船頭さんの後悔日誌

僕は、日々いろんなことを考へてゐます。その考へてゐる内容というのは、どちらかと言へば、世の中にとっておよそ役に立たぬものばかり。そんな日々の戯れを、パソコンの画面に向かひて、墨汁を含ませた筆で以て、大書してをります。


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こんにちは。


一般に、「一言余計なヤツ」っていらっしゃいますね。
とても大切なことをお話していたり、
有意義な意見を述べておられて、
そこで終わっておけばいいものを、
そこに付け足すいらん一言。

こういうのを昔から、
「百年の説法、屁ひとつ」
と言いますな。
せっかくすばらしいお話をしていても、
最後に

ぷぅ

とやらかしてしまったら、
そこまでのお話すべてがパーになってしまう。

先日、ニュースで、
水木しげるさんの生地である境港には、
水木しげるロードなるものがあるようで、
そこに行きますと、
あの水木しげる画伯が、
「何でもないようなことが~
幸せだったと思う~♪」
と熱唱なさっているのだとか。

あ、ちごた。

そこに行きますと、
ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターが、
あちらこちらに存在していて、
観光客を出迎えてくれるのだそう。

その水木しげるロードでは、
マンホール(だったと思う)の蓋にも、
鬼太郎のキャラクターが描かれていて、
歩くだけで楽しい気持ちになれるのだそうですが、
そのマンホールの蓋が、何と盗まれたのだそうです。

けしからんヤツもいるもんだ!

テレビを視ながら僕は、
見知らぬ犯人に対して、
遺憾に思うと同時に、
せっかくマンホールを楽しみにしていったのに、
見ることがかなわなかったファンの悲しみを想像し、
プンプン怒っておりました。

すると・・・

そのニュースの最後に、
アナウンサーがこう付け加えたのです。

曰く、

「なお、一反もめんは2枚盗まれましたが、
子泣きじじいは無事でした」

思わず笑ってしまったではないか!

しかし、笑ったはいいが、
ご当地では決して笑い事ではなかろうに。
そういう当事者が笑えない状況下に於いて、
笑うような一言は、まさに余計な一言ということになりましょう。

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こんにちは。


僕は紛れもない京都市民なのですが、
歩いて1分ほどで滋賀県の大津市に行けます。
京都府庁に行くより滋賀県庁に行く方が近いし、
京都市役所より大津市役所の方が近い。

そんなわけで滋賀県にも毎日のように進入します。

その滋賀県に看板が出ました。
大津市長選の看板です。

おお選挙か~

なんて思っていましたら、
我が京都市でも市長選があるようです。

まだ誰が出馬されるのか僕は知りません。
ポスターも貼られていないからです。

あのポスターを貼る看板って、
必ず枠が多めに作られていますよね。

予想以上に立候補者が出た場合、
継ぎ足しの枠にポスターを貼らなきゃならなくなったりしたら、
その枠の人は、やっぱり気分もよくないだろうし、
やっぱり枠は多めに作っておかなきゃね。

結果、公示されてポスターが貼られて、
後半の番号の枠が余っていて、
何だかちょっと寂しい印象になっちゃう。

そんなことを思っていて、
ふと考えたのですが。

もし、もしですよ、
誰も、誰一人としてね、
立候補者がいなかったら、
その町はどうなるんでしょう?

学校のときの学級委員だったら、
誰も立候補者がいなくてもね、
誰かが「推薦にすればいいと思いま~す」
とか言い出して、
で、○○君が推薦されたりしてね、
で、一応はま~るくおさまる、
そんなパターンですわね。

でも、市長を決めるのにそんなわけにもいかないだろうし、
そうなったら市長不在になるのかな?
誰かが出てくるまでサドンデスでやるのかな?

政治のことはよくわかりませんが、
責任の大きなお仕事だけに、
たいへんだろうなと思うのですが、
それでも、上記のようなことが起こらずに、
毎回誰かしらの立候補者が出てくるというのは、
ありがたいことなのでしょうね。

誰かがやらなアカン

これは日常のいろんな場面で出てくることです。
で、さらにこれは、いろんな角度から言い換えができます。

誰かがやらなアカン
誰かがやったらいい
誰かがやるだろう

誰かがやらなアカン
の状況から発展する考え方が、
自分が逃げる方向に向くのか、
それとも自分が貧乏くじをひいておこうと考えるのか。

ただね
貧乏くじもひいてみると、
意外といいものかもしれませんよ。
そこからいろんなことが学べたり、
いろんな経験を積めたり。

誰かがやらなアカン
誰かがやったらいい
ぢゃあ僕が、私がやってみよう

まぁ口で言うのはカンタンですけど、
でもそういうことですわ。

と、同期の仲間たちのあるプロジェクトの
世話役を買って出た僕は、
そう思って、自分を慰めるのでした。

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こんにちは。


僕はだいたい毎朝、新聞を読むのですが、
実際には読んでいるのか、ただ眺めているだけなのか
よくわからない部分もあります。
あれはお金を払って購読しているわけですから、
隅から隅まで熟読しないともったいない気がするのですが、
たとえば株式の頁などは、見ても(本当に「見る」という
動詞がピッタリだ。どう考えても「読む」ことはできないや)
何が書いてあるのかさっぱりわからず、
あの頁はいらないから、
その分だけ新聞代を負けてくれへんかなぁ
なんてセコイことをですね、
ついつい考えてしまうのであります。

そんな僕が、新聞で最も時間をかけて熟読するところ、
それは、実は新聞本体ではないのです。
そうです、本体に挟まって届く折り込み広告、
これが好きなのです。

で、この折り込み広告、
以前からどうにも気になっていることがありました。

皆さんの地域はどうか存じませんが、

僕のところでは、
大型家電店のチラシは、必ず土曜日に入ります。
たとえばJという大型家電店のちらしが、
毎週土曜日に入るというのであれば、
それは納得できるのです。
しかし、Jだけでなく、YだとかBだとか、
大型家電店のチラシは決まって土曜日なのです。

消費者である僕にしてみれば、
同業者のチラシが一度に届くわけですから、
手軽に比較ができて、
「こっちのお店で買おうっと」
というような取捨選択が容易にできるため、
この同日配布は大いにありがたいのですが、
しかし、よくよく考えてみますと、
なんだかちょっと気持ち悪い気もします。

「え!お宅も土曜日に入れるの?」
「え!!偶然だねぇ!」

そんなことはないですわなぁ。

いや、最初は「根拠のある偶然」というのも
考えてみたのですよ。
つまり、
テレビやエアコンといった大型家電の購入ということにあいなれば、
これは家族会議を開く必要がありましょう。
従って、会社がお休み(の人が多い)土日に絞ってチラシを配布。
先ず、休み初日の土曜日にチラシを見て会議を開き、
日曜日に勇んで買いに行く。
こんなパターンを各社とも想像して
土曜日にチラシを入れるようになった。

そんなことかなぁと思ったのです。

しかし先日、
ある朝、いつものごとくチラシをチェックいたしますと、
まぁ、あるわあるわ進学塾のチラシ。
それこそ、何教室も入っています。
勿論、受験シーズンということもあり、
来年の受験に向けて、新規募集をという狙いがあるのでしょう。
しかし、これだけの教室で同日配布というのは、
ちょっと「偶然の根拠」が見あたりません。

そう思っていましたら、
今朝のチラシでは、
葬儀会館とお仏壇のチラシが多数。

わからんなぁ(笑)

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