とにかく小説ではよく人が死にます。
死を発端とした事件を物語の起点に必要としていたり、
登場人物が危機を乗り越えるために敵対者を殺したり、
ひとりの死に焦点をあてて、その心理や背景をほりさげたり etc.
自らすすんで死に至ると、ひとりなら自殺、
死をともにする人がいれば心中と呼ばれます。
◆
三浦しをんがさまざまな角度から自ら志す死と格闘している短篇集です。
- 天国旅行 / 三浦 しをん (新潮文庫)
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樹海で首つり自殺し損ねた五十男と彼を助けた若者。
家族から結婚に反対され心中しようとした男女が結婚した30年後。
祖母の初盆に現れた遠縁を名のる男と、祖母の死にざま。
夢の中でもうひとつの人生を歩む少女と、夢の中の心中への歩み。
焼身自殺した先輩を慕っていた地味な少女と派手な少女の共謀。
成仏できない彼女と男子学生の夜のドライブ。
一家心中の生き残りの男の恨みの記憶と人生の分岐点。
一見そうは見えないようでも、自ら進んで向かった死を扱っています。
◆
死に向かう人、死に損なった人、死にそびれた人、遺された人、
心中の生き残り、死に向かう人をみとった人。
死のうとする途中、死に損ねた後、死に遂げた後、看取った後 etc.
立場も、過程も、事情も、視線の方向も、実に様々です。
心臓や脳が停止する。細胞が再生を停止する。人が二度と動かなくなる。
こうした物理的に死をとらえるのとは別の世界です。
かといって、
幽霊や意外性に軸足を置いたストーりーを編むための道具でもありません。
死の周りのプロセスや、人との係わり合いのなかでの「死のとらえ方」を、
手を変え品を変え、物語に紡ぎあげられています。
◆
死をいたずらに美化することもなく、生を安易に賛美することもありません。
死に至るプロセスの苦しさ。死後の物理的な見苦しさ、醜さ。
生きていく辛さ、不条理、不透明感、無意味さ。
各篇のいたるところに、生死双方の姿を露わにしています。
三浦しをんの観る目はクールでニュートラルです。
◆
そのまま書きっ放しかといえばそうではなく。
どちらかに肩入れした結論も提示されていません。
それでも読みながら、あるいは読み終えて、感じる作者の重心は、
微かに「生」寄りです。
どっちもどっちなら、生きてみたら?
そんな程度です。
それは作者が意図している重心でありながら、
生物的に人間が持つ生きようとするDNAの作用と同等の重心に思えます。
[end]
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(ペタお返しできません。あしからず。)
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