かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


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中国系二世のフランス人。
南仏トゥルース出身。
スーパーマーケットを営む父親は、カンボジア動乱の際にフランスへと移住した東南アジア華僑。
1995年当時、フランスの大学に通う19歳。
上海浦江飯店ドミトリーに長期滞在し、中国企業で研修を受けていた際に出会う。
アメリカで高校時代を過ごし、仏・英・広東・北京語に堪能。

後に彼はフランスの大学を卒業後、新潟の大学に留学。
2004年現在はエア・フランスに勤務し、東京駐在員として日本に滞在中。


上海でのひと月を隣同士のベッドで寝起きした、私にとって一番目の外国人の友人です。
バックパッカー達がだらけた生活を送る大部屋に住み、ひとり毎朝ネクタイ姿で通勤してました。
大声で寝言をしゃべり、よく夜中に起こされていましたが、その喋る寝言がフランス語だったり、広東語だったりしたのを思い出します。
北京語の練習になるからと(?)、よく誘われて、ホテルからほど近い 『New York』 というディスコに二人で行ってました。
あれは面白かったなあ。
彼は今でも東京のクラブで、日本人の女の子をナンパしているのかもしれませんね。
この間電話で話したら、日本語上手になってたもんなあ。

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 まずは滞在先である浦江飯店のドミトリーについて記そう。
僕のベッドのあった部屋は、5階の9人部屋であった。
部屋の窓からは、外灘と呼ばれる租界時代のヨーロッパ列強諸国の領事館と、川沿いの黄浦公園が望め、なかなかの景色であった。
このホテルの建物自体も、確か往年のロシア領事館かなにかだったはずだ。
 ドミトリー1ベッド50元(550~600円)というこのホテルの料金は、上海では底値であるものの、中国の宿泊料金としてはかなり高いのだと、既に各地を回ってきた旅行者達は言っていた。
 そのためか、この部屋に長期滞在するバックパッカーは少なく、皆鉄道や飛行機、船の切符が取れると、すぐに別の街へと移動していった。
この上海という街が、中国の出入口としての役割を果たしている為でもあろう。
 そんな中、数々の興味深い旅人たちと知り合いになり、部屋でベッドに横になりながら、或いは近くの市場の屋台で食事を取りながら、実に様々な事を語り合った。
彼らのすべてが僕の旅の先輩であり、部屋の共通語である英会話の練習対象である。
初日に楽勝だと思えた会話は、すぐにゆきづまりをみせ、毎晩頭痛が起きるほどであった。
買い物や自己紹介程度の英語力では、毎夜繰り広げられる旅人同士の情報交換や、白熱する人生論議、与太話などにとてもついていけないのである。
知恵熱とはこの事か、と、当時の日記に記してある。
ここで必死で参加しつづけた英会話実践レッスンは、のちのち大いに役にたった。
 そんな中、僕の最初の外国人の友人となったのは、隣のベッドに長期滞在していた、レイモンド・リーという中国系フランス人であった。
 その後現在に至る親交を結ぶ彼については、次の一章を割いて記してみよう。
 
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 漫画だと、なんといっても 手塚治虫『ブラック・ジャック』ですね。
子供の頃の感動のまま、医師を目指しハードな受験勉強に耐えたのでした。
大学入試の面接の時に、

「あなたは何故医師を目指しこの大学を選んだのですか?」

と質問されたのですが、不真面目だと思われるんじゃないかと、どうしてもこの本当の志望動機が言えませんでした。
どうせのちに中退するのだから、あのとき言っておけばよかった・・・

「私はブラック・ジャックになりにココに来たのです!」 と。

 まあ、医師免許を持たないことだけはあこがれの彼と同じです。
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 寝場所も決まり、上海での毎日が始まった。
別に観光名所に興味がある訳ではない。
そして実のところ、中国では新興の都市である上海には、河岸に並ぶ租界時代の西洋風の建物の他、ロクな歴史的観光地はなかった。
そこはむしろ、今まさに歴史を刻みゆく都市であった。
毎日僕はその街で、筆談用のノートと鉛筆を手に、ひたすら通りをぶらついたのである。
当時の上海には、高度成長のものすごいパワーが感じられた。
浦東地区と呼ばれる黄浦江の東岸には、夥しい数の高層ビルが建設中であり、上海のメインストリート南京路には、一日中人の波が絶えることはなかった。
 人が旅の始めに最初におとずれる外国の街は、その人間のその後の旅、そしてその価値観に大きな影響を与えると僕は思う。
それは僕にとってこの90年代半ばの変わりゆく上海の街であり、人々であった。
田舎育ちの僕はそのエネルギッシュな異国の大都会に、文字どおり魅了された。
 これから、その毎日の記録を記してみよう。

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 同じく海華号にて上海上陸を果たした日本人旅行者たちによると、ここ上海の唯一無二ともいえる安宿は、浦江飯店という由緒あるホテルなのだそうだ。
僕の頼りにする、「地球の歩き方 中国編」にもちゃんとそう書いてある。
そうやって港から徒歩で下町を抜け、何もかもが物珍しい初めての中国の風景を眺めつつ、皆の後に付いていくと、なかなかに趣きのある古い建物へと到着。
フロントで尋ねると、ベッドは空いているという。
一泊50元。
両替は向かいのもっと高級そうなホテルのフロントで。
1元11~12円くらい。
ということは、1泊550円くらいか・・・。
会話は基本的な英語である。
仮にも大学受験をくぐり抜けてきた身である。
なんだ、簡単じゃないか というのが、最初の印象であった。
 部屋は9人部屋で、九つのベッドのうち七つが埋まっていた。
僕が七番目である。
同室の西洋人たちと会話してみると、僕の英会話は通じているみたいだ。
うわー 面白い。 簡単じゃないか。
と、初日はそう思った。
 ・・・初日は。
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 今日は本文を離れ、現在の生活を書いてみます。
 生まれ故郷の九州にて、飼い猫アンチョビとふたりで小さな古い借家に住んでいます。
98年に日本に帰国しましたから、それから6年ということになります。
猫がウチに来てから、3年、いや、4年になるのかな。
生まれたばかりの仔猫の時に、働いていた喫茶店のゴミ捨て場に捨てられてたんです。
死にそうだったのを動物病院に連れて行ったのでした。
ガリガリちゃんだったのが、今は丸々しています。
 私はこのネコに日々大いに慰められているのですが、アンチョビはウチに来て幸せなのかなあ、といつも気になっています。
避妊手術をしたのが大きな理由のひとつです。
たとえ野良猫で短い生涯だったとしても、子供を産んで女の幸せを得ることも出来たよなあ、と思うこともあります。
 まあ、仲良くやっていきたいです。
 
 ところで、はじめて携帯から写真を転載してみました。
画面が思いのほか小さいなあ。
どなたか大きな写真を載せるやり方教えてくれませんか?
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こうして僕は、中国へ入国した。
僕の長い旅のひとつ目の国な訳だが、この時点ではそんな事は知る由もない。
旅の予定もロクにたてていないのだが、ぼんやりと考えていたのは、
「貯金を使って中国をフラフラして、退学のホトボリが冷めたら帰国してなんか仕事探さないとなあ。まあ、3ヶ月くらいは遊べるんじゃないかなあ。」
というくらいのものであった。
 さて、上海である。
入国審査を済ませ、港から一歩通りへと出た僕は、その下町の景色にまた圧倒された。
小汚い建物。
ひっきりなしにクラクションを鳴らしながら通り過ぎる旧式のトラック。
乗客を満載、そう、文字通りに、「満載」 して走るトロリーバス。
荷物を抱え、周りの景色にいちいち立ち止まる僕が邪魔なのか、「ウェイウェイ!」と叫びベルをけたたましく鳴らしながら僕の横を走り去る自転車の群れ。
        ・
        ・ 
そこはまさに僕が想像していた「中国」であった。
そしてそのすべてが僕の想像をはるかに超えていた。
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 船上で一夜を明かし、翌朝デッキに出てみると、見渡す限り海の色は泥色をしていた。
大河長江の吐き出す、中国大陸の土砂の色なのだそうだ。
いよいよ近づいてきた。
上海は黄浦江という長江の支流沿いに開けた都市で、これから河をさかのぼることになる。
 もう私達は、海ではなく長江の上にいるんですよ。と中国人の船客に教わるが、依然、陸地の姿を目にすることができない。
河岸が見えないとはなんというスケールだろう。
 そしてようやく目にした大陸の姿は、日本の船旅で見慣れた山の稜線ではなく、水平線の上に薄くぺたーっと張り付いたようなものだった。
僕が今まで日本で見てきたのは、島影、ということなのだろうか。
 長江に入ると、行き交う船の姿も目にするようになった。
これがまた、ことごとくびっくりするくらい汚くてボロいのである。
ここは日本じゃないんだ、ワイルドでたくましい人々の国なんだ、と、いちいち感動してしまう。
 黄浦江に入ると川幅もある程度狭まり、大小の無数の船が行き交うようになる。
ゆく手に鉄アレイを立てたような形の巨大なテレビ塔と、年代もののビルが立ち並ぶ姿が見えてきた。
あれが上海なのか・・・。
 初めての外国の街を目にした時のあの想いをどう記せばいいのだろう。
スモッグに煙る租界時代のビル群と、変わりゆく上海のシンボル、テレビ塔のコントラスト。
九州人の僕にとって、故郷から東京への距離とさほど変わらぬ所に、こんな街があったのか、という仰天の思い。
船の上からでも感じる、異国の都会のノイズ・・・・。
 ここから始まるのだ。
 デッキで鳥肌を立てながら、とんでもないとこ来ちゃったなあ。と、これから始まる未知の旅に胸が躍った。
 
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 ちょっと機能を使いこなせないですね~。
トラックバックってできるかな。
 行ってみたい場所といえば、イギリス、コーンウォールにあるという、グラストンブリという所です。
ユーラシア大陸横断の旅で目指したのは、この場所だったんです。
結局たどり着いてないのですが。
 旅の途中、イギリス人バックパッカーに会う度に、「アーサー王が住んでたお城はどこにあるの?」という質問を繰り返して、ようやく聞き出した答えがここなのです。
ほとんどの人が、「あれは伝説、おとぎ話だからなあ。」と苦笑いする中で、インドであったおねえさんが教えてくれたんですよね。
 いつの日か、果たせなかった大陸横断の終着の地、このお城を仰ぎ見るのが夢です。
つまり、私の旅は、まだ終わってない訳です。
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 船は海華号という名の貨客船である。
船会社はたしか中国と日本の合弁会社だったと思う。
船はブルガリアとかルーマニアとかどこか東欧のあの辺の国から中古で買い入れたものらしい。
船内の案内板などは怪しげなロシア語表記であった。
 一番安いエコノミークラスのチケットで乗船したのだが、あまりの乗客の少なさ故か、四人部屋の一等B船室に入る。
 日本人の乗客も、皆僕の目にはいかにもあやしげに映った。
旅行シーズンでもない5月の末に、好きこのんで船で中国に渡る人々であるから、暇があってお金がないという事には違いあるまい。
中国に行くのは通算50回以上だという70過ぎのじいさん、インド通で、いかにも旅慣れた感じの20代後半の夫婦、この春会社を辞めたという30代の元営業マン、などなど...。
とにかく皆が、「旅人」に見えた。
 小雨の降るデッキでは、佐賀での研修を終えて帰るという、宋中さんという中国人とも話をした。
日本語が上手で、故郷は江蘇省の常州という町だそうだ。
 常州に遊びに来たら案内しますよ。と言っていたのだが、後に僕が本当に訪ねていくと思っていたかどうかはいまだ疑問である。
まあそれはもう少し後の話だ。
 どんよりとした天候の東シナ海を、貨客船海華号は一路西へと向かう。
夜の船内では、少数ながら、そして少数の気安さゆえに、日中の乗客が入り乱れ、カラオケの怒声と青島ビールが行き交っていた。
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