空のブログ(動物愛護・アニマルライツとは)

何が正しく何が誤りか、様々な主張・状況がある混沌とした動物や人間の間で動物愛護とアニマルライツを中心に、論理的に評価し、理論立て、それらの進むべき方向を定め、推進する為に作りました。コメントは自由ですが頭がおかしいと判断した人のコメントは掲載しません。


テーマ:
動物園の存在意義・動物園が主張する理由は正しいといえるのか?


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160609-00000122-it_nlab-life


宇都宮動物園、捨て猫を保健所に連れて行くと表明し物議 園長「捨てられた動物の世話をする“代行業者”ではない」 ねとらぼ 6月9日(木)22時17分配信

 「他の動物を守るためにはここでは保護できません」「保健所へ行く」――元捨て猫を“ネコ園長”として飼育している宇都宮動物園(栃木県宇都宮市)がFacebookに投稿した書き込みが物議を醸しています。

【元は捨て猫だった“ネコ園長”のさんた】

 同園は6月7日、捨て猫の入った段ボールの画像を投稿し、園内の動物の保護に配慮し保健所へ送ることを示唆。すると、「保健所に行ったらその後どうなりますか」と批判する声や、「動物園側が責められることじゃない」と理解を示す声などさまざまな意見が寄せられました。

 この件について園長にお話を伺いました。

――動物が捨てられることはよくあるのですか

 年に何回とは言いにくいのですが、出産シーズンになると生まれた子がよく捨てられています。昔は犬が多く、今は猫。

――捨てないよう呼びかけは行っていますか

 入口に看板を掲出しています。でも、捨てていく。

――回収した動物はどうなるのでしょう

 基本的には、保健所に連れて行き処分することになっています。甘い対応をすると、捨てられた動物の里親を探す“代行業者”のようになってしまうので……。運営の都合上、園内で飼うことはできず、厳しく対応せざるを得ません。

――今回は里親が見つかったそうですね。

 本当に運が良かっただけです。ネコ園長のさんたも当初は保健所に連れていくつもりでした。

――なぜ動物を捨てる人がいると考えていますか

 動物を捨てるのは、ある意味で優しさ(殺さないから)。しかし、それなら「自分で責任をとるべきだ」と言いたい。

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上記のような問題も起こっているようである。同じ動物でありながら差別され保健所で殺されることが分かっていながら保健所に持っていく行為は動愛法の1条の目的や2条の基本原則に反する行為であり、違法行為だといえるが、問題は法律問題だけではなく動物同士への差別である種差別に立脚していると言事である。こういった問題を含めて動物園の存在意義はあるのかを考えてみたい。


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動物園のことを少し前にTVタックルで放映していたが、動物園の存在理由として種の保存、教育、研究、レクリエーションがあげられていた。しかし、動物園では多くの場合、その野性動物が生息する環境とはほど遠い狭い檻に閉じ込められている。動物園関係者は動物が餌を探さなくてもよいので移動する必要はなく、狭い環境で良いというが、こう言った理由が本当に妥当であり必要であるのか検討することが必要だろう。

まず、種の保存についての議論に入る前に、本当に殆どの動物園では種の保存が必要な絶滅危惧種のような動物ばかりなのだろうか?この部分は大きな疑問点なのだが、もしこのような動物があまりいないのであれば、少しの事を全てのように言う、詭弁であるということを指摘しておきたい。

次に、このような動物を繁殖させることが可能なのか?そして繁殖させて大きく増えた動物をどのように飼育していくのか?それが経済的にも現実的に出来ることなのか?

そういった希少種での謹慎後輩による遺伝的疾患には対処できるのか?そしてそういった遺伝的疾患がなく繁殖させることが可能なのか?

このような問題も殆ど解決できて無いように見える。しかし、ここでは動物園の抱えるこのよう単純な問題は置いておき、もう少し種の保存についての根源的な矛盾した問題を取り上げてみたい。


まず、動物園における種の保存の理由から検討してみたい。最初に考えられることは、絶滅危惧種が淘汰されたからといって、環境に具体的な影響は殆ど無いということだろう。例えばトキが絶滅したからといって誰にどのような客観的かつ具体的な影響があるのかは証明できないだろう。そもそも、絶滅自体はその種にとって悪いことでも何でもない。その環境に適応できなければその種が存続できなくなるだけのことである。そして、その環境がその種が存続できるほど改善されない限り、いくら、繁殖させて放ったとしても同じことが起こるだろう。これは、絶滅寸前であろうが、そうではなく絶滅に向かいそうな種を予め繁殖のために保護したとしても同じことである。この時点で、動物園での種の保存の意義は殆ど無くなるが、仮にこの問題がクリアできたとしても、また、それとは別に新たな問題が生じる事にもなりかねない。

それは、その環境で絶滅した種を動物園等で繁殖させても、その種が居なくなって新たにできた、すでに別の生態系とも言える環境に、その繁殖させて増えた種を放して、既に別の状態に成ってしまったその生態系を撹乱させることは、その生態系に外来種を放って撹乱させることと同じようなことだといえるだろう。すると、繁殖された絶滅危惧種の保護と外来種の駆除との整合性は全くとれなくなる。これは、生物学や環境保護からも、もちろん倫理的にも全くおかしな事だろう。

このような矛盾が起こる大きな理由の一つは、動物への道徳的配慮以外に、生物多様性が概論であることにあると思われる。例えば、上記のような絶滅危惧種に関する条件で、希少種が絶滅したからと言って、その環境や生態系、あるいは人間ににどのような客観的かつ具体的な影響があるのかを証明できないからである。環境が変化して絶滅を危惧された時点で個体数は大幅に減少しており、その影響はすでに、ある程度出ているはずである。したがって、残りの少数が滅んだとしてもそう大きな影響はないと思われる。大きな影響があると主張するのであれば、それを(有ることを)証明するしかないだろう。例えば、上記にも書いたが、トキが絶滅したからと言って、その生態系や、環境や、人間に、どのような具体的な悪影響があるのかを客観的に証明する必要があるだろう。

何故、そういった個別の証明が必要であるかと言えば、それがなければ、その絶滅危惧種を保護する理由がないばかりでなく、その絶滅危惧種への驚異となる動物等を排除する理由にもならないからだ。

例えば、その、保護された希少種を補食しようとする動物を駆除しようとするときに、その絶滅が何の意味があるのかをまず検討する必要があるだろう。絶滅したところで、その生態系や、環境や、人間に、どのような具体的な影響があるのか、つまりどれ程の悪化が認められるのかを証明できない限り、そういった動物を殺すことは誤りである。これは人間においても同様である。裁判で具体的な事実認定も行われず、抽象的な推論で死刑にすることが誤りであるのと同様である。

この事は、生物多様性という概論が誤りだと言っているのではない。そういった、動物の駆除に生物多様性という概論をあてはめようとする事が誤りである事を示すと同時に、そのような理由での駆除は単なる虐殺でしかない事を示している。

そこで問題になって来そうな事は、動物だから殺して良いとか、動物を人間は自由に利用して良いというような「動物だから」という属性を理由とした差別、種差別である。この差別は、女性だから、黒人だから、ユダヤ人だから、韓国人だから、日本人だからという属性そのものを理由した差別と同形態である。

こういった差別は何故ダメなのだろうか? 直接的な理由としては、被差別者に言われなき苦痛を与えるからである。動物はどうであろうか? 当然、動物もその中に入るだろう。なぜなら、動物も人間同様に苦痛を感じる事のできる存在であるからだ。しかし、そう言うと、多くの人間は動物を殺して食べたり、毛皮にしたり、動物を利用することを許容しているではないかという声が聞こえてきそうである。

だが、いよく考えると、人間は苦痛を良しとせず、自らの苦痛を回避しようとしたり、また、他者に苦痛を与えることも善しとしていないだろう。もし苦痛が大好きで自分の身体に苦痛を与えるために危害を与え続ければすぐに死ぬことになってしまうかもしれない。このように非苦痛は誰もが認めざるを得ない道徳的規範であると思われる。

また、自分のことを棚にあげて、他者を非難するような行為も良いとはされないだろう。そして、よく使われるような議論で、犬猫やイルカを殺してはいけないというのに牛豚やカンガルーは殺して良いのかとか、幼い頃のお兄ちゃんの方がケーキが大きいとか言う議論も同じ一貫性を追求した議論である。恐らく一貫性の肯定も認めざるを得ないだろう。これを認めない人間は言っていることと行動が一致せず、いい加減な人間とされて相手にされなくなるだろう。

結局、こう言った、誰でも持っている、あるいは誰でも認めざるを得ないような規範、つまり、普遍的な、人間は一貫性を肯定し、人間は苦痛を善しとしない非苦痛、その事により動物も含まれた非差別、という道徳的な規範が導きだされる。

この基本的な誰もが共有できそうな道徳的規範をこの問題に当てはめると、抽象的な推論で動物を殺すことは、抽象的な推論で人間を殺すことと同様に誤りであるというのが、私的、個人的な価値判断でなく、普遍的な道徳的価値判断であることが判るだろう。

結局、動物園は、こう言った種差別的な種の保存の有様に依拠しており、この種の保存事態が倫理的に誤っていると言うことが出来るだろう。





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狩猟はなぜだめなの?

 狩猟は何の罪もない、乳幼児程度の知的能力しかない、つまり、人間の成人のような責任能力のない動物を、自己の快楽のために恣意的かつ不当な理由をこじつけて殺すことです。なぜなら、その行為が当人にとって殺す必然性や義務もないのに、積極的に殺すことに参加、加担しているからそういえるのです。少し掘り下げると、殺す必然性もないのに動物であれ人間であれ、殺すことは普遍的に悪いこととされていますから、そういった悪事には罪悪感を感じることができる人間は普通は殺す事に苦痛に感じるはずです。

 それでも積極的に殺すということ、あるいは殺したいと思う事は、殺すことに苦痛を打ち消す以上の相当な快感を感じるということでしょう。これは猟という文字どおり猟奇的といえる、結局は「快楽のために動物を殺すのは良い事だ」という積極性のある性癖といえますが、この性癖は他の存在に不可逆的な害を与えており、他の存在に迷惑をかけなければ何をしても良いという個人の自由の範囲を大きく逸脱しています。

 また、わずかな快楽のために動物に不可逆的な苦痛を与え殺すということを自律できない人間性を表すものとして、また、非苦痛、非差別、一貫性の肯定という誰もが共有できるであろう規範からの道徳的問題としてはもちろんの事、このような危害原則に基づく自由の範囲を逸脱した性癖は、法的にも動愛法の動物を愛する気風を将来し平和や友愛の情動を函養するという動愛法1条の目的や何人も動物をみだりに傷つけたり殺してはいけないという、動愛法2条の基本原則にも反しています。

 一方、人間は理性的能力もあり、他種を利他的に助ける徳のあるとされる人間らしい行動もできます。これは人間だけが出来るといってもよい行動であると言えるでしょう。逆に、狩猟は罪もない動物を自己の快楽のために殺すことによって残虐性を函養し、平和や友愛等の情操に悪影響を与え、結果として社会的に悪影響を与えることとなります。以上のことから、狩猟は反社会的行動であると言うばかりでなく、自分の快楽のためには罪もない弱者をいたぶり殺しても良いとするような人間性を見たり測ったりされる踏み絵にもなります。

社会的弱者である動物を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者である女性を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者である黒人を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者である犬を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者である猫を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者であるイルカを僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者である牛を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。
社会的弱者である豚を僅かな快楽のために殺すのはよい事だ。

 すべて間違いだと思われます。

 そういった態度から起こったような「男女中学生が殺される」という痛ましい事件が大阪でも発生しています。(*1) これも結果的に殺したいから殺すという人間がいなければ起きない事件といえます。また、今回の「ちはるの森」への署名運動でも、主催者や親族にちはるの森の関係者、もしくは擁護者から執拗な嫌がらせが続き、身の危険を感じた主催者は署名活動を中止しました。こういった他者への思いやりのない事実、つまり、まさに自分達の快楽のためには罪もない弱者をいたぶり殺しても良いとするような人間性を表していると当該関係者が証明したような事例だと思われます。

 以上のことから、肉食は人間が生きていく上で必要だと思っている人や、動物実験は人間が生きていく上で必要であると思っている人にも、狩猟は人間で言えば人間と動物を入れ換えた快楽殺人と同じことですから、それに反対できる人間中心主義の立場からも十分に反対できる、あるいは反対すべきである最低最悪の行いが狩猟だと言えます。

 このような、反社会的な行為である狩猟は、戦争と同じく、人間としてしてはいけないことであり、やめるべきことであると言えます。

狩猟やめますか? 人間やめますか?
狩猟やめますか? 人間やめますか?
狩猟やめますか? 人間やめますか?
狩猟やめますか? 人間やめますか?
狩猟やめますか? 人間やめますか?




*1

毎日新聞 8月21日(金)21時0分配信

<大阪中1殺害>職業不詳の45歳男逮捕 少年遺体発見

大阪府警本部に入る山田浩二容疑者=大阪市中央区で2015年8月21日午後8時43分、大西岳彦撮影

 ◇大阪府警、死体遺棄容疑で 防犯カメラ映像などから浮上

 大阪府高槻市の物流会社の駐車場で13日深夜、平田奈津美さん(13)=同府寝屋川市立中木田(なかきだ)中1年=の遺体が見つかった事件で、大阪府警は21日、寝屋川市香里新町に住む職業不詳の山田浩二容疑者(45)が関与した疑いが強まったとして、死体遺棄の疑いで逮捕した。防犯カメラ映像などから関与が浮上した。また、平田さんと一緒に行動し、行方不明になっていた同級生の星野凌斗(りょうと)さん(12)とみられる遺体が同日、同府柏原市の竹林で見つかった。

【「いやや」…遺体発見速報に少年宅から絶叫】

 府警は、山田容疑者が平田さんが死亡した経緯について何らかの事情を知っているとみて、事件の全容解明を急ぐ。山田容疑者と平田さんは、顔見知りの関係ではないとみられる。

 捜査関係者によると、山田容疑者は13日深夜、高槻市番田1の物流会社「直販配送」の駐車場で、平田さんの遺体を遺棄した疑いが持たれている。平田さんは顔を粘着テープで何重にも巻かれ、両手首も縛られていた。左腕や左胸、左腹部、左脚には生前に付けられたとされる約30カ所以上の切り傷があり、頭や顔には殴られた痕もあった。

 司法解剖の結果、平田さんの死因は窒息死だった。遺体の唇には、呼吸を止められたことをうかがわせる皮膚の変色が確認された。府警は、平田さんが粘着テープなどで口や鼻を塞がれて殺害された可能性が高いとみている。

 平田さんの遺体は13日午後11時35分ごろ、配送業務を終えた男性従業員(53)がトラックを駐車スペースに後退させた際、車内のバックモニターで気づいた。男性従業員が直前にこのスペースから動かした自家用車の底部に血痕とみられる染みが見つかっており、遺体は車の下に隠すように遺棄されたとみられる。

 平田さんと星野さんは13日午前1~5時ごろ、京阪寝屋川市駅近くの商店街にいる姿が防犯カメラ映像で捉えられていた。その後、2人の足取りが途絶えていた。

 ◇捜査車両に乗った容疑者、捜査員に挟まれ、うつむき加減に

 山田容疑者を乗せた捜査車両は21日午後8時43分、大阪市中央区の府警本部に入った。黒い帽子をかぶった山田容疑者は両脇を捜査員に挟まれ、うつむき加減に表情をこわばらせていた。






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違法な殺処分はストップさせよう!
違法な持ち込みもストップさせよう!

ということで、違法な殺処分に関する、「殺処分目的での行政への持ち込みは引き取り拒否できるのか」について書きました。

殺処分の実態の中で、合法的殺処分は法的にもどうすることもできませんが、違法殺処分は止めることができるので、違法殺処分の実態や法理を行政や活動家に教えてあげてください。少なくとも我々だって殺したくないんだという行政は積極的にこういった正しい解釈を採用するはずです。そうでない行政は殺したい行政だといえます。


まずは、関連する法律から書き出してみました。

=================================================

動愛法35条 犬又は猫の引取りをその所有者から求められたときは、これを引き取らなければならない。ただし、犬猫等販売業者から引取りを求められた場合その他の第七条第四項の規定の趣旨に照らして引取りを求める相当の事由がないと認められる場合として環境省令で定める場合には、その引取りを拒否することができる。
35条2  前項本文の規定により都道府県等が犬又は猫を引き取る場合には、都道府県知事等(都道府県等の長をいう。以下同じ。)は、その犬又は猫を引き取るべき場所を指定することができる。
35条3  第一項本文及び前項の規定は、都道府県等が所有者の判明しない犬又は猫の引取りをその拾得者その他の者から求められた場合に準用する。

動愛法7条
4  動物の所有者は、その所有する動物の飼養又は保管の目的等を達する上で支障を及ぼさない範囲で、できる限り、当該動物がその命を終えるまで適切に飼養すること(以下「終生飼養」という。)に努めなければならない。

動物の愛護及び管理に関する法律施行規則
(平成十八年一月二十日環境省令第一号)http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18F18001000001.html

第二十一条の二  法第三十五条第一項 ただし書の環境省令で定める場合は、次のいずれかに該当する場合とする。ただし、次のいずれかに該当する場合であっても、生活環境の保全上の支障を防止するために必要と認められる場合については、この限りでない。
一  犬猫等販売業者から引取りを求められた場合
二  引取りを繰り返し求められた場合
三  子犬又は子猫の引取りを求められた場合であって、当該引取りを求める者が都道府県等からの繁殖を制限するための措置に関する指示に従っていない場合
四  犬又は猫の老齢又は疾病を理由として引取りを求められた場合
五  引取りを求める犬又は猫の飼養が困難であるとは認められない理由により引取りを求められた場合
六  あらかじめ引取りを求める犬又は猫の譲渡先を見つけるための取組を行っていない場合
七  前各号に掲げるもののほか、法第七条第四項 の規定の趣旨に照らして引取りを求める相当の事由がないと認められる場合として都道府県等の条例、規則等に定める場合 

=================================================

上記は動愛法35条の引き取りの規定に関する部分である。

1. 動愛法の愛護目的と「殺す目的」の関係

 動愛法一条の目的は「動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」という目的が前段に書かれており、『動物を(殺す)駆除目的で捕まえて行政に殺させる為に保健所等に持ち込むこと』は殺すことが目的なので、明らかに動物を愛し護るというこの目的、である「動物の健康および安全の保持」に反するばかりでなく「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」にも反しているために、正当な理由とは言えない。

2. 動愛法の管理目的と「殺す目的」との関係

 さらに、後段の「動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。」にあたっては、このような前段に定められた動愛法の動物愛護という目的にそぐわない方法での「いわゆる管理方法」を認めているわけでは無いといえる。つまり、この時点でも殺すための持ち込みは正当な理由とは言えず、みだりに行う持ち込み行為であると言える。

3. 動愛法の基本原則と「殺す目的」との関係

 したがって、『動物を駆除目的で捕まえて行政に殺させる目的で持ち込むこと』は第二条の「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」という法的義務にも反することになり、正当な理由での持ち込みとはいえない。

4. 動愛法の目的と基本原則に則った35条の引き取り義務と「殺す目的」

 上記の事から、持ち込みが正当な理由ではない場合、例えば、盗んだ動物である場合等が正当な理由での持ち込みでないのと同じく、違法性のある理由での持ち込みは動物を適正に扱っているとは言えず、つまり、正当でない、みだりな持ち込みは、当然の事ながら持ち込み拒否の理由に十分になりえるだろう。さらに、これは、動愛法の目的の内容が「動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持」という動物愛護の気風を招来する事であるために、動物を殺すことを目的とした持ち込みは、動愛法で定められた動物愛護の否定であり動愛法の目的と真っ向から対立する。したがって、引き取らなければならないのは、動愛法一条の目的に沿う形の持ち込みであり、それ以外の目的、ましてや動愛法一条と真っ向から反する目的である、殺す目的での持ち込みの場合は動愛法上でも違法な目的であるために引き取ることができない。

 また、『動物を駆除目的で捕まえて行政に殺させる目的で持ち込むこと』というみだりな理由で引き取った場合で殺処分が行われた場合は、正当な理由での殺処分とならず、みだりに殺すことになり、行政自身が動愛法44条に抵触するということに留意する必要があると言えるだろう。

5. 結論

 結論をいうと、殺処分目的での持ち込みは動愛法一条に反するためにみだりな持ち込みであり、その持ち込みによる殺処分は二条の「何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」という法的義務に反する為に、もし殺処分すれば、みだりに殺すことになり、みだりに殺す事を禁じている動愛法44条に抵触し違法殺処分と言える。もちろん法3条以下の解釈は、第1条の目的や第2条の基本原則に従って解釈していくことは言うまでもないことである。





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