自分で自分にブレーキとか、
制限をかけてたり、
許可を出せない理由って、
色々あると思うのですが、
今回は、
罪悪感で「自分が幸せになる事」に
ブレーキをかけてる場合のお話です。
 
 
 
全然うまくまとめられないので、
脳内ツッコミも込みで、
そのまま全部書くことにしました。
 
 
美樹は、
この世に、
“幸せになっちゃいけない人”
なんていないと思ってる。
 
 
それは…、
分かりやすいように、
極端な例で書くけども、
こう言ってる美樹自身が、
美樹のとっても大切な何か…
例えば家族とかを、
奪われたり、
穢されたりして、
壊されたりしたとして、
「アンタも同じような目にあえばいい!」
とか
「お前が幸せになるなんて、
絶対に絶対に許せない!」
と思ってる相手でも…です。
 
 
 
 
「それはアンタが今現在、
そんな風に思ってる相手がいないから
言える事なんじゃないの?」
 
 
そうかもしれない。
 
 
でも美樹自身、
愛じゃ何じゃと言ったって、
美樹が大切に思ってる人を、
事故だったり、
事件とかで、
ある日突然奪われたりしたら、
その相手が、
法で定められた償いを終わらせたとしても、
許せる自信はない。
 
許せる自分でありたいとは思うけど、
自信はない。
 
だから呪いの言葉を
相手に吐くかもしれない…
って思うし、
その相手が笑ってる所を想像しただけでも、
気が狂いそうになるかもしれない…
って思う。
 
 
だけど、
それでも…だ。
 
 
“この世に、
幸せになっちゃいけない人なんていない”
 
し、
 
“みんな幸せになっていい”
 
 
美樹の中では、
それが真実?なの。
 
 
その根拠は?
とか
その証拠は?
とか言われたら、
そんなもん無い。
 
 
だけど美樹は、
何がキッカケか、
誰に教わったのか、
いつからそれを、
真実?としたのかも覚えてないけど、
美樹の中では、
それが真実(のように感じるというか、思えるというか)なの。
 
それを真実(と言っていいのか分からんけど)として、
美樹は自分の中に採用したの。
 
 
そしてそれを、
自分の中に採用するか、
不採用とするかは
それぞれの自由やと思ってる。
 
 
 
 
ある人の中に、
そういう、
とうてい許せない相手がいたとして、
その人に、
「その相手の事を許してあげて」
とか言ってる訳じゃないの。
 
 
 
そういう人に、
「例えそんな相手でも、
幸せになる権利はあるんだよ?」
って諭そうとしてる訳でもない。
 
そういう“許せない自分”を、
責めないでほしいな…
とは思うけど、
それもその人の自由。
 
 
 
 
 
「一体アンタは何が言いたいねん」
 
 
うんと…。
 
例えば…、
これも極端に書くけど、
自分で自分の事を、
「自分は人として(親として…とか、娘として…とか)
とうてい許されない事をしてしまった。
だからこんな自分は幸せになってはいけない」
と思ってる人がいたとする。
 
 
とうてい許されない事っていうのは
人それぞれだと思うけど…、
取り返しのつかないミスだとか、
大きな過ちを犯してしまっただとか、
自分がこの世に
生まれたこと自体を
罪のように思ってたりだとか…。
 
本人がそう思い込んでるだけかもやし、
誰かにそう言われたのかもだし、
それもそれぞれだと思うけど…。
 
 
で、
美樹は
そうやって
自分で、
自分自身が幸せになる事に
ブレーキをかけてる人に、
 
「そんな事ないよ?
幸せになってもいいねんで?」
って言いたいの。
 
 
 
 
 
「アンタそれ、
自分が自分に言いたいだけちゃうの?」
 
 
そうかもしれん…
えーっ!?ポーン
そうなのかなぁ!?
 
 
だいたい美樹は、
昨日嬉しかったり楽しかったりして、
めっちゃハッピーな気分だったのよ。
 
んで、
元々は“受取上手”とか
“《嬉しい》の循環♪”みたいな記事を
書こうと思ってたの。
 
 
それが
「“自分が一番”っていうのはこういうことやでー」
っていうのを書こう!
に変わって…、
 
なのに
何故かブログを書こうとしたら、
この記事に変わった…(;´Д`)
 
 
書いてて楽しいかって言ったら、
別に楽しくはないけど、
なんか無性~に書きたくなってん!
 
なので備忘録として、
書いとく事にした(*´▽`*)
 
 
 
 
「とうとうおかしなったか…」
 
失礼なっ!ムキー
 
アンタなんかなぁ、
必要なくなったら
いつでも消去したんねんから…。
自分でどうにかできひんかったら、
ヒーリングでもカウンセリングでも
何でも受けて消去したるわヽ(`Д´)ノ
 
 
 
まぁともかくさ、
“この世に、
幸せになってはいけない人
なんていない”
し、
“みんな幸せになっていい”
のよ。
 
 
でね、
人って罪悪感を感じると、
その帳尻合わせのような事を
することがあると思ってるの。
(罪悪感だけに限らずだけど…)
 
軽いとこだと、
「ごめんねー」って言うとか。
 
もうちょい行くと
「本当~にごめんっ!」
とか。
 
その、“ごめん”って言う対象が、
全然気にしてなかったとしてもね。
 
 
で、
行き過ぎると、
「誰かこんな自分を罰して(責めて)ー!!」
とか、
 
それが逆方向に出るというか、
その罪悪感を、
受け止めきれないというか…
そうすると、
「自分は悪くない…悪くないっ!!!」
って感じになる時も
あるように思える。
 
 
うまいこと言われへん…。
でも書きたい…
 
 
それでね、
それもやっぱり、
その人が、
自分で選んでそうしてる…
と思うの。
 
 
たぶんそうなってる時の当人は、
「そんな事ない!」
「やめれるもんならやめたい!」
って言うかもしれないけど…。
 
 
 
 
 
「これアンタの事ちゃうの?」
 
やかましわっヽ(`Д´)ノ
 
そう!
今美樹の中にあるものだったり、
過去美樹の中にあったものだったり、
ともかく美樹の中にないものは、
想像もつかないから、
やっぱり“美樹の事でもある”かもしれないけど、
美樹は自分が幸せになる事を、
自分に許可したよ???
 
というか今幸せと思ってるけどなぁ…。
 
 
右半分が頭痛してきた…(;´Д`)
 
 
 
 
 
すっごく自分を罰してたり、
責めてたり、
恥じたりしてる真っ最中って、
その人がそうするなりの何かがあって
自分が幸せになる事に対して、
ブレーキかけてたりするんだろうけど…。
 
それでも
幸せになっていいねんで!?
 
 
勿論幸せになりたくなきゃ
ならなくてもいいし、
何が幸せかも、
人それぞれだしね。
 
 
そこは別に、
美樹の思う幸せでなくてもいい訳よ。
 
 
“幸せ”っていう言葉が
ピンとこなければ、
“赦されたい”
とか、
“解放されたい”
とか、
“楽になりたい”
とか
自分にあてはまる言葉に
置き換えてもいいと思う。
 
 
“幸せになっていい”
し、
“赦されていい”
し、
“解放されていい”
し、
“楽になっていい”
ねんで?
 
 
それは美樹が許可するものじゃなくて、
自分自身(その人自身)が自分に
それらを許可するか・しないかだけなのですよ。
 
 
選べるんだよ?
選んでいいんだよ?
 
 
幸せになりたくない人なんておるのかしら!?
 
 
とも思うけど、
罪悪感の帳尻合わせ
のような事をしてる時だと、
自分でブレーキかけたりすると思う…。
 
 
 
美樹自身は、
常に幸せになりたいと思いつつも、
「散々ひどい事をしてきたから、
たぶん最期は苦しんで死ぬんだろうな…」
とか
「美樹は死んだら地獄に堕ちるんだろうな…」
と思ってた時期もありました・w・;
 
が、
 
今は
「もし地獄に堕ちたら、
地獄を天国に変えてやるわ(*`▽´*)
とか、
「終末医療とか最期を選べるなら、
なるたけ楽な選択をする~
と思ってますし、
「ぎゃーっ!
なんでそんな事思ってたんだろー!?
自分に対して、
自分が一番鬼すぎる…(;´Д`)
とも思いますけどね…w
 
 
もし誰かが
この記事を読んで、
「本当に?
本当にそうやって、
自分に許可を出してもいいの…かな?」
ってちびっとでも思ったなら、
美樹はすかさず言う!
 
「いいねんでー!」
ってw
 
 
以上!
 
備忘録でした♪
 
 
 
 
 
何?今日のこのブログ…w
なんか重い内容になってもた…w
画像だけでも、
何かハッピーそうなの貼っとこうかなぁ・w・
 
美樹が美樹に言うてんかなぁ…

今は全然ピンッとこないけど、
意味があるなら、
そのうち分かるかもだし…、
まっいっか(*´▽`*)
 
 
 
美樹画伯の『キリン』
昨年動物園に行った際に描いたやつ♪
使い回しでさーせん・w・;

記事の内容とは全く関係ないけど…
ハッピーそうじゃない?