かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


テーマ:
 いよいよシベリア鉄道で北京に戻る。
ウランバートル駅でウロウロするのだが、情けない事にどうやってホームに出るのかが分からない。

 待合室でぼんやり座っていたおっさんに訊いてみると、どうやら朝からヘベレケ状態のようで、中国語で 「 あっちに行け 」 と、つれない返事である。

 あのー、日本人なんですけど…。

と告げるといきなり友好的になった。
結局このヘベレケおやじに連れられてホームへ。

 ホームで列車が入るのを待っている乗客たちの中には担ぎ屋の姐さんサラ、ナラの姿も見え、あら、日本のニイチャンじゃない!という感じで声をかけてくれた。

 同じコンパートメントの乗客は、トルコ系イギリス人だというハルクというバックパッカ―である。
彼は大学の人類学の研究者で、アジアのトルコ系民族のなんとかという勉強をしているらしい。
モンゴル族や、僕がこれから向かうシルクロードのウイグル族などの興味深い話が弾んだ。

 窓の外はモンゴルに入った時と同じく雨の草原であった。
あっという間に過ぎたモンゴル滞在であったが、草原で遊牧民のゲルに通い馬を走らせる日々はまさに夢のように素晴らしい経験だった。

 さて、名残も惜しいがまだまだ次の展開にも胸が膨らむ。
後にも何度も味わう国から国への移動であるが、感じるのはいつも、悲しいような嬉しいような、複雑でなんとも言えぬ感情である。
決して嫌いではなかったが、かといって慣れるということはなく、なんだか胸のあたりに風が吹くような落ち着かない気分だ。
流れる という事が少しわかり始めているのかもしれなかった。

 …さらば草原の国、モンゴル。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:
 夜には宿の殺風景な部屋で、留学生とカメラマンと三人で話しこむ。
三人とも短期の旅行者ではなく、この先いつ日本に帰るのか見通しが立っていない。

 内蒙古留学生は、フフホトにモンゴル族の彼女がいるのだそうだ。

 僕は日本では今よりずっとデブで、女の子には全然相手にしてもらえなかったんですよ。
中国に留学して環境の変化のせいか体重も落ちましたし、あるいは僕が日本人だからという理由もあるかもしれないけど、やさしい女性にも巡り会いました。
恥ずかしいけど、こっちに来るまで童貞だったんス。
彼女の事は大好きです。
だけどこれからどうなるのかなあ…。
モンゴル語を学んだ所で就職の際に押しが利く訳でもないし、かといってこのままずっと内蒙古で留学って訳にもいかないッスもんね。


 カメラマンのコージさんは、日本で助手のような仕事をしながら写真の修行をしていたのだが、今回思い切ってフランスで仕事を探す決意をして旅を始めたらしい。

 やっぱりこの歳のうちに、自分の写真の腕がどこまで通用するのか試してみたいんですよ。
このままズルズルいっちゃうと、そういう馬力というか、青臭い志のようなものを忘れちゃうような気もするし。
フランスになんのコネがある訳でもないんだけど、こうして陸伝いに旅をしていく途中で撮る写真を手土産に、当たって砕けろって感じかな。


 やれやれ、僕が一番情けないような気がする。

 えーと、小さい頃から優等生で、自分の能力にすごい自信を持っていたんですよ。
その気になれば何だってできるような気がしてた。
家庭は親子関係がちょっと複雑で父親と上手くいってなかったんですが、大学までは一応エリートコースに乗ってきたし、もうチョット頑張れば医者になってるとこでした。
でも、なんで頑張らなかったのかなあ?
きっと自分がやりたい事、まだ解ってないんですよね。
それで落ちこぼれて、突然なんだか馬鹿らしくなって、誰の言う事も聞かずに勝手に退学、国外脱出しちゃいました。
何もかもパーにしちゃったのかもしれないけど、こんなに気が楽なの初めてですね。
とにかく思い切り気を抜いて、流れに任せて行くとこに行ってやろうと思ってます…。


 ゆきずりの旅人たちは時に、親しい友にもうまく語れない心の内をお互いに明かす事がままあった。
あるいは皆、その場その場の遊興に身をやつしながらも、異国の景色の中に必死で見つけようとしているのは自分自身だったのかもしれない。

 深夜バスの真っ暗なガラスの向こうに、中国のうごめく人民の渦の中に、草原のはるかな地平線の彼方に、・・・そして、まだ知らぬ己の進む道の先に。
AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

テーマ:
 ここでは僕らは外国人観光客であり、ゲルの客人ではないようであった。
従って乗馬も観光のアトラクションであり、有料である。
1時間3ドル。
宿代よりはるかに高いが、ここでケチると面白くないので観念してバンバン乗り回した。
内蒙古留学生はやはり慣れたもので、ふたりで競争して爽快な気分であった。
カメラマンのコージさんは初めての乗馬であったが、馬の背で 悠然とカメラを構えながら楽しそうに揺られている。

 馬の脚の動かし方は 歩く→全力疾走 の間に何段階かに変化するように思う。
その最終段階の全力疾走に入ると、まるで雲の上を駈けているかのような気分になる。
この、生き物に乗って野を駈けるという感覚、麻薬のような快感であった。

 昼飯の時に、ウランバートルで日本語を勉強しているというモンゴル女性が話しかけてきた。
夏休みで実家に帰省しているらしい。
午後には皆で家にお邪魔する事になった。
訪ねた実家は、ゲルではなくて定住型の木造家屋であった。
22歳だそうだが、結婚していて3歳の娘までいた。
おとうさんが料理したきのこ料理をご馳走になる。
この辺の人々は 森の民 とでもいったところであろうか。

 家にはテレビがあって、今ちょうどモンゴルに来ているというダライラマとリチャード・ギアが会見をしている様子が放送されていた。
どうしてチベット仏教の最高指導者とハリウッド俳優が話をするのか見当もつかなかったのだが、リチャード・ギアは熱心な仏教徒で、ダライラマとも親交があるのだとこの時知った。
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:
 ウランバートルでは、中国に戻る準備を行った。
中国大使館でのビザの申請と、シベリア鉄道のチケット購入である。

 中国大使館で僕の対応をした係員はスーツにネクタイ姿で、これまでこんなおしゃれな中国人男性を見たことがなかったので嬉しくなってしまった。
まあ大使館職員としては当たり前なのかもしれない。
申請どおりに60日ビザが手に入った。

 駅前のチケットオフィスでは、ハラホリンでジャルガルに教わった、北京行き一枚下さい のフレーズと、ノートに書いた日付で切符を購入。
3,1039トグリグ ( 6518円 ) 。
切符の文字は読めず、係員のおばさんとも話がひと言も通じないまま大金を支払うので、何度も何度も行き先、日付、時間を確認した。
それでも係員の対応が人間的なので、中国での切符購入よりずっと楽チンである。

 これで1週間後に北京に戻れるはずであるから、あとモンゴルでやりたい事といえば、手に入れた乗馬ブーツを使う事であった。

 マンドハイホテルで出会った日本人ふたりと、ウランバートルから程近いテレルジという町に行くことにした。
ひとりはこれまた内蒙古フフホトの留学生、ひとりはこれから大陸を横断してフランスに向かうというカメラマン。
ふたりとも僕と同年代だ。

 道端で見つけた車のおじさんと交渉し、テレルジまで1万トグリグ ( 2100円 )。
高いのか安いのかさっぱりわからないが、留学生はモンゴル語がバリバリでまあ任せとけばいいかな、と、ひとり7ドルずつ払った。
今度の道は立派で、草原の上を走ることなく1時間ほどで到着。

 テレルジはしっかり観光化された感じの保養地で、だだっ広い大草原ではなく木々の姿が目に付いた。
ツーリスト用のゲルなどもあったが、結構な宿泊費である。
うろうろ宿を探し、3軒目の保養所旧館に決める。
1泊1000トグリグ ( 210円 )。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 ウランバートルのザハは土曜日に開かれているらしかった。
町中には一応路線バスが走っていて、そのうちのどれかに乗ればザハの場所に行ける、という事まではフロントのおばさんとの会話で理解できた。
問題はそれがどのバスなのか、僕には見分ける事が出来ないところである。

 停留所に立っている人たちに滅茶苦茶なモンゴル語で尋ね、彼らがこれに乗れ乗れというバスに乗り、満員のバスの中でザハ、ザハ、と繰り返し、降りる人の波に押されて下車すると、そこはものすごい人の洪水のザハであった。

 ぬかるみと砂利の広場にトラックが沢山停めてあり、トラックの荷台や縁台の上に店が開かれていた。
ばら売りのネジから、服のボタン、洋服、食料品、家具まで、なんでも揃うようであった。
商品は韓国製、中国製、そしてロシアや東欧諸国からのものが多く入ってきている。

 さて、僕の目当ての品はというと、モンゴルのほとんどの人が履いている革のロングブーツである。
ハラホリンでは自分に合うものが見つけられなかったのだが、この日はトラックの荷台に山のように積まれた中から僕の足にぴったりのものが見つかった。
売り手のおじさんとは言葉が全く通じないまま、ふたりでノートに値段を書いては相手のを横線で消す、というのを繰り返す商談の末、6,500トグリグ ( 1365円 ) で交渉成立。

 後にこの値段とブーツの品質について、日本語を話すモンゴル青年バッツェレンに意見を聞いてみた所、

 うーん、そんなものではないでしょうか。

 ワタシのブーツは○万トグリグでしたけど…。

という答えが返ってきた。
ちょっと値段を忘れてしまったのだが、びっくりするような額であったのは確かだ。
どうやら皆ブーツにはそれぞれの経済力に見合うか、あるいはそれ以上のお金をつぎ込むものらしかった。

おしゃれさんのモンゴル人である。
乗馬とも深く関わるブーツ、ガツンと奮発して見栄を張るべきアイテムなのかもしれない。

 粋だねえ。

ちなみにウランバートル育ちの都会っ子バッツェレン、馬に乗れないそうだ。

 このブーツであるが、後の旅行中ものすごく邪魔になり、パキスタンの郵便局から船便で日本に送り返したのだった。
帰国した私と再会した時には、日本の湿気にすっかりやられてカビだらけの姿であった。
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

テーマ:
 シゲさんよりも一足先にハラホリンの町を離れ、ウランバートルに戻る事にした。

 さんざん馬に乗せてくれた草原のゲルでも別れの挨拶をする。
オヤジさんには中国から買ってきたマルボロ1カートン、奥さんにはウランバートルの国営デパートで買った瓶詰めのピクルス、師匠には、ごめんなさい、師匠には紙飛行機の作り方だけだったなあ…。

遊牧民に知り合いの家庭があるんだ、という想いは、10年後の今でも僕の胸を温かくしてくれている。
あれから10年、師匠はハタチくらいになって、子どもの2、3人いるのかもしれない。


 早朝、隣の部屋のジャルガルに見送ってもらい、ウランバートル行きのバスをつかまえる。
9時発のはずのバスは7時半には満席になり、8時前に出発した。
どうりで行きのバスには乗れなかったはずである。

 車中では女性や子どもに折鶴を折って遊んだ。
モンゴル人が中国人と違うと感じたのは、折鶴を渡すとすぐに分解して、折り方を覚えようとするところであった。
彼女たちは折り紙がボロボロになるまで何度も何度も作り直し、10時間後ウランバートルに到着する頃には皆上手に鶴が折れるようになっていた。
これも遊牧の民らしい所なのかな?と感心してしまった。
確かに、紙の鶴そのものよりもそれを作る技術を欲しがるというのは理屈に合っている。

 初めて北京からウランバートルに到着した時には、なんだこの寂しい町は…と思ったのであるが、今回草原の向こうに見えた首都の町はすごい大都会であった。
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:
 僕の乗馬教室となった遊牧民のお宅のゲルには、6人の家族が住んでいた。
オヤジさん、若くて綺麗な奥さん、師匠、弟ふたり、おばあちゃんである。
 興味津々であったゲルの内部はというと、これが予想を超えてかなりの快適空間であった。
もっと原始的でゴチャゴチャとしたキャンプ生活をイメージしていたのだが、とんでもない思い違いである。
家具といえば、しっかりとした骨組みの組み立て式ベッドと長持くらいのものであるが、それでも衣類などのモノが雑然とばら撒かれている訳では決してなく、恐るべき几帳面さで整頓されている室内であった。
衣類は長持や大型トランクの中にそのつど整理されているに違いなかった。

 長持の上には奥さんのものらしい鏡台があり、その横には一族の人々であろうか、写真スタジオで撮影されたらしき軍服姿やデールで正装した人々の写真が大切そうに飾られていた。

 僕の師匠は日本で言えば小学校低学年の年齢であり、当然僕に対する乗馬レッスンにのみ情熱を傾けている訳ではなかったから、毎日相撲を取ったり、紙飛行機を草原の風に乗せて遊んだりもした。

 ある日、上半身裸のオヤジさんや師匠の姿を写真に撮っていると、普段あまり話しかけてこない奥さんが恥ずかしそうに僕に何事かを伝えようとしてきた。

 私の写真も撮ってもらえないかしら?

という事らしい。

 ええ、是非撮らせて下さい。

と、親指を立てる 「 サエン 」 マークで答えると、おばあさんと一緒に着物を引っ張り出し始め、ふたりでバッチリとお洒落をしての撮影となった。

 最初はニコニコとこの撮影風景を眺めていたオヤジさんであったが、自分だけが普段の格好、というかほとんど素っ裸で写真を撮られた事に気がついたようである。
突然険しい顔つきになり僕に何事か告げると、奥さんに長持から一張羅のデールを準備させ始めた。
師匠も着替えさせてもらい、ゲルの前で自慢のオートバイと一緒に記念撮影。

 この写真は大きく引き伸ばされ、帰国後の僕の部屋の壁を飾ることになる。

写真を撮るだけ撮らせておいてそれで満足したのか、送って欲しそうな素振りがなかったのがちょっと不思議であった。
それとも、草原を移動する彼らには郵便が受け取れないのかな、と思ったりもした。
後日、一応ヤトゥンスルン宛ての手紙に同封して送ったのだが、彼は英文を解さないし、そもそもあの家族と知り合いであったのかも疑わしい。

 あの鏡台の横に、僕の撮った写真も飾られていればいいな、と思う。
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

テーマ:
 刑務所の食堂での昼食後、今度は草原を歩いていって遊牧民のゲルを尋ねることになった。
2時間ほど草原をてくてく歩く。
町から丘を越えた先に、川べりのきれいな景色の中にゲルが何軒か並んでいるのが遠くから見えているのであるが、その見えているゲルになかなかたどり着かないのである。
草原は視界を遮るものがないため、はるか彼方のものも実際より近くに見えるのかもしれない。

 写真の家族の住むゲルを訪問したのであるが、果たして彼らはヤトゥンスルンの知り合いだったのか、それとも全然知らないアカの他人だったのか未だに不明である。
とにかくこのオヤジさんは僕らをゲルの中に招き入れ、バスの乗客たちがやったように馬乳酒の回し飲みが始まった。
今回は嗅ぎ煙草がふるまわれたのだが、僕は鼻から粉末を吸うのは初めてだったので当然のようにひどく咳き込んだ。

 オヤジさんやヤトゥンスルンは、小指をたてるサインを作って 「 モー! 」 と僕の事を笑った。
親指をたてるサインが 「 サエン 」 これはグッド、カッコいい の意味らしい。
小指が 「 モー 」 バッド、かっこ悪い という事であった。

ちなみにモンゴル語の挨拶は、 さえんばいのー であったから、アンタ、いい感じだねえ といったニュアンスであろうか。


 

 さて、モンゴルの遊牧民のおウチを訪問して、まず何がやりたいかと言われれば、それはもちろん乗馬である!

 この後のハラホリン滞在中、僕らは毎日のようにこのゲルを訪ね、馬を乗り回すことになるのであった。
シゲさんはオーストラリアの牧場で乗馬を習ったそうで、初めから平気で乗り回していたが、僕は全くの初心者だった。

 そこで、写真の小僧 ( 素っ裸のチビではない方、念のため )が、僕の乗馬の師匠になってくれたのである。
少年は裸馬にまたがり、たてがみをつかんだだけで僕の馬と並んで走り、手綱の持ち方、馬の横腹をちょんと蹴る合図、チョッ、チョッ!という馬への掛け声、それら基本動作を教え込んでくれた。
 もちろんお互い言葉はひとことも通じないままに。

 初めは自分の膝に乗る感覚がつかめず、馬との呼吸も合わないまま走りまくったので、初日にして僕のお尻の皮はずるむけ状態になった。
それでも、生き物に乗って草原を駆け巡るあの感覚のなんと素晴らしかった事か!
僕はすっかり乗馬に夢中になり、悲鳴をあげるお尻にはかまわずに連日少年のレッスンを受け続け、一緒に草原を駆け回ったのであった。

 いまでも、あのはじめての乗馬の日々を思い出すとうっとりしてしまう。

乗馬はセックスに匹敵する快感ではないかと密かに思っている。

 …この4ヵ月後、僕ははるか西の国インドにて、砂漠の部族から選ばれてきた騎手達と草競馬に参加する事になるのだが、もちろんこの時点ではそんなこと予想だにしていなかった。
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)

テーマ:
 翌日、元気になったシゲさんとヤトゥンスルンと3人で、チベット仏教寺院エルデン・ゾーを見物に行く。
ヤトゥンスルンは昨夜僕らに、ロシア語は出来ないのか? とやたらと聞いてきたのだが、2人とも全くロシア語を理解しない事を悟ったらしく、この日はどこから見つけ出したのかロシア語-英語の会話集を持参していた。

 パラパラとめくってみるとこの会話集、かなりお粗末な英語力の人が作ったみたいである。
出版は東欧のどこかの国だったと思う。
まあそれでも昨夜より幾分意思の疎通が可能にはなった訳であった。
僕はようこちゃんのモンゴル語会話集を、彼は太い指で不器用に小さな冊子のページをお互いにめくりながら、なんとももどかしいコミュニケーションである。

 草原の真ん中にある長い塀で囲まれた長方形の敷地内が、エルデン・ゾーであった。
かつてジンギスカンの三男オゴタイが建設した首都カラコルムであったが、その町に使用された資材はすべてこの寺院に転用され、今ではかつての都の位置は分からなくなってしまったらしい。
 草原の真ん中では木材が貴重だというのもよくわかるし、なにかの本で読んだように、かつて強大な勢力を誇ったモンゴル帝国が比較的短期間に滅亡への道を歩んだ原因のひとつが、チベット仏教の広がりにあったというのをまさにこのエルデン・ゾーが示しているように思えた。

 ヤトゥンスルンが、

 3ドル出せば普段見れないすごいものが見れるゾ!

というような事をいうので、シゲさんと1ドル50ずつ出して彼に渡してみた。
彼はその3ドルを、係員らしき3人の女性に1ドルずつ渡し、厳重に鍵のかかっている本堂に入る許可を得たようであった。
中には仏像があるのみで特にスゴイというほどではなかったのだが、彼が非常に有難がって礼拝している様子から、チベット仏教は今でもモンゴル人の精神にいきづいているのが解ったのが収穫であった。

 昼時になり、ハラガヘッタ! と彼に告げると、あそこで食べるゾ! と草原の向こうにある建物を目指して歩き始めた。
近付いてみると、どうやら刑務所のようである。
平気で柵を乗り越えて中に入ってゆくので、

 おいおい、囚人が見えるよ、大丈夫かなあ?

とビクビクしながら後に続く。
中の食堂で馬乳酒を飲み、羊肉入りのうどんのようなものを2杯食べ、ひとり260トグリグ ( 55円 )。

どうやら、彼は本当に警察関係の人らしかった。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 一晩休むと、シゲさんの体調ははだいぶ回復したようだ。
安心したので、翌日は独りでハラホリンの町を歩いてみた。
一応ヨーコちゃんのガイドブックから町の地図を書き写してきてはいるのだが、ハラホリンの町はどれが道なのかすら分からないので全くお話にならない。
原っぱに適当に建物を建てたような感じである。

 川の水を汲んでいる子供たちがいたので、ザハ ( 市場 ) の場所を聞いてそっちの方角へ向かった。
この日は日曜日で、市場が開かれている筈なのであった。
道行く人たちに聞いたところによると、開始時間は12時から2時の間のいずれからしかった。

 1時に始まったザハは規模が小さくてちょっとがっかりした。
中国製の服とか、コカコーラなどが売ってある。
モンゴルの人たちがみんな履いているブーツが欲しかったのだが、市場でようやく見つけたたった一足だけ売っていたやつは残念ながら僕には小さすぎた。

 ホテルのバーに勤めているという兄ちゃんが僕に気がついて声をかけてきたので、羊、羊、と連呼して売っていた羊肉を2キロ買ってもらった。
1200トグリグ ( 250円 )。

 にいちゃんと一緒に宿に戻り、食堂のおばさんに頼んで料理してもらいシゲさんと昼ごはんに食べた。
さすがにふたりで2キロは多すぎたのでおばさんやにいちゃんにも応援してもらう。
塩味で茹でた羊肉は素朴で旨かった。
ナイフで骨からそぎ落としてむしゃむしゃ食べる。
イェルティエンという名のバーのにいちゃんが、膝蓋骨らしき四角い骨を取り出して、サイコロのように遊ぶやり方を教えてくれた。
微妙に形の違う骨の各面には、ホニ ( 羊 )、ヤマ ( 山羊 )、ムル ( 馬 )、テメエ ( 駱駝 ) の名前が付いているところがいかにもモンゴルらしかった。

 夜には部屋にヤトゥンスルンという名の兄ちゃんが遊びに来た。
昨日僕らのせいでこの部屋から追い出された人物である。
ようこちゃんと作ったカタコトモンゴル語会話集の助けを借りて話したところによると、彼はウランバートルから来ていて、警察とか軍関係とか何かそういった職業をしているらしい。
 明日は一緒に遊ぼう、という事になった。

 写真はハラホリンの町の遠景。
草原では、いまにも手が届きそうなくらい雲がやたらと低く感じられた。
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。