おじいちゃんの入れ歯をトイレの洗面台で洗っていたら
耳元かすぐ後ろで声がしました
ひとりごちるような
ため息交じりの口調でした
後ろは壁で
トイレにはもちろん誰もいませんでした
まぁ…、病院ですから…
昨日は、ずっと昔からの、大切な友達に元気をもらいました。
本当にありがとう。。。
このごろは、毎日二回にわけて、病院に行っています。
たまにどっと疲れるときもある。
なんだか微熱が出たり、落ち込んだりすることもある。
でも自分たちが行くことで少しでも何か食べてくれれば、
マッサージをすることで少しでも痛みが和らいでくれればと、
そんなことばかり考えています。
どんなにたくさんの栄養を点滴で入れたとしても
たった一口でも口から物を入れて食べることのほうが
何倍も効果があるんだよ、って、ヘルパーの先生が言ってた。。。
でも、、お見舞いって複雑だね。
ほんとうに近しい人ならいいのだけど、
隠していても、うわさが広がるのは早いから。
義理でやって来て、想像していたよりも大変だった、って、
そういうショックを受けるくらいだったら、
来てくれないほうがましだとおもう。
少なからず、本人には伝わってしまうから。
目の前の人の動揺も、すべて感じ取ってしまうから。
護ってあげたいよ。
せめて心だけでも。。
おじいちゃん、そんなところに真実はないよ。
会いたくて、顔みたくて、とにかく元気になってほしくて
それだけが真実だよ。
あんな事、もう書かないでね。。
詳しくは…
書けないけれど…
明日叔母さんが来ます。
ぎりぎりになるまで、考えなくちゃいけないことから目をそむけるのは
家系なのかな。
うちの家族はいつも、突然の現実にぶちあたります。
本当はもっと予期しなくちゃいけないことを、考えることが恐いのか、
縁起でもないと思うのか、先延ばしにします。
そうして、整理できないまま進んで、進んで、
そして…、突然いろいろなことを決めなくてはならなくなります。
おばあちゃん、私たちはどうすればいい?
何度も心のなかで聞いた。
仏壇の前で泣きながらたずねた。
ときどき、家の中でおばあちゃんを感じるから。
でも、声は届かない。
夢でもいいよ。
どうしたらいいか教えて。
明日も、病院に行きます…。
私信
ひろちゃん、ちぃちゃん、山梨…やっぱり、残念だけど、今回は見送って
お家にいます。ごめんね、メールで書こうと思ったけれど、書けなかった。
日記でも、なんか書けなかった。ほんとになってしまいそうで、怖いのです。
気を強く持たなければいけないと思った。
入院して三日なのにも関わらず
祖父の体は三つもの機械がとり着けられて
管でつながれた絶対安静の状態になっていた。
どうしてこのあいだまで一人でご飯を食べ、お風呂に入り、
着替えたり用を足したりできていたのに、
昨日だって買って行ったプリン、美味しそうに食べてくれたのに
こんなふうにされなきゃいけない?
出来ていたことだって出来なくなる。
残存能力に働きかける、とか、そんな悠長なことは言ってられないのだろうか。
病院はひとつの社会であり、無知な私たちはただそれに従うしかない。
だからっていくらなんでも絶対間違ってる、と思いながらも、
専門的なことはわからない悔しさや、ショックが隠しきれなくて
涙が止まんなくなった。
病室で泣くなんてほんと不謹慎だけど
トイレ行ったら余計止まんなくなるし
こぶし握り締めたり 爪立てたり 上向いたり必死でごまかした…
けど…。
四月から病院で働くと思うと、余計に敏感になる。
看護主任のあまりに心無い対応。
ホント言うとそれがショックで泣いた。
必要以上に脅す必要なんて無いじゃない。
もしものときの責任のがれ?
患者にはもちろん、最善のはからいをしてほしいけれど、
患者の家族の心だって大切にしてほしい。
かけがえのない存在を、信頼して預けているのだから。
たくさんの不安を抱えながら。
…病院で気持ちのいい思いってしたことないなぁ。
この気持ちって絶対忘れちゃいけない。
私はああいう援助者にはなりたくない。