かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


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 この塀はウチの真ん前なんだから、さすがにアタシの縄張りよね。

 トラねーさんや裏のリリィちゃんに会ったら、アタシの方が挨拶するんだけどさ…。
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ウランバートルは異国情緒あふれる興味深い街ではあったが、モンゴルといえばやはり、大草原とそこに暮らす遊牧民の暮らしを見てみたい。

 僕とシゲさんは、バスで西の町ハラホリンに行く事にした。
 切符売り場で、ハラホリン、ハラホリンと地名を連呼するのみで切符を購入。
6ドル (590円) 。

 翌日朝9時発と何度も確認したこのバスであったが、結果的に僕らは1時間前にバスターミナルに来たにもかかわらずこれに乗り遅れる事になる。
 乗客が一杯になればバスは定刻前だろうが出発してしまうと後で知ったのだが、それでは前売りチケットの意味はないという訳だ。
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 モンゴルは気温の日較差が非常に激しいようであった。
7月末ではあったが夜間にはかなり冷え込み、北京で購入したフライトジャケットを着込むほどの寒さになる。

 さて、ウランバートルの町を歩き回ったのだが、食事として一体何を食べればよいのかがいまひとつ分からない。
そもそも、中国でならば道端のいたるところにあった露店や食堂が実に見つけにくいのであった。
町並みが非常に落ち着いており、飲食店が派手な看板を出していないせいもあるのだろう。
そして、たとえ看板が出ていたとしても僕にはそのキリル文字が読めず、それが食堂であるという判別ができないのが致命的である。

 よく食べていたのは、日本でいうならたこ焼きやアイスクリームを売っている小さな半露店のような粗末な小屋で売っていた、小麦粉の皮の中に羊肉を包んで揚げた餃子のようなものである。
今では名前が思い出せないのが残念だが、これはなかなかイケる味だった。
1個50トグリグ ( 11円 )。

 店の周りには7、8歳の子供たちがジュースの瓶を両手に1本ずつ持ってうろうろしており、この店でモンゴル餃子?を買ったお客たちに群がりその妖しげなラベルのジュースを売っていた。
 この子供たちがまたすばしこいのである。
お客に対して売り子の人数が圧倒的に多いものだから競争も激しく、僕がどの子から買えばよいのか迷おうものなら押しつぶされそうな勢いで取り囲まれてしまう。
 
 よし、キミのを買おう。

と、ひとりの子を指名すると、その子は商売の権利を我が物とすべく、瞬時にして瓶の王冠を歯で見事に開栓するのであった。
素早く栓を開けてしまわないと、別の子に客を取られてしまうというルールがあるのかもしれない。
1本100トグリグ ( 21円 )。

 貧しい身なりをした小さな子供が必死で働く姿は、一人っ子が大切に育てられている印象を受けた中国とは対照的であった。

 それにしても、あの生ぬるいジュースのラベル、ひとつとして同じ種類の絵柄がないかのようにバラエティに富む、拙い印刷のものであったが、温かみのある懐かしい感じがして大好きだった。
空き瓶を子供に返さなければならないので、食事はこの露店の前で取ることが多かった。
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 今日、新しい気象衛星を載せたロケットが種子島から打ち上げられました。
 私の住む南九州の町からも、冬の夕暮れの空をどこまでもどこまでものびてゆくロケット雲を見ることができました。

 宅配牛乳の訪問営業の途中でしたが、日暮れの道に立ち止まって南の空を見上げていると、少年の頃のように胸がはずむのを感じました。

 今夜は素敵な夢が見れそうな気がします。
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 旅行中は、いつもその国の金銭感覚を得ようと努力してきました。

 為替レートってありますよね。
例えば回想録の今の時点で「僕」が旅しているモンゴルの通貨はトグリグといい、日記によると当時のレートで1トグリグ=0.21円です。

 しかし、実際の買い物の時、現地通貨を日本円に換算してものの価値を考える事はあまり役に立ちませんでした。
「役に立たない」という言葉はちょっとしっくりきませんが、例えば、瓶ジュース一本100トグリグ=21円という換算をした所で、このジュースが高いか安いかはわからないのです。

 本気になって考えると、他のいろいろなモノの値段、現地の人々の収入、とにかくあらゆる要素を考慮に入れる必要が出てきます。
ですから、旅行者が地元の人々の感覚を掴むのはほぼ不可能だと思います。
日常生活をしてる訳ではないので、小遣い帳をつけたところで、旅行者向けの値段と地元商店などのローカルな値段がごちゃ混ぜになります。
しかも現地での収入はゼロ。
マネーベルトには人々の数年分、ひょっとすると数十年分の稼ぎに匹敵する旅費がうなっています…。

 そもそも、金銭感覚というのは他人と共有できるものなのか? という本質的な疑問も生じてきます。
私にとっての100円と、これを読んでいるあなたにとっての100円は、果たして等価でしょうか??

 …話が自分でも解らなくなってきましたが、私の旅の初めから終わりまで、この「金銭感覚」というのは非常に興味深い課題であり続けました。
 
 まあ結局実際には、お金は大切に使おう という意識を持つくらいしかできなかったのですが。

 定価でモノを買う事に慣らされた頭では、簡単な買い物の交渉ですら、時に人生観を揺るがす衝撃になり得ます。

 私: これいくらなの? 

 商人: 200ルピー。  

 私: 高いなあ。  

 商人: じゃあお前はいくらならコレを買うんだ?

 私: ・・・。

 はい、この時点でアウトです。
旅の初めの頃、私は自分が何かに金銭的にどれだけの価値を置いているのか解っていませんでした。
しかもこの思考を日本円でやってしまうと彼らに莫大な利益を与える事になるのです。

 もちろん、自分がそのモノにそれだけの価値があるとして決めた金額を払えばそれでいい、という考え方はまっとうです。
しかし、日本で生活してきた頭で考えるとして、例えばインドでの紅茶代に喫茶店と考えて500円、あるいは缶ジュースと考えて120円払いますか? 実際は3円から6円くらいなのに。

 国境という見えない線を越えるとお金の単位が変わるばかりか、あるものに対する金銭的な価値観まで変わってしまう、というのは不思議ですよね。

 ちなみに、私は旅した国の小額紙幣をコレクションするのが楽しみのひとつでした。
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 夏のモンゴルは夜の訪れが遅かった。
日没は午後9時、と日記に記してある。

 ではそんな時間まで明るい戸外をうろうろ見物できて好都合なのかというと、どうやらそういう訳でもないらしかった。
男たちは、まだお日さまが西の空高くにあろうが、時間がくればきちんと酔っ払い、へべれけで街をうろつくのだそうだ。

 そして、僕はなぜかそんな酔っ払いのおっさん達によくからまれた。
どうやら皆は僕を中国人と間違えて因縁を吹っかけてくるらしく、何を言っているのかはサッパリ解らないながらも、

 「 びーぼる やぽんふん ( ぼく にほんじんですよ ) 。」

と答えればとたんに友好的になって肩なんか抱いてきたから、きっとそうに違いない。
北京で会ったフフホトの留学生、ようこちゃん様様である。
この国では高等教育を受けている学生でさえつい最近まで外国語と言えばロシア語だったらしく、見事なまでに英語が通じないのである。
ましてや、へべれけのオヤジさん達といささかなりともコミュニケーションがとれたのは、全て彼女に一夜漬けで教わったモンゴル語のおかげである。

 従ってウランバートルの夕暮れ時は、宿の大部屋で旅人達と雑談をして過ごす事が多かった。
この国の旅に適した季節は短いらしく、宿には辺境好きの旅行者たちがモンゴルの短い夏を目指して集結していたのであった。

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「どうしても言いたいことがある。自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ、君が自由だと思えばもう君は自由なんだ、リチャード、このことのどこが一体難しいんだ? でも群衆は耳をかそうともしない、ほとんど全員がそんなこと信じられないって言う、自動車レースや象の逆立ちを見たいのと同じなんだ、欲求不満と無関心、これだ、みんな二つしか持っていない、他の救世主達はどうやってるのかなあ? 我慢してるんだと思うなあ。」

  リチャード・バック / 村上 龍 訳


 この本を初めて読んだのは、日本のお坊さん達と南インド・スリランカの道を500km歩いた 「 Peace March ( 平和行進 )」 の後に訪れた、南インド、コバーラムビーチでの事でした。
 浜辺にある掘っ立て小屋のようなバックパッカー向けの古本屋で、よれよれのペーパーバックの山に紛れて置いてあった日本の文庫本がこれでした。

 作者は 『 かもめのジョナサン 』 で有名なリチャード・バックで、日本語訳が村上龍というのが意外に感じます。
 飛行機乗りの話で、哲学的な内容なのですが、『 かもめのジョナサン 』 のような難解さはなく、非常に軽妙な文体が心地よい素敵な作品です。

 旅行中に手に入る文庫本というのは、旅先での長い夜の格好のお供です。
日本語の文庫本が、旅人達の手から手へアジア大陸を旅しているのを想像すると、なんだかうれしくなってきませんか?
重い荷物の持てないバックパッカー達が厳選した一冊ですから、センスのいい面白い作品にたくさん巡り合いました。

 日本人旅行者とお互いの読み終えた本を交換したり、バックパッカーの溜まり場の町で古本屋を漁ったりするのは、私の旅のもうひとつの楽しみでもありました。

 
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 列車がウランバートルに到着した時、草原の国の首都は豪雨であった。

 客車のタラップから、やけに低いプラットホームへと飛び降りるようにして降り立つ。
…いや、記憶が定かではないが、ひょっとするとホームすらなかったのかもしれない。

 ホームでは( まあ一応ここはホームという事にしておこう )、少年が濡れネズミになりながらたった一組だけ手に持った絵葉書を売っていた。
到着早々に、しかもびしょ濡れでフニャフニャの絵葉書を買う旅人がいようはずもないのだが。

 えらく寂しい所に来てしまったな。

というのがこの町の第一印象であった。
これで空が抜けるようなモンゴリアン・ブルーであったなら印象はまったく違ったのであろうが、おそらく滅多に雨など降らないであろうこの半乾燥地帯でのこの大雨、僕は到着の歓迎を受けたという訳なのだろう。

 北京で30元(330円)で買ったポンチョをザックを背負ったままかぶる。
自転車用にデザインされたこのポンチョ、前がやたら長く背中のザックを全て覆う事はできないが、なかなか優れものの雨具である。

 シゲさんと坊主頭の美大生ヨーコちゃんと三人で、列車の中でわざわざ荷物のお礼の挨拶に来たサラとナラという名の担ぎ屋の姐さんに場所を教わった宿、マンドハイホテルへと向かう。
そう、ビザなし現地集合というひどいツアーに参加するヨーコちゃんも、僕とシゲさんの同じやり方で無事モンゴルビザを手に入れたのであった。

 駅も、駅前も、通りもガラーンとしている。
人影がない訳ではない。
しかしあの人間の洪水のような中国の町からいきなりココに着いたので、空間が広すぎて静かすぎるように感じてしまうのだ。

 街がおとなしく感じるのは、看板や広告が控えめなせいもある。
しかも文字が読めないのでなおさらだ。
まあ、シックな感じがして好ましくもあるのだが。

 通り行く人々は、当たり前だが皆モンゴル人だ。
年配の男性はデールと呼ばれる民族衣装、若者はジーンズに革ジャンといった感じの服装で、足元は老いも若きもブーツを履いている。
おしゃれ度としては圧倒的に中国よりも上をいっている。
いや、このまま日本の街を歩かせてもあるいは彼らの方が服装はキマッているようにも思えた。

 騎馬民族。

 そう、首都ウランバートルという都会に住んでいようが、彼らはかつて草原を駆け巡ったモンゴルの狼たちの末裔であり、定住する家を持たぬ代わりに身に着けるものには最大限の注意と財力を注ぐ、という習慣は残っているのであろう。

 粋ではないか!

 道ゆく人の格好を見ただけで、背筋になにかが走るような興奮を感じた。
これまでの2ヶ月間カルチャーショックを感じ続けた中国であったが、東シナ海を越え、さらに万里の長城を越えてやって来たここは、拠り所とする文化そのものがあまりに僕とかけ離れているのかもしれない。

 たどり着いたマンドハイホテルは、ようやく自由旅行の許されるようになったこの国にバックパッカーが築いた橋頭堡 といった感じの宿である。
4人部屋1ベッド5.4US$(520円)。
このホテルのフロントも、らせん階段の下に隠れたような、宿の名前すら書かれていないドアを開けたその奥、という判りにくい場所にあった。
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 さて、今日はパンの仕事を終えた後、菓子職人の縄張りにお邪魔しました。
ホテルのバーからの依頼で、焼酎ボンボンを試作中です。

 実は今まで、どうやって液体であるお酒をチョコレートでコーティングするのか知らなかったのですが、今日その謎が解けました。

 …なるほどねえ。

でもゴメンなさい。
多分まだ説明できるほどは理解していないです。
帰って今日フランス人シェフに教わった内容を英語辞典で明確にして、もっとしっかり理解しときます…。

 
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 寝台車は多分中国で言うところの 「軟臥」 (1等寝台) と同じ作りであり、4人一組のコンパートメントになっていた。
豪華な列車の旅になりそうだ。
 僕と同室となるのはシゲさんと、終着駅モスクワへと働きにゆく中国人のおじさんの3人である。
 
 早朝の出発だったため、寝台でグウグウ寝ていたら、昼過ぎには車窓の風景は草原になっていた。

こんな雄大な風景は初めてであった。

時折、羊や馬や牛の群れが窓の外を後ろへと流れてゆく。
ああ、これが大陸なのだなあ と改めて思った。

 夕方には地平線に沈む日没を眺めた。
ずいぶんと北に来たらしく、暗くなるのは午後9時頃であった。

 中国側の国境、ニ連で出国検査。
僕のビザはあと数時間で期限切れを迎えるところであったので、とりあえず無事出国できてほっとした。

この駅では数時間の停車となった。
なんでも中国とモンゴルとではレールの幅が違うので、ここで全ての車両の車輪部分を交換するらしい。
両方に列車を用意しといて中身だけ移し替えた方が楽なような気がするのだが、なにか素人には解らない理由があるのかもしれない。

 ここで仰いだ星空は圧巻であった。
「落っこちてきそうな星空」 とはこれの事だったのか! と妙に納得しながら感動してしまった。

 『銀河鉄道999』の鉄郎になった気分で、途中下車の町を楽しむ。
駅前にはこの列車の乗客をあてこんだ露店が軒を並べていた。
食料と煙草を買ったのだが、中国語の訛りがすごいように感じる。

 お前何処から来た?

と聞かれるので、「リーベン(日本)」と答えるのだが通じない。
まあ、僕はこの“リー(日)”の発音が上手く出来ないというのもあるのだが。
モンゴル語の「ヤポン」で通じた。
どうやら彼らは、「ズボン(日本)」と発音しているような気がした。

 列車の準備が整い、国境を越えるとモンゴル側の入国検査。
ロシアっぽい感じの制服の係員は英語を解さないようで、多分ロシア語を使って入国カードの説明をするのだが、もちろん一言も解らない。
カードに書かれている文字も、NやPが逆さや裏返しになったようなキリル文字で、これまた全く読めない。
こうした点では日本人にとって中国は旅行しやすい国であったので、これからの旅はもっと「異国」の旅になるのだろう。

結局、ロシア語の分かる出稼ぎ中国人のおっさんに全部教わりながら生年月日やパスポート番号を記入。

 こうしてめでたく、僕にとってふたつ目に訪れる国、モンゴルの旅が始まったのであった。
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