みなさん、ごきげんよう!
さて、わたしに初めて起こった神秘体験、それは宇宙のエネルギーに全てが溶け込み、すべてが私だった・・・という驚くべきものでした。
そのとき、一切の区別はなく、ただここに在る・・・
全てが満たされていて、神とはこの満ちたエネルギー全てだったということです。
その後、数日間、瞬間瞬間にこの至福のエネルギーがわたしを満たすとき、言葉が消えました。
そう、言葉が消えるんです。
しかし、わたしはその時に仕事中だったりして、この現象界を生きていくうえで、正直、不便さを感じました。
その時に、思考や自我はこの世を生きていくためには、必要なツールなのだと気づきました。
2回目の神秘体験のときは、友人とカフェで話をしているときに突然やってきました。
やはり言葉が消え、突然大声で笑い出したり、その後、歓喜あふれて嗚咽を挙げて泣き出したりして、やっと口から出た言葉は、
「ありがとう!ありがとうしかないんだよ・・・」
しまいには腰を抜かして動けなくなりまして・・しばし、呆然としてました。
その後、悟後の修行でいろんな人と出会い、気づかされ、やっとあの神秘体験がなにも特別なことではなく、むしろ今生ではもう二度と起こってほしくないと思うようになりました。(笑)
それは、あの至福のエネルギーが落ち着いていくまで、実社会で生きていくのは正直しんどいからです。
では、今はどんな状態でなのかといわれると、普通です。(笑)
その普通は普通すぎてうまく表現できませんが、以前に比べ心配が減り、流れに任せて生きている感じがしています。
それで最近、自我の役割について改めて感じることがありました。
あの神秘体験の後は、自我の役割がいまいちよくわかっていませんでし、まぁ、よくあんな面倒なものを宇宙は私たちの中によくも内包してくれたもんだと思ったもんです。
しかし、今日は書けそうな感じがするので、自我の役割について感じたまま書いてみたいと思います。
途方もない空間に一つのエネルギーがありました。
その純粋なエネルギーは、途方もないエネルギーを秘めて、ただそこに在ったのです。
(一緒にイメージしてみてください)
ただ、一つだけが存在しています。
この純粋な歓喜に満ちたエネルギーはどんどん密度を増し、あるとき堪えきれず爆発したのです。
まさに生命の息吹です。
この生命の息吹から無数の物質が生まれ、そこから在る小さき者に自我を内包しました。
自我とは、この生命を認識するものです。
小さき者をつくったお陰で、このエネルギーは、それまでに誰でも何もものでもなかった自分を認識することができるようになった。
完璧に満たされた自分のエネルギーでつくった小さき者。
なんと素晴らしいのでしょう。
そう、その小さき者が私たち人間です。
そしてもっと多面的に認識できるように、相反するものを創造しました。
男⇔女
光⇔闇
ですから、本来、自我の役割とは、一なるものを認識するツールなのです。
これ以上、言葉が出ないので、続きはまた次回へ。
ミラクルくるくる~♪
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あの神秘体験の後は、自我の役割がいまいちよくわかっていませんでし、まぁ、よくあんな面倒なものを宇宙は私たちの中によくも内包してくれたもんだと思ったもんです。
しかし、今日は書けそうな感じがするので、自我の役割について感じたまま書いてみたいと思います。
途方もない空間に一つのエネルギーがありました。
その純粋なエネルギーは、途方もないエネルギーを秘めて、ただそこに在ったのです。
(一緒にイメージしてみてください)
ただ、一つだけが存在しています。
この純粋な歓喜に満ちたエネルギーはどんどん密度を増し、あるとき堪えきれず爆発したのです。
まさに生命の息吹です。
この生命の息吹から無数の物質が生まれ、そこから在る小さき者に自我を内包しました。
自我とは、この生命を認識するものです。
小さき者をつくったお陰で、このエネルギーは、それまでに誰でも何もものでもなかった自分を認識することができるようになった。
完璧に満たされた自分のエネルギーでつくった小さき者。
なんと素晴らしいのでしょう。
そう、その小さき者が私たち人間です。
そしてもっと多面的に認識できるように、相反するものを創造しました。
男⇔女
光⇔闇
ですから、本来、自我の役割とは、一なるものを認識するツールなのです。
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