働いていた老人介護施設 | ありがとうぁみの「父さん、母さん、私は今日も元気です」

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毎日読んでくれている故郷の両親に、手紙のつもりでぁみの楽しい毎日を綴ったブログです。



愛する地元・山口県。

実家でカレー。至福のひととき。

夜は、東京に出る前に地元で勤めていた老人介護施設の、当時の方々とお会いしました。

働いていた当時、毎週末のように一緒に飲みに行き、まだまだとがりまくっていた20歳の僕をお世話してくださっていた主任さん。
東京に出る為に、飲みに行った最後の日の事も、凄くハッキリと覚えてくださっていて嬉しかった。

あのときの気持ちは、僕も忘れた事は無くて、それが今の原動力の1つとなっています。

それは12年も前。今では、主任さんはそこの施設のグループの偉い人になっています。だから、物凄い沢山の人達の入ってくる姿や辞めていく姿を見ていると思うけども、こんなに明確に覚えていてくださっている事に、あの日とは違う涙が出そうになった。感謝でした。

当時とても仲良くしてくれていた同い年の子にも久しぶりに会えて、話してくれて、とても感謝でした。
僕の記憶の中にある楽しかった思い出の話だけでなく、僕が忘れていたような当時の楽しかった話を沢山してくれた。記憶を蘇らせる事ができました。楽しかったなぁ。嬉しい。
僕が居なくなったあとの、この12年でのおじいちゃんおばあちゃんのその後の話も色々教えてくれた。
印象深くて覚えているおじいちゃんおばあちゃんが沢山います。
そのほとんどのかたが亡くなってしまっている事も聞きました。
僕が居なくなったあとも何度も何度も僕の事を話してくるおじいちゃんおばあちゃん達がいてくれた話も聞きました。
イラストを書くのが好きだった僕が当時なんとなく書いたその人の似顔絵を、最期まで毎日大事に持っててくださっていたおじいちゃんの話も聞きました。
たまらんかったです。

僕はね、やっぱり福祉の仕事が好きだったんですよね。あのとき出会ったおじいちゃんおばあちゃん達が好きだったなぁ。
芸能界に入るために、地元を離れる為に東京に出たけど、あのときは本気で福祉の仕事に向き合って本気でおじいちゃんおばあちゃん達と向き合っていました。本当は、福祉の仕事はとても好きでした。

今回、初めてお会いした現役のスタッフさんもおられまして、僕と入れ違いで施設に働き始めたかたでした。
そのかたに言われました。
「あみファイルは、今も引き継いでいますので!」
驚いた。
あみファイルという単語。
そのファイルの事、正直いまの僕の記憶にはほとんど無くなっていた事でしたが、言われて蘇りました。
それは、僕が施設に勤めていた12年前、おじいちゃんおばあちゃん達が喜んでくれそうなレクリエーションや喜んでくれたやり取りを、必死に調べたり試したり勉強してまとめたファイルなのだ。
それを今のスタッフさんが引き継いでくれているというのです。

主任さんが、
「うん。今も生きてるんだよ」
いなくなってしまったけども、僕がいたあの時間は、いなくなった今もまだあの施設に生きているというんです。
たまらんかったです。涙が溢れそうでした。

いなくなる事を決断したあの最後の日、飲みながら、僕を本気で引き留めてくれて、それでも最終的には「頑張っておいで」と送り出してくれた主任さん。
今もこうして仲良くしてくれる同い年の子や、当時のスタッフさん達、ずっと僕の事を忘れないでいてくれたおじいちゃんおばあちゃん達。

色んな想いを12年経った今噛みしめました。

あの施設に働いて本当によかったです。

地元に、またパワーをもらえた。
凄いパワーをもらえた。

僕はこれからも東京で戦います。
あの日々があるから戦えます。
大きくなって。沢山地元に帰ってこれるようになれたらいいなって、改めて思いました。

ほんならね~(´∀`)ノ゛