感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。


テーマ:
相も変わらず、毎週欠かさず観ている『題名のない音楽会』。
今回は「なんてったってコントラバス」特集であった。

とにかく、おもしろくて、BSでの再放送も観ちゃったくらい。
普段、コントラバスのことなんて考えたことないから(当然か)、
ジャーマンボウとフレンチボウとか~ ←弓の持ち方が違う
第九の4楽章の出だしが緊張するとか~、
第九の4楽章はバスの入団試験によく使われるとか~、
ハイドンがバスが好きだったみたいとか~ ←残ってないがバスのソロ曲が2曲もあるらしい
モーツァルトがコントラバス泣かせだとか。 ←現代の調弦と違うため、演奏が難しい
(現代の調弦は4度調弦、モーツァルト以前は3度調弦)

将来、何をするでもないが、ためになった気がするわ~。
久々、興奮した。
はふー。はふー。はふなー。←モーツァルトジョーク。


また、コントラバスとは全く関係ないが、
カラヤンの「第九」がおそろしいほど速いとか~
カラヤンの「交響詩『ドン・ファン』」がよかったとか~
ベームの「「交響曲第40番 第4楽章」(モーツァルト)」がよかったとか。


R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 他/R.シュトラウス

¥1,800
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レビューによると、新盤より旧盤のほうがよいらしいが、
とりあえずドンファンの入手は私の中で勝手に決定。


するとお知らせが出た。
久々の公開録画のお知らせである!
また応募するで~。
今までも地味に応募しております、わたくし。

あたりますように~。
という願いをこめて、ハガキにお気に入りのかわゆいシールを貼っておいた。
あたれー。
あたれー。

言葉にするとあたる気がするので、こうしてくだらない記事をかいたのでありました。
ついでに私のかなえたい夢も書いておこう。

お金持ちになりますように~。
おいしいご飯が食べられますように~。
おいしいご飯が作れますように~。
楽しい記事がかけますように~。
楽しい作品が読めますように~。
王子様(サドちゃんor道尾くんorギャロor金城に限る)が私を迎えに来てくれますように~。
公開録画があたりますように~。 ←え?順位、ここ!?

あたれー。
あたれー。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)/山崎 豊子

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沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫)/山崎 豊子

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沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)/山崎 豊子

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沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)/山崎 豊子

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沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)/山崎 豊子

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この世で一番恐ろしい動物は、人間という名の怪物。


(あらすじ)※Amazonより
広大なアフリカのサバンナで、巨象に狙いをさだめ、猟銃を構える一人の男がいた。
恩地元、日本を代表する企業・国民航空社員。
エリートとして将来を嘱望されながら、中近東からアフリカへと、
内規を無視した「流刑」に耐える日々は十年に及ぼうとしていた。
人命をあずかる企業の非情、その不条理に不屈の闘いを挑んだ男の運命―。
人間の真実を問う壮大なドラマが、いま幕を開ける。

◆◇

この作品をどう読むのか。
ひどく私を悩ませた。

私は最初、御巣鷹山のあの事故のことを中心に描かれているものだ、と思っていた。
確かに、描かれてはいる。
しかし、それだけではないのだ。
いや、むしろ、それは作品の延長線上にある事象でしか過ぎない。
しかしながらこの事故を作品の延長線上のできごと、として読むにはあまりに大きすぎる。

読み始めたころには感じなかった大きな黒い闇が、
読後、気づけば私の知らない間に、私を、いや日本を、いや世界を覆い尽くしているような、
そんな不気味で後味の悪い、絶望にうちひしがれるような気持ちにさせられた。
胸が詰まり、芥川ではないが、ぼんやりとした不安、という表現が一番ふさわしいであろうか。

作品全体をどう読むか。
それによって、国民航空(日本航空JALがモデル)、という
親方日の丸会社に対する見方が変わってくるかもしれない。
しかし、御巣鷹山で500人以上もの犠牲者を出したという事実は
どんな角度から、どんな見方をしてもただ一つの真実である。


実は、わたくし、この作品、大学時代に途中(それもかなり早い段階)で白旗をあげ、
今の今まで読んでいなかった。

だってー。
主人公の清廉潔白で、まっすぐすぎるところが玉に瑕の
恩地(オンチ←人名です)が次から次へと、
会社の卑怯な労務政策により、左遷人事でアフリカにまで飛ばされるんだもの・・・
10年ですよ!10年!!!

最初はカラチ(パキスタン)。そして、アフリカへ。

カラチに左遷された時点ですでにアップアップだった私。
なんでそんなに、一人の人間にこうもひどい仕打ちができるのか、とひーひー言って読んでいたが、
さらに過酷なアフリカに左遷されたとき、

あ~~!もうだめ!!!!!!

と本をいったん置いてしまい、そのままフェードアウト・・・ええい、意気地なし。

社会人になっていなかった私には、ここに描かれた社会の荒波は激しすぎたのである。

そして元同僚Kに半ば強引に再読を薦められ、最終巻まで押し付けられ、はや○年。
いよいよ読まないとなあ・・・←返さないといけないし。

と、重い腰をよっこらしょ、とあげ、ノロノロと着手したわけであります。


いんやー、参った。
また途中で心が折れるかと思った。
社会人になっても、この社会の荒波は激しすぎた。
子どもの世界であろうと、大人の世界であろうと、
基本的に、いじめ、の作品はきらいなのね、私。

いじめ、かっこわるい byゾノ

おのおの腹に一物ある人物らがそれぞれの己の欲のために動いていて、
政治的な駆け引きのうまいものが、上に行く。
命を預かっている会社、という意識など微塵もない。
自分第一。

そんな腐敗した体質の犠牲になったのが、
虐げられた社員のために、と組合活動をして左遷された恩地。

そんなひどい体質を抱えながらの航空会社が、とうとう、あの事故を起こす。
実は、起こるべくして起こった事故なのであった。
人命がいかに軽く扱われていたのか、いかに腐敗していた体質だったのか。。。
事故に至る迄の経緯、事故後の経緯・・・それらを知って、私はぞっとした。
そしてあんなに悲惨な事故が起こしておきながら、
国民航空の役員たちは、自分の地位や金を守ることしか考えていないのだ。

遺族の悲しみなどは、ただの邪魔なもの、としか感じない人たち。
おそろしや。

御巣鷹山の墜落事故後、遺族が、自分の夫、妻、子ども、親、の遺体を捜し歩く様子の
一つ一つに泣いては、本を閉じた。
ふー。
ふー。
こりゃ、いかん。
呼吸困難で死んでしまうかもしれん。わ~ん。←号泣中。
言うまでもないが、遺体を捜し歩く、のは、五体満足で残っていた遺体はほぼ皆無で、
手だけ、足だけ、場合によっては、遺体の中から遺体が出てきたりする状態であるからだ。

小指の爪だけで夫である、と気づく妻や
バラバラになった小さな足をみて、小さな息子だ、と気づく両親。。。。

私が小指だけになっても、気づいてもらえるだろうか?
など、自分におきかえて読んでみても、ふーふー言っては、泣きながら読み進めた。

正直、同僚Kに借りた以上、読んで返さねば、という義務と使命がなければ、
また断念していたかもしれない。
それほどまでの、あまりにつらい描写が続くのであった。

必死に、遺体の照合をする医者、歯医者、看護婦さんたち。
遺族に誠心誠意対応する国民航空の社員たち。
そんな姿を下に見ながら、のうのうと自分の出世のことばかり気にする上の人たち。

ギリギリギリ~~~~。←歯軋りの音。

そして、政治家の政治的思惑から、事故後、国民航空を新体制にして清潔な会社にすべく、
新会長として、国見会長が外様でありながら内閣から任命される。

この国見会長が、本当に清潔で、まじめでしかも頭がよくて、熱い人。
主人公の恩地よりも、この国見会長が私は好きだった。
人柄も、頭のよさも、すべてにおいてすてきな紳士であった。
そんな彼ですら、最終的にはこの深くまで腐った体質を根本的に変えられないまま、
辞めていく・・・

恩地のライバル?的存在の、
計算高いエリート行天(←名前)と恩地の攻防は作品内で唯一の盛り上がりであり、
唯一わくわくしながら読んだ。
行天の息子が本当につまらない道楽息子であるとしり、ざまみろ、と思ったり。
ここが、唯一の休憩ポイントである。
そしてラスト、この二人の運命になんとなく決着がつく。

とある人物からの命をかけての告発をきっかけに、
恩地と行天の二人の攻防の決着とともに一気に物語も終結するのだ。

が。
全く終わらなかった。
勧善懲悪を臨んでいた私であったが、全くそんなことなく、曖昧に終わる。
作品は終わったのだが、恩地は会社の全く変わらない体質からアフリカへ飛ばされる。
アフリカという地に禊に行くのだ、と清々しい感じで終わったが、けして幸福ではない。
行天は司法の手により何かしらの目に遭ったのかもしれないがその後はわからない。
その他の人物たちも何かしらの処罰はあったのかもしれない。

しかし本物の闇は闇のままだ。
会社は相変わらず何も変わらない。
なんもわからないじゃないか、雑だなあ・・・・と感じたほど。
一応、会社の金を好き勝手にしていたやつらは痛い目に遭ったと思われるが、
それもどこまで司直の手が延びたのかはわからない。
行天の愛人アコはどうなったんだろう?
社長、副社長は?
あの人はどうなったんだろう?
この人は?
とにかくラストは何もわからないまま、モヤモヤしたまま終わる。

でも私は思う。
結局、私たちが生きる世界にきちんとした終わりなどないし、
必ずどこかで黒い思惑が常に動いているのだろう。
私がそれに気づいていないだけ。
計算もできない。
人の思惑もわからない。
きっと、すぐ人を信用する凡人の私が魑魅魍魎の国民航空に入社したら(無理だけど)、
すーぐ揚げ足とられてクビになるんだろうな~と思う。
ただ本当に、何もできないけれど、今を懸命に、ヒトを愛して生きるだけ。
しかしそれこそが、明日を約束する「沈まぬ太陽」なのだ。
そう感じさせる作品であった。


最後に私の感想。
しばらくこわくて飛行機に乗れない・・・
以上である。

ほんと、こわくて乗れないって。
くっだらないことで日夜うごめいているやつらが操縦している飛行機なんて
こわくて乗れない~。

山崎豊子の作品ってそういうの、多い。
白い巨塔では、病院に行くの、こわい、とか。。。
真実への切り込み方があまりにリアルだから、であろうか。
取材力がとにかくすごい。

さてここで本当の最後に、
最終巻に掲載された作者のあとがきを抜粋したい。
この作品は、真実に基づいて脚色された作品であることを知り、愕然とした。
もちろん事故は真実なのだが、恩地の左遷人事などは作り事だと思っていた。
しかしそうではなく、
実際にいた人物をモデルにし、10年にも及ぶ左遷人事も全て事実であった。
この作品をこわい、こわい、とずっと震えながら読んでいたが、
一番私を恐怖に陥れたのは、この作者のあとがきだったかもしれない・・・。

(あとがき抜粋)
 1991年10月、はじめてアフリカの大地を踏みしめた。(略)
 その地にいる或る一人の人物を訪ねての旅であった。組織の中で糺すべきことを糺したため、海外の僻地を十年にわたって流浪した「現代の流浪の徒」ともいうべき人の生様を描こうとという構想を抱いていたからだった。(略)
 主人公の勤務する組織が多くの人の生命を預かり、何よりも人間愛を優先しなければならぬ航空会社であるからには、その非情さは許されないことであり、人間性の破壊である。この人間的な要素が複雑に絡み合って、事故をひき起こしやすい素地に繋がっていると云える。
巨大な組織であり、政治と結びついている航空会社の力は、予想を遥かに越え、個人の力など巨象の前の蟻に等しい。一時は挫折しそうになった。
 だが、御巣鷹山事故のご遺族から、離断された無惨な遺体、遺体確認の地獄の苦しみ、突如として齎された大きな喪失感、電卓で生命の代価を算出される補償交渉の実際を伺うにつけ、御巣鷹山事故をこのまま風化させてはならない、事故の深窓を書き留めて、無念の思いで亡くなられた五百二十名の声なき声に報いるべきだと覚悟を新たにした。(略)
 事故原因については、(略)隔壁の修理ミス説と採った。他に異説があることも承知しているが、事故調のような科学的な実験データによる立証が得られなかった。(略)
 一方、事故を起こした航空会社は、如何なる安全対策を行ったかが、最も問われるところである。
 事故後も、ドルの十年先物予約を続け、膨大な為替差損を出しながら、「閣議決定」によって、経営責任を問わずという政治決着をつけたことは、企業倫理の欠如であり、事故に対する贖罪の意識の希薄さは言語に絶する。(略)
 アフリカ篇、御巣鷹山篇、会長室篇の三部五巻から成る作品は、事実を取材して小説的に再構築した人間ドラマであるが、ニュース、ドキュメント、公文書、内部資料などを駆使し、それが小説の重要な核心にもなっている。作家生活四十年にして、はじめて手がけた技法であるが、その小説的技法の評価は第三者に委ねる。(略)


テーマ:
変えたばかりなのに…“さぬきうどん駅”また改名(テレビ朝日系(ANN)より)


「「聞いていなかったので驚いている。高松駅は高松市の玄関口でもあるので、市民の意見を聞いて善後策を考えてほしい」と苦言を呈しました。香川県とJR四国が急きょ、協議を行った結果、「さぬき高松うどん駅」という名前に再度変更」


つぎは~、終点さぬき高松うどん駅~、さぬき高松うどん駅~・・・・


やめれヽ(`Д´)ノ

だいたい、長すぎるわ!!!
うどんがのびちゃう~(;´Д`)ノ



$感傷的で、あまりに偏狭的な。

新宿駅にいた、愛媛の「にゃんよ」ちゃん。

さぬきとちーっとも関係ないけど、同じ四国っつーことで。

テーマ:
$感傷的で、あまりに偏狭的な。

(私が見た)長塚圭史の舞台の中で過去最高!!!

ネタバレします~

(あらすじ)※シス・カンパニーHPより
大恐慌の嵐が吹き荒れた1930年代のセントルイス。
その路地裏のアパートにつましく暮らす3人家族がいた。
母アマンダ(立石凉子)は、過去の華やかりし思い出に生き、
子供たちの将来にも現実離れした期待を抱いている。
姉ローラ(深津絵里)は極度に内気で、
ガラス細工の動物たちと父が残した擦り切れたレコードが心の拠り所だ。
父親不在の生活を支える文学青年の息子トム(瑛太)は、
そんな母親と姉への愛憎と、やりきれない現実への閉塞感の狭間で、
いずれ外の世界に飛び出すことを夢見ている。
ある日、母の言いつけで、トムが会社の同僚ジム(鈴木浩介)を
ローラに会わせるために夕食に招待する。
この別世界からの訪問者によって、惨めだった家族にも、
つかの間の華やぎがもたらされたかのようだったが……。

◆◇

平成24年3月26日(月)、『ガラスの動物園』(inシアターコクーン)を観る。

もともとチケットを買う予定もなかったのだが、
売れ残りが多数出ているのか、舞台側から格安で再販売しますよ、とのお知らせがあり、
40%オフくらいになっていたので買ってみた。
あまりいい席の番号ではなかったのだが、
いざ行ってみると、そんなことは全く気にならない、とーってもよい席であった。

この物語は、かつて家を捨てた息子トムが、観客に向けて過去の出来事を語りかける、
「追憶の芝居」という形で進行する。
世間から取り残されたように生きる、母、姉、そしてトム、の3人家族の姿が、
「過去」と「現在」の両方に存在するトムの視点から語られ、大変技巧的な作品になっている。

この原作のテネシーウイリアムズ氏の一番有名な作品は、
欲望という名の電車」である。
この作品、私、スキじゃなかったんだよねえ。
暗い!こわい!きもちわるい!の三拍子で、
とにかく救いもないし、閉塞された空気に、息継ぎをすることもできず、
苦しみばかりが私には残った。

この『ガラスの動物園』も、
「欲望という~」と同様の暗さ、こわさ、気持ち悪さ、閉塞感が備わっているのだが、
ところどころに抜け穴が用意されており、ふー、と深く呼吸することができるのだ。
そして時々、あたたかくなったり、じっと見守ってみたりもできる。
登場人物のどいつもこいつもダメ人間だが、愛おしく思い、同情し、
そっと寄り添いたくなる瞬間が存在するのだ。

誰しも一生、逃れられない「家族」という名の鎖。
トムはその鎖から逃れようと静かにもがく。
もがけばもがくほど、家族という亡霊にからめとられていく。
鎖から逃れ、自由にあこがれる心と、母と姉を捨てることの罪悪感とがせめぎあう日々。
そして母という名のカゴに抱きすくめられている姉。
姉は、足に軽い障害をもっていることをコンプレックスに思い、
人とうまく接することができないことを恥じて生きている。
弟と母がいがみあっているのも悩みの種だ。
足の悪い、社会不適合の姉の将来を気にするあまり、行き過ぎた行動をしてしまう母。
三者三様、それぞれの思いがすれ違う。

そんな小さな小さな黒い3つの塊に、すっと入ってきた鈴木浩介演じるジム。
彼の存在は、悶々としていた私にすーっと新鮮な空気を取り込んでくれるものであった。
それは私だけではなかった。
舞台上の、母、姉、そしてトム。
皆、彼を、ひとすじの光、まぶしいもの、自分たちを解放してくれる存在と信じた。

実際、ジムがやってくる直前の、深津絵里演じる姉ローラのはんぱない引っ込み思案ぶりに、
私はイライラを通り越して、この人、なんかおかしいんじゃないの!?
きもちわるい!!!!!
と、私の心には憎憎しい嫌悪と憎悪があふれていた。
それだけ深津絵里の演技がすごかったってことで。

深津絵里については、ちょっとだけここで文句を。
すごーく上手なんですけど(特に後半のジムを前に恥らう演技とかすごすぎて泣けた。)、
ちょっと障害をもった女性、とか
情緒不安定な女性、とか、
おつむの弱い女性、とか、そういうキャラクターをすることが多い気がする。
私には、『ベッジ・バートン』の記憶が新しいのだが、
同じような演技・・・に見えなくもなく・・・。

で話はもどりまして。
ちょっと常軌を逸した姉ローラも、ひとすじの光であるジムに少しずつ打ち解け、
恥じらいながらもダンスをし、心をゆっくり溶かして行く。
ジムもとても優しく、温かく、ちょっと熱すぎるけれど、そこがまたローラにはまぶしい。
自分を救い出してくれるんじゃないかって、期待しているようであった。

母と娘、という複雑怪奇な、鎖のような腐れ縁をほどいてくれる、第三者。
そしてその第三者の存在が、トムを母娘の縁に巻き込まれる「家族」という亡霊から
自由にしてくれるんじゃないか、と思った。

このジムがまたいいんだ。
現在のトム、が語るように、ジムの人生のピークは高校で、
その高校の頃は将来は大企業の社長か、とまで言われるほどの存在であったのに、
その後はあれよあれよと下がりっぱなし、今や大した職につくこともなく、
トムと同じ靴屋の倉庫で配送係として働く毎日であった。
それなのに。
彼はちーっともしょげることもなく、自分の今を最低だ、とは思っているものの、
常に前向きで、卑下せず勉強して、もっとがんばるんだー!えいえいおー!
と底抜けに明るい。熱い。まっすぐだ。

私は『欲望という~』をみていたせいで、
このあと、姉さんがジムにレイプされちゃったりするんじゃないの!?ヒヤヒヤ・・・
と心配しながらみていたのだが、そんなこと全然なくて、
情緒不安定でちょっと人と違ったローラを見下すことなく、
むしろ人と違う独特の世界をもつ女性、として一種の憧れのまなざしで見つめる。
常に優しく、ローラを励まし、自信を与える言葉をクチにする。

が、ジムは・・・婚約者がいた。
ローラを鳥かごから連れ出してくれる存在にはならなかった。
母が安心してローラを預けられるジェントルマンにはなり得なかった。
トムが自由になるため、母と姉を押し付けられる存在ではなかった。

終わった。
不安定に安定を保っていたガラスの器が、パリンとくだけた瞬間であった。
ローラのかわいがっていた、ガラスのユニコーンのつのが折れたように。

母はジムを連れて来たトムを一方的になじる。
なんで婚約者のいる男をローラに紹介したのだ、と。
しかしトムも婚約者の話は知らなかったのだ。
ただ職場の同僚として、夕食でもどうぞ、と招待したのだから。
といくら説明しても、ヒステリーをおこす母は聞く耳を持たない。

終わりだ。
終わりにひた走っている。
心臓がきゅっとした。
お母さん!
そんな言い方したら、今度こそ、トムが出て行っちゃうよ!!!!!←私の心の叫び。

そんな叫びもむなしく、トムはその日を境に出て行った。
自由をもとめて。
家族という鎖から逃れるがごとく。
そして姉は、母という鳥かごに抱きすくめられたまま・・・。

現在のトムは泣き叫ぶ。

姉さん!!!
姉さん!!!
この腐れ縁はどうにもできないよ!!!
姉さん!!!

放浪を続けるトムではあったが、体は自由になっても、心にはいつも家族がのしかかってくる。
障害を持った姉を、いつも気にかけていた。
ちっとも自由なんかじゃなかった。
解放なんてされなかった。
姉さん。姉さん。

追憶は音楽とともにある。という台詞のままに、トムの思い出は音楽とともに語られて来た。
そして、密やかな音楽にのせて、悲しみのエンディング・・・・。

きゅ~~~~~~ん。
見終わった後のなんともいえない消化不良感は筆舌に尽くしがたい。
が、けして不満という意味ではない。
誰しもが心の底にもつ「家族」に対するもぐもぐとした感情を、
自分なりに消化しようとするのだが、うまく消化できないのである。
このトムの家族と、自分の家族を重ねたり、誰かの家族を重ねたり、
そしてはがしたり、自分の心と記憶と舞台を折り合わせる作業をしているうちに、
さらに、もぐもぐもぐもぐしてくるのだ。
まるでどうにも抜けられない、出口の見えないトンネルに入ってしまったように。

どの役者さんもすばらしかった。
瑛太も絵里ちゃんも立石凉子さんも鈴木浩介さんも。
この4人でなければ、そしてこの演出家でなければ、
これほど繊細で、ちょっとおもしろくて、切なくて、
こんなに息の詰まるような舞台はできなかったであろう。


一番特筆すべきは、舞台美術。
セットがすばらしいのだ。
薄汚れた白い壁、白い床、白い扉。
真っ白でなく、灰色がかった古い古い白。
そして妙に舞台の奥が遠く、その奥に立つやたらデカイ瑛太。遠近感が狂いそうになる。
そんな薄汚れた白い絵画のようなセットの中を、するするとうごめくダンス集団。
トムの追憶を語る作業を手伝うかの如く、まさに手足となって追憶を演出するのだ。

そして照明。
これが、もう、いやー、すばらしかった!!!!
舞台序盤に、瑛太が舞台前方から後方に移動していく際、その姿を追うように、
ぽつん。ぽつん。と光を落としていく。
その光の固まりに、おお、と声をあげそうになる。
記憶の断片、過去の記憶が、ぽとりぽとりと光とともに語られるのだ。
すばらしい演出であった。

パンフレットによると、
舞台美術は二村周作氏(代表作は『港町純情オセロ』『ロッキーホラーショー』など)、
照明は小川幾雄氏(代表作は『ザ・キャラクター』『人形の家』『叔母との旅』『大人はかく戦えり』)
である。

どの舞台も全部覚えてる・・・
印象的な舞台というのは、
舞台美術も照明もだいたい覚えているし、人物がどう動いていたか、などもはっきり覚えている。

長塚圭史という人をちょっとナメてた。
そりゃ、一流なんでしょうが、私とはちょっと合わないかも・・・と思っていたのだが、
この舞台の演出をみて、え!?あれれ?!と思わず目を見開いてしまった。
あもちゃん、瞳孔、開きっぱなし。
これはちょっと、今後も期待である!!


最後に原作者のテネシーウイリアムズについてメモ。
アメリカ・ミシシッピ州コロンバス生まれ。
本名は、トーマス・ラニア・ウィリアムズといい、通称は、本作の語り手と同じく「トム」。
ペンネームの「テネシー」は、学生時代に、その南部訛りから付けられた愛称が由来。
もともとはテネシー州の名門であったというウィリアムズ家だったが、曾祖父の代に没落。
父親コーネリアスは、靴販売のセールスマンとして生計を立てていた。
裕福な南部の牧師の娘として生まれた母エドウィナは社交的な性格であったが、
結婚後、夫が職業柄不在がちだったため、
幼い3人の子供たち(2歳上の姉ローズ、“トム”、7歳下の弟デイキン)と共に実家に身を寄せる。
この時期にジフテリアに罹ったトムは、ほぼ1年の闘病生活を経験。
その内向的な性格が育まれたというが、
このコロンバス時代を人生で最も幸せだった時期、と後に書き記している。
12歳のとき、父の栄転で一家は本作の舞台であるセントルイスに移住。
南部での明るく穏やかな生活から、中西部の都会暮らしへの環境の激変は、
父母の不仲や父親との確執も相まって、益々トムを自己に閉じこもらせ、
その鬱積したエネルギーを文筆へと向かわせた。
1929年、ミズーリ大学ジャーナリズム学科に進学するが、折からの大不況により中退。
父と同じ製靴会社に就職し、健康を害し退職するまでの3年間を過ごす。
ここでの閉塞感に満ちた年月で、社会のシステムや労働者階級の過酷な現実を
否応なしに体験することとなり、本作の「トム」の境遇のみならず、
後の作品群に強く反映されていることは言うまでもない。
その後、1936年にワシントン大学に進み演劇活動に熱中するが中退。
その後、3つ目の大学であるアイオワ大学に編入し執筆に没頭するが、
その時期に、父親の決断で、姉ローズがロボトミー手術を受けさせられ
廃人同様となったことを後で知り、生涯、その悔恨の思いを背負い続けることとなった。
1938年にようやく大学を卒業するが、定職にはつかず、
多くの一幕劇、詩、短編小説を書きながら放浪生活を続け、
その間に何度か暮らしたニュー・オーリンズも彼の作品の舞台として多く描かれている。
彼の作品が初めてプロの劇団に上演されたのは、
1940年初演『天使たちのたたかい』(後に『地獄のオルフェ』として改作)で失敗作と言われたが、
ハリウッドでシナリオライターをしていた時代に書いた『ガラスの動物園』が
1944年にシカゴで試演されると一気に注目を集め、1945年にブロードウェイに進出。
1947年発表『欲望という名の電車』、1955年発表『やけたトタン屋根の上の猫』で
2度のピュリッツァー賞に輝き、アメリカ現代演劇を代表する作家としての名声を手中に収めた。
成功後、姉ローズを最高級の療養施設に移し、生涯、その面倒を見続けたという。
その他の主な作品には、
『バラの刺青』、『去年の夏突然に』、『イグアナの夜』、『ロング・グッドバイ』などがあり、
映画化された作品も多い。


この『ガラスの動物園』は、テネシーの自叙伝的作品だったのね・・・・
なんだか余計にじーん・・・・
姉さん、姉さん・・・かあ。
愛、だなあ。

むかしむかしの話だが、
私には母という鳥かごから連れ出してくれたヒトがいたけれど、←本当に感謝してる。
トムにもローラにもそんなヒトがいなかったのだな。
(母の名誉のために言っときますが、
 うちの母はちょっとおかしいが、アマンダみたいな女性じゃないし,あんなにひどくない。
 が、娘にとって母親というものは、鳥かごみたいなもんなんです。
 真面目であればあるほど、その鳥かごは頑丈だ。女性ならわかると思う。この意味が。)

渋谷の街を歩きながら、
トムやロボトミー手術を受けさせられたローラ(ローズ)を思い、空を見上げると、
なんだか無性に泣けてくるのであった。

どうでもいいけど、
ロボトミー手術って、この時代の精神病患者はみな受けるものなんでしょうか?
作曲家のR・シューマン(私の大好きだった作曲家)も晩年、ロボトミー手術を受けたような。


格安で購入して、最高の舞台が見られて、最高の夜でした。
姉さん、姉さん、と一人で感慨にふけりながら、渋谷の夜を歩いていた。


テーマ:
前田敦子さんがAKB卒業を発表

人気アイドルグループ「AKB48」の中心メンバー前田敦子さん(20)が25日、さいたま市内で開かれたコンサートで、グループから「卒業」することを自らファンの前で報告した。時期などは未定で、後日発表するという。(略)


過去のAKB商法を鑑みて考えますと、
「やめるやめる詐欺」で、今後10年くらいはさよならコンサートとかしそうです。

そう、毎日が閉店セール。



テーマ:
昭和の名曲

「私は夢見るシャンソン人形~♪」

に乗せて。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

あ~た~ち~は ま~え、見~る 腹話術人形~♪

「おとうたん、だいちゅき。」


感傷的で、あまりに偏狭的な。

あ~た~ち~は ま~え、見~る あやつり人形~♪

「ぶっす~。」


感傷的で、あまりに偏狭的な。

あ~た~ち~は ま~え、見~る 腹話術人形~♪

「おかあたん、スカートの丈が時代を感じさせまちゅね。」


感傷的で、あまりに偏狭的な。

あ~た~ち~は ま~え、見~る 腹話術人形~♪

「なんで、みんな、笑うの?」


この最後の写真を見た人は、皆、ぷっ、と笑う。

夫「ぷっ。人形・・・??」
K「ぷっ。ぬいぐるみ・・・??」

私「かわいいってことだよね!!!」

2人「・・・・あ~、まあ、うん。」


・・・違うらしい。


以上、カメラ目線あもちゃん特集でした。

・・・番外編。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

あ~た~ち~は う~え、見~る ぬいぐ~るみ~♪

この角度、なんとなく、今の私の面影があるよな、ないよな。。。


テーマ:
つい先日、引越しをした。

何度引っ越せば気が済むのか、というくらい、この2年の間に引っ越しをしたもんだ。
ふう~。←遠い目。

引っ越してはまた放浪、の繰り返し。
まさに転々。

「人生とは旅であり、旅とは人生である」 by某旅人(元蹴球選手)

・・・ぷっ。

参考→ 「旅人」と聞いて連想するのは……中田英寿さんは3位
  
「1位が「松尾芭蕉」、2位が「スナフキン」、3位が「中田英寿」という結果になった。」

こりゃ、また、すごいね・・・
俳人、架空人、と続いて蹴球選手が3番手。一体誰にアンケートとったんだ。


ま、それはともかく。
このたびの引っ越しで、とりあえずしばらくは落ち着くであろう。多分。


てなわけで、
とりあえず段ボールを押しのけた状態の新居にて、
恒例?の春パ(春のパーティ)をこじんまりと開催することにした。


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

去年のアメリカ旅行の際に、バーゲン&円高恩恵により格安で購入したカードに・・・


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

アルファベットスタンプをポチポチ押し、手作り招待状の完成!
あもちゃん、会心のデキ!
こういうくだらないことに限りなく情熱を燃やすあもちゃん。


そして早速、トクチャンとsaryaに招待状を出す。
saryaには直接手渡しをしたのだが、手にした封筒を見るなり
「あ、それが何かわかった~。」
といわれる始末。

あもちゃん、まだなーんも言ってないのに!ヨヨヨ。

かなしいとき~。
かなしいとき~。
三流ブロガーの手にした赤い封筒の中味を先に言われてしまったとき~。
三流ブロガーの◎%&$#%&%ゴニョゴニョ’&%+*#$”%とき~。
夕日が沈むとき~。ペコリ。


また、トクチャンには郵送したのだが、前日になっても招待状が届かない、との連絡が入る。

$感傷的で、あまりに偏狭的な。

哀愁、漂いすぎ・・・。

招待状は入場券も兼ねているため、招待状のない人は入れないのだが、
あもちゃんの超法規的措置でトクチャンもあも邸に入場できることになった。


そして3月11日、パーティ当日。

あもちゃんの招待状には、当日のスケジュールをおおまかに書いておいた。

12時半 ○○駅改札 お出迎え
 ↓
Aさん宅でピアノ生演奏を立ち聞き
 ↓
あもちゃん邸で食事

うぷぷー。
Aさんちでピアノ生演奏の立ち聞きってなんやねん!
っていうツッコミを待っていたのだが。。。

私  「まずはAさんちで生演奏を聞いていただきます♪うぷぷ。Aさんっていうのはね~」
sarya「Aさんちって、ピアノ教室かなにかのおうちなんでしょ??」

くわーーー!!!!!
この芸人つぶしが!!!!!!!

かなしいとき~。かなしいとき~。(略)


このAさんち、ピアノ教室なんだかお嬢さんがピアノを弾くんだかわからないのだが、
聞こえてきたベートーベンのピアノソナタの「熱情」があまりにすんばらしく、
ひっくりかえりそうになったのだ。

まだ、さらっている途中で、弾いては止まり、の繰り返しなのだが、
音色といい、音質といい、雄雄しい曲作りといい・・・まさに私好み!

そんな「熱情」を2人に聞いてもらおうと思い、

私  「はい、ここでーす!しーーーーーーっっ。・・・・」
sarya「・・・・・」
トク 「・・・・・」

この日に限ってし~~~~~~ん・・・・。

私「あれー。今日は弾いてない~」

演奏会(但し、立ち聞き)は、次回に繰越となった。

◆◇

ようこそあもる邸(亭)へ。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

二人から引っ越し祝いのお花をいただく。

私「ありがと~。
  枯らしの名人、なるべく枯らさないように頑張る~。」

が、この鉢、底に穴が開いてないんだな。
水分調整、絶対難しいって・・・。
なんだか、あもちゃん、枯らしそうよ・・・ドキドキ。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

まずはお料理撮影タ~イム。
私「うんうん。さあ、しっかり撮りたまえ。」
あもコック、ご満悦。

saryaがこのとき撮っていたのは~・・・


感傷的で、あまりに偏狭的な。

これかな。
おにぎりは、残ってもトクちゃんが持って帰られるように、と
ラップで包む、この細やかな心遣いを見よ。
まるで母。


さあ、あもちゃん手作りご飯をどうぞ召し上がれ~。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ぐつぐつぐつ・・・
(美)魔女が、愛情と友情とスーパーの野菜をコトコト煮込んで・・・


感傷的で、あまりに偏狭的な。

野菜ゴロゴロポトフの完成です。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

sarya「おいしいよ!!!」

saryaのクチが、「w」になっとる!!!かわええ~。


トク 「実家と同じ味がする!!!」

・・・なんだか微妙にビミョーだが、ほめ言葉だよね!!


パーティ直前、saryaからポトフにまつわる苦い思い出エピソードが飛び出し、
ムダに私のポトフのハードルがあがったものの、見事合格点をいただきました!


感傷的で、あまりに偏狭的な。

いぇいいぇい!


感傷的で、あまりに偏狭的な。

二人の持って来てくれたワインを開け、
私の用意したビールを飲む。


私  「トクチャンのために、野菜多めのメニューにしてみたよ。」
トク 「そうくるかと思って、野菜断ちしてたんだ~。」
sarya「いやいや、野菜は毎日食べたっていいんだよ・・・」


そうこうしているうちに、あの時間に。

3月11日のあの時間である。
仕事が休みだった私。
午前、ガーン!と心臓が飛び出すようなことがあり、
午後、あの地震が起きた。
一生、忘れられない日になるだろう。か?
それでも、前へ。前へ。

参考記事「地震~あもちゃんは無事です~


私「テレビ、テレビ」

黙祷~。

だめなのかもしれないって何度も思った。
でも、私も日本も、うん、みんな、頑張れる。


私「美智子妃殿下、お肌きれいだね~。つるつる。内面から光ってるよ。」
sarya「私も同じこと思ってた~。日本一いい化粧品使ってるんだよ~。」
私「それもあるんだろうけど、きっと、ポテチとかそんなもん食ってないんだよ~。」
トク「・・・んもう!これだから女子は~!今、それ話すこと~?」

いやいや、そうは言いますけどね、
いつまでも美しく元気でいる、それも大事な仕事だと思うのですよ。
天皇皇后両陛下、いつまでも元気で長生きしてくださいませ。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

二人が買って来てくれたケーキを食べる。

そして食後、皿を洗っているときにふと気づいた。

私「あれ?カップとソーサーが違う・・・かな?
  皿をさげるとき、入れ替わっちゃったかな?
  それともsaryaとトクちゃんが交換したのかな??」←んなわけあるか?!


感傷的で、あまりに偏狭的な。

証拠写真。

あ~、やっぱり最初っから違ってたか~。しっけいしっけい、しみずけい。
詰めが甘くてすんません。


その後も、陰謀論だの旅行話だのの話に花を咲かせ、無事にパーティ終了。
やんややんやの大団円。


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

パーティが無事に終了した記念に、3人で記念撮影。
しかし、招待状をもたないおじさんは、大胆にトリミング!


数日後、大胆にトリミングされたトクちゃんからメール。

ト「招待状が届いたよ。料金不足だったからみたい。アメリカンサイズには要注意★」
私「あ、やっぱり(←やっぱりって!!)切手、不足してたんだ?ごめんよ~。」
S「遅れてきた招待状ってタイトルで何か書いたら?ぷぷー。」

あらあら、素敵なタイトルじゃないのさ。
いっそ、私の記事のタイトルに・・・・とも思ったが、
遅れてきた招待状が届いたトクチャンに、そのタイトルはお譲りします( ´艸`)


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

その招待状は郵便車に乗って、東京都内を寄り道し、春を撒き撒きやって来たのさ。


テーマ:
先週頭からひどい風邪をひいている。
年はとりたくないものだ、ちーっとも回復の兆しを見せない。

トクチャンと緊急の用事で会っても・・・

トク「え~。。ちょっと、どうしたの~。ひどいじゃん~~~~」
私 「ゴホゴホゴホ・・・こうして話してるだけでもしんどいんだよ。じゃ、さいなら。」

用事を1分で済ませ、さっさと帰る。

saryaと一緒にいても・・・

sarya「ちょっと・・・うつさないでよ。マスクは絶対はずすな。」 →「絆」とかどこ行ったのか。
私  「ええ、けしてはずしません。」


てな具合で、とうとうダウン。
丸二日間、寝込んだ。
背中、いてえ。


さて、話は変わりまして、わたくし。
この2年、軽く睡眠障害を患い、数時間ごとに目が覚めていた。
授乳中の妊婦か。

それがこのたびの風邪+風邪薬のパワーで、丸二日間、こん睡状態に。わたし、死ぬぞ。
そしてようやくノロノロと起きて、黄泉がえる。

・・・ゴホゴホ。

私「ううーむ、ちっともよみがえってない。体、だりい・・」

と、立ち上がり洗面台に行くと・・・


私「え!?あれれ?!」


おどろき、もものき、さんしょのき。 

お肌が!!!!!!
つるつるのペッカペカ!!!!!
まるで陶器のような輝き!!!!・・・・・あ~、ちょっと言い過ぎました。
まるで少女のような輝き!!!!・・・・・。。。

そして驚くことなかれ。
髪が!!!!!!!
ツヤツヤのテッカテカ!!!!!!!
まるで黒王号のような輝き!!!あ~、私、生まれつきの栗毛でした。
まるでテイエムオペラオーのような輝き!!!!
・・・・ちょっと何言ってるのか、わかんないです。by富澤


とにかく、
体力はちーっともよみがえらなかったのだが、
肌と髪が、少女時代のものによみがえったのだ。少女時代のように!←あー、はいはい。


美しい肌に睡眠が重要であるのは知っているが、
まさか髪の質も睡眠に左右されようとは。
(断じて脂ではない。インフルエンザに罹患しても入浴は欠かさないあもちゃん。私、死ぬぞ。)


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

どうせなら量も増えていればよかったのに、と思うものの、
もともと存在しない毛根が増えるはずもなく、それも少女時代のまま・・・


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

「ブランコのむこうで」・・・思いをはせる。


テーマ:
何を隠そう、あもる家には、
私のひな人形(7段飾り)、妹うーちゃんのひな人形(7段飾り)
がある。
ああ、隠そうにも隠せない大きさ。

さすが田舎のだだっ広いだけがご自慢の豪邸(但し、ボロ)だけのことはある。
いまどき、7段飾りなんて流行らないって~。
出し入れもめんどくさいし。
うちの母なんて、あまりのめんどくささに、GWすぎても雛人形を片付けないという体たらく。
おかげで、あもる姉妹、かなり行き遅れました。
とくにうーちゃん。
いやいや、ほんと、このたび無事片付いてよかったよ。
あ、でも、まだ、結婚式までは油断はなりませぬぞ(笑)。


さて。
そんな私のひな人形の赤毛氈には我が家の家紋が刺繍されているのだが・・・


父方の祖母が亡くなった時のこと。
石屋さんがやってきて、墓石の相談をしていた。

石「あもる家の家紋は・・・」
母「桔梗ですね~」
石「そうですか。念のため、先祖のお墓を見ておきましょう。」→さすがプロ。客の言う事を信じない。

10分後。驚愕の事実が。

母「うちの家紋・・・桔梗じゃなくて、円に梅鉢、だった~!!!
  おばあちゃんのうそつき~~~ →嘘ではなく勘違いであろう。もしくは母の聞き違い。
  はっっ!!!!!
  あもちゃんの雛人形・・・!!!!おばあちゃんのいうがまま、桔梗の紋が・・・!!!」


はい、時すでに遅し。
私のひな人形には、どこだかわからない家の家紋が刺繍されてしまいました、とさ。


感傷的で、あまりに偏狭的な。

あたち、どこのこ??

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