何気なく、過去のブログを振り返ってて、
(振り返って、と言うか・・・読まされて?)←誰に?っと自分で自分に突っ込む。笑
自分がこんなことを書いてることに気づく。


>光と影。からだと魂。生と死。存在と不在。この世とあの世。

私の中では、そんな対極のものを求める気持ちが、同時に存在している。

と感じる。

ひゃーー、まさに今これ、ここ、ここ、確認してるところじゃん、っと。
びっくり。
なんだ、わたし、ずいぶん前から「ここ」にいたのねえ、と。
同時に存在してる、と感じながらも、そこを認めてなかったり?同時にあるのはおかしいことだと思ってたり?
まだ腑に落ちてなかった頃があって、

そして、腑に落ちた「今」があるのか、、、
求める気持ちがある、っと認めたから、今がやってきたのか?
・・・とややこしく考えるのが好きなのですが。(^-^;

今、バラバラだったものが繋がってきてる感じです。
まずは、過去と現在。今を封印してた過去がリアルと繋がってゆく。
もしかして、過去と現在も同時に、一緒にあっていいのかな。

ずっと、今少し気持ち的に楽になったわたしが、今自分の未来を見つめている私が、
絶望の中にいるみなさんに向けて、
何が書けるのか?何が発信できるのか?わたしがしていいのか?
と悩むところがありました。

あぁ、ここに答えがあるのかもしれないな、とふっと感じて。
私の中に、過去と現在は同時にあって、楽になった今があるからといって、
過去は無くなったわけではなく、
生き生きと生を生きようとする今のわたしから、発信するのではなく、
苦しくて息もしたくなかった過去のわたしが今も私の中にあるってことを認めつつ、生きようとしてるわたしから発信してゆけたらいいのかな、と。

どっちにも足をかけ、わたしは今どちらを選択するのか、ってところに立つ。
もちろん、どちらを選択しても自由意志の中でOK。

そう思ったら、少し迷いが減りました。

過去と現在が同時にあっていい、
のなら、もしかしたら未来も同時に在っていいのかもしれません。
そこは、もう少し自分に落とし込んでみます。
・・・とややこしく考えるのが好きなのです。(^-^; また、答えがでたら書きますね。




3年前、こんなことを書いていた。
すでに太陽と月は、その時から私の中で同時に存在していた、と思い出す。
愛媛県から発信して、繋がる~
とかも書いてる。あぁ、なんかいろいろすごいなーーー(;'∀')

 

 

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黒揚羽蝶がやってきた。

テーマ:

 

庭に、黒揚羽蝶がやってきました。

最近、飼い猫が外へ出かけるのですが、(勝手に出ていくわけでなく、ドアを開けてやるのですが、、(^-^;)

庭を通って帰ってくることがあり、
にゃにゃー鳴いてるなぁ、と思って窓を開けたら、
揚羽蝶がひらひら、、と。
写真を撮ろうと外へ出たら、しばらく、くるくると私の周りを飛んでいました。

私の中では、かなこが紋黄蝶。義母が黒揚羽蝶。ということになっています。
この夏、始めてみた黒揚羽でした。

義母は、3年半前に亡くなっていますが、
先日、母の日の記事(「ふたりの母。」)として、もうひとつの活動用ブログに義母のことを

>もし生きていたなら、わたしが講師として、セラピストとして活動してゆくことを一番に喜び応援してくれただろうし、

ダメ出しや特訓?もしてくれただろうな、と思ったりします。

ということを書いたのですが、
もしかしたら、そのお返事?かしら~っと思ったりしました。
今度の日曜に、松山にて初めての講座を開講予定にしているのです。

義母は主婦として家事をすることに重きを置いていませんでしたが、

教師として、講師として、対外的な活動力・仕事力としては、抜群の力、カリスマ性がありました。
もし、今ここにいたなら、
いろんなことを教わることができただろうな、
と、少し残念な気持ちがあるのは、
あんなにも反発していた嫁としてのわたしの後悔でもあります。

嫁としての反発と人として教えを乞うことは別物だったなあ、と思うのは今頃で。

もう少し早く、気づいていたら・・・です。
とはいえ・・・現実から少し離れた今だから、言えること、書けること、かもしれませんね。

この世での姿はなくなっても、きっと、魂として応援してくれてるんだろう、と
都合よく解釈をしながら、
ひらひらと舞う黒揚羽に、しばらく想いを寄せてました。
お義母さんが、わたしにちらちらと示してくれた姿は、私の中に確実に残っているでしょう。
精進します~

 

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デパートにて。

テーマ:

あっという間に4月を超えて、5月になりました。
早かった。自分が活動を始めることに、やることがてんこ盛りでホント‼ 忙しかったです。
でも、そんな風に時間が過ぎてくれることは、本当にありがたいことだと感じます。過去に、
どれだけ長い長い(と感じられる)時を過ごしたか…
永遠にこの時が続くのか?・・・と思ったときのあの絶望感を今も思い出します。
(そうではないよ、ということを伝えたくて、今はいます。)

明日から実家に里帰りするため、
今日はデパートに母の日のプレゼントを買いに行ってきました。
連休でもあり、うきうきと、ざわざわと、晴れやかさを感じるデパートで。
わたしたちにしか解らないような、
あのちょっとした違和感のある、自分はそこに交わったいないような、感覚。
それを少し感じながら、
母のためのプレゼントを選び購入し、食品売り場でお菓子を購入し・・・
エスカレーターに乗る。

その瞬間に思い出すのは、
もう12年以上前の、かなこがいなくなってしまったときの、
四十九日のお返しするための商品を買いに来た時の記憶。

あの、なんともいえない、
明るい、きらびやかな、華やかな、デパートの中で、自分だけが違う世界にいるような、
あの感じ。
かなこの手を引いて、買い物を楽しんだこともあるはずなのに、
なぜか、思い出すのはあの瞬間なのです。
エスカレーターで下りながら、なぜわたしは今ここに、こんな明るい世界に、ほんの数か月前とまったく異なるわたしで、同じエスカレーターに乗っているんだろう?
っと思った記憶が鮮明にあるのです。
心に刻まれる瞬間と言うのは、こういうことなのでしょうか。

母のプレゼントを抱え、ショッピングを楽しむ人の群れの中で、
違う感情を味わいながら、
でも、他の人からみれば、
今のわたしは同じような母の日の買い物を楽しむ人の一部なんだな、ということも
感じます。
もう10年以上前の過去が、今も鮮明に自分の中に在ることに驚きます。


そうやって、過去を抱えながら、今を生きてゆくこと。
それが、この世を生きる、ということなのでしょうか、、

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みなさま、こんにちは。

3月より方向転換に向けて、考えたり、進んだりしていました。


活動をすることを決めたのは3月でした。

そこから準備を始め、すべての準備が整う?のを待ってたらなかなか始められないと気づき、

FBで宣言したのが4月12日のことでした。

そして、諸々まだ途中ですが、

ようやくこちらに書けるくらいのところまで来ました。


わたし、これから 一般社団法人 HITキャラクトロジー心理学協会の認定ベーシックマスター、認定SAS(セルフアウェアネススキル)プラクティショナーとして、

講座、およびセッションをしてゆきます。


2年後、次女が高校を卒業する頃には、何かみつかってたらいいなあ、っと思ってきましたが、

思っていたよりも早く、自分自身が自立する時が、やってきた、と感じています。

かなこが亡くなって12年半。

新しい世界へ。自分がやりたい、と思った自分の未来へ、歩みを進めます。


わたしには、「未来はない」と思ったあの日から、

長かった、と思う気持ちもありますし、いや、今でよかったんだ、と思う気持ちもあります。

次女の母として過ごした時間があったから、今があるとも思っています。


それに伴い、親の会をどうしようかな?と迷いました。

私の中にもギャップもあり、それは訪れてくださる方もそうかもしれない、と思ったりしました。

それでも、わたしは子供を亡くした親であることは死ぬまで変わりなく、

どこかで誰かの何かになるのなら、ともうしばらくは、続けてゆくことにします。


ブログをふたつに分けることにしました。

これまで、子供を亡くした親の、と言いながら、次女のことも、自分のことも、日常のことも、いろんなことを書いてきました。

それはすべて、子供を亡くしたわたし自身のことでもありました。

これからは、こちらのブログは内面的な心模様を、新しいブログは外向きな活動的なところを、

と今は考えてます。(が、やりながら考えたり、検討したり、変化したり、してゆくかもしれません)

どちらもわたしですので、

その時々のお気持ちで、のぞいてみてくださるとうれしいです。


新しいブログ まぞっ子ふみちゃん

どうぞよろしくお願いします。




両立。

テーマ:
3月が終わる。

かなこの誕生日から始まった、この1か月。

大変化の1か月だった。

「決める」

ということは、そういうことなんだ、と

この1か月を静かに振り返ってました。

とはいえ、今日はほんのひとやすみ。

(ホントはやること山積みだけど、ちょっと放置。。(^-^;)

明日からまたきっと怒涛の日々の始まり。

忙しくなる、、、


あぁ、でも、わくわくするんだ。

本当にやりたいことに向かうってことは、こんなにもわくわくすることだったのか。

知らなかった。

達成でもなく、成果でもなく、誰かに褒められるためでもなく、

ただ、自分がしたいことをする歓び。

こんなにシンプルなことなのに、

どこで複雑にねじまがっちゃうんだろう。

自分の感じてきたこと、体験したこと、教えてもらったこと、それがすべてで正しいと、

誤解してきたことから、今自分を解放している。


そんな心の仕組みを伝えていけたらいいな、と思う。


朝と夕方に

ひとつずつ、

また、過去に「決めた」ことを思い出し、、、絶句。ああぁぁぁあ。。

ああぁ、もう・・・

(わたしは、いったい、どこで何をどれだけ「決めて」きたんだ、、、)

ネガティブプレジャーをもって「決める」ことのやっかいさ、こわさ。そして、

切なさ。


本当は思い出してたのかもしれない。

でも、認めたくなかった。

とてもとても、しあわせだったから。救われていたから。

わたしは・・・ね。

自分が生きてゆくためにそうするしかなかった。


でも、もう今は、そのしあわせは違う、と認めたら、

もう二度としない、

と決める。

別の形のしあわせを選択する、と決める。


ごめん。本当にごめん。申し訳なかった。


わたしはだめ、の罪悪感にはいるのではなく、

深く深く懺悔し、良心の呵責を持ってハートの痛みを感じ、

もう二度としない、と自分に誓う。


自分のこの「決める」ということに対して、

どこまでも忠実に現実を作り出すことに驚きながらも、思う。

その意思、意図の強さを、

これからは、歓びをもって使ってゆこう。


母であること、自分であることは、両立できること。