジェスト』に次の記載があった。



1943年初、彼(スターリン Joseph Stalin)は物理学者、愛国青年クルチャトフ Igor Vasilyevich Kurchatov(1903-1960)を原子爆弾開発プロジェクトの責任者に任命した。ゼロから研究を始めたアメリカ学者と異なり、クルチャトフは既にラベレンチー・ベリヤ Lavrentij Pavlovich Berija(1899-1953)の情報員達によって西側諸国から送られてきた研究の核心内容を持っていた。

極秘資料は情報員達によってモスクワ Moskva(英:Moscow)に届けられ、モスクワから400キロ離れた原子爆弾製造センターに送られていた。極秘の状況で、ソ連の科学者達は原子爆弾の部品を模造していた。



同じ1943年初頭に、ヴィクターは前述のように、帝国大学ロンドン Imperial College London(ICL)のG・P・トムソン教授 George Paget Thomson(1892-1975)の実験室を訪ね、プルトニウムから原子爆弾を製造する方法を、トムソン教授から細部に至るまで聞いていたのである。

≪≪ヴィクターはイギリスの原子爆弾だけでなく、アメリカの原子爆弾研究にも精通していた。彼は米国原子力委員会 Atomic Energy Commission(AEC)会長ルイス・シュトラウス Lewis L. Strauss(1896-1974)とも親友であった。シュトラウスはクーン・ローブ商会 Kuhn Loeb&Co. のシニア・パートナー Senior Partner〔※共同経営者〕でもあり、国際銀行家達との密接な関係を持っていた。≫≫

国際金融界におけるロスチャイルド家 Rothschild Family の重要な地位、ヴィクターがイギリスの情報機関から入手した原子爆弾と生物化学兵器に関する重要情報、またイギリス政界における強大な影響力と人脈によって、ヴィクターの「情報資産 Information Asset」はソ連で大いにその商品価値を増していった。

そしてヴィクターは口を開いた。ソ連政府に対して、パレスチナへのユダヤ人入植制限を緩和し、パレスチナでのイスラエル建国を指示するように求めた。

終戦後、ヴィクターは、ユダヤ人のパレスチナ入植とイスラエル建国への支持を明確に表明し、強く呼び掛けた。彼はイギリス議会で関連講演を行い、国民に呼び掛け、イギリス社会全体がこの問題に注目するよう促した。

イスラエル建国問題は、ユダヤ人とアラブ人との間で激しい利害の衝突を生んだ。アラブ人 Arab にとっては、先祖が残してくれたイスラエル Israel の地はアラブ Arabian Peninsula の要地であり、入植してきたユダヤ人が新たなイスラエルを建国することを黙認するわけにはいかなかった。

錯綜する複雑な国際政治ゲームの中で、ヴィクターは巧妙な政治手腕を発揮していた。彼はメディア Media〔※情報媒体〕における一族集団の強い影響力を利用して、自分が中立で温厚なユダヤ理性主義者で、最も親アラブのユダヤ政治家であるというイメージ Image〔※印象、心像、象徴〕を作り上げた。

1946年7月31日、或るパレスチナ問題の論争の中、ヴィクターは表舞台に登場した。論争の原因はユダヤ人テロリストがパレスチナ地域で起こしたテロ事件 Terror Attack であった。数名のイギリス兵士がテロ事件の犠牲者となった。

演説の中で、ヴィクターはアメリカが提起したパレスチナ分割案に対し明確な答えを示した。彼は自分がシオニスト Zionist ではなく、シオニズム Zionism と何ら関係ないことを明言した上で、ユダヤ人が数百年来欧州で受けてきた迫害や抑圧の歴史を感情を込めて振り返った。

更に、ヴィクターは、イギリスが1939年に発表したユダヤ人のパレスチナ入植反対の白書は、1917年「バルフォア宣言 Balfour Declaration」に背くものであり、ユダヤ人に対する恥ずべき裏切りであると言及し、チャーチルの言を引用した。――「これは、かつて約束したことへの明らかな裏切りであり、もう1つの『ミュンヘン協定 Munich Pact』である」と。

更に、アメリカの提案についてもヴィクターは、アメリカの提案の前提条件は全てのテロ行為を停止することであり、ユダヤ人入植の前提条件はパレスチナにある全ての武装部隊が武装を解除することである、と回答した。今のパレスチナ周辺にはいつでも武力行使が出来るように虎視眈々と狙っている強敵がおり、ユダヤ人は極めて不利な情況に置かれている、と。

言い換えれば、ヴィクターはパレスチナのユダヤ人武装組織 Haganah の存在は当然であり、必要である、と考えていた。

またヴィクターは、ユダヤ人は2000年もの間各地を流浪して、ようやく自分達の土地、かつて生活していた場所に戻ることが出来るようになる、と歴史を振り返り、ナチスによるユダヤ人迫害を痛烈に批判した。また、第2次世界大戦中にユダヤ人が極度の恐怖体験を受けてきたことから、更に発生する迫害を回避する為にも、自らの非難場の確保がユダヤ人にとって一刻も猶予出来ないほど重要なことであると強調した。

ヴィクターの演説は世界の注目を浴びた。ロスチャイルド家 Rothschild Family にとって戦争はまだ終っていなかった。イスラエル建国は彼らの揺るぎない信念であった。

この時期、ソ連の選択肢は明確になっていた。ヴィクターやその他ユダヤ科学者の原子爆弾の研究に関する協力を得たければ、外交面で譲歩し、イスラエル建国を支持せざるを得なかった。ソ連は1947年から1967年の20年間、イスラエル建国を支持していたが、その後、元の路線に戻った。

ちょうどこの時期にケンブリッジ5人組 Cambridge Five のことが相次いで露見し、ヴィクター本人も1960年代初期にソ連国家保安委員会 Komitet Gosudarstvennoy Bezopasnosti(KGB)との関係を絶った。

ヴィクターは1986年12月、イギリスの新聞に「私は、今も過去もソ連の諜報員ではない(I am not, and never have been, a Soviet agent)」と公開書簡を発表し、彼とKGBの関係に関する多くの「噂」を一蹴した。

〔資料〕イギリス委任統治領パレスチナ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%A7%94%E4%BB%BB%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E9%A0%98%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A

〔資料〕Canada-Israel Diplomatic Relations Celebrating 60 Years of Successful Relations|Goverment of Canada
http://www.canadainternational.gc.ca/israel/highlights-faits/Celebrating60Book_LivreCelebrant60.aspx?view=d

〔資料〕King著, Paul Mendes-Flohr, Jehuda Reinharz編『The Jew in the modern world:a documentary history』(Oxford Univ Pr 1980年3月刊行)
http://www.amazon.co.jp/Jew-Modern-World-Documentary-History/dp/0195026314

〔資料〕Paul Mendes -Flohr著・編『The Jew in the modern world:a documentary history 2nd Edition』(Oxford Univ Pr 1995年3月刊行)
http://www.amazon.co.jp/Jew-Modern-World-Documentary-History/dp/019507453X

〔資料〕Andrei Andreevich Gromyko(1909-1989) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%82%A4%E3%82%B3

〔資料〕Igor Vasilyevich Kurchatov(1903-1960) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%95

〔資料〕Lavrentij Pavlovich Berija(1899-1953) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%A4

〔資料〕広瀬 隆 著『赤い楯―ロスチャイルドの謎(上)』 第1章 SOSタイタニック:要約 - 日本人が知らない 恐るべき真実
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070412

〔資料〕Balfour Declaration - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A2%E5%AE%A3%E8%A8%80

〔資料〕イギリスとユダヤ人 その3|防衛省OB太田述正の日本はアメリカの属国だ 2004年9月22日 ※バルフォア宣言の中身
http://blog.ohtan.net/archives/50955353.html

〔資料〕ミュンヘン会談 Munich Agreement、ミュンヘン協定 Munich Pact - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AB%87

≪鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より要約(15)≫|MelancholiaⅠ ※国連の役割、戦争の仕組み
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-10973775709.html

〔資料〕Haganah - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Haganah

〔資料〕ハガナー情報部 Shai(Hagannah Intelligence Service) - Wikipedia ※1940年創設
http://en.wikipedia.org/wiki/Shai_(Haganah_unit)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%83%A8

〔資料〕イスラエル諜報特務局 Institute for Intelligence and Special Operations(通称:Mossad、モサド) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E7%89%B9%E5%8B%99%E5%B1%80

〔資料〕Internet Haganah - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Internet_Haganah

〔資料〕Diaspora - Wikipedia ※撒き散らされたもの、の意
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9

〔資料〕FBI|Cambridge Five Spy Ring
http://vault.fbi.gov/Cambridge%20Five%20Spy%20Ring


     ◇


(11頁へ続く)
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。