船頭さんの後悔日誌

僕は、日々いろんなことを考へてゐます。その考へてゐる内容というのは、どちらかと言へば、世の中にとっておよそ役に立たぬものばかり。そんな日々の戯れを、パソコンの画面に向かひて、墨汁を含ませた筆で以て、大書してをります。


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こんにちは。


一般に、「一言余計なヤツ」っていらっしゃいますね。
とても大切なことをお話していたり、
有意義な意見を述べておられて、
そこで終わっておけばいいものを、
そこに付け足すいらん一言。

こういうのを昔から、
「百年の説法、屁ひとつ」
と言いますな。
せっかくすばらしいお話をしていても、
最後に

ぷぅ

とやらかしてしまったら、
そこまでのお話すべてがパーになってしまう。

先日、ニュースで、
水木しげるさんの生地である境港には、
水木しげるロードなるものがあるようで、
そこに行きますと、
あの水木しげる画伯が、
「何でもないようなことが~
幸せだったと思う~♪」
と熱唱なさっているのだとか。

あ、ちごた。

そこに行きますと、
ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターが、
あちらこちらに存在していて、
観光客を出迎えてくれるのだそう。

その水木しげるロードでは、
マンホール(だったと思う)の蓋にも、
鬼太郎のキャラクターが描かれていて、
歩くだけで楽しい気持ちになれるのだそうですが、
そのマンホールの蓋が、何と盗まれたのだそうです。

けしからんヤツもいるもんだ!

テレビを視ながら僕は、
見知らぬ犯人に対して、
遺憾に思うと同時に、
せっかくマンホールを楽しみにしていったのに、
見ることがかなわなかったファンの悲しみを想像し、
プンプン怒っておりました。

すると・・・

そのニュースの最後に、
アナウンサーがこう付け加えたのです。

曰く、

「なお、一反もめんは2枚盗まれましたが、
子泣きじじいは無事でした」

思わず笑ってしまったではないか!

しかし、笑ったはいいが、
ご当地では決して笑い事ではなかろうに。
そういう当事者が笑えない状況下に於いて、
笑うような一言は、まさに余計な一言ということになりましょう。

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こんにちは。


昨日で皆さんもご承知のとおり、
東日本大震災から1年経ったわけです。

去年の11日、僕は鎌倉にいました。
鎌倉は震度5強。
東北の方々に比べれば、たいしたことなかったけど、
それでも怖い思いをいたしました。
当日の様子は去年の記事に書きました

それから1年。

新聞に、未だ行方不明の方々が何人もいらっしゃる、
そんな見出しが躍っていました。
「神戸の時もそうやったなぁ」
ぼんやりと18年前のことを思い出しました。

総本山知恩院では、昨日、
東日本大震災の物故者の一周忌にあたり、
追悼の別時念仏会がありました。
何もできない僕ですが、お念仏ならできます。
できます、と偉そうに言える程もできないかもしれませんが、
兎も角、その場に行き、お念仏をしたい、
そういう思いに駆られ、地下鉄の人となりました。

東山の駅に着きますと、ものすごい人の数!
こんなに多くの方が参拝にお越しになったのか?
あ、みんなジャージ姿だぞ。
あ、京都マラソン参加者か。

今、解体工事で使えぬ御影堂に代わり、
法然上人御堂でのおつとめでした。

堂内には多くの参拝者がおられました。
この法要を知ってお越しとわかる方もいらっしゃれば、
たまたまお越しになったと思われる方もいらっしゃった。
そんな皆が、こぞってお念仏。
とてもありがたく思えました。

回向で維那さん(いろんな音の出るものを鳴らしながら、
お経の最初の部分を言って皆を引っぱる役の人)が、
震災でお亡くなりになった方々のお名前を読み上げました。
維那さんの手元には、名前の書いた紙がありますから、
どれだけの方々の回向をするのか、維那さんはご存じです。
しかし、我々にはわかりません。
わからないで聞いておりますと、
ものすごい数の名前を読み上げていかれます。


当たり前の話ですが、

そのものすごい数の名前の方々、
そのお一人お一人にね、
それぞれのお家や仲間があって、
その方の歩んでこられた歴史がある。
それだけ多くの歴史が、
あの地震でお亡くなりになった。
お一人お一人のことを僕は勿論存じません。
ですが、毎日「ただいま」と言ってお家に帰り、
テレビを視たりお風呂に入ったりする
そんな時間がお一人お一人にあったんです。
こんなにも多くの数のそういう毎日を、
あの地震が飲み込んでいった。
そのことを想像し、同唱十念の
九念目で声が出せなくなりました。
お十念唱えられなくてごめんなさい。

法要後の猊下のお言葉が心に突き刺さりました。
震災で亡くなられた方々や、遺された方々の思いを
猊下が、ご自身の痛みとして受け止めていらっしゃるのが、
お言葉のあちこちに感じられました。
そのお言葉に、また涙が出ました。

以前、O先生がおっしゃっていたこと。
この地震のとき、お婆さんを連れて避難しようとしていた女性、
避難の途中、お婆さんは動かなくなってしまった。
「もう歩かない。お前1人で逃げなさい。
私はもうここでいい。」
それでも必死でお婆さんを連れて行こうとする女性、
しかし、それでもお婆さんは動かない。
そして津波が近づいてきて、
その女性は泣きながら逃げた。
この女性が「私はお婆さんを殺してしまった」
という苦しみをずっと背負っている。
こんな方々の苦しみと我々は向き合っていかねばならない。
こんな方々の答えなき答えを探さねばならない。
このお話が思い出されました。

猊下が退堂なさり、僕も帰りましたが、
震災のことと同様に、
この法要で感じたことも忘れないでいたいと思いました。

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