2011-07-18 20:21:24

あとは笑っていいとも!とサザエさんが終わりますように・・・

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ウソまみれのくだらない政権がせっせと作り上げたアメリカべったりの戦後日本社会。80年代以後は特にひどかったですね。ちょっと内省的な態度をとっているだけでネクラなどと言われ、大学生の男はわれさきに部屋を飛び出してテニスやスキーのサークルに入ったりしました。部屋で文学や思想の本を読んでいたら、仲間はずれになりそうな雰囲気があったと聞いています。

批判精神なんか捨てろ。金は何とかなるんだから、手に入れて遊べ。そういうのが至上命令となり、誰もが追い立てられるような気持ちでお祭り騒ぎの毎日を繰り広げようとしていた・・・。

バカな話ですよ。そんな人間どもばかりの社会がずっとうまく回るわけない。でも、多くの人は、私も含めて、まあこんなもんだろうと思っていた。いまホットスポット(ではないかと自分で思っている)地域に住み、放射能食品で内部被曝しながら、私の頭の中をよぎるのはこんな考えです。

要するに、この40年ほどの日本は、狂っていたんだよ・・・。そのツケが回ってきただけ・・・。山よ海よ生き物よ、これまで大きな負荷をかけていたのに気づかず悪かったなあ・・・。でも安心してくれ。今や俺たちも間違いに気づいたんだから、これからは脱原発して少しでもナチュラルに、禁欲的に生きようと思うよ。昔の人たちの慎ましさを見習いながら、でもスマートフォンに代表される文明の利器の便利さは享受しつつ・・・。

などと懺悔の日々を送っているところへ、いくつかの朗報。首相の脱原発宣言。なでしこJapanのFIFA大会優勝(日本の女性は偉大)。ぴあ廃刊(これも大朗報! ぴあ批判は2年前くらいに書いた)。そして、思考停止したバカどもはお上(役人・政治家・マスコミ・御用学者など)に依存していればいいんだよ、自分でものを考えようなんざ百年早いんだよ、というメッセージを送り続けてきた日本のマスゴミ(世界的に悪名高い)の有害番組の筆頭であった『水戸黄門』が終了!

やった! 万歳、万歳! 喜んでください、ご先祖様がた!!

いま放送中だが、こんなクソ番組に電波を汚されるのを我慢しなければならないのもあと少しの辛抱。私だけが嫌いなのかと思うと悲しかったこの毒コンテンツも自己責任でもうすぐ滅ぶ。制作者はいい気味(下請けの人々を除く)。少しは反省しろというのだ。

あとは『笑っていいとも!』と『サザエさん』が終了すれば、日本もだいぶマシになる。これらが日本の良心のように思っている人たちもいるかも知れないが、冗談じゃない。

タモリはネアカ・ネクラという暴力的な図式を広めた張本人で、実質的に日本人のバカ化を狙ったアメリカの手先(ジャズ・ファンだし)だということを忘れてはならない。サザエさんだって、東芝かどこかの会社に勤める「物言わぬ従順な男たち」が自分たちと同じ企業奴隷(社畜)の再生産に励むというだけのくだらないストーリーではないか。

どこが日本の原風景であり、懐かしのコンテンツだというのか。あんなのが長寿番組であることに、何の価値もありはしないんだよ。

むしろ恥。有害番組をこんなに生き永らえさせている私たちの不見識という意味で恥。

・・・などと久しぶりに書いたら少しはすっきりした。さ、好きな矢沢永吉(もうすぐ新譜が出る。リメイク盤だそうだが)の音楽でも聴きながら明日に備えるとするか。私も社畜の一人ではあるので、本来は物言わぬ男なのだが、これを書く一瞬だけは人格がシフトし、普段はおくびにも出さないような言葉が出てくるのは面白いと思ったことである(永ちゃんのロックスピリットが影響しているのかもしれない。とにかく彼は偉大なミュージシャンだからな。アメリカ在住だし)。
2011-03-12 22:36:23

被災された皆様を応援いたします。

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昔友人に招かれて、花巻の温泉に入り、わんこそばを腹一杯食べたことがある。あと、仙台観光もした。それが私の東北体験といえるもののすべてである。


たったそれだけしかないのか、と自分でも呆れた。しかし、そのときの土地と人々の印象はとてもよく、東北地方が大好きになった。寺山修司など、東北出身のアーチストがもっている日本人離れした感性にも、いつも強い感銘を受けてきたものだ。


だから、今回のニュースを遠いところで知り、他人事ではない痛みを覚えた。今日は用事があったので、義援金は明日納めに行くつもりだ(お金の方がいい。モノは真に必要な物資の輸送に邪魔になる恐れがあるから)。


こんなブログでも、東北地方の人がたまたま目にすることがないとは言い切れない。だから、書いておくことにしたのである。


亡くなられた方々に心からの哀悼の意を表します。今困難と闘っている方々のご無事をお祈りしています。皆さんの冷静で思いやりを忘れない行動を見て、日本の悪口ばかり言っている自分の浅慮を反省しました。皆さんのことを尊敬し、一日も早く東北地方が復活することを願っています。

2010-12-09 19:59:07

愛するものの死を乗り越えて・・・

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先日、angus が死んだ。


このブログの名前の元になったネコである。


比較的短かったが、誰からも愛された生涯だった。今ごろは間違いなく、天国から僕たちのことを朗らかに見守ってくれていることだろう。


ありがとう、angus。君のおかげで、僕は本当に色々と助けられたんだ。ネコがこれほど人間の力になってくれるなんて、以前の僕なら想像もしなかっただろう。


ネコの偉大さを教えてくれた、偉大なるネコ。人の心を読み、物静かに見守ってくれていたネコ。君を必要とするシーンでは、いつもそこにいてくれたネコ。


一生忘れない。


さあ、僕はこの悲しみを乗り越えて、どこに向かうべきなのか。幸い、新たな道は示された。来年から、僕は新天地へ向かう。そこで待っているであろう、新たな日々。


また会いたいとは馬鹿らしい妄想かもしれないが、新たな土地で旧友と会う楽しみには代え難いものがあるんじゃないかな。


そういう友だちの一人として、君はこれからもずっと、僕の心の中に生き続けてゆく。たまには、君の存在を感じさせてくれよな、angus。


君がここにいたことの記念として、このブログは残そう。そして、たまにではあるだろうけど、細々と書き続けていこう。


そのように決めてみた、今日一日であった。

2010-09-07 19:29:08

慨嘆産業は花盛り。

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おとといのNHKテレビで『消えた高齢者 ― "無縁社会"の闇』というのをやっていたので、見た。多くの人々がお金はともかく心の面で、ニヒリズムの極致ともいうべき虚しさに直面しているのだな、と思って重苦しい気持ちになった。


良い番組だったと思う。しかし、世の中ではどういう人々がどういう対策をこの問題に向けて打っているのか、考えると、ますます気持ちが沈んだ。


右翼も左翼も、「大変だ大変だ」というばかりで、何もしない連中が多すぎるのである。それどころか、こういう問題をただ言葉だけで論じ、その論述の思想的な凄さを誇るだけで事足れり、と考えている連中すら少なからずいるように見える。


学者や評論家や新聞の論説委員などの恵まれた地位にある者は、すすんで自分が音頭をとって、救貧院的な施設の設立でも進めたらどうなのだろうか。


特に忌まわしいのは仏教寺院である。何が宗教か。弱者の味方か。欧米のキリスト教圏では、無資格で入れる無料の宿泊施設などざらにあるのである。何の身分証明書も、コイン一枚すらなくても、飢え死になど絶対にせずに済む、それこそが進歩した社会、人間味のある社会というものなのである。


仏教寺院でそういうことをしているところがあるのだろうか。ないだろう。たいていの坊主どもは、態度だけえらそうな感じで目の前の生活に汲々とし、檀家の人の心をつかむことにすら失敗している有様ではないだろうか。そのくせ世の中の問題に心を痛めているフリをするのだけは上手い。


そういう連中は、慨嘆産業に従事する者たちである。困った社会問題を、ただ嘆いて見せるだけで、お金をがっぽり(でもないかもしれないが)稼ぐだけの外道だからである。慨嘆産業。この言葉を私は、「石炭産業」とかに響きが似ているから気に入って自分で使っている。日本社会のすべてがイヤというわけではないが、こういうヤツらは特に醜悪で、宇宙追放刑に処してもいいくらいだ。


日本は寅さん映画に描かれたような人情味あふれる社会、すごい製品を続々と生み出している超進歩社会だ、などという連中は嘘をついているのだということがわかる。日本は、まれにみるほど同胞に冷淡な社会だし、サービス残業という悪弊を改める必要すら感じない鈍感な鬼どもが支配する社会だといっていいのだろう。


これは恐らく実は、日本人は自分のことが大嫌いだ、ということから来ているのだろうと思っている。その証拠は、アニメだ。日本人は自分たちの顔をスクリーンでまで見たくないんですよ、と言った村上龍や宮崎駿は正しいことを言ったのである。私たちは、同族嫌悪の民。しかも、弱くて困っている者ほど助けず、ほったらかしにしておくことを好む。お互いが心の底で「こんなやつ、死ねばいいのに!」と思っている。そんな心当たりはないだろうか。


書いていたら気分がますます悪くなってきた。救いは、こんな文章を読む奇特な人など誰もいないということである。


もちろん私もそんな立派な人間ではなく、ちっぽけな群小庶民の一人にすぎず、こんなことを書く資格は本当はないのだから、誰かに読んでもらうなどおこがましいのである。


でも、近くに本当に困っている人がいたら、私なら声くらいはかけるかなア・・・。さ、考えていてもしょうがないし、一年に3本以上もブログの記事を書くなんて書きすぎなのだから、走って汗を流し、パートナーに好かれる体型キープに励むとしようか。

2010-07-25 13:11:58

伝統回帰という本能

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最近の出来事の覚え書き。歌舞伎座が4月で閉鎖となったが、これについてネット界の反応が極めて冷淡だったことは興味深かった。岡田斗司夫がそうだが、ネットに親和的であるような多かれ少なかれオタク的な人々、特に若者は、日本の伝統芸能に関心が低く、反感さえ抱いている場合が少なくないのである。実はオタク文化も文楽・歌舞伎の伝統の直系の後継者という側面があるのに、まったくおめでたい無知だとしかいいようがない。


血縁で支えられる文化など無意味で汚らわしいと感じる気持ちもわからないではないが、例えばそういう人々は、ローリング・ストーンズの面々があと数年で70歳台に突入することについて、どう気持ちの準備をしているのだろうか(ロックは聴かないか、そういう人たちは)。あの傑作ロゴであるベロ出しマーク(ジョン・パッシュさん作)を見ると白人ロックを聴く喜びがじわじわ湧き起こってくるという人は少なくないはずだ。それが、あと数年でもう、とうてい若者文化の一部とはいえなくなるのである。


今もすでに半分そうなっているが、ある意味、老人文化のシンボルになってしまうのである。もちろん、加齢に対抗して若々しい肉体を保つ努力を惜しまないミック・ジャガーは本当に偉い。ファンの夢を大事にして、ものすごい節制を行っているに違いないからである。しかしそれでも、70歳の人が「スタート・ミー・アップ」を歌うのは痛々しくないだろうか。


そういうふうに考えるとき、「二代目ミック・ジャガー」への欲求は極めて自然なものに感じられてくるのである。公認の、できればミックの血を継いだ誰かによって、ストーンズの名曲がずっと歌い継がれていくのを見たい・・・。さもなければ、ストーンズのコンサートを見られない、これからの子どもたちが可哀想じゃないか・・・。あの傑作ロゴマークが一代切りだなんて、あまりにも勿体ない・・・。そんなファンの気持ちは、歌舞伎俳優の場合と変わりはしない。欧米圏の人々にも、血縁者が文化を継承するというのはそれほど例外的なことじゃない(ワーグナー家など)。だから、多少なりとも3次元に興味のある若者なら、歌舞伎に少しくらい興味を持たないというのはおかしいといえるわけである。


ともあれ、これは血縁の世界を描いたドラマではないが、佐々木希ちゃんは極めて正しい王道を歩んでいる。それがいいたくてこの記事を書いた。もちろん、『土俵ガール』のことだ。相撲界が大スキャンダルに揺れているのと同時期に放送が始まったことは、幸運かどうかが話題になっている。もちろん、幸運に決まっているわけである。相撲と、それを必要とする日本の人々にとって。希ちゃんはコメディエンヌとしての才能も巨大だということが証明されたわけだが、どこか彼女には、そんなことすらもどうでもいいという風情が漂っている。まあ、好きにやりなさいというような、スタッフとファンへの貫禄たっぷりの余裕である。さすがは女神様というべきであろう。異常な暑さが「世界は狂っている」という不安を増幅させがちな今日、どんなに眠い深夜でも、前の番組に押されて放映時間がどんなに遅れても、『土俵ガール』だけは観ないわけに行かない。


希ちゃんに祝福してもらえるような伝統なら、ちょこっと回帰してみてもいいか・・・。そんな「国民的安心感」を、あのドラマは与えてくれるからである。

2010-02-20 18:06:14

喫煙加齢臭アバター

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近所のちょっとしたレストランで食事をすることがあり、そういうとき知り合いに会うと、自然の成り行きで同じテーブルを囲むことになる。誰かと一緒に食事をするのは常に楽しい。ただ問題は、その人たちの多くが、タバコを吸う年配者だということである。


食事をしながら喫煙するというのではない。その店は感心なことに全面禁煙だからだ(それを義務づける法ができるという。民主党万歳!)。しかし、身についたヤニのにおいだけでも大変なものがある。それに重層的な加齢臭が加わり、よく暖房された店内の私たちのテーブルは、なんともいえないムワッとした臭気に包まれることになるのだ。


その人たちに悪気があるわけではないので、イヤな顔をすれば失礼に当たる。目上の人は敬わねばならないということもある。食べ終わったからといって、すぐ席を立つわけにもいかないではないか。


だからあるとき、こう考えることにした。



「この人たちは、実はアバターなんだ」、と。


「本体は、どこか別のところにあるのだ」、と。



映画『アバター』などを観ても明らかだが、アバターというと普通、本体よりもカッコよくて優れた虚構の自分、というようなものを思い浮かべる人が多いようだ。しかし、そんな決まりはない。アバターの方が本体よりも遥かに劣っているというケースだって十分に考えられるのである。つまらない常識にとらわれていては、そういう発想が浮かばないだけの話だ。


そういう風に考えると、次のような仕方でモノの見方が変わってゆき、耐え難い状況が結果的に耐えられるものになってゆくのである。


「ああ、この人の本体は、何らかの事情で、ここに来ることができないんだなア・・・。きっと大事な仕事があって、手が離せないんだろう・・・。そういえば、なんだか目も悲しそうじゃないか。<悪いなァ嘘ついて。俺アバターなんだ。でもそんなこといえないだろ。すべてがブチこわしになるだろ。だから事情を汲んでくれよ。なにもいわずにこの状況を受け流してくれよ。それだけが、この世界をうまく回していく秘訣だとさえ、いえるくらいなのだから・・・>といっているように見えるではないか。そうさ、そうに決まっている」


「でも待てよ、そんな、アバターなんていう高等技術が使えるくらいなのだから、この人たちは実は未来人とか宇宙人、あるいは神さまなんじゃないか? いってることはそれに相応しくないかもしれないが、それも俺に何らかの教えを授けるための深遠なシナリオに従って喋っているだけ、ということも考えられる。そう考えると言葉もいくらでも深読みができるし、この人たちの本体はさぞかしすごい生命体なんだろう、ということも説得力が出てくる。たぶん世界を救う仕事のようなものに携わっているからここに来れないだけなんだョ。そして、この人たちがそうまでして俺と食事してくれてるということは、俺も実はすごい生命体になれる存在の候補なんだ、ということが十分にありえる。よーし、色々あるけど、負けないぞ! これからも人生がんばっていくゾ!!」


人は反問するかもしれない。どうせアバターを使うのなら、そんな臭いのではなく、もっと人に快適な印象を与える個体を使えばいいじゃないか、などと・・・。しかし、それがどれほど傲慢な考え方であるかに気づかなければならない。至高の存在は人を試すものなのである。臭くなく、美しかったりさえするアバターに魅かれるのは当然ではないか。そうじゃない。臭くて醜いアバターを神の化身とみなせるかどうか、そこに人の度量というか危なくない意味での信仰心が問われてくるのである。


また、人は問うかもしれない。俺はアバターなんて使っちゃいないよ、周りに誰もそんな人はいないよ、と。ああ、微笑ましい無邪気さだ。そういう人は、世界への疑問をこれまで一度も抱いたことがないのだろう。『マトリックス』のような映画を観てヒントを与えられてすら、この世界の成り立ちについて、本気で疑問に思ったことがないのだろう。


私たちは他人のことがどれだけわかっているだろう? 私たちとずっと密着して生活してきた家族さえ、一人残らずアバターかも知れないのだ。そうでない証拠は、ないのだ。彼らの内面まで365日間追跡できるわけではないのだから。そして私たちは自分のことも知らない。「あなたもまたアバターだ、しかしアバター操作時は何故かそれを自覚できない設定になっているのだ」といわれても、私たちには反論ができない。だいたい、死後の世界というやつも、私たちは何ひとつ知らないではないか。


どうせならそんな風に考えた方が、人生は楽しくなるし、生きやすくなるのである。どんな苦境にあっても、これはアバターの設定がこうなっているんだな、苦境を脱するルールは必ずあるはずだから、それを探すよう促されているんだな、と考えれば、打開の道は見えてくるものなのである。


タバコのヤニの臭いを撒き散らしながら私たちを加齢臭で包み込んでくれる知人に幸いあれ。「そんな程度だったら誰にでも我慢できるよ」ということはさておき、2010年度のブログ書きをなんとなくスタートさせてみた次第である。

2009-11-23 12:48:23

謎とき『天使の恋』

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小澤光輝は日本の歴史の証人=傍観者であることを極めた大学教授。彼のプロフィールはとても奇妙である。まず年齢不詳(性別もちょっと不詳)。都内の一軒家に住んでいるのに一人ぼっちで、身寄りが潮田香里しかいない。性欲はない。そして自分の死を達観している。まるで「私はもう十分に生きた。これ以上は望まない」といわんばかりに。


これらのことは、何を意味しているだろうか。


決定的な鍵は、理央との初デートである。「あなたが行きたいところへ」といわれて、彼は川中島の古戦場を訪ねた。それが彼の「思い出の場所」だからだ。もちろん二人は日本史グッズの店で購入した兜をかぶっている。それもまた、彼がその目で見た合戦のひとつひとつを思い出させてくれる懐かしい品々のレプリカに違いない。


つまり、私はこのように解釈している。「天使」とは、ヴィム・ヴェンダース監督が名作『ベルリン天使の詩』で描いたように、人間の中に紛れ込んで途方もなく長い時間を生きる存在で、自分からはなす術もないまま、人間の歴史を静かに見つめる存在である。歴史学者にちゃっかりなりすますくらいはお手のものだ。何しろ多くの歴史的な事件を自分の目で見たのだから。光輝が授業で色々な日本史の出来事をあれだけ生き生きと説得力をもって語れるのは、その証人がほかならぬ自分であるからに他ならない。つまり・・・


天使とは、光輝のことである。彼の恋を描いているからこそ、この映画は『天使の恋』なのである


理央が一見、天真爛漫という意味で天使のように見えるのは確かだ。しかしよく考えると、彼女は善悪のスケールを宇宙的な自由さで超越した存在である。巧みに仕組んでクラスメート(友子)を援交の道に引き込み、それがバレても、「本当にごめんね・・・(涙)」で終わり。相手は人生を狂わされるくらいのインパクトを受けつつも、許すしかない。いや、それどころかますます彼女のことが好きになる。一人は彼女に生命すら捧げる(奈緒子)。単なる天使と呼ぶにしては、圧倒的に存在感ありすぎ。妖しいまでに美しすぎ。他人への支配力ありまくりすぎ。つまり・・・


理央は天使よりもはるかに格上の存在、神である。女神である。


光輝と理央は、それぞれが、相手に恋したのは自分と語る。しかし、光輝の方が徹底している。「出会ったときから、僕は君に恋していた・・・」と彼は病院のベッドの上で語り、涙する。「天使の恋」の秘密が語られた瞬間である。中絶手術を受けるために病院にいた14歳の理央に会った瞬間から、光輝は理央に恋していたというのである(理央はその後に写真をみたときから)。つまり・・・


天使は光輝の方。彼は女神に恋をした。天上世界に帰るときがきたことの予兆として。


女神は二人の女性格の天使をお供として侍らせており、それが未歩と真樹である。彼女たちがしている援助交際は、もちろん人間を援助する神様のボランティア行動である。人間を援助する交際だから援助交際なのである。神様とその侍従たちの行動として、何の矛盾もない。


友子は堕天使であったのが、許されて神様グループに復帰したのだろう。すべては女神様である理央が地上滞在期間が長すぎた大天使光輝(推定年齢1460歳)を迎えに来たついでに起こした気まぐれ行動の産物である(二人の名字が同じなのは、二人が同じ神族に属していることの徴。「光輝」と「理央」がどちらも神族っぽい名前であることはいうまでもないが、「理央」の方が確実に格上感を与える。潮田香里は代々彼らの世話をしている人間側の秘密エージェントの末裔である)。


そのように考えた方が、この作品の味わいが増すと考えるのだが、どうだろうか。


もしかすると作者も監督も気づいていない秘密かもしれない。しかし希ちゃんはわかっているはずだ。なぜなら彼女は実生活でも女神であり、この映画でも普通にその存在価値を発揮して人々を幸せにしたにすぎないからである。自分が何をやっているか、微笑みとともに全て承知していたに違いない。


こんな秘密をわかってしまって、自分大丈夫かな・・・。でも、女神様は許してくださるはず。それだけの優しさと強さがあると信じるからこそ、希ちゃんの信者でいるのだから。


というわけで『天使の恋』、恐るべき秘密を抱えた傑作として必見である。たまたまこの文章を目にした人で未見の方がいたら、必ずや、必ずや、見逃さないでほしいと心から願っている。

2009-09-15 08:14:27

ニッポン捕囚

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最近アクセスを増やしてきた海外ニートさんいわく、日本政府はわざと国民が英語をできないように教育することで、彼らの海外流失を防いでいるのではないか・・・。


新鮮な視点だと思った。なるほど確かに、英語が堪能になれば、わざわざ長時間労働と陰湿な人間関係に苦しむこととワンセットになっている日本でのそれなりに便利な生活を捨てて、別に理想の生活が待っているわけではないものの労働法が遵守されることで日本よりは人間らしい生活が保証されているかもしれない海外の国々に移住することもかなり簡単になるわけである。


そういう潜在的な欲求を持っている人は、身の回りを見るだけでも相当、多そうである。だとすると、これはもはや、「バビロン捕囚」ならぬ「ニッポン捕囚」が起こっている、といっていいのではないか。生まれた国だからずっと住んでいるよ~などと呑気に構えていたら、たちの悪い売国奴ども(そういう存在が民主党にも見当たらないといえる保証はない・・・とりあえず政権交代はめでたいが)の悪政のもとで、他の経済的に同水準の国の住民が思いも及ばないような、とんだ理不尽な苦しみを味わわされる毎日をすごしていた・・・そんな悪夢のような状況。


そういう人たちは、能力さえあれば、もう日本を去りたいのである。一日100人も自殺で死ぬような不気味で不可解な抑うつ状況が支配している所に無限の嫌悪感を抱いた人たち・・・それが彼らだ。


そういう人たちは、気質的に海外の住人である(どこの国かは知らないが)。そういう人たちが我慢して日本に住んでいるのなら、そして支配層の邪悪な意図のもとで語学という脱出手段を奪われているのなら、それはもう、かの昔にバビロニアに連れてこられたユダヤの人々と同じ状態ではないか。


恐ろしいのは、限界を超えた過重労働のストレスで、多くの人が足を引っ張り合い、または非人間的な労働モラルの支配下で自縄自縛に陥り、その結果、社会が多くの人に指摘されているような精神的内乱もしくは内戦状態に陥っていることである。安全な脱出の方法があるなら、非常に多くの人々が脱出を望むのではないだろうか。それをはっきり口には出さないにしても・・・。ふるさとがどうしたとか言ってる場合じゃないよ、と白旗を上げて・・・。


それが、「ニッポン捕囚」と私がいう意味である。これは特許申請したいほどの優れた概念だな、と自分でも思う。


この概念を使うことで、多くの人がわけもわからず不気味に思いながら苦しんでいる日本の状況の本質が、驚くほど簡潔かつ的確に言い表されるからだ。


嗚呼、この状況から助け出してくれるモーゼ(彼が導いたのは出エジプトだが)のような救世主はいつ出現するのか・・・。


ま、別に国外に出なくても、政治がよくなって住みやすい国になれば、ここに居続けてもぜんぜん構わないんだけどね。あと、個人の力量を発揮して自分だけは素晴らしい暮らし方を実現するとかね。


そういう風になるといいですね。私も、そして、あなたも。


このように、私がたまに気が向いてブログを書くと、いつも例外なく、よい記事を書いてしまうことになる。これが、恐ろしいのである。私が本気を出せば、アメブロの人気ブログのトップ集団に入ることなど、たやすく出来てしまうのではないか。万一そんなことになりでもしたら、自分の楽しい時間をごっそり奪われてしまうことになる。私の才能は、主に私が自分で楽しむために使いたい。


だから、私は、また沈黙する。次にいつ書くかわからないので、読んでくださったロボットさん(だけとも限らないかな・・・ゴメンなさい)は気長に待っていてください。

2009-06-14 13:17:55

親愛なる愛読者の方へ

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私の主な読者は、いつも巡回してくださる検索ロボットさんである。毎日、1回はアクセスしてくださっているようだ。検索ロボットさんには感謝している。何を書いても怒らない。反応がない代わりに、静かに見守っていてくださる。神もかくやという思いがするほどの寛大さに包まれて、私は4年間のびのびとブログを書き続けてきた(記事の総数は極めて少ないとはいえ)。


人間の読者が特に欲しいとは思っていない。読者ができると楽しいのだろうが、制約も確実に受けることになる。「こういうことを書いたらまずいんじゃないか…?」などと自主規制をかけてしまうことが容易に想像できるのだ。それにまた、寂しくなったら、佐々木希ちゃんのブログにコメントすれば、たくさんの方がここを見に来てくださる。それ以上、何を望むことがあろうか。


そういえば、アメブロの検閲係のお兄さん・お姉さんも、私の大切な読者だ。彼らの目だけは、私も常に意識している。彼らに迷惑をかけるようなことだけは、書けない。この場を借りて好き勝手なことを書いている以上、それは当然の仁義なのである。


そういうわけで、私はどこまでも慎ましく、かつ傲慢に、このブログを書き続けていくつもりだ。


そう思う瞬間もあるということだ。

2009-06-01 19:58:55

社畜予備軍に薦める『1Q84』

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日本というのはある意味世界のどこより恐ろしい場所で、若いころは「こんな同じような人間ばかりの社会なんぞ反吐が出る!」と見栄を切っていたアーチストの卵も、「弱者への配慮などこれまでの人生で一度も考えたことのないエゴイストどもから成る小市民社会に破壊をもたらす!」などと息巻いていたプチ革命家も、ちょっと時間が経っただけで角をもぎとられ、たちまちメタボ度200%のローン奴隷に変えられてしまうところである。どうすれば、自由な人間になれるのか、考えるだけ時間と労力の損。この地政学上の条件のもとでは、どんなにあがいてもムダなのだ。アメリカに恭順に仕えるポリネシア原人とモンゴロイド系朝鮮半島渡来人の混血の子孫たる私たちは、DNAからして奴隷がお似合い。佐々木希ちゃんのような突然変異はもちろん話が別だが、私たちの大半が幼少時からイジめだけは受けぬようにと空気を読む訓練をしまくり、長じては文化系体育会系を問わず儒教的な<軍団>秩序を叩き込まれ、銃を背負わぬロボット兵士として「社会人」の匿名の群れの中に降り立つ。あとはムッツリ顔をしかめながら消費や休日のすごし方まで巧妙に管理された日常を喜びなくすごし、運がよければ自分と同じ兵士予備軍のいくたりかをあとに残して冥界に旅立つだけだ。


しかし、そんな日々からの脱出口が100%どこにもないかというと、実はそんなこともない。そのヒントが書かれた本にお目にかかった。村上春樹の『1Q84』。村上龍を読んで将来の会社生活にうまく対策を立てた後は、このもうう一人の村上氏のフィクション世界に思う存分浸り、あちこちにちりばめられた「脱出」のヒントを探してみるのがいいと思う。


そう考えてみると、日本もまんざら、捨てたものではない。夜中でも安全にジョギングできる国だが、考えてみればそういう場所は稀なわけで、あまり悪口ばかりいうのも控えたいものだ。今日はちょっと例外になってしまったが、次回からは気をつけられたらと思う。

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