かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


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 さて、こうして僕は砂漠の町ジャイサルメールから延々バスを乗り継いで、南インドのアラビア海沿岸にあるゴアへとたどり着いた。

 これからしばらくの間、僕はこのインドらしからぬインドの土地でどっぷりと滞在をするのだが、そこはまさに当時の僕にとって「楽園」と呼ぶにふさわしい場所であった。

 

 旅行者たちは、もちろん自ら好き好んで旅をしていて、自ら好き好んでインドならインドを旅の場所に選び、フラフラとあちこちを彷徨っているわけではある。

そして、概して長い旅を続けている者ほど、その感受性とでもいうものはニブってくる傾向にあると思う。


 が、一方で、そんな心理防御をもってしても、やはり異文化にさらされ続ける日々は彼らになにがしかのストレスやダメージを与え続けてもいる。

 そんな旅の途中に、好き勝手な事をしながらも疲れ果ててもいるココロをほっと和ませる場所が、確かに存在するのだ。

 美しい景色、ゆっくりと流れる時間、穏やかな人々、・・・そして退屈のあまり出発の地に置いてきたはずの、当たり前すぎて、、、懐かしいモノたち。



 まあ、ゴアでの体験はそれだけでもなかったのだが・・・。

なんといってもかの地はかつてヒッピー3大聖地のひとつに数えられた場所、それなりのヒッピー文化?は、しっかりと残っていた。

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 ボンベイ発ゴア行きの夜行バスは、僕の他に何組かの西洋人バックパッカーと、満員のインド人乗客を乗せて出発した。


 半島を北上してゆくと、街並みが突然途切れてスラムらしい地区が広がっていた。

掘っ立て小屋やテントの群れの間には巨大な鉄塔が立ち並び、頭上高くには何本もの送電線が走っている。

これらがインド一のモダンな大都市に電力を供給しつづけているのだろうが、その真下の水はけの悪そうなスラム地区には電気の来ている気配はなかった。

 巨大なゴミの山で、小さな子どもたちが遊んでいるのが車窓から見えた。



 途中の食事休憩の時に、同じバスの乗客である若いインド人のにいちゃんから、


 お前はいくらでこのバスのチケットを買ったんだ?


と聞かれたので 250ルピー(825円) と答えると、


 本当の料金は140ルピー(462円)だぜ、お前バカだなあ


と言われ、非常に悔しかった。


 僕はこれでもボンベイのトラベルエージェントを3、4軒はしごしてバスチケットの値段を聞いて回り、彼らのことごとくに 


 今クリスマス前で外国人旅行者がゴアに殺到していて、チケットの値段も値上がりしているんだ


と言われて、仕方なくその中で一番安いチケットを買っているのだ。



 くっそー、悔しいけど、君の言うとおり僕がバカだったよ!

 でもねえ、考えてごらんよ、僕は僕の国日本で、一緒のバスに乗った誰かにチケットの値段を聞くなんて事絶対しないよ 

だってみんな同じ値段だもん

たとえそれが日本の事を何も知らない外国人の旅行者だったとしても、そのヒトはだまされる事なく正規料金のチケットが売ってもらえるんだよ


 

 ・・・ああ、悔しい。

いくら言ってみた所で、無知で馬鹿なのは僕なのである。

 おそらくバックパッカー向けのガイドブック、「地球の歩き方」や”Lonely Planet”なんかにはそこらへんのバス料金の目安が書いてあるのだが、僕はそういうのを持たずに出たトコ勝負で旅行しているので情報が致命的に不足しているのだ。


 まあそもそも、日本では1泊2日の距離を走る長距離バスの料金が500円なんてことも絶対にないんだけどね・・・。


 うーん、110ルピーもボラれたのか・・・それは下手すると3泊ぶんくらいの宿代であった。


 

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 ボンベイでは、シャレた大通りはもちろん、裏通りの市場、海岸沿いの民家の間、グルグルとあちらこちらを歩いて回った。


 久々に対面した海はインド門に程近い場所からの眺めであったが、海面上の空を優雅に飛び回っているのがカモメではなく、無数のカラスたちであったことがやけに印象に残っている。


 これまでどうもインドが好きになれなかったのは、あるいは観光地ばかりを歩いて外国人観光客相手のインド人ばかりに出会っていたからかもしれない と、ごみごみしたなんということもない路地を歩きながら思った。

そうしたら、なんだか肩の力がスッと抜けて、久々にお気楽な気分を取り戻せた気がした。


 そうなんだよな、これまですれ違ってきた旅人たちが大仰に面白おかしくホラを吹いていた魑魅魍魎の蠢く摩訶不思議の国インド、ボラレまくるし食べ物は全部カレー味だし人は理解しがたいけど、これは僕の旅、僕の好きなようにやっていいんだった・・・。


 
       ボンベイの市場




       ボンベイ裏通り


 

                
       ボンベイ海岸通り


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          空跳ぶおねえさん


 うひょ~っ! カッコいい~!!


 今夜は空とぶおねえさん、エレーナ・イシンバエワの応援です。


 早く昼寝しなきゃ・・・。


 んん? それとも競技はもう行われてて、夜のは録画なのかな? 


まあ、いいですけど。

 

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 さてさて、旅行記の中の「僕」は、ようやくボンベイに到着しましたが、実はこの街での出来事は、私の旅の中でもけっこう重要なポイントだと思っています。

 いつものような日記調の淡々とした文体では、どうもあっさりと通り過ぎてしまいそうなので、こちらで書いてみる事にします。

 …いずれにしても、うまく伝えられないでしょうけど。

自分で思い返してみても、なんでそうなのか、わからないもんなあ。

 

 初めのうち、私はインドという国にどうにも馴染めずにいました。

インド以前に通り過ぎてきた国は、中国、モンゴル、パキスタンの3つという事になりますが、私はそれらのどの国でも比較的オープンなこころもちで旅をしてきましたし、どの国もすぐに好きになりました。

ところがこのインドでは、なんというか、どうもうまく歯車がかみ合わないような感じがしていたのです。

 あるいはそれは、旅が始まってから半年が過ぎようとしているという時期的なものもあったのかもしれませんが。

 商品やチケットの代金を実にしばしばボられる というのも、かなりのストレスでした。

日本円に換算してしまうとささいな金額なのですが、自分自身がその無知ゆえに他人に金銭を騙し取られる というその状況自体が我慢ならなかったのでしょう。

 もうひとつ、物乞いの人への対応が大きなストレスでした。

毎日毎日路上で彼らと出会い、バクシーシ(喜捨)を乞うか細い手を差し伸べられるのですが、さて、これに一体どう対応するのか??

 私の旅は、バックパッカーだ、貧乏旅行だ とどう言いつくろってみたところで、所詮は物見遊山の遊びです。

おなかに巻いたマネーベルトには、路上の人々が一生かかっても手にするかどうかの金額のトラベラーズ・チェックが入っています。

 ではどうすればいいのか? 彼らが求めている金額はあまりにも少なく、1ルピーの半分の50パイサ(1.6円)も渡せば、まず満足してもらえます。

 そして、私は出会う彼らすべてにその50パイサをあげたわけでは、ありませんでした。

 その日、私はボンベイの街の海沿いにあるインド門のあたりで、その少年に出会いました。

ボロボロの身なりの少年は両足が悪く、萎えた足をひきずって這い回るその姿は、映画『エイリアン』で観たシーンにも似て戦慄を感じさせます。

 彼は私の前まで這ってくると悲しそうな表情を浮かべ、その細い右手を何度も自分の口にもってゆく仕草を見せ、何事かムニャムニャと私にささやくように語りかけてきました。

 食べるものがなくて困っているんだ、バクシーシをもらえないだろうか

とでも口上を述べていたのだと思います。

 私は昨日や今日インドに到着した訳ではありませんでしたので、そんな姿の乞食のヒトですら既に何度も見かけていましたし、あまりにも難しいので自分と乞食のヒトとの間の金銭問題については思考を放棄しており、その時の気分でバクシーシをしたりしなかったりする事にしていました。

 そして、その時はバクシーシをしたい気分だったらしく、少年に50パイサを渡しました。

 すると少年はお金を受け取って明るい笑顔を見せ、何事かを私にしゃべりかけた後、また他の通行人の前へとゴソゴソと這いずっていったのでした。

 ・・・文章にするとこれだけの事です。 やっぱり。

 私がインドの何かを受け入れ、インドを好きになったのは、確かにあの時です。

 悲惨な姿の少年ではありました。

けれども、お金を受け取った少年が、私に向かって ニッコリ とも ニヤリ とも違う素敵な笑顔を見せて何事かを語りかけたあの瞬間、まるで爽やかな風が吹いたようなあの瞬間に、私はそこにある何かに言いようもなく心を動かされたのです。


 感動したのです。


 うーん、 何て書き表せばいいのかなあ・・・。




        画像


 インド門。

 植民地へとやって来た当時の英国王を迎えるために建てられた門なのだそうです。

 馬にまたがって門を睨みつけているのは、イスラム勢力がインドに侵入してきた時にこれを撃退したインドの英雄か誰かの銅像だったと思いますが、なんとも皮肉な配置です。

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 電車を降り、航空会社のオフィスへ行くというオーストリア人と別れて街へと出る。



 歩き出したボンベイは、大都会であった。



 最初の街の印象は、


 んん、なんか上海に似ているような気がする


というようなものであったが、いやいや、そんなもんじゃなかった。


 確かにヨーロッパ風の時代モノの建物の感じとかが似ていなくもないのだが、上海のそれはあくまで 「租界」 という限られた地区のものであったのに対して、こちらは本格的な植民地、大英帝国インド支配の要を担った都市ボンベイなのである。

西洋建築の規模も数も、上海の外灘とはくらべものにならないスケールだ。


 そのレトロでありハイカラでもある街並みに、アンバサダーという名のこれまた年代モノの車や2階建てバスが走りまわり、そして肌の浅黒いインド人たちが生き生きと街の新しい歴史を刻んでいる。


 うわー、すっげえ…、インド来ちゃったよ。


 ・・・既にインド入国から3週間以上が過ぎているのに、あらためて当たり前の事に胸を躍らせて、まあ、おめでたいコトだが、この街の雰囲気は僕を魅了した。



 僕の持っていたボンベイの安宿情報は とにかくサルベーション・アーミーに行け というものであったので、街角の煙草売りのおっさんからバラ売りの煙草を一本買っては道を尋ねつつようやくたどりついてみると、満員でベッドが空いていなかった。


 あーあ。


 夜行バスを乗り継いで2晩ろくに寝ておらず、もうフラフラでこれから宿探しなどやる気がない。

 サルベーション・アーミーの真向かいにあるきったない宿に入り、ねずみが床を元気に走りまわる音を聞きながらグウグウ眠った。


 旅を始めて半年、まあとにかくこれで、東シナ海から野を越え山を越え砂漠を越えて、アラビア海にたどり着いた訳である。


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 アーメダバードからの夜行バスは、夜中と朝に2回食事休憩を取った。

ドライブインみたいな感じの食堂での休憩である。

 僕はどこの国でもこの長距離バス旅行での食事が好きで、その土地でのお手軽定番メニューみたいなのを興味深く食べているのだが、この頃はどうやらインドの香辛料に飽き飽きしていたらしい。

インドの旅の序盤は、とにかく何を食べてもカレーの味がしていたような気がする。

 後に僕はインドの香辛料の美味さに開眼し、今ではあれらの食事だけのためにでもインドを再訪したいと切に願っているのだが、この時はバナナで空腹を誤魔化しているようだ。


 さて、インドの4大都市といえば、東西南北の順で、カルカッタ、ボンベイ、マドラス、デリーである。

たしかその後都市名がインド風のものに改名されているが、当時はまだイギリス植民地時代の名称が使われていた。

 そして、ラホール-アムリトサルの国境を越えてパキスタンからインドの北部に入国した僕は、ドイツ人の車に同乗してなんとデリーを素通りしてラジャスタンに行ってしまったので、今回のボンベイが初めてのインドの大都会ということになる。


 バスは夜が明けてもなかなか到着せず、僕はボロいシートでずっとうとうとしていた。

楽しみにしていた半年ぶりの海、アラビア海の景色も、初対面はぼんやりとした意識の中であった。

 ようやく到着してバスを降ろされたのはバススタンドではなくガソリンスタンドのようで、さて一体ここがボンベイの町のどのへんに位置するのか、そもそもボンベイに到着したのかさっぱりわからなかった。


 乗客の中で外国人旅行者は僕とオーストリア人の2人だけで、ふたりで道端にザックをおろして、さて、どうしようか とボンヤリ突っ立っていると、向こうからデイパックを背負った日本人のニイちゃんがテクテク歩いてきて、


 スンマセン、日本領事館ってどこスか?


と僕に聞いてきたがもちろんわからない。

逆にこれ幸いと彼から大体の現在位置を教わって、ボンベイセントラル駅へと歩いた。


 ボンベイは半島状の地形にある都市で、半島の先っぽが中心地にあたるらしい。

セントラル駅から4つ目だという先っぽのチャーチゲイト駅まで、1等20ルピー、2等2ルピーとたいした差額であった。

迷わず2等の切符を買う。


 ホームでオーストリア人と電車を待ったのだが、1回目は乗客のあまりの混雑ぶりにおそれをなして乗りそこね、2回目は乗り込んだのが婦人専用車両だったようでおばさん達に追い出され、3回目にようやく乗り込む事が出来た。

列車のドアは走行中も開けっ放しのままで、乗降する人々におかまいなく適当に出発するので乗るのも降りるのも必死である。


 いやいや、これはカオスの予感がするなあ・・・ いよいよインドの大都会へと突入であった。



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     P251iS00006.jpg


 ・・・・・・かにパン。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。


 残暑お見舞い申し上げます。


 今年の夏の暑さはキビしいですねー。

 私が通勤やコーヒー配達に使っている中古の小型車は、もう何年も前からエアコンが壊れたまんまです。

毎年、夏の暑さが厳しくなってくると、今年こそ修理に出して快適カーライフを! と思うのですが、暑いのは結構平気な体質らしく、出費をケチってぐだぐだしているうちに夏が終わります。

この分だと今年の夏もカーエアコンなしで終わるな、きっと。



 私の働くパン屋さんですが、町のほかのパン屋さんと同じく、暑い季節には売上げが下がってややヒマになります。

自家焙煎珈琲豆の方も、暑い夏は売上げの苦しい季節です。

 以前働いていた喫茶店では、夏はフルーツパフェやカキ氷のオーダーが山ほど入って大忙しでしたし、ホテル製パン部でも夏休みシーズンは宿泊のお客さんが多く忙しかった記憶があります。

 だから、なんとなく仕事のペースがゆっくりとしてのんびりと過ごす夏というのも、これはこれでいいような気もしています。


 しかも、ウチのお店は春先の店舗一部改装にともなって、私の他にパン職人をふたり増員したので、ひとりぼっちでイッパイいっぱいだった以前と較べて格段に余裕ができました。

最近の私はパン工房でも以前のように作業に追われまくってばかりいるのではありません。

時にはオーナーと経営の話をしたりなんかして、我ながらいい気なものです。



 で、先日、私の独立開業の話になりました。

もともとこのお店に転職してくる時からその話はしてありましたし、パン屋の仕事で私のコーヒー豆配達の営業の伸びが頭打ち状態になっているのも知っているので、心配してくれているのでしょう。

今後の私のハラヅモリなどを聞かれました。


 という訳で、来年いよいよハタアゲする事にしました。

・・・なんとなく、話のいきおいで。

パン工房の仕事を新しい職人さんにじっくりと引継ぎなどして、来年またお客のペースが落ちてくる夏前くらいにお店を去る事になると思います。

いきなり店舗を構える度胸はないので、家の納屋で焙煎した珈琲豆を配達で売り歩く今の営業スタイルで、まずは体力をつけます。


 できればこのパン屋さんを最後の勤め先にしたいものだとは思っていましたが、


 ・・・ わはは! 大丈夫なのか? オレ?


 やっぱり、給料のもらえない生活というのは、ビビります。


 

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 ここまでの僕の旅のかたちとでも言うべきものは、だいたい200~300キロくらいの距離をバスで移動してはその町を何日か(時に、何週間か)うろうろするというもので、がんがん移動距離をかせぐ訳でもなく、一ヵ所にドップリとはまり込む訳でもなく、まあ、なんというかそんな感じであった。

でもこの時は結構ハードに移動した方なんじゃないかと思う。


 ジャイサルメールとアーメダバードをつなぐ路線はマイナーなようで、バスは公営の夜行バスが1日1本あるだけであった。

旅のガイドブックを持っておらず、インド情報といえばパキスタンの山奥の本屋で買った英文のインド地図のみであり、宿のベッドの上なんかにこの馬鹿でかいインド全図を広げて次の行き先を適当に探すので、たまにこういう事になる。


 公営のバスは外見がボロッちかったが中のシートなんかはしっかりしていて、シルクロードで苦しめられた中国のバスよりずっと乗り心地が良かった。

一番前の座席がとれて、おお、これはフロントグラスから前が見れていいぞ、なんて喜んでいたが、走り出してようやく今までのバスの旅の教訓を思い出した。


 ああー そうやったわ ココはエンジン音がすごくて眠れないのよ…


 それでもとにかく、バスは夜明け前にアーメダバードのバススタンドに到着。


 同じバスには何人かの西洋人バックパッカーも乗っていて、皆僕と同じようにゴアを目指していたのであるが、彼らはバススタンドに到着するとさっさとオートリキシャを捕まえ、駅や空港へと移動して行ってしまった。

 まあ、そうだろう。

 麗しの楽園ゴアはまだまだはるか南だし、空路、鉄道、長距離バスの選択肢があるならばそうするのがしごくマトモではある。


 そしてここに僕だけの問題があった。

 3ヶ月前の8月にシルクロードの起点である西安を発ってからここまで、途中ドイツ人の車に同乗もしたが、一応道の上を旅してここ天竺へと至っている訳である。

まるで 『深夜特急』 の沢木耕太郎みたいだが、


 ここはバスしかないやろ!



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 ・・・今となってはそんなのどっちでもいいように思うが、まあ、わからなくもない。


 バススタンドのチケット売り場で聞いてみると、ボンベイ行きのバスは午後9時発、160ルピーのようだった。

バススタンド前のエージェンシーでは午後8時半発、150ルピーのバスがあるという。

時間はまだ早朝なのだが、落ち着く宿を探す前にバスが見つかってしまったので、まあいいか、とその日の夜に次の町を目指す事にした。


 バスの出る夜までやたらヒマなのだが、切符を買ったエージェントは 荷物は預かれない と冷たいので、ザックをしょったまま街をウロウロ歩き出してみた。


 朝のアーメダバードの裏通りは、路地端でまだ寝ている人々や、その寝ている人のまん前で道路にうんこをしている子供なんかがいてとてもさわやかだった。

その子どもはうんこをしながら ハロー! とかいって僕にニコニコと声をかけてくるので、僕も ぐっどもーにんぐ! と元気に挨拶を返すのであった。


 大きな通りに面してベンチと水道のある場所を見つけたので、ザックを降ろしてしばらく腰を据える事にした。

 水道で歯を磨き顔を洗い、ベンチに腰をおろして本を読んだり、手紙や日記を書いたり、目の前の通りを歩くパンジャビードレスの女の子たちに写真を撮らせてくれと頼んだりしながらヒマをつぶした。

荷物は重いし昨夜は夜行バスでろくに寝ていないし今夜もまた夜行バスに乗るのだし、もう街を歩く元気がないのである。


 もちろんそんな僕を通行人のインド人の皆さんが放っておくはずもなく、ベンチの周りには常に見物の人だかりができていた。

そしてどっから来ただのどこへ行くのかだのの恒例の質問タイムが延々と繰り返され、まあ退屈はせずになんと午前中いっぱい僕はそのベンチで過ごした。


 お昼にはバススタンドに戻り、食堂でカレーの味のするサンドイッチを食べ、午後は待合所のベンチでザックを枕にウトウト寝て過ごした。


 Shoe polish! とスニーカーを履いている僕に果敢に声をかけてくる靴磨きの子どもや乞食のひとたちに何度も突っつかれて起こされるのでろくに眠れず浅い眠りの繰り返しであったが、それでもゆっくりと時間は過ぎてゆくのであった。



 ・・・以上がアーメダバードの思い出である。


 今となっては、おそらくもう二度と訪れる事のない遠い異国の町で、なんとももったいない時間の使い方をしたという気もしないでもないが、僕の旅は大体こんな感じの事が多かったように思う。



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 ラジャスタンの城塞都市をひとつひとつ訪ねてきて、西の果てのここジャイサルメールでとうとう行き止まりであった。

ここからパキスタンへと抜ける国境は旅行者には開かれておらず、僕は方向を転じなければならないのだが、さて・・・。


 砂漠のキャメルサファリから町に戻って、2日ほどぶらぶらして過ごしたあと、僕はラジャスタン州の南に位置するグジャラート州アーメダバード行きのバスチケットを買った。

ここは確かインド独立の父、マハトマ・ガンジーの故郷だと聞いたような気もするが間違っていたかもしれない。


 目指すははるか南、アラビア海に面したかつてのヒッピーの聖地、ゴアである。

ドイツ人ふたり組、ピーターとガブリエラとあいまいな再会の約束も交わしてあったし、なにより海が見たくなったのだ。

旅の始まりの長崎-上海の船旅以来、ずっと大陸を旅してきて海を見ていないのである。

中国大陸、モンゴルの草原、シルクロード、カラコルム山脈、そしてインドと来て、アラビア海を眺めるというのはなかなかいいアイデアのように思えた。


 そして、ゴアである。

出会った旅人たちの多くから、このかつての東インド会社の中継地であった町の怪しげな噂はいろいろと耳にしているのであった。

クリスマスを控えたあの頃、西洋人バックパッカー達の多くは口を開けばこの町の名を挙げ、皆こぞってゴアを目指し移動していたように思えた。


 インド地図を広げてみると、この砂漠の町ジャイサルメールからゴアへの旅路はいかにも遠かったのであるが。



 

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