医療的ケアが必要な子どもとの暮らし方

重症心身障がい児の次男との暮らしを綴っています。

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出産時に頭蓋内出血を起こしその後遺症で、重い障がいがある弟を持つ長男には、どうしても不思議な事がありました。




 「弟の学校は、小学生も中学生も高校生のおにいちゃんおねえちゃんもいて、先生もいっぱいいるのはなんで?」




弟の学校は、遠くからバスで来るともだちもいます。



1時間半もバスに乗ってくるのってたいへんじゃないの?」



「弟の学校には、音楽室がない。実験する理科室も家庭科室もない。僕の学校にはいろんなお部屋があるのに、どうして、弟の学校にはないのだろう。」



養護学校の環境は、現在、必ずしもいいとは言えません。



昭和54年に定員70人でスタートした学校ですが、平成23年時の在籍者は196人。

急増する児童・生徒に合わせ、特別教室を一般教室に替え、なんとかしのいでいるのが現状です。



給食においては、少ない職員が児童・生徒・教職員全員の給食を、開校当初の厨房で作り提供しています。


きざみやミキサー食の児童・生徒もおり、その再調理には教員の手がとられています。


本来の教育という部分からは、ほど遠い作業に時間を取られる先生方をみると申し訳なく思います。



障がいがある=特別支援学校、それは、養護学校義務化による学校の分離の始まりで、この状況を生んだひとつの要因とも、と考えます。


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1969年に養護学校義務化になり、就学猶予・就学免除によって、学校教育の機会に恵まれなかった子ども達も教育を受けることが出来るようになりましたが、障がいの程度による学校の分離の始まりでした。




「学校に行ける!」



親も子もどんなにうれしかったことと思います。



でも、残念ながら、私自身も障がい児の親になるまで、長浜養護学校がどこにあるのか知りませんでした。



自分が、小学校の時にあった障がい児学級は、12名と少なく、一緒に授業することもなかったと思います。




重い障がいがある次男の学校を選択する際に、とても迷いました。



社会の中で、就学の時点で分離されることが果たしてその子の今後の人生にとってはプラスなのか、マイナスなのかわかりません。



特別支援学校に行くことで、もしかしたらちょっとは歩けるようになるかもしれない。



もしかしたらちょっとはお話できるようになるかもしれない。



でも、学校を卒業したら、隣の子もお向かいの子も、みんな大きくなって保育園の時一緒だったことさえも忘れているかもしれない。



それならば、歩けなくても、お話できなくても、僕を知っていてくれる人がたくさんいて、ちょっと困った時にそばにいてくれる人が多いほうが、豊かな人生なのか?



でも、それは地域の学校にとって受け入れる事は大変なこと、そこまでして地域を選択することはできませんでした。



先進国の中で、特別支援学校の在籍者が増え続けているのは日本だけだそうです。



特別支援学校がいいのか悪いのかではなく、地域の学校か特別支援学校か選べる、その選択肢すらないのが障がい児がおかれている現状なのです。



急速にインクルージョン教育を進めた国には、かえって特別支援学校の在籍者が増える、そんな皮肉な現実もあります。




平成23年4月現在、長浜養護学校在籍者は196人、長浜市立の小・中学校の児童・生徒数は11160人。うち、特別支援学級に通学しているのは260人、普通学級に在籍する児童・生徒にも特別な支援が必要なお子さんもいます。


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ずっとこんな関係が続けばいいのに…。



その願いは、就学という大きな壁で打ち砕かれたのです。



「ずっと一緒に育ってきたお友達と同じ小学校に行ってほしい。」

と園長先生から言われた時はびっくりしました。


障がいのある子は特別支援学校にしか行けない、その為の学校なのだから…。


私を含め、障がい児がいる親はそう思っていると思います。



子どもたちからは、

「なんで一緒の学校いかんの~?」


「あるけんからか~?そんなら僕がバギー押したる。」


「ここに住んでる子はみんなあの小学校に行かなあかんのやで~。」



子どもたちにとって、住んでいる地域の学校に行くことは当たり前で、どうして別の学校にわざわざ行くのだろう、と、とても不思議だったようです。



最後は養護学校を選択しました。


しかし、本来なら行くべき学校が目の前にあるのに、遠くの学校に行かなくてはいけない。


学校にいる間はいいけれど卒業したら、この子のことは、みんな忘れてしまうんじゃないだろうか。


保育園で出来ていたことがどうして学校では出来ないんだろう。


諦めきれないでいる自分がいました。



居住地の小学校に通うことの難しさは、新法の成立やインクルージョン教育(障がい者と健常者とを同じ教室で学ばせること)の世論からも、幾分和らぐのかも知れませんが、本来の教育の在り方を真に問うことができる学校はいくらあるのだろう、学校という限られた時間をどう過ごしたいか、それは個別に違うのが現実で、一定のラインでの線引きがされた今の就学の在り方とは大きく異なります。


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出産前から続けていた仕事を再開することになり、保育園に通うようになったのは1歳を少しすぎた平成164月からでした。



「できないことをこの子のせいにしたくない。言い訳しない人生にしたい。」



「このままの生活が続けば、不安と悩みばかりの長い長いトンネルの中に取り残されてしまう。」



そんな思いがありました。



家族や両親も、仕事に出る事を進めてくれました。



自分自身では「大丈夫」と思っていましたが、周りから見れば、いつもの様子と違い、子どもを道連れに死んじゃうんじゃないか、と、ずいぶん心配したそうです。


後になって聞かされました。



こんなに重い障がいがあるにもかかわらず、始めの1カ月ほどは母子通園でしたが、その後は保育園のほうで延長保育や土曜保育にも対応できるほどになりました。




毎朝、保育園に着くと、カバンを持って行ってくれる子、手をつないでくれる子、バギーを押してくれる子…。玄関で、今か今かと待っていてくれたお友達。



「今日はアタシがするの~。」


そう言ってかわいいケンカが始まることもありました。




1歳児クラスから2歳児クラスへと、同じ年の子と比べると出来ないことばかりでしたが、みんなと同じクラスで進級していきたい。



園の思いも私の思いも同じでした。



大きくなるにつれ、どんどん差は広がりましたが相変わらず玄関で待っていてくれることや、運動会でのかけっこでバギーを押してもらうことも、お隣の席の争奪戦も…卒園するまで同じだったと思います。






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出産時の頭蓋内終結の後遺症のため、病院と家との往復の中で、やはり人の目は気になりました。



「あんな小さい子、何したんやろね~。」




 脳外科やリハビリ室の待合室にいると、よく耳にしたものです。



窮屈な思いもし、悪気がないとわかっていてもその場にいられないほど。



それが障がい児を育てるつらさのひとつかも知れません。



こんな私の様子を知ってか知らずか、遠くに住むおばあちゃんからの電話。障がいというものに偏見のある世代。何を言われるのだろう、叱られるんじゃないだろうか・・・。そんな私の心配をよそに、おばあちゃんはこう言ったのです。



「どんな子でも、その子は私のひ孫だよ。大事な子なんだよ。」



違っていたのは、人の目ではなく、私の目だったのだ。

おばあちゃんの言葉でありのままのわが子、ありのままの私でいいのだ、そう思えることができ、「受容」ができたのです。



その頃、硬膜下血腫もCTで見つかりました。

本来、健常児ならすぐに入院して治療を開始しますが、脳室が変形するほどの血腫でも痛がらないわが子には何らほどこす治療もなくそのまま家に帰ったのです。



短くて数カ月、長くても数年、それならば無駄に命をつなぐよりは、当たり前の生活をしたい、出来るだけ多くの事を経験させてあげたい、それが家族の願いでした。子どもに障がいがあると、家族の絆が深まるか、大きな溝ができるか。

兄弟・親子・夫婦の関係が試されていると感じていた時期でした。





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