いつぞやはFBをベースに、近頃
仕事をめぐって思うことを書くつもりで、
またもや脱線したしまったことを思い出す。
あの時は、本格的にFBを始めてからというものの
トモダチの皆さんが独立して何周年という投稿記事とか、
わが愚息どもの転職について想いを馳せていたら・・・
この業界に転職して、ちょうど30年を数えることになる
と気が付いた、といったタイミングだった。
で、そんなところころから出直しを図って
アメブロ店じまいセール、最終バーゲンの
幕を開けることにしようかと思う次第。
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はじめに勤務したプロダクションは1年半で退社。
やはり師匠の紹介で入社したプロダクションには4年弱。
お次もこれまた紹介で入った今度は広告代理店が、
わが人生最長不倒の丸14年勤務。
(以下、省略)
要するに、卒業後の流通業界で2社。
転向後の広告業界では、途中に
不本意な自営期間3年を挟みつつ・・・5社。
つまり、サラリーマンとして
現在の勤務先は7社目に当たる。
推薦されたり紹介されたり、
いずれも転職はどなたか仲立ちを介して。
声やお座敷が掛かればホイホイ話に乗って、
転籍・・・もとい転石苔を生ぜずという人生で
ついには生まれ育ったホームまで転がって来てしまった。
(フリダシニ戻ル)
先の諺は英米両国でその意味合いが
反対であるのだが・・・さて、おいらの場合は?
これで良かったのかと今のわが身を思うこともしばしば。
なぜなら、道をこちらに転じた後、
精進と言える努力をいつの間にか
放棄してしまっていたのではと。
当初の志も、結婚して子どもができて、
まず家族を抱えて食って行かなくちゃと。
そして代理店に転職したあたりから世間もバブルに向かい、
うたかたの夢に浮かれてる内に
どこか軸を見失って行ってしまったように顧みる。
それにつけても思うのは、ごく身近で
その生き方を見てきた二人の同性の生き方。
言うまでもなく一人は亡き父であり、
もう一人は兄のことである。
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父は注文紳士洋服店を経営し73歳まで洋服を縫い続けた。
いろいろ事情があって60代の半ばで
店は一旦閉めたカタチにして、
職人さん達にも退職金を支払って解雇。
しかし、請われて、ごく一部
得意先筋の方々だけと限って洋服を縫い続けた。
それも73歳の時、母の入院を機に
縫い針を置き、指抜きを外した。
それでもやはり仕立てたくってたまらなかったんだろう。
店に残った生地をおいらに見せては・・・
好きなのを選べ、縫ってやるからと。
ちなみに・・・戦後の昭和の前半あたりまでは、
既成服よりオーダーメイドが優位な時代だったはず。
それが高度成長と共に既製服が台頭するも、
一部の富裕層はより高価で満足度の高い
オーダーメイドの洋服を求めるに至って、
注文紳士服店も淘汰の時代に入ったと素人考察をする。
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思うに・・・父は職人としてのスキルと
商売人としての才という両輪を、
実にバランスよく持っていたんだろう。
兄に10歳遅れて私が生まれた頃は、
市内にまだ十数軒余りあった注文紳士服店の中でも
トップの地位を揺るぎないものにしていたことになる。
紳士服組合の長を務め、実家では
しばしば組合の会合が催されていた。
会場は、接客用にミニバーまでしつらえた
店舗奥の応接間だ。
当時は知る由もなく、おいらが社会に出てから
知るに至ったことだが・・・
その頃は営業範囲を名古屋市内にまで
広げていた時期に当たる。
商社から嘱託契約で営業を二人引き抜いて
仕事を取らせては、自身で先方に出向いて
採寸や仮縫いを行なって、そのままタクシーで
名古屋から幡豆方面へ――。
職人を組織して、専属の外注先集団を抱えるほど
羽振りがよかったようだ。
各種の紳士服コンクールに積極的に参加していた。
子どもの頃には受賞のトロフィーやカップが
ショーウィンドーに所狭しと並べられていた。
そして遂に全国注文紳士服コンクールにて
~スポーツで言うなら全日本選手権みたいなもの?~
トップである内閣総理大臣賞を受賞。
トロフィーと並んで、時の首相・佐藤栄作氏の
署名入りの賞状が誇らしげに店内の壁面に輝いていた。
それと同時に、あまたある
他のトロフィーやカップはすべて処分した。
そして以降は、コンクールの類へ応募することは
一切なかったようだ。
これが一つあればいいといったところか。
これは実に父らしい。
みずからの技能を研鑽し身に鞭を当てるのと共に、
それを以って店の看板とする狙いも
あったのではなかったのだろうか。
こんな片田舎で開業していようと、名古屋の、
いや銀座の一流店にも引けを取らない腕を持ってるんだぞと。
尤も、そんな老舗はこの手のコンクールに
出品するようなことはしないがな・・・と、
振り返っては淡々と語った父を印象深く思い出す。
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ついでながら・・・かつて父から聞いた昔話を思い出した。
父が市内に開業してそれほど歳月が経ってはいない頃。
言い換えれば、地位も確立していない時期のことになるだろう。
ニューフェースとして売出し中で、
鼻息荒くバリバリやっていたという感じだろうか。
すでに自身の腕はいっぱしと自負していた父が、
ある機会に開業して間もない洋服屋さんが仕立てた服を
見る機会があったそうだ。
その仕上がりを見て、父はドキリとしたらしい。
この仕事・・・ただモノじゃない、と。
そこで、何と客を装ってくだんの店に偵察に出掛けたそうだ。
大胆。
それで通りから店内に声をかけると・・・
そのご主人は立ち上がることはおろか、
店の奥から洋服を縫う手を休めることもせず、
無言のままジロリと眺めただけだったそうだ。
それで父はこれは大丈夫と安堵。
いくら腕が立とうが、あれじゃ商売はできやしないぞ、と。
万事ツボを心得ていたというわけだ。
(続きます)


























