『マイマイ新子と千年の魔法』は懐古映画か?
テーマ:マイマイ新子
先日の『めざましテレビ』で『マイマイ新子と千年の魔法』が取り上げられましたが、その中でこんなナレーションが聞こえてきました。
「東京から転校してきた多感な少女“新子”・・・」
最初は原稿が間違っているのかと思いました。しかし本当は“新子”じゃなく“貴伊子”と言っていたようです。こちらの聞き間違いでした。ナレーションは要約すると貴伊子の成長を描いた映画であるというもので、新子に関しての説明は全く無し。聞き取りにくかったのも確かですが、タイトルが『マイマイ新子』なんだから新子の説明から入るだろうという思い込みのせいでそう聞こえたのでしょう。余計な思い込みでことごとく読み間違ってしまうこの映画の特徴をこんなところでも痛感することになろうとは。
時代設定が昭和30年代だから最初は懐古趣味な映画かと思うかもしれませんが、原作には具体的な描写の無かった千年前の平安時代が出て来ます。昭和30年を懐古と言うなら平安時代は何なのだろう。懐古映画だとするなら誰も懐かしくない千年前は必要ないはずです。じゃあ最初から千年前の部分が要らなかったのでしょうか。
例えば『となりのトトロ』では基になった時代設定や場所はありましたが、具体的な時代色・地方色はなるべく排除していたように思います。そうすることで漠然と昔の日本のどこかになっていた。それどころか昔の日本によく似た架空の世界の話だったとしても別に支障が無い。これは子供や若者が自分たちの知らない時代、知らない土地の日本の話に興味が持てない、感情移入しにくいと考えてそうしていたように感じました。そもそもアニメに現実的なものを求める人が少ないのかもしれませんが。『トトロ』が公開された昭和63年(1988年)当時で既にそんな感じだとしたら現在は言わずもがな。しかし『マイマイ』は自伝的小説が原作ということもあって昭和30年の山口県防府市から逃れようが無い。そこで『トトロ』では時代色・地方色を排して描いた普遍性を、『マイマイ』では特定の土地に視点を置き、時代を遡ることで描いたのではないでしょうか。懐かしさに浸れるだけ細やかに描写されてはいますが、あくまでそれは手段であって目的ではないでしょう。










