アンパンマンの親父は薩摩の血が濃い | 倅がオヤジの大切なものと、アンパンマンの陶磁版をトイレの漆喰に掲載しました。用の度に、「アンパンの陶磁版」を拝んでいます。

倅がオヤジの大切なものと、アンパンマンの陶磁版をトイレの漆喰に掲載しました。用の度に、「アンパンの陶磁版」を拝んでいます。

歴史音痴の僕がカミサンと倅から戊辰戦争と西南戦争で歴史マニアになりました。また現代社会が明治維新で完結していない事にぼんやりと気がついたのです。何かにつけて倅が大切にトイレに額装してくれた「アンパンマンの陶磁版」を拝んで一日を始めています。

女癖の悪い父親は美人には目が無く手当たり
次第だったらしい。司馬遼太郎の「翔ぶが
如く」にも薩摩男は女とお酒があれば
ご機嫌で、長州の書生ぽさは無かったようだ。
勇猛で示現流の似合う明るさと派手さ
が先に立ったようだ。



何時、知識や情報を得たのか、大概の事に
は話題を欠くことは無く、大森山王2
丁目で戦後学生下宿をやった時には、学生
達は親父を囲んで、世間話をしては喝采
を浴びていたようだ。



持って生まれたものなのか、職業柄身に
ついたものなのか、話題は豊富で、お坊さん
から、商店主の親父さんなんかと交流
が多く、金にもならない、錦絵春画なども
集めていた。


そんな、こんなで読書など何時しているのか
分からなかったが、西南戦争の事や、上野の
寛永時の話は良くして呉れた。兎に角、話題
は豊富で、女性に関しては隅に置けなかった。
4畳半趣味で都都逸調の格言を言っては
学生達を喜ばしたり、元気つけていた。



「上見れば、あの星、彼星(カホシ)
(欲をホシと読む)
彼星(カホシ)星だらけ、下見て暮らせ(星
)(欲をホシと読む)の気も無し!等
学生達は山上ゼミと言って、いつも10人
ぐらい集まって夜中まで談笑していた。


叉、西南戦争の事となると、

世間渡るにゃ、豆腐の様に、四角四面で柔
かく!等、上野の寛永時の話ではちゃんと
あの火吹き達磨の村田蔵六の話など、交える
のだった。


スミスのタイプライター一台で、指一本で
いきなり、下書き無しで、英文を打つ姿
を4~5歳の頃、眺めに行っては、面白
そうだなと、キーボドをいじったりした
が、何んと言っても心は身体の小さな
母親の味方をする心が強かった。


姉も、母親から頼まれて、親父の密偵役を
務めていた。


https://youtu.be/k0fwGShp3Ww