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この夏、かなこと、かなこの痕跡を辿る時間を過ごしています。
かなこから、もうおとなだよ、というメッセージをもらって、
自分の中でも区切りをつけているのかな?
そこまでの実感はないのですが。。

 

 

かなこ絵画コレクション

お話しの絵シリーズ①「ガリバー旅行記」

 

かなこは、本好きでした。
次女もですけど。
わたしもですけど。笑

子どもの頃、自分自身が本に救われた、と思えることがあって、
本を読んでる時間は、現実から逃避した夢の世界だったからかもしれませんね。

 

こどもが産まれたら、なによりも、どんなことよりも、読書が好きな子にしよう!と思ってました。

絵本読み聞かせは、たくさんしました。

とても楽しかった。

ベッドでかなこと次女に挟まれて絵本を読む・・

とてもとても、しあわせな時間でした。

ありがとう。

 

 

 

■ かなこ絵画コレクション ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「金魚」

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今日は、「金魚」の絵を。
初めて飼った生き物は「金魚」でした。
定石?どおり、夏祭りの金魚すくいがきっかけでした。(^-^;


それから、うさぎ。

かなこの動物が飼いたい、飼いたい、という希望を受けて、
7歳の誕生日プレゼントとして飼い始め、

その5か月20日後に飼い主がいなくなってしまいました・・


飼い主がいないのに、なんでおまえがいるんだ、と・・うさぎに八つ当たりしたこともありました。

ひとりぼっちじゃ生きてゆけない、と言われてるような繊細なはずのうさぎをずーっとほったらかしてました。
うさぎをみてると抱いてる姿が浮かんできて、辛すぎて。
そしたらうさぎが斜頸になってしまって。
(きっと、もっと構ってあげて、というかなこからのメッセージだろう、と思いました。)

繊細なうさぎだとなかなか生きてゆけないらしいのですが、
それも克服した、とてもタフなうさぎでした。

けれども、そのうさぎもちょうど7歳を過ぎた時、かなこのもとへ、逝きました。

「うさぎの命日」

 

次女は、そのあとハムスターを飼い、猫へ、と。
うさぎが逝ってしまったときに、もう動物は飼うまい、と思っていたのに・・
かなこも次女も動物好きで、動物園や牧場や、、たくさんの思い出があります。

 

動物とのペットの縁もきっと、ありますね。

 

 

 

 

 

■ かなこ絵画コレクション ■

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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かなこが亡くなって13年目の夏。

ようやく・・まとめてみようという気持ちになりました。

かなこが4~7歳に描いたものです。

(2016.8月)

 

 

かなこ絵画コレクション

「おいしいなスイカ」


「しゃぼん玉とんだ」

「仏像」

「金魚」

「ガリバー旅行記」お話し絵①

 

つづく・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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13年目の夏。

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お盆、みなさまどんな時間を過ごされたでしょうか・・
穏やかにお子さまを想う時間になったことをお祈りします。
精一杯気を張って、お子さまを迎えられたそのあとにもまた、
いろんな感情が起こってきますね。
どうぞ、ゆっくりと。どんな感情があっても、そのまんま、あなたのままで。

・・と、みなさまに向けて書いている、
私自身は、自分が感じてこなかった感情と向き合う時間となりました。

過去、封印してきた感情は、
自分を守るために必要な道だった。そのまんまのわたしでよかったんだ、と認めます。

 

13日に届いた親戚の訃報に、
お通夜・告別式があり、ご冥福をお祈りしてきました。

8月の命日に向かうこの暑さの中の喪服だったり・・親戚一同と顔を合わせることだったり・・
痛みが噴き出してきます・・
そして、

久しぶりの人と話すことで、
時間の経過がまったく違うのだと思い知らされます。

「過去になってる。」と自分自身は思っていましたが、

その過去の度合いが全く異なることに愕然としました。

ある意味、びっくりです。

 

加えて

私がどれだけ感情を感じないようにしてきたか、閉ざしてきたか、ということもよーーくわかりました。

 

あんな痛み、こんな痛み・・・
今の痛みは過去の傷みと同時に在って繋がってるようでした。
 

怒り、悲しみ、理不尽さ、悔しさ、残念さ、非難する気持ち、泣き叫び、地団駄踏みたい気持ち、

否定する気持ち、自己憐憫、身の置き所がない感じ、消えてしまいたい気持ち、虚しさ、空虚さ、

うるさい、やめろと怒鳴りたい気持ち、誰も判ってくれない、判ってほしい・・

あぁ、向き合う誰かに対して、
私の中にこんなたくさんの感情が一度にあったんだ、と。

もしかしたら、あの頃、そんな感情を感じる気力がなかったのかもしれません・・
バリアをかけるしか自分を守る術を知らなかった。

さまざまな、自分の中の感情をひとつひとつ、洗い出すようにピックアップして認める作業を続けた、
その先に、向き合う人の中に小さな愛をみつけました。

 

13年目の夏。
終わりと始まりが同時に在る感じがしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

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朝一番に電話が鳴り、

電話機に表示された名前を見て、

一瞬、取るのを躊躇する・・

苦手な義叔母だった。

 

なぜ、苦手になったか・・・というと。
かなこの納棺の時のひとことが、こころに刺さって、ずっと取れなくて。
それでも、悪気はなかったんだよね、

自分の気持ちに正直すぎて、ついポロリと出てしまったのだろう、と今は思える。
子どもを失った母親の気持ちなど到底理解できないもの、と今は思える。

当時のわたしのこころが脆過ぎて、受けいれられるわけがなかったんだ、と
今は思える。

 

たったひとことが、打ち込まれた楔のようにこころを分断し、長く長く修復できないときもあれば、

たったひとことに、氷が溶けてゆくように救われる時もある。
言葉もまた両極。

二元性の世界では、どちらもあって、どちらを選択するか、なんだなあ、と
ぼんやり考える。

一瞬、受話器を取るのを躊躇う、
私の中に、まだ受け入れられてない傷があるんだなあ、と気づく。

まず気づく。そして、どうするか?

もうその場所に留まっていたくない自分もいるのを見つける。


生きることはそんな一瞬一瞬の自己選択の繰り返し。

 

 

義叔母の電話は、親戚の訃報を知らせるものだった。

お盆の最中にお通夜、告別式が入り、

穏やかに過ごすはずの予定が一変する。

慌ただしく予定と気持ちの変更を促される。

 

何が起こるかわからない、それがこの世を生きるってこと。

それを受け入れるわたしたち家族がいて、
今という時間の受け入れがたさの真っただ中に親戚家族がいるだろう。

ここでもまた二元性なのか・・

 

自分だけが取り残されたような時間感覚の中で、
周りの人が何事もなかったかのように(当然何事もなかったのだ。当事者ではないのだから。)

変わらぬ生活を続けていることに、理不尽さや納得できない気持ちを持ったこともあったけれど、

自分がこちら側に立ってみると、

あぁ、そういうことだよね、と理解できる。
 

大昔の私と異なるところは、

留まる人、留まるしかない人、の気持ちも解りながら、

時間が進んでいる、
という両方が解るところ。

 

体験、経験することで、理解することで、
同じような出来事が起こったときに、自分の視点が変わってくる。

それは、選択の幅を拡げてくれる。
そして、自分が過去の自分とすこぉし違ってることが確認できる。

少し、ほっとするね。