2005-07-29 15:30:43

坂本達『4年の有給休暇で世界一周、自転車で走った男』

テーマ:ブログ
2005-07-29
世界一周、自転車で走ってきちゃった男坂本達氏4年3カ月の有給休暇をもらって
今年6月、西アフリカのギニアにひとつの井戸が完成しました。井戸掘りプロジェクトを進めたのは、日本人男性。4年3カ月の有給休暇をもらい、自転車で世界一周の旅に出るという夢みたいな話を実現させてしまった、ミキハウスの坂本達さんです。灼熱のアフリカに始まり、赤道直下の南米エクアドルまで――夢にかける熱い思いと旅の模様、井戸掘りプロジェクトに至る経緯などを伺いました。
*
坂本達氏
坂本 達 (さかもと たつ) プロフィール
1968年、東京都生まれ。92年、早稲田大学政経学部経済学科を卒業し、同年株式会社ミキハウスに入社。商品部、人事教育課を経て、1995年9月26日~1999年12月28日までの4年3カ月間、有給休暇扱いで自転車世界一周の旅に出る。2002年5月5日~12月25日は自転車で日本を縦断する「夢の掛け橋プロジェクト」で86会場を回り講演。現在は新卒採用事業部に勤務のかたわら、全国の企業や学校などで講演活動を続けている。世界旅行をまとめた著書『やった。』は、2005年高校英語の教科書に採用された。
*
☆TATSU SAKAMOTO'S BIKE TRIP AROUND THE WORLD
>> http://www.mikihouse.co.jp/tatsu
*
*
*
―― 世界一周の旅に出られるきっかけは何だったのですか?
坂本達氏もともと「世界中の人に出会って、彼らがどんなところに住み、何を食べ、どんなことを考えているのか知りたい」と思っていたんですね。それで「自転車で世界を回る」という夢を抱くようになったんです。ミキハウスでは年に2回、業務レポートを社長に直接提出するんですが、勝手に欄を設けてその夢のことを毎回書きました。「世界の子どもたちにミキハウスの洋服を着せて、広告写真を撮る」とか強引に仕事に結び付けたんですけど、最初はまったく相手にされませんでしたね。

―― それからどうやって実現されたのでしょうか?
仕事やお金は取り戻せても、時間は取り戻せないですよね。そのとき私は26歳だったのですが、「20代のうちに世界を回ろう」と決めていたので、企画が通らなければ会社を辞めるつもりで準備に取りかかりました。だいたい費用が1000万円くらい要るんですよ。自分でも貯金していたんですけど足りないので、サポートしてくれるスポンサーを探しました。

―― それは仕事とは別ですよね?
もちろん業務時間以外で、です。8時とか9時に寮に帰って、明け方4時くらいまで企画書を作り、太陽が山の端に昇ってくる頃に「そろそろ寝なきゃ」って仮眠する。そんな日々が半年ほど続いたと思います。そうしたら、20を超える会社にスポンサーになっていただけました。そのスポンサーリストを社長に見せたら、「本気じゃないとここまでできない」と言ってくれて。「応援してやる。給料も出すから、行ってこい」ということになったんです。

―― それでいよいよスタートですね。
坂本達氏一番大変そうなところを最初のうちに走っておこうと思って、ヨーロッパで3カ月半ほど調整してからアフリカに入りました。日本にいると「アフリカ=貧しい」みたいなイメージがありましたが、まったく違っていましたね。人との交流がすごく深くて、豊かなところです。

子どもにもたくさん会いましたが、押さえつけられているものがないせいか、開放的なんですよ。嬉しいことがあると、くるくる回って踊る。走っていると嫌なこともあるんですけど、子どもたちがそういうことをリセットしてくれましたね。子どもたちの笑顔が僕を前に進ませてくれたようなところがあります。

―― アフリカの自然はどんな感じでしたか?
地域によって風景が全然違うんです。西は森やブッシュで、東では動物がたくさん見られる。南に行くと砂漠です。とにかく朝焼や夕陽が素晴らしかったですね。特にアフリカの最高峰、キリマンジャロの山頂で見た朝焼けは圧倒的でした。前の日の夜から歩き始めて、日の出前に山頂に着いたんです。このときはまだ真っ暗なんですけど、陽が昇り始めると眼下の雲海が少し姿を現してくる。この世の始まり、世界という舞台が広がっていく感じといったらいいでしょうか。

アフリカの子どもたちと*キリマンジャロの朝焼け*キリマンジャロの山頂で
***
アフリカの子どもたちとキリマンジャロの朝焼けキリマンジャロの山頂で


―― アフリカの旅は順調に進んだのですか?
それが大変なことがあったんです。ギニアで、赤痢とマラリアを併発してまったく動けなくなってしまって……。熱が40度を超えて、震えが止まらない。吐き気とめまいがして、ひどい下痢。出発して7カ月目だったんですが、「いろいろ準備してようやく実現した旅も、ここまでか……」と思いました。

坂本達氏このときに助けてくれたのが、シェリフというお医者さんです。彼が、村にあった最後の薬を私に注射してくれた。そして噂を聞いた村の人たちが、信じられないくらい面倒を見てくれたんです。子どもたちも滅多に食べられないニワトリを「食べろ」といって持ってきてくれたり、血便が付いたパンツを洗ってくれたり……。赤痢菌って水で感染するんで、危険なんですよ。それなのに、そこまでしてくれて。

―― 彼らにとっては通りすがりの旅人ですよね?
そう、それなのに、自分を助ける義務も必要も何もない人たちが、ここまでしてくれて……。村のおばちゃんが日本風のお粥を作ってくれたときには、もう号泣しましたね。1週間ほどで何とか回復し、シェリフに薬代も含めてお礼を渡そうとしたら、受け取らないんですよ。「自分たちの国にいる間は、僕たちが全部面倒見る。金の問題じゃない」って。誇り高い人たちです。

このギニアでの出来事は、自分とってすごく大きかったですね。自分は「生きている」のではなく、人やタイミングなどいろんなことを含めた大きなものに「生かされている」と気付くきっかけになりました。結局1年1カ月かけてアフリカ大陸を縦断し、最南端の希望峰に到着。その後、ユーラシア大陸に向かいました。

―― 休みなく、続けていかれたのですか?
そうです。イタリア経由でトルコに入り、イスタンブールからスタートです。トルコからイランを通ってパキスタンに入りました。パキスタンと中国の間に、標高が4730メートルあるクンジェラーブ峠というのがあります。ここまでは距離にして550キロくらい、5日か6日、ずーっと上り坂が続くんです。

世界一周 4年3カ月5万5000kmのルート

―― かなりキツそうですね。
いや、基本的に上り坂って気持ちいいんですよ。上り坂だと、自然と対話をしたり自分の内面と話したりするようになるんですね。感覚が研ぎ澄まされていって、余分な垢とか諦めとかそういうのがどんどん落ちていきます。浄化されていくような感じです。それが1時間とかじゃなく5日、6日上がりっぱなしだとすごい。風、空気、光、湿度、見るものすべてが自分の中に入ってきて、浄化されていきます。これが自転車のいいところです。

―― 一番高いところだと、標高何メートルくらいでしたか?
チベットのラサからネパールのカトマンズに抜けるところに、中尼公路という道があります。これはヒマラヤ山脈を越えるハードな山岳ルートで、5000メートル以上の峠がいくつもあるんですよ。5000メートルを越えると空気が地上の半分くらいなるので、気を付けないと危ないんですね。潜水してて水面に上がったときに空気がないと、パニックになるじゃないですか。運動量を減らさないと、その状態になるんです。酸素が薄いので、頭がほんとパニックする。決して無理できません。

―― 気温はどれくらいなんですか?
坂本達氏マイナス30度くらいまで下がります。そういうところにテント張ると、おもしろいですよ。まったく生き物がいなくて、周りは死の世界。絶望的なところにいるのに、自分の命はある。自分は生かされているんだという、不思議な感覚です。すごく空がきれいなので、「自分はいま、宇宙にいるんじゃないか」って思ったりもします。この後、ベトナムのハノイまで行き、アラスカから南米に渡ったんですけど、アマゾンの星空もすごかったですね。地平線前後左右、全部星があるんです。星明かりで空が明るいんですよ。神様が間違えて星を出しすぎちゃったんだと思いました。

―― 旅の終点は南米だったんですね。
南米大陸の最南端、アルゼンチンのフェゴ島まで行き、そこからずっと北上してエクアドルに行きました。エクアドルの首都、キトの少し北が緯度0度。赤道記念碑があって、そこがゴールです。

―― 日本に帰られて、どんな気持ちでした?
旅をした4年3カ月は確かに夢のようだったんですけど、日本に帰ってきて過ごしている時間も「生き、生かされている」ことに変わりないんですよね。そういう意味では、同じです。しばらくして旅の記録を『やった。』という本にまとめたんですけど、この本がたくさんの方に読んでもらえて、印税が貯まったんです。このお金で自分ができることは何かって考えて思い浮かんだのが、旅でお世話になった方への恩返しです。本当にいろんな方に助けていただいたんですけど、頭に浮かんだのはシェリフでした。

―― ギニアのお医者さんですね。
はい。村に何が必要か聞いたら、井戸がいいと。水が病気の原因になっていることが多いんですね。彼らは薬よりも医療よりも、きれいな水がほしいんです。でも、ただ井戸を掘って渡すだけではダメだと思いました。村の人が自分たちで管理する体制を作ってからでないと、大事にしないし、すぐに使えなくなる。井戸を作って維持するのにどういうことが必要なのか、話し合いだけで2回ギニアに行きました。そういった準備に2年くらいかかったんですけど、それが今年の6月、ようやく完成しました。

―― 今後の夢を聞かせてください。
今度は、シェリフが住んでいる地域に診療所を作りたいんです。これは私の印税だけでは足りないので、NGOを立ち上げて資金を集めたいと思っています。また旅にも出たいですね。この間は行けなかった中央アジア、ウズベキスタンとかキルギスとか。最近のイスラムに関する報道が、私が見てきた印象とはかなり違っています。そういうことも伝えていけたらと思っています。また、日本の子どもたちには、夢は叶うということ、人は生かされているということを、体験を通じて伝えていきたいですね。

写真右がギニア人医師シェリフ*パキスタンの上り坂*井戸の完成を祝して、村民と
***
写真右がギニア人医師シェリフパキスタンの上り坂井戸の完成を祝して、村民と


フォトエッセイ『やった。』フォトエッセイ『やった。』
写真・文:坂本 達
三起商行株式会社(ミキハウス)発行
¥1,785(税込)
>> 詳細はこちらから
*
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

anchorさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントをする]

コメント投稿