かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


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 東西約40km、南北約20kmの巨大な砂の山。
 
 敦煌滞在中、ほとんど毎日のように自転車を借りてこの砂山を観にいった。
特に夕暮れ時の景色は素晴らしく、まさに幼い頃から思い描いていた砂漠がココロユクマデ堪能できる。
たしか観光用の駱駝にも乗れたような気がする ( 乗らなかったけど )。

 満月の日の夕暮れに、この砂山に頂上まで登ってみた。
聞こえるのは風の音と自分の足が踏みしめる砂の音だけで、視界の360°に砂の世界が広がる様子は筆舌に尽し難い迫力である。
頂上までは1時間ほどでたどり着いた。
足下には小さな敦煌の町の緑が広がり、その先には限りない広さのゴロゴロ砂漠がどこまでも続いている。

 西の空が赤く染まり太陽が沈みゆく頃、東の砂山からはこれも赤い満月が顔を出した。

 月は東に 日は西に

・・・あれは海をうたった歌であったか。

太陽も月も、実はかなりのスピードで僕のまわりをまわっているのだとあらためて気が付いた。

 時はグングン過ぎてゆく。

砂時計の底に腰を下ろし、ぽかんと口を開け首をぐるぐる回して夕日とお月さまを同時に見ようとする間抜けな僕の時間も、また。

 砂山で僕はものすごく幸福な時間を過ごした。
旅に出て本当によかったと思える景色であった。

 そして、これから僕はどこに向かおうとしているのだろう、と、4ヶ月目を迎えた旅に初めて不安を感じ始めたのも、この場所だったように思う。
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 嘉峪関では結局最後まで雨が降り続いていた。
自転車用の中国製ポンチョを着てバスターミナルへと向かう。
敦煌行きのバスには、僕以外にもうひとりバックパッカ―の乗客があった。
トムという名のオランダ人。
彼とはこの後しばらく、シルクロードを抜きつ抜かれつしながら共に西へ向かう事になる。

 車窓の風景は、ごろごろとした礫砂漠から、微妙に砂っぽく変化してきたようにも思える。
敦煌に近づくにつれ天候も回復してきて、しめしめと思っていると、後席のトムが、

 おい、見てみろよ、運転手眠りかけてるぞ。

と言ってきてビクビクものであった。
砂漠に転落するのはもう二度と御免である。
あわてて後ろから運転席を蹴飛ばしておっさんを起こす。

 バスはふらふらしながらも、所要9時間でなんとか敦煌の町に到着。
ここも緑の多い堂々としたオアシス都市である。
何故かバスターミナルには着かず民族飯店という宿の玄関に横付けし、客引きがどっと寄ってきたのだが、運ちゃんにリベートがいくのもシャクなのでトムの持っている 「 ロンリープラネット 」 に記載された西域賓館という宿まで歩いた。
4人部屋1ベッド15元 ( 170円 )。

 小さな町はいかにもの観光都市で、バックパッカ―がゴロゴロしていた。
久々に英語の通じるこの環境は、別の意味でもオアシスといった感じであった。

 画像は敦煌観光の目玉のひとつ、鳴沙山の月牙泉。
日本でイメージしていた 「 砂漠 」 の風景は実はなかなかお目にかかれない貴重なものらしく、ここ敦煌には砂の砂漠が見たくてやって来たのであった。

僕は子どもの頃夢に見た砂漠を完璧なものにすべく、わざわざ満月の夜を待ってここに滞在を続ける。
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 1995年の9月に入った。
ここは万里の長城の西の果ての関所、嘉峪関である。
2ヶ月前に北京郊外で見物したあの壁が、はるばるここまでずーっと続いているという訳だ。
歴代の中国の為政者たちは、あのモンゴルの遊牧民たちによほど悩まされたのだろう。
それにしてもなんというスケールの大きさだろうか。

 この日、砂漠には雨が降っていた。
きっと恵みの雨に違いないのだが、旅行者としてはギンギンの日照りの下でこの砂漠の関所を仰ぎ見たかったものだ。

 ここの宿では、パキスタンから中国入りしたというアメリカ人バックパッカーと同室になった。
シルクロードを逆方向に通過してきた旅人と巡り会った訳である。
お互いの持つ安宿情報を交換しながら、感慨もひとしおであった。

 次の目的地は、いよいよ、敦煌。
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 祁連山脈に沿った甘粛省のオアシス都市は、1泊もしくは2泊のみの滞在でバスを乗り継いで駆け抜けた。
それぞれの町の地名は、涼州、甘州、粛州という旧名のほうがより旅情を掻き立てる響きがある。

 町はおよそ200~300km間隔で存在していて、バスの所要時間は5~8時間といったところであった。
朝に町を出て夕方に到着し、そのまま到着したバスターミナルで翌日、又は翌々日の次の町への切符を買うのである。
たいていバスターミナルの近くに、安い大部屋のある宿がみつかった。
1泊20~30元 ( 230~345円 )。

 夕方から夜にかけてが町をぶらぶら歩く時間である。
すれ違う人の顔にも、漢族以外のバタ臭い西域の色が感じられるようになってきた。
夕食はだいたい屋台で羊の串焼きでビールを飲み、隣に座ったお客さんに旅の話をしてはヘベレケに酔っ払った。
町はいつも、強い風に砂ぼこりが舞っていたように思う。

 バスの車窓から見える景色はかわり映えのしない単調な乾燥地域の風景で、僕はガラスに額を押し付けてさまざまな思いが頭をよぎるに任せていた。
僕の暮らした国日本ははるか後方にあり、日々ますます遠ざかりつつあるのが実感できた。

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 シルクロード本道に戻るべく、次の目的地は武威である。
中国辺境の町らしい、勇ましい名前だ。
 早朝出発するバスに乗るために、朝早く宿を出る、と前日のうちにフロントに告げておいたのに、宿の玄関は開いておらず、仕方なく裏口から出て高い塀を乗り越えなければならなかった。
飛び降りた時にザックの重みでシリモチをつきながら、なんかわくわくした。

 どうやら僕はバスのチケットを買うのが早すぎるらしく、いつも座席番号が1番で、運転席のすぐ後ろである。
銀川-武威のバス路線はマイナーなのか、中国に来て初めてスカスカの乗員のまま出発。
今日の運転手はクラクションをあまり鳴らさない珍しいタイプの運ちゃんで、これは快適なドライブになりそうだ、と思っていた。

 思っていたが、もちろんタダではすまなかった。
今思うとこの普通ではない状況のひとつひとつがなにかを暗示していたのかもしれない。

 車窓からは砂の砂漠や小さなオアシスなどが見えて結構楽しいバスの旅であったのだが、出発から9時間後、枯れた川に架かった小さな橋を渡っている時に、バスは右前輪を縁石に乗り上げたのである。

 僕はただ、運転手の隣のエンジンフードの上に座っていた車掌のお姉さんが視界の中を飛び跳ねまくっているのを何の感情もなく眺めていただけであった。
何を考えるヒマもなかったように思える。

 バスは何とか横倒しにならずに、土手のように盛り上がった道路から滑り落ちて停止した。
乗客には怪我はなく、バスもタイヤがパンクしただけで済んだようだった。
どうやら運ちゃんが居眠りをしたらしい。

 乗客たちはゾロゾロとバスを降り、問題の橋を見物に行った。
縁石が途中で途切れ途切れになっていて、バスはそこから乗り上げたようだ。
タイヤの跡からすると、あと15センチくらい外側であったら涸れ川に転がり落ちていたことだろう。
皆で橋の上から連れ小便をした。

 運転手は皆に取り巻かれ散々嫌味を言われていたが、死にかけたにしては皆あっさりしているように思えた。
話を後ろで聞いていると、どうやら運転手はこの銀川-武威路線を毎日往復しているらしかった。
・・・それは居眠りもするわ。

 砂漠の真ん中であるので、どうしようもない。
皆で力を合わせてバスを土手の上に押し上げ、その日陰に座り込んで運ちゃんのタイヤ交換が終わるのををぼんやりと待った。

 結局所要14時間で武威の町に到着。
それにしても、死ぬかと思ったのは乗客の中で僕だけだったのだろうか?
皆ホントに逞しいと思った一日であった。
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 銀川の町には3泊した。
日記によれば、僕はこの間に博物館や承天寺塔という場所を訪れたようだが、ほとんど記憶にない。
よく憶えているのは同室だった大連から来たおじさんの事である。
 
 おじさんはガイジンの僕の事がかなり気になるらしく、ひっきりなしに話しかけてくるのであった。
僕の中国語レベルが難解な会話に対応しきれない、というのもあったのだろうが、彼の興味は主に僕の荷物ひとつひとつの値段である。
銀川にはなにかの商売でやって来たと言っていたから、まあ職業柄仕方ないのかもしれなかったが、この質問は実に疲れる。
日本で買ったモノは中国元に換算するとどうしてもビックリするような値段になってしまうのである。

 それでもお互い夕方部屋に戻ってから寝るまではヒマであるから、なんとか時間をつぶさないといけない。
ひととおり僕の荷物の検分も終わった所で、

 おじさん、将棋教えてよ。

と、覚えたての中国将棋で遊ぶ事にした。

 40代くらいのこのおじさん、北京の宿の若い従業員達と較べてもなかなかの将棋の腕で、初心者の僕ではまったく相手にならない。
それでもふたり、日本の将棋でいうと飛車角抜きみたいな感じでおじさんの方の駒を減らしてハンディをつけ、毎晩寝るまで将棋板に向かい合った。

 次の朝には僕は出発という最後の夜に、散々アドバイスを受けながらようやく1度だけ勝った勝負があった。
その「馬」と「車」を使って相手の「将」を追い詰める形にはなんとかという決まり名があるらしく、おじさんは、

 よくやった。 これは◎%×という決まり手で、お前の勝ちだ。

と僕に告げると、いきなり自分の鞄をゴソゴソあさり始め、取り出した細工物のナイフを僕に手渡した。
それはチベット族の投げナイフで、二人の勝負と僕の初勝利の記念だという。

 
 ああ、思い出して懐かしくなってきた。
ふたりとも故郷から遠く離れた砂ぼこりの舞う町の安宿で、本来なら勝負にならない将棋を指し続け長い夜を過ごした銀川の町。

 おじさん、あれから10年が過ぎましたが、元気で行商を続けていますか?
僕は今ではすっかり中国将棋忘れてしまったけど、あのナイフは大切にしていますよ。
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 勤務先のホテルでは、毎年恒例のプロモーション 『 春爛漫バイキング 』 がこの週末の3日間催されます。
 製菓製パン部からはフランス人シェフと私が会場に入り、デザート作成の実演を担当します。

 喫茶店からホテルのパン職人に転職して以来、お客さんと顔を合わせるチャンスがぐっと減っているのでとても楽しみです。
 パン工房でひたすらパンを相手にするのもいい経験になっているのですが、やはり食べる人の顔が見れるというのはいいものです。
それに、甘い物だとお客さんに表れる喜びがよりダイレクトに感じ取れます。
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