かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


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 さんざん苦労して列車でたどり着いたゴーラクプルではあったが、駅前で客引きをしていた国境の町スノウリに行くバスについ乗ってしまったので、滞在時間はほぼゼロということになった。


 時刻は午前0時をまわろうとしており、もうヘトヘトであった。

 他のバックパッカー達はどうやっていたのかわからないのだけど、僕の場合、街に滞在する時はおもいきりボンヤリとだらしなく過ごし、一方移動する時は極限までハードな2等列車や夜行バスを選ぶ傾向にあり、その間のギャップがすごかったと思う。


 あれは20代のあの頃だから平気で楽しんでいたのであって、今の私は、考えただけでゾッとします。

いや、実はちょっとやってみたいですけど、また・・・。


 夜行バスのフロントグラスには、インドの長距離バスの例にもれず運転手のヒイキの神さまのポスターが額に納められていて、黄色い花輪なんかが飾ってあった。

そしてカーステレオからは、あののどかなインド音楽が大音響で車内に流れている。


 うわー、夜行バスでもこれをやるのね・・・


 結局はそんなのものともせずにグウグウ寝てしまうのであったが。


 午前3時過ぎに周りの乗客に起こしてもらうと、そこはもう国境の町スノウリ。

驚いた事に、この夜中にインド側のイミグレーションは窓口を開けていて、出国手続きも可能であった。

そこで出国スタンプはもらえたものの、てくてく歩いていったネパール側のイミグレーションは閉まっている。

朝6時に入国手続きが始まるらしい。


 うーん、片方だけ開けといて、何の意味があるのだろう??


 つまり、僕はインドでもネパールでもない、国境線上で夜中に立ち往生しているのであった。

 仕方がないのでカスタムの荷物チェックの台の上に座り込んで、裸電球の明かりの下でバスの中で切れてしまった人民解放軍の肩掛けカバンのヒモを縫い合わせながら夜明けを待った。


 待ちわびた朝が来て、デリーでもらったネパールビザの上に入国スタンプを押してもらい、それでようやく国境を越えた訳である。


 とりあえず、ネパール入国。

しかし、この時点でまだ夜は明けたばかり、けちけちのバックパッカーとしては、朝から宿に泊まるのはいかにも馬鹿らしい。


 ・・・となると、このままさらなる移動が続くのね。



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 ドミトリーで同室で、一緒にケムリをふかしまくったテルさんに見送ってもらい、料金を吹っかけてくるリキシャのおやじ達とふたりで延々と交渉をして、ヴァラナシ駅へ。


 この駅には外国人用の窓口があったのだが、のぞいてみるとバックパッカー達が長い行列を作っていて、しかも窓口の係員がえらくのんびりとした仕事をしているようなので、インド人たちと普通の窓口に並んだ。

ゴーラクプルまで57ルピー ( 188円 ) 。


 待合室のタイムテーブルによると、ここヴァラナシをお昼に出てゴーラクプルに夕方着くエクスプレスがあるはずなのだが、ホームでいつまで待っても列車がやってこない。


 2時ごろにようやく列車が到着したので、ホームにいる人たちに、


 これはゴーラクプルに行きますか?


と聞くと、みんな 行く行く というので乗り込んだ。

 乗り込んで、いちおう念のために乗客のみんなに同じ質問をしてみると、西の方向のグワリオール行きなのだそうだ。


 うーん・・・わかんないならわかんないで、そう言ってくれればいいのに


 再びホームに座り込んで、ぼけーっと時間を過ごす。

 僕のすぐそばに寝転んでいるじいさんには、ものすごくハエがたかっていて、どうしてこのじいさんにだけこんなにハエがたかるのだろう? としばらく眺めていると、そのうちじいさんは四つん這いでごそごそ手探りで動き始めた。

どうやら盲目で、しかも立つ事もままならないようだ。

 別に周りの人々にバクシーシを求める訳でもなく、ただ這い回っているだけなのだが、一体どうやって食べているのだろうか・・・。

これもインドなんだよなあ と思いながら、でもあれだけハエがたかっているのはうんこの処理がうまくいっていないからなので手を出す勇気がなく、ホームから線路に落っこちそうになる前には助けなきゃ と見守るだけであった。


 3時に別のホームに列車が入り、周りのインド人のみなさんはまた口をそろえて、あれはゴーラクプルに行く と言うので、ホントかなあと思いながらも、待ちくたびれていたのでままよと乗り込んだ。


 いくつか座席は空いていたのだが、荷物棚によじ登ってバックパックを自転車用のチェーンロックで棚に縛りつけ、それを枕にして夕方までぐうぐう眠った。

 結局駅のホームで5時間放心状態にあった訳である。

近頃これくらいの待ち時間はフツーになってきているのだが、以前の日本での僕ならば、いいとこ1時間が限界だっただろう。

まあそうは言っても、じゃあどうするのかと聞かれてもどうしようもないので、待つしかないのだけど。


 列車は一応どこかに向かって進んでいるようではあったが、日が暮れた頃からだんだんと乗客の数が減り始め、おお、いいぞいいぞ、と思っていたら、8時頃に到着した駅で、車内の電気まで消えてしまった。

 ひょっとしてゴーラクプルに着いたのかな? とホームに出てみると、どうやらここは BHATNIJ という駅らしい。

僕のインド亜大陸地図には載っていない。

まあ、日本で鉄道駅を調べるのに日本地図を広げるのも結構アタマが悪いと思うのだけど、これしか持っていないんだよなあ・・・。

 実は、ヴァラナシからゴーラクプルに近づいたのかどうかすらわかっていないのであった。


 やれやれ。


 しばらく、物珍しそうにこちらを眺める物売りのヒトたちの間をうろうろしていたら、ホームに列車が入ってきたので、1等寝台に座っているインド人紳士に窓越しに尋ねてみると、この列車はゴーラクプルに行く と言う。


 今まで僕が尋ねた列車は、全部ゴーラクプルに行くはずなんだけど!


と思いながらも、この田舎駅にいたって仕方ないのでその列車に乗り込んだ。

インドの鉄道の切符の仕組みがわからないけど、ゴーラクプルまでの切符は買ったんだからまあ勘弁してもらおう。

 

 結局、ゴーラクプルに夜の11時半に到着。

ホームに寝ているヒトたちの顔も日本人に近い顔立ちが多く、おお、ネパールに近づいてるじゃん という感じである。


 疲れてヘロヘロ状態で駅から出て、宿を探そうかとしていたら、駅前でネパール国境の町スノウリに行くバスが呼び込みをしていたので、ついそのまま乗ってしまった。


 いやいやいや、・・・きっつぅ~!



 

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 ガンジス川に臨む聖なる街ヴァラナシを離れ、ネパールへと向かう事にした。

そう、思い描いていた 「 誕生日にガンジス川で沐浴 」 はまがりなりにも実現させたので、次なる目標は、ヒマラヤでのクリスマスである。




 それにしても、自分の頭の中でもてあそんでいるアイディアというか、妄想というか、そうしたカタチのないあやふやなものを現実世界に引きずり出し、こねくりまわしてそれなりに実現するという行為には、無上の喜びがあるとつくづく思います。


 私はアルバイトばかりして成績が悪く、繰り返す留年に目標を見失って大学を中退し、医師への道を諦めて旅に逃げました。

当時はそれほど感じていなかったように思うのですが、それはやはり私にとってかなりのダメージだったのだと思います。

だから、今になって思えば、当時の 「 僕 」 は投げやりで無計画な旅に刹那の興奮を感じながらも、自分の歩むべき方向を長期的に定める事に対する自信を喪失していて、そこから目を背ける傾向にあったのでしょう。


 けれども、旅はこうして、 「 僕 」 がささくれた気持ちでこれでもか! と無鉄砲に計画するプランを次々と実現化させ、私の目の前に淡々と並べていくのでした。


 そうして私は、少しずつ旅に癒され、回復していったのではないかと思います。

 まあそれでも、「 僕 」 はその旅の甘さ、やさしさにつけこみ、自分のイメージを現実化させるパワーに溺れて、妄想→実現のスパイラルをエスカレートさせていく事になるので、実際に故国日本に戻って社会生活に立ち向かうのはまだまだかなり先の話になります。


 ここまでの旅にしても、まったく情報のない状態からモンゴルのビザを取得して、旅行者に開放間もない草原の国に行ったり、ビザがないままカラコルム山脈を越えてパキスタンに入国したり、知り合ったドイツ人の車でインドの道をぶっ飛ばしたり、砂漠の町で馬を買って競馬に参加しようとしたり、ガンジス川でクロールを披露したり、・・・旅に出る前の私ではとうてい考えもつかなかったであろう事を、実に無鉄砲に、無神経に、よくもまあこう次々とやって来たものです。


 


 そう、こうして僕は、次の目標のヒマラヤトレッキングのために、一路進路を北に、次の国ネパールを目指すのであった。


 ・・・まずは、宿から路地を抜けた所での、リキシャのおやじとのヴァラナシ駅までの料金を巡っての、気の遠くなるような交渉から。


 

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 念願だった ガンジスでの沐浴 という目標は達成する事が出来た。


 この頃の僕は、自分がまたこの国に舞い戻ってきて旅の後半の長い長い日々を過ごす事になるとは想像していなかったであろうが、まあいずれにせよこの一度目のインドでのハイライトは、ラジャスタンでの馬を買ってまでの競馬参戦、ゴアでの乱痴気騒ぎ、そしてここヴァラナシでの沐浴という事になるのではないかと思う。


 そうか、僕の罪はこの川で洗い流されたのか・・・


 相変わらず、つまづいた人生に新しい目標など見出すべくもないけれども、だからといって特に絶望しているという訳でもない。

もちろん先の不安は常に頭の隅に存在していたが、それでも僕はこの旅の日々に深く魅せられていて、そんな先の事よりも今ここにある充実を味わい尽くせばいいじゃないか という気にもなっていた。


 さて、時は12月中旬、次なる季節のイベントといえば、クリスマスであった。

さあ、旅の日々の、外国での始めてのクリスマス、どこで過ごそうか?


 

 …実は、ここヴァラナシにはもうひとつ、かなり気になっているものがあるにはあった。


 火葬場である。


 そう、ガンジスの水で沐浴すれば全ての罪は洗い流され、死してその灰がガンジスの流れに葬られれば、苦しみに満ちた輪廻の輪から外れ究極の平安を得る


 ガート近くにひしめいていた乞食のヒトたちが、その壮絶な生涯の末に最期に求めているもの、その最期の様子は、旅人たちであっても見ようと思えば見ることは可能だったのである。


 かの沢木耕太郎も、『 深夜特急 』 の中でこのヴァラナシでの火葬の様子を克明に記している。

彼はあたかも偶然に火葬の場所に巡り会ったような描写はしてあるが、この点僕ははなはだ懐疑的である。


 へえー、そう 偶然ねー、たまたま火葬場にいきついた訳ね~・・・


 バックパッカーたちの間では、ここヴァラナシで火葬の様子を眺めるのは結構話題のスポットであったし、正直僕も、せっかくなのだからなんでも見ておくべきではないのか と最後までかなり悩んだ。


 でも、結局僕はそのままこの街をあとにする事にした。

ずかずかと無神経に宗教的な沐浴の場所に入り込み、あれだけ泳いでおいて今さら何を、という気もするけれども、火葬はちょっとなあ…。


 外国人が悟り済ましたような顔で眺める、見世物じゃないだろう と。




 

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 そして、僕の25歳の誕生日がやって来た。


 この日をここ聖なる都ヴァラナシで迎えるべく、それを思い立ったはるか南インドのゴアの地からここまで、かなりの高速で移動してきたのだ。

流れ流れる旅 というのもまたいい感じであった。


 朝は6時半に起床。

例によってガートへ行って、まずはいつものように見物。

朝のガートは、やはりいいものである。

 対岸の不浄の地の方角からのぼる太陽が沐浴する人びとの祈りの姿を照らし、太古から流れるガンジスと、その水に変わらぬ信仰を奉げる人びとの姿がそこにある。

その横でなにげにゴシゴシと洗濯をしているおばさんの姿もまた、脈々とたくましく続くインドの姿なのだろう。


 一旦宿に戻り、テルさんに借りた『 地球の歩き方 ネパール編 』 や宿に置いてある情報ノートのベトナム情報なんかを拾い読みし、自分のノートに写して時間を潰す。


 そして、充分に気温の上がった昼過ぎに、再びガートへと赴く。

階段の脇のいつもの場所でしばらくためらった後、傘の下に座っているおじさんに脱いだ服を見といてくれるようにお願いし、パンツ一丁でいよいよ聖なるガンガーに身を浸した。

海パンを持ってはいたのだけれど、そんな格好のヒトひとりもいないのでパンツの方がかえって恥ずかしくないのであった。

沐浴の作法なんかわからないので、トランクスがずり落ちないように洗濯ロープの切れ端をベルト代わりに腰に巻き、泳ぐ気満々である。


 午後になって日差しはかなり暖かだったのだが、さすがに北インドの12月、水はひんやりとしてやたらと冷たかった。

いぬかきのような、立ち泳ぎのような泳法で不恰好にバチャバチャと遊んでいたインドのにいちゃん達も、


 へへー、ジャパニ、COLD! あ?


とそれなりに歓迎してくれている。


 手を合わせてシヴァ神に挨拶をし、25歳になった報告と、旅の無事を祈った後、関節各所の動きを確認して、やおらクロールの動きに移った。

小さい頃からよく川や海で遊んでいたし、水泳は結構得意だったのだ。


 うひょ~! ジャパニぃ!!


と水遊びをしているにいちゃん達から歓声を浴び、いい気分である。


 観光客用のボートを漕いでいる子どもたちに冷やかされつつ、すいすいと川幅の1/3くらいまで泳いだ。

振り返って水面から眺めるヴァラナシの街もまた素晴らしかった。


 人びとが罪を洗い清め、死して灰となって戻ってゆく母なる川、誕生日にそのガンジス川に抱かれてこうして漂うなんて、考えてみると幸せなことだよなあ・・・


 と、仰向けで空を見上げながらひたっていたのであるが、


 ・・・・・・ん? んん? 


 あれ? あのずぅーっと上流に見えるのが、ひょっとして、僕が泳ぎ始めたガート?


大河ガンジスの流れは結構速く、知らぬ間にガンガン下流に流されているではないか。


 うへえ、これは大変だぞ!


ようやく岸に戻って泳ぎ着いたのはずっと下流の別のガートで、びちょびちょのパンツ一丁のまま、裸足で路地を歩いて元のガートへと戻る時の、あの情けなーい気持ちの、僕の新しい25歳の始まりの日…。


 元のガートでは泳いでいたにいちゃん達にゲラゲラと爆笑で迎えられ、最後に服を預かってもらったおじさんに、額に朱と橙の色の印をつけてもらって、僕の沐浴は終わった。


 こうして僕のそれまでに犯した罪は洗い清められた訳で、冷たさに引き締まった感じの身体は、なんだか本当に生まれ変わったような気分であった。

 


長澤まさみ/ガンジス河でバタフライ ディレクターズ・カット版
¥5,040

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 そうして、この街での僕の毎日が繰り返される事になった。


 朝起きるととりあえずガートに行って、朝日を浴びながら沐浴し祈りを奉げる人びとの姿を眺め、そこいらの露店で得体の知れないものを朝ごはんに食べ、チャイを飲む。

 洗濯物のある時は一旦宿に戻り、バケツの水で洗った洗濯物を部屋に張ったロープに干し、また通りへ出てうろうろと一日を過ごす。


 ある時は路地で野菜を売るおばさん達と、おなかをすかせた野良牛との壮絶な生きるための戦いを見物して腹を抱えて大笑いする。

いくらシヴァ神の聖なる乗り物とはいえ、売り物の青菜をムシャムシャと食べられては、オバチャン達も黙ってはいないのであった。


 ある時はゴールデン・テンプルの周りの迷路じみた路地をさまよい、狭い路地での巨大な野良牛との離合にビビりながらすれ違ったりする。

牛たちはすれ違いざまにその背中に手を触れると、ハエを追い払う為の反射的な動きなのか、ぶるる と小刻みに皮膚を震わせ、それはまるでこちらに挨拶を返しているようでなんとも気持ちが良い。

ただしその時に近くにいたずらなガキんちょなんかがいると、彼らはガイジンをからかおうとしてウシくんに石なんか投げるので非常に危険である。

僕は一度これで腹を立てたウシくんに壁に押し付けられて、内臓が破裂する思いを味わった。


 退屈してくると街角のバングラッシー屋にお世話になる。

スーパーストロングだと路地を宿に戻れなくなるので、ミディアムで充分だ。

幸せな気分で遅めの昼食を取り、またガートへ戻って階段に座り込み、日が暮れるまでぼんやりと川を眺めたり、沐浴風景を見下ろしたりしてふわふわとした世界に遊ぶのであった。


 夜になると部屋に戻り、テルさんがこっちで調達したボロっちいラジカセから流れる音楽を聴きながら、ふたりで延々とチラムを回し、ケムリの中でお互いの旅やインド観などを語った。


 宿の1階にはちょっとした食堂のスペースがあって、英語メニューでの割高の食事も食べられたし、壁の本棚には誰かが置いていった本が並べてあって、日記によると僕はここでガダルカナルの戦記なんかを読んでいたようだ。


 今でもこうして振り返ると、あの迷路のような路地の石畳のちょっと湿ってひんやりとした感じや、漂うお香の匂い、毎朝壷に入ったヨーグルトを買っていたお店の小僧、野良牛の背中の皮膚の感触、朝日に照らされた沐浴の人びとの濡れた衣服の感じ、いつもガート前に座っていた乞食のヒトの、分厚くてグリグリのレンズの汚れた眼鏡なんかを、ありありと思い出す。



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 そんな乞食の花道を抜けると、いよいよガートへとたどり着く。

ゴチャゴチャしたヴァラナシの街なみであるが、河岸ではバーンと視界が広がり、かすんだ対岸が見渡せていい気分だった。

どうやら向こう岸は 「 不浄の地 」 として扱われているらしく、かすんでいるからか建物の影がまったく見当たらない。

それは、世界の果てを眺めているような、不思議な光景だった。


 そしてこちら側、階段状に川面へと降りるガートには、沐浴する人びとのにぎやかな姿があった。


       ガンジス



  
       沐浴風景


       
       沐浴風景


 

 みんな、朝日を浴びながら沐浴したり、バシャバシャと泳いだり、石鹸で身体を洗ったり、歯を磨いたり、洗濯したりしている。

 それは限りなく聖なる河であるのと同時に、限りなく俗なる日常生活の舞台としての河であり、そこには何の違和感もなかった。


 河の水はけっこうキタナソウであったが、泳ぐのは楽しそうだ。


 ・・・そうかそうか、ヨシヨシ。


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 翌朝目覚めるとすぐに、ガートと呼ばれる河岸の沐浴場に行ってみた。

そして、川岸までたどり着く前に見た光景に、言葉を失った。


 ガートへと向かう道にはビッシリと痩せ細った乞食の人々が並んで座っており、その間にわずかに開いた花道のような狭い隙間を通って、人々はガートへと向かうのである。

両側から差し出されるか細い手と、意味はわからないながらも低いうなりのように繰り返される、慈悲をこいねがう声のあいだを通って。


 花道の開始地点にはご丁寧に小銭の両替屋が店開きしていて、おそらく当時のインドで流通しているコインで実際の買い物の際に意味のある最小の単位は1ルピーの4分の1の25パイサ ( 約80銭 ) だったと思うのだが、それよりも小さな単位 ( 10パイサだとか、5パイサだったと思う ) のコインへの両替を行なっていた。

人びとはそのちいさなちいさな単位の小銭を、差し出される手のひらにひとつひとつ置いてゆきながらガンジス川への道を歩むのである。


 ガンジスで沐浴をすれば犯した罪は洗い流され、死してその灰をガンジスに流せば苦しみに満ちた輪廻の輪から脱する事が出来る・・・


 カーストによって乞食として定められた生を受け、路上に生き、そして老いや病によってその生を終えようとする者たちは、ここヴァラナシのガンジスを目指すのだと言う。

彼らの粗末な衣服の裾には、死した際に火葬の薪を購う為の幾ばくかのルピーが縫い付けられているとも聞く。


 ・・・そう、話には聞いていた 理解したつもりでいた そのためにこの街へとやってきたのだった


 話で聞くのとそれを直に見るのとではまさに天地の差がある、という聞き飽きた言葉を、この時初めて理解したように思う。


 この人びと、花道と呼ぶにはあまりにみすぼらしい花道の両側に居並ぶガリガリのこの人びとのひとりひとりが、人間としてこの世に生を受け、間違いなく過酷であったろう人生を生き、そして今ガンジスのほとりに座してその生の終わりを待っているのである。


 嗚呼・・・。




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 ヴァラナシ到着の初日の夜は、リキシャのおっさんに連れて行かれた宿に泊まった。

各地の宿で情報交換したバックパッカー達から、ここヴァラナシの安宿も何軒か教わってはいたのだが、僕は大抵の場合、新しい街に到着した初日の宿はリキシャワーラーに任せる事にしていた。

きっと彼らにとってもこういうマージンだとかは大切な収入源なのだろうし、そもそも行きたい宿を伝えた所で真っ直ぐ連れて行ってくれたためしがないのだ。


 その宿はシングルが50ルピー ( 165円 ) で、温水器つきの共同バスが使えて快適だった。

それでも、この街には少し長逗留したいので、安いドミトリーのある宿を捜す事にする。

僕が聞いていた安宿はふたつあり、ひとつはガンジス川のすぐそばで、もうひとつはゴールデン・テンプルと呼ばれる寺院のそばらしい。

散歩がてらふらふらとそのふたつを見にいった。


 川沿いの方は、なんといっても眺めが良かった。

へえ、リシケシュで見た清流が、こんな堂々とした大河に成長しているのか・・・。

ドミトリーは狭く、日本人うじゃうじゃ状態でなんかキタナラシイ。


 ・・・うーん。


 寺院の方は、狭い路地を抜けていった先にあり、この門前町を形成している曲がりくねった細い路地がすごく魅力的である。

両脇には商店が軒を並べ、野良ウシや野良犬やインドの人びとがこれまたうじゃうじゃと路地を埋めている。

ドミトリーには窓がなかったが、テルさん という名の日本人がひとり滞在しているだけで、ガラガラ状態であった。


 やっぱ、こっちだよなあ。


 同じウジャウジャ状態なら、日本人よりも野良ウシやインド人がうじゃうじゃしてる方がローカルでいい。

ドミトリー1ベッド25ルピー ( 83円 ) 。


 前の宿をチェックアウトして、荷物を担いで移動。


 すると、テルさんから挨拶代わりのチラムが回ってきて、


 じゃあ、バングラッシーでも飲みに行きましょうか?


と、何が じゃあ なのかは不明ながら一緒に街に出て、バングラッシー屋を教わった。

ミディアム、ストロング、スーパーストロングのチョイスができて、注文すると店の小僧が壷の中にヨーグルトやら例のナニやらを入れ、すりこぎでグリグリかき混ぜて作ってくれる。


 チラムの煙で既にイっていた所に胃粘膜からも追加が来て、霧のかかったような不思議の国へと直行であった。

この状態でお寺にお参りするインドの人々と肩を並べて歩き、野良ウシの脇をすり抜け、野良犬に挨拶し、充満するお香の匂いを嗅ぎ、極彩色のサリーの色の洪水に流され、そうして鋭敏な感覚にさらされながら路地を歩き回る気分といったら、それはもう最高であった。


 結局このまま夜中まで迷路のような路地をうろつきまわった。


 ・・・そう、霞の充満した頭では、この迷路のような路地で今日着いたばかりの宿へ帰る道など判るわけがないのだ。


 テルさん、そろそろ部屋に帰って寝たいんスけど


 ・・・うん、ボクもさっきから帰ろうとはしてるんだけどね、

 道がわかんないんだよね


 わはは! テルさんもッスか! 弱りましたねえ


ふたりでヘラヘラと、馬鹿丸出しである。


 仕方がないので、集めた道端のゴミで焚き火をしている路上生活のおじさんなんかと一緒にしゃがみ込んで火にあたらせてもらっていたら、宿のレセプションの所でちょっと立ち話をした西洋人バックパッカーが歩いていたので、


 うお~い! 助けて~! 僕らを宿まで連れて帰って~


 ♪ Country road, Take me home, to the place, I belong ~♪


と、それでもまだバカのまま歌を歌いつつ、ようやく迷路脱出・・・。



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 うーむ、旅行記の 「 僕 」 は既にヴァラナシに到着してしまいましたが、リシケシュからヴァラナシに向かう間のどこかの駅のホームで、私は不思議なサドゥーと出会っているはずなのです。

どうも日記に書いていないようで捜しても見当たりませんが、おそらく、リシケシュからハリドワールに向かう列車を待っている時のことだったと思います。

 以下、記憶に従って補足します。



 リシケシュの駅のホームで、朱色のボロい僧衣を着た髪の毛とヒゲがモジャモジャのじいさんと目が合った。


 彼は、「 サドゥー 」 と呼ばれるヒンズー教の修行者で、日本語で説明するとしたら、「 乞食坊主 」 という言葉が適当なのではないだろうか。

 バックパッカー達の間で面白おかしく語られていた与太話によると、彼らサドゥーは物乞いをしながらインドじゅうの聖地と呼ばれる場所を旅し、そして遂にはその旅の途中でひっそりと野垂れ死ぬ という壮絶な生涯を送る修行者たちである。


 サドゥーは僕に手を差し伸べるような素振りを見せ、チョイチョイ と僕を手招きした。


 おお、これまで遠目に姿を見ることは何度もあったけれど、いよいよ僕にもサドゥーとコンタクトするチャンスがやって来た!


 と、期待に胸を弾ませながら彼に近づく僕に、サドゥーは流暢な英語でこう言った。


 ジャパニ、オレはサドゥーだ

…サドゥーは今、チャイが飲みたいと思っているゾ


 おお、はじめまして、サドゥー

では、是非このジャパニにチャイをご馳走させて下さい


僕は小躍りするような気持ちでホームのチャイ売りから2杯のチャイを買い、ふたりで立ったままその小さな素焼きの器に入ったチャイを飲んだ。

 インタビューの開始である。


 サドゥー、あなたは流暢な英語を話しますが、どこで勉強なさったのですか?


 うむ、サドゥーは、サドゥーになる前はビジネスマンで、貿易の仕事をしていたのだ 英語は仕事で必要だったのだよ


 ビジネスマン! ビジネスマンから、サドゥーに転身されたのですか!

あの、差し支えなければ、サドゥーを志した理由を教えてください


 うむ、仕事は順調で、ある程度人生における成功を収めたとも思うのだが、子どもたちが大きくなったのを機に、どうしてもサドゥーの生活を送りたくなったのだ



 ・・・ああ、なんという事なのだろうか!

こうして文章にするとなんて事はないようにも思えるが、実際に眼前のサドゥーと話をしていた僕には、彼の答えは衝撃であった。


 このヒトは、何も知らないインドの田舎坊主ではないんだ・・・高い教育を受け、世界を相手に立派に仕事をしてきて、インドだけではなくその外の世界の事をじゅうぶんに知りながら、それでもなお、この乞食坊主の道を選んだのだ、と。


 

 彼は、ホームに到着した列車に僕と一緒に乗り込んだ。


 しばらくすると車掌が検札に回ってきたのだが、もちろん彼は切符を持っていない。

無賃乗車である。


 会話が現地の言葉で行われたので内容が定かではないが、車掌はしばらくの間結構な剣幕でサドゥーの無賃乗車をとがめている様子であった。

当のサドゥーはすました顔をして突っ立っていて、しまいには両手を合わせ何事かマントラだかお経だかを唱え始め、車掌はぶつくさ言いながらも諦めて行ってしまった。


 車掌が行ってしまった後、隣で事の成り行きを興味津々で眺めていた僕の方を向くと、サドゥーは相変わらずすました顔で僕に片目をつぶってみせた。


 確か彼はハリドワールまでは行かずに、途中のどこかの駅で列車を降りていった。



 ・・・あれから時は流れ、今や彼は僕の回想のシーンとなっている訳だが、その後、どうしたのだろう?

いくつもの聖地を巡り、彼の求める境地へと、たどり着けただろうか?

彼を崇拝する、巡礼者のレベルとしてはまるでヒヨッコのバックパッカー達から、どこかの駅のホームでチャイをおごってもらえただろうか?



 ・・・インドは、深いですよ。



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