Katsuya Ando のブログ

生はさくらんぼ。死はその種 - Jacques Prévert


テーマ:

iOS10 になってアプリが起動後に少し経ってからいきなりクラッシュ、停止する。

ところが iOS9 のデバイスでは問題なく動作する。

実機でデバッグしてもXcodeのコンソールにはそれらしいメッセージが何もなく、breakpoint にもかからず。ただ例の signal SIGABRT のみ。

少し調べるとiOS10以降、ユーザのパーミッションが必要な特定の機能にアクセスする場合は info.plist 内にて新しいKey/Valueを追加しないとダメらしい。

アプリはカメラで撮影する機能を装備していたため、この場合、

Privacy : Camera usage description をキーとして選択し、value には任意の文字を入力する。

アプリ初回起動時にユーザーにカメラのアクセス許可を求めるダイアログ表示されるされるが、今回ここで指定する文字がダイアログ内に表示されるようだ。

 

今回はカメラで撮影した画像をアルバムに保存する機能も含むので、Camera usage description キーだけでなく、Photo library usage description の追加も必要なようです。

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
パラレルワールド。今僕たちがいる世界とは別の世界。

荒唐無稽なSF漫画の作り話だと思っていませんか・・・。

でも最先端の科学、量子力学なんかでは「存在する」のが当たり前になっています。

僕が想像するイメージはこんな感じです。下の絵のブルーの世界が僕たちが認識している、この世界。



パラレルワールド




そしてピンク色の世界が僕たちには認識できないパラレルワールド。

パラレルワールド




こんな感じで、僕たちは普段見たり、感じたりできないけど、この世界と深く結びついている並行世界。

僕たちが「魂」とか、「霊」とか、「自分」とか、「意識」とか・・・そう呼んでいるものはこのピンクの世界のものなんじゃあないかと・・・僕は考えます。

つまり、物理的な「体」や「脳」、「細胞」なんかはブルーの世界のもので、「心」はピンクの世界のもの。

もっと言うと、今現在の生きている僕も、「僕」という「心」はピンクの世界に存在していて、体はブルーの世界にある。人間の「脳」はピンクの世界とブルーの世界をつなぐアンテナのようなもの。そう考えると、辻褄(つじつま)があうんですよね。

え?何の辻褄?それは僕が今まで体験してきた数々の霊的現象ですよ。

でも上の絵のとおり、ブルーの世界の人々はピンクの世界を想像することはできても、見ることも触ることもできないんですよ。われわれの「目」も「手」ただの「物」ですから。

でも体の「目」で見ることはできなくても心の「目」でみることはできるんじゃないかな・・・
「心」はもともとピンクの世界の住人なんですから。

それは訓練すれば出来かもしれない。たとえば「瞑想」とか。(練習すると自分で幽体離脱ができるようになるという話もある。ウソかホントか、僕はまだ試していない。)

実際、世界中の大学でこのようなことは研究されている。興味がある方はいろいろ検索してみたらいいとおもいますよ。

Pararell Worlds exists and interact with our world

パラレルワールドは実在する

多次元宇宙論 - Wikipedia

脳量子理論





<参考>
17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルトは 「精神」は物質世界とは異なる「次元」に存在する。と主張していた。 実体二元論 - Wkikipedia

心とは、記憶を蓄えた脳組織から絶え間なく生み出される光量子(フォトン)の凝集体であり、場の量子論によって記述されるその物理的な運動が意識である 脳と心の量子論 (治部眞里, 保江邦夫 著)







AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
朝日放送で「探偵ナイトスクープ」という番組があります。

毎週、番組視聴者からの依頼を受けて、番組の各探偵が調査してくる、という番組ですが、先日そのなかで、「亡き夫の味を求めて」というタイトルの依頼がありました。内容は、

「カオマンガイ(タイ料理)の専門店の店主である夫が突然、心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となってしまった。」という、残された奥さんからの依頼。
「カオマンガイ」はタイではポピュラーな料理らしく、ご飯の上にゆでた鶏肉をのせ、特製のタレをかけて食べるもの。
主人は本場タイで修業した味に、日本人になじみやすいように工夫したタレを作り上げ、とてもおいしいと評判だったが、そのタレの作り方は主人しか知らない。
タレを作るのに使っていた調味料は分かるが、細かい分量や配分がまったくわからず、このままでは主人の味を再現できない。
冷蔵庫の中に幸い少しだけ残ったタレがあるので、なんとか、亡き主人が作ったレシピを再現してもらえないか・・・


というものでした。

どうして、ご主人はこんな大切なことを、何かに書き留めておかなかったのかなあ・・

舌の利く料理人に味見してもらって、たとえご主人の味に近づいたとしても、それでは「亡きご主人から奥さんに受け継がれた秘伝のタレ」とは言えないのに・・

「いつか教えよう」と思っていて、ついついそのままになっていたのでしょうか。

誰も明日自分が死ぬなんてことは考えないものね・・・








愛エンディングノート - OFFICIAL WEBSITE







AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
幽体離脱のことを英語で "Out of Body Experience" と言うのですが、直訳すると "体外体験" という感じでしょうか。

なにげなしに YouTube を見ていると "Out of Body Experiment" という実験のビデオがありました。

見ると、バイク用のヘルメットに電極のようなものがつけられていて、そのヘルメットをかぶると、幽体離脱やさまざまな霊的現象が体験できるというもの。

ビデオでは、これをかぶった人のインタビューがあって天使が現れた、等々の体験談があり、取材者自身もヘルメットをかぶって幻覚を見たと証言しています。

YouTube で投稿されているビデオの内容によれば、これはおふざけではなくて、ちゃんとした大学の研究室で、マイケルパーシンガー ( Michael Persinger) さんという脳科学者が開発したものらしいです。

これは本で読んだことがあるなと、思って、本棚を探していたら、「新・脳と心の地形図 監修=養老孟司」(原題・Mapping The Mind 著者・Rita Carter) の13ページにこのヘルメットのことが書いてありました。このヘルメット、市販もされているらしいですね。(笑)

かぶってみたい・・・。

この実験によって、幽体離脱をはじめとした霊的な体験は脳が見せる幻覚にすぎないと、結論づけられています。

ですけどね、僕もスピリチュアルな体験をたくさんしました。いるはずのない人を見たり、いろいろな音を聞いたり、幽体離脱のような体験もしました。ひとつ反論させてください。


「僕はヘルメットをかぶっていませんでした。」(笑)


「側頭葉に電気刺激をあたえると霊的な体験をする」とその本にも書かれています。

それが本当だとすると、問題は、何が僕に電気的な刺激を与えたのか、ですね。

僕がなんとなく想像するのは、「霊」というのは電波のような形でこの世界を漂っているのではないでしょうか。

僕たちが普段みているテレビの放送電波なんかも、何百年たっても消えずに宇宙空間を漂っていると聞いたことがあります。

いつの日か、こういうことが科学で解明される日が来るのでしょうか・・・。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
自分がもうすぐ死ぬとわかった時、あなたなら何がしたいですか?

旅行に行くとか、貯金を下ろして散財するとか?


エンディングノートという物がありますが、書ける内容は限られていますし、誰が読むかわからないという面もあります。



僕には中学二年生の娘と小学四年生と小学三年生の息子がいます。

僕なら子供たちにたくさんの「言葉」を遺してあげたい・・・。


普段忙しくて、ずっと、子供たちとゆっくり語り合う機会がありませんでしたから。


時にはやさしく 時には厳しく 人生を生きる力になるような、そんな言葉をたくさん遺してあげたいんです。


でもね、


いざ、机に向かって何時間・・・考えたところで、そんな言葉は簡単に出てきません。


それで、思いついたんです。

できるだけたくさんの写真を子供たちと一緒に撮ろうと。

そしてその時感じた、普段の何気ない僕の言葉を添えて遺してあげようと。



いつもポケットの中にはスマートフォンが入っていますから、写真は好きな時に撮れます。


そして僕は子供たちのために、iPhoneアプリを作りました。

このアプリを使えば、iPhoneで撮った写真と一緒にメッセージを保存し、そのメッセージを1年後でも、10年後でも、好きな日時に子供たちにメールで送ることができます。


毎年、子供たちの誕生日には、過去の僕からのメッセージが届くようにしました。




メールアドレスは変えないようにとクギをさしています。(^―^)


愛エンディングノート 永遠のメッセージ - App Store


エンディングノートのスクリーンショット
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
臨死体験で幽体離脱を経験した多くの人の話によると、離脱した自分には「体」は無く、「視界」のみがあるそうです。臨死体験としてでなく、普段の生活において、幽体離脱のような感覚を体験する場合もあります。夢遊病のような状態を幽体離脱と錯覚しているのかも知れませんけど。

実は僕もそれなら2度経験があります。よく聞く「金縛り」という経験は僕には一度もありませんが、「幽体離脱」チックな経験は2回しました。

1度目は中学2年生くらいの時。部屋で一人で寝てました。ほかの家族(両親や妹)とは別の建物でした。夜中に起こされました。誰かに体を揺さぶられて。

僕は半分目覚めて上半身を起こそうとしましたが、その時です。体が妙に軽かったのです。それまで経験したことがない感覚でした。僕は上半身を起こして枕元を振り返ったような恰好ですが、そこには寝ている自分と枕元に中腰で屈んでいる60歳くらいの知らないおじさんが姿が見えたのです。

そのおじさんは誰かを探していたようで「○○は居ないか?」と僕に聞いてきました。僕はこの部屋に一人だと答えると、「起こして悪かった」と確かにそう言うと歩いて部屋を出ていきました。僕はもう一度横になり、しばらくして今度は自分の指かなんかがちゃんと動くのを確認してから、もう一度起き上がりました。

僕は布団から起き上がり、部屋を出て、ドアにカギをかけるため玄関まで歩いていきましたが、玄関のドアはカギがかかっていました。

2度目は20歳くらいの時で、大阪市内の新築ワンルームマンションの最上階の部屋に一人で寝ていました。真夜中というよりはおそらく朝方に近かったの思います。いきなり目覚めると、と言っても目は閉じたまま、体は寝ているのに意識だけはっきりと目覚めてしまったような感覚で、「ワアアアアアアアアン」という音が耳に響いていました。これは違う、おかしいと、すぐに感じました。体を起こそうとすると、フワッと体が浮くのが感じられたので、起きるのはやめてもういちど寝ました。

これらはただ寝ぼけていた、夢を見ていた、のでしょうか。おじさんに体を揺さぶられた感覚ははっきりとありましたし、おじさんは足もあったし、茶色っぽいジャケットを着た、ちゃんとした人間に見えましたが・・・。ただ、見たこともない人でした。そんな人を寝ぼけて見るでしょうか?


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
心拍が止まり呼吸が止まった状態を「臨床死」と呼ぶそうです。

臨死体験については去年、NHKでおもしろい番組がありました。

NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか

散瞳、心拍の停止、呼吸の停止でお医者さんは「ご臨終です」と言うのですが、最近の脳の研究では、臨床死から数十秒から数分間も微弱な活動を続けていることがわかっているそうです。

つまり、医者が言った「ご臨終です」という言葉を亡くなった本人も聞いている、という都市伝説もウソではないかも知れないのですよね。

僕自身には臨死体験はありませんが、いろんなところで言われる臨死体験の話の中に多いのが「幽体離脱」です。日本に限らず、宗教を問わず、世界中で言われていることです。(幽体離脱などという概念も知らない)小さな子供でも意識を回復したときに周りの人に「部屋の天井からベッドで寝ている自分自身や家族を見ていた」と話したそうです。

ここで議論になるのは、幽体離脱と呼ばれる臨死体験が

①「脳内現象すなわち、脳が見せる幻覚」なのか
②魂や意識と言われる「モノ」が本当に体から分離しているのか

ということです。言い換えれば

①だと言うのは、魂(意識?自分?)というのが単なる脳内の電流や化学物質の作用に過ぎない、脳が死ねば自分自身も消えてしまう、ということだと思うし、

②の場合は、そうでなく、哲学的、宗教的、心理学的、科学的、物理学的と解釈はいろいろですが、ともかく魂というのは身体、脳とは独立した存在であるということ

ですよね。あなたはどちらを支持しますか?僕は②です。



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
ここ数日で記事をいくつかエントリーさせていただきました。

以前の記事を見てみると、2011年2月が最後で止まっていましたから、4年ぶりくらいですね。
それ以前にも、Ameba以外でブログを書いては止め、書いては止め、してましたが。
長いこと続けている人を見ると素晴らしいと尊敬します。

僕はウェブサイトの作成やソフトウェアの開発なんかもやっていて、インターネットには昔から関わってきているのですが、僕自身、SNSなんかのツールを使いこなすのがどうも苦手で・・・。日記なんかも続きません。

SNSやブログって本当に素晴らしいですね。全然知らない人、外国の人とでも気軽に言葉が交わせるのですから、使いこなさないと損しますよね。このブログにしても、いまだに「アメンバーって何?」って感じで、記事を読んでいただいている方には本当に申し訳ないと思います。もっと勉強します。

また書いてみようか、と思ったのは、たまたま何かの検索でヒットした、どこかのサイトで僕が何年も前に書いた記事にリンクを張ってくれているのを見かけたからなんですよね。

ああ、やっぱりブログって、読者がいなくても、コメントがなくても、どこかで誰かがみてくれているんだなあって。書くこと、残すことの重要性を再認識させてもらった次第です。

書くことと言えばちょうど今、エンディングノートの研究をしていて、ウェブサイト -愛エンディングノートも立ち上げ、制作中です。

昨今、「就活」ならぬ、「終活」という新しい言葉を聞くようになりましたが、自分の「死」について、元気なうちから準備しておこうという意味です。エンディングノートは終活の一環として数年前から各種メディアで取り上げられるようになりました。

しかしエンディングノートはお年寄りや医者から余命を宣告された方に限らず、若い人にも書く価値があるものだと僕は思います。いや、若い人こそ、自分の死について前向きに考える時間を作ることは、残りの長い人生を過ごす上でとても意味があることだと思うのです。

「生」は「死」を内包しています。生あるものはいつも死とともに歩かなくてはならないのです。「死ぬために生きる」と言っても過言ではないと僕は思います。

僕はそれに気づいたとき、それまでの自分がいかに時間を無駄に費やしてきてしまったか思い知らされたのです。


























いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
今、妖怪ブームですから高校生の頃に僕が体験した「ざしきわらし」の話を書きますね。

この話はことあるごとに僕の周りのひとには話してきたんですけど、こういう話は、文章として残しておくべきだって、ずっと思っていました。

twin-kids.com というドメインをそのために登録しましたので、おいおい、専用のウェブサイトを立ち上げる予定です。馬鹿げているとか、子供じみているといわれるのは覚悟しています。

営利目的もありませんし、ただ、記録として後世に残したいから作るのです。「ざしきわらし」は存在します。

「ざしきわらし」「座敷童」は昔から、語り継がれてきました。今人気のゲーム「妖怪ウォッチ」にも古典妖怪として出てきますので、小さな子供でもよく知っているでしょう。

そんなものを大の大人が真面目な顔で「見た」といっても、「幻覚をみたのだろう」と言われるに決まっていますよね。

でも、たとえ僕が見たあの子供たちが幻覚であったにせよ、昔から大勢の人が同じような幻覚を見たということになります。それだけでも、貴重な体験として、僕には残す義務があるように思うのです。

僕があの子たちを見たのは、回数にして二回、場所はどちらも自分の家の庭です。「あの子たち」と書いたのは、二人いたからです。どちらの子も歳は五、六歳くらいの女の子で、双子でした。なぜ双子だと思ったかは、同じ髪型、同じ服、背格好も全く同じ、顔はよく覚えていませんが、同じ顔で、可愛かったことだけは印象に残っています。

時期は私が高校生の頃ですから、1984年か1985年ころになりますね。場所は当時住んでいた、兵庫県加古川市内のごく普通の民家です。時間帯は1回目が深夜、2回目は明け方です。

普通で考えると、深夜に自分の家の庭で、小さな子供に遭遇するなんて、不気味な話ですが、もともと、霊的な体験をよくしていたので、見た当時はそれほど気にかけてはいませんでした。

そのときの話はとても長くなりそうなので、詳細は後日 twin-kids.com にアップしますね。

応接間の天井一面に小さな手形をたくさんつけたり、僕が一人で自分の部屋にいるときに階段や廊下を走ってきて僕の部屋の前で止まったり、トイレのカギを中からかけたり(ちなみに、今のようなドアノブでなく、アオリドメと呼ばれる昔のカギです)と、ずいぶんイタズラ好きの子供の霊なのかとおもっていました。でも当時、怖いという感覚はあまり持ちませんでした。誰も居ない部屋の照明器具(小さなシャンデリア)が落ちた時(きっとあの子たちの仕業)はさすがに身の危険を感じましたけど。

あの子たちがいわゆる「ざしきわらし」だと確信したのは、何年もずっと後になって、大人になってからです。それはラジオ番組で誰かが言った何気ない言葉を聞いたからですが、それは「ざしきわらしは双子が多い」という言葉でした。その言葉を聞いた瞬間に、それだと感じたのです。数々のイタズラといい、昔から言われる「ざしきわらし」とは、あの子たちのような子供を昔の人が名づけたんだなと直感したのです。

あの家が今どうなっているのかは知りませんが、ざしきわらしは家につくものなのでしょうか、その後引っ越しを何度かしました。それ以来見ていません。大人には見えないとも言われています。

僕は今は結婚して子供もいます。西宮市内の戸建て住宅に住んでいますが、時々誰もいないトイレのドアにカギがかかってしまうことがあります。今のトイレは昔と違ってドアノブにカギがついているタイプでドアを閉めた時に何かの拍子にカギがかかってしまうことも、あるかも知れませんね。でも、ひょっとしたら、と思って少しうれしくなります。






いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
仕事がら、人間の「死」というものを毎日見ています。

ご遺体に接するたびに、「明日はわが身」という気持ちになります。

でも悲しむことはありません。怖いとも思いません。

死ぬ人は(それがどこであろうと)生まれてきた場所に帰るだけですから。


僕は幼少の頃、霊感が強く(こういう言い方をすると何か胡散臭いですね。霊感というものが一体何なのかも僕にはよくわかりません。)、霊的な体験を多くしました。

ほかの人には見えない人(?)を見たり、音を聞いたり、信じてもらえるとは思いませんが、そういう者(霊?)と会話をした経験もあります。

友達や家族と、そういった現象を共有したことも何度かあります。しかしそういった楽しい?経験ができたのは高校生くらいまでで、大人になってからは(ほとんど)ありません。

あなたは「霊魂」というものを信じますか?

私はといえば科学が好きで、宇宙に関すること、量子論、脳科学、そういった書籍をよく読みます。科学的に説明すると、僕が幼年期から青年期にかけて体験したような霊的な現象は、成長過程の脳のニューロンのバグであると、いうことになるのかも知れません。最近になって気づいたのですが、僕がそういう本が好きなのは自分の経験を説明したいからなのでしょう。

しかし説明がつかないこともたくさんあります。僕が体験したことは知覚としてそのような物を見たり、聞いたりしただけでなく、実際に物理的な作用をともなっていることも多いのです。たとえば、物が壊れたり、写真に写ったり(俗にいう心霊写真ですが、よくホラーものの本なんかに載っているような物ではありません)、ほかの人と一緒に経験したりというような。

あの人たち(霊?)が一体何なのか僕自身、未だに答えを求め続けています。






いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。