むしむしした梅雨時、すっきりした冷酒のうまさは格別です。
ところが、梅雨明けして夏を迎えて無性に飲みたくなるのが、
冷房のきいた店でおでんと燗をつけた酒です。
家でも燗をつけるのですが、なかなか上手につけられません。
電子レンジで銚子を温め、そこに温めた酒をいれても、
飲みはじめの温度はよくても、それが長く続きません。
◆ ◆ ◆
何年か前、ある店で飲んだ燗酒は、
神奈川の地酒の旨さを引き出したぬるめの温度といい、持ちといい
これまでに飲んだ最高の燗でした。
旨い燗ですね、の私の言葉に店主はこんな言葉を返してきました。
- あつの実家、蔵元だからね。それにまだ客がいないから。
燗をつけたのはその店でアルバイトしている男子学生でした。
そういえば、彼は長い時間をかけで燗をつけ、時おり調子を上げ、
途中からは湯煎している酒の前に付きっきりでした。
跡取り君の温度の選択眼のよさと、
酒を入れた銚子を湯に浸け、じっくりと銚子を通して酒を温める
湯煎という方法が、上手い燗には欠かせないのです。
◆ ◆ ◆
タイトルにあるバン・マリーとは誰かと思ったら、
人の名前ではありませんでした。
フランス語で綴ると bain-marie。
浴槽と女性の名前マリーを結びつけた艶っぽい印象の言葉ですが、
湯煎のことでした。
湯煎を底流で意識したエッセイ集です。
バン・マリーへの手紙 / 堀江敏幸 (中公文庫)
740円+税
2007年刊、2017年文庫化 |
高校球児の選手宣誓の溌剌さとはほど遠いトーンながら、
このエッセイ集の冒頭の一篇を著者はこんな風に結んでいます。
まだ見ぬ聖女バン・マリーにむけた手紙のように
これから日々の愚考を湯煎にかけていくことにしたい。
さらにこの一篇の言葉を借りると、
「湯煎に相当する中間地帯を設ける」ことにより
「白黒をつけない(*1)複眼的思考」に浸ろうという訳です。
*1:熱いか冷たいか直ちにはっきりさせるのではない
生産性とか効率にあえて背をむけて、意識的に結論を留保し、
さまざまな角度から物事をとらえて考えています。
◆ ◆ ◆
気に入った一篇「飛ばないで飛ぶために」はこんな書きだしです。
読書とは、空港でじっと動かずにいる旅客機みたいなものだ。
出発地で出国手続きを済ませ、まだ目的地に発っていない空港は
どこでもないどこかです。
まだ飛ぶことが夢だった時代には、
飛ぶことは、地面と引力から解き放たれた自由であったはず。
それが今では、行先も発着時刻もルートも人の管理下にあります。
こんな考えが、大学での学生とのエピソードを引いて
本を読む醍醐味を思い出させてくれる展開になります。
◆ ◆ ◆
このエッセイ集でも時おり引用されている
この著者堀江俊之の小説「河岸忘日抄」は
私の最も好きな小説うちの一冊です。
パリのセーヌ河に繋留された舟に住むその主人公が
しばしばためらい、答えを出すことを留保します。
一見、優柔不断にみえるその態度も、
遠回りになっても、時間をかけて様々な角度から考えてから
という湯煎思考に繋がっています。
河岸忘日抄 / 堀江敏幸 (新潮文庫)
680円
2005年刊、2008年文庫化 |
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*** 読書満腹メーター ***
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