建築家、安藤忠雄は大阪府大阪市港区生まれ。ボクシングの試合で得たファイトマネーなどを手にアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを旅行しながら、独学で建築を学ぶ。その頃に、彼が撮影した写真はルイス・カーンの作品集などで使われている。
双生児の兄として生まれる。母の実家、安藤家との約束で、旭区の祖父母に育てられる。双子の弟は北山孝雄。東京で都市コンサルタント業/商品デザイン業-北山創造研究所を経営。3人兄弟で一番下の弟は建築家の北山孝二郎(ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。初期の作品(ローズガーデン/1977/神戸市生田区、等)のいくつかは弟、孝雄の所属していた(株)浜野商品研究所(1992年、(株)浜野総合研究所と改名<代表=浜野安宏(セツ・モードセミナー出身)>)と共に実現した。
一般的に独学と知られているが、工業高校卒業後は長沢節が創った美術学校であるセツ・モードセミナーに参加し、大阪芸術大学への入学歴(後に中退)や、建築事務所での短期勤務歴(最終的に影響を受けた建築家の1人として、都市計画家として主な活動をした水谷穎介氏が挙げられる。)はある。 その後、独学を母体に通信教育等を利用しインテリア/SD等を学ぶ。建築以前の初期作品には関西を中心とした喫茶店等のインテリアデザインが有る。
1969年に安藤忠雄建築研究所を大阪に設立。個人住宅を多く手がけた。「住吉の長屋」(大阪)が高く評価され、大規模な公共建築ではなくごく小さな個人住宅としてはじめて日本建築学会賞を獲得した。以降、コンクリート打ち放しと幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立し、世界的な評価を得る。1980年代は関西周辺(特に神戸・北野町、大阪・心斎橋)での商業施設設計や寺院・教会設計が相次ぐが、1990年代以降は公共建築、美術館建築、また全国や海外の仕事も増えている。また、阪神タイガースファンである。今は亡き愛犬は迷子になり、さ迷う所を安藤氏が保護したのだが、元飼い主が現れないので事務所で飼う事になった。名前はコルビュジエに肖りコルと名づけられた。
1987年、イェール大学客員教授に就任する。
1988年、コロンビア大学客員教授に就任する。
1989年、ハーバード大学客員教授に就任する。
1997年、東京大学工学部教授に就任する。
2002年、南カリフォルニア大学客員教授に就任する。
2003年、東京大学を定年退官して、名誉教授となる。
2005年、東京大学から特別栄誉教授の終身称号を授与される。
(Wikipediaより引用)
二世帯住宅