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2011-12-14 14:03:40

品川プリンスホテルの身障者用お風呂はダメでした・・・

テーマ:ブログ
★品川プリンスホテルの

    身障者対応の部屋は

       お風呂が X でした。

 バスルームに関しては

    アメリカのホテルが 進んでいます。

 "Roll-in Shower Room" ←シャワーだけの設備ですが

    壁がわに イスになる幅40センチくらいの板が

        肉のそげ落ちたお尻が座るので

           やわらかい生地が 板の上に貼ってあります。

★品川プリンスでは  

   とても固いプラスティックの板が

        バスタブの両サイドに渡してあるので

            両足で 支えが利く人でないと 使えません。

   仮に その板の上に座ったとすると

        かならず「床ずれ」が発症します。

   また「背もたれ」が無いので 後ろにひっくり返ってしまいます。

      (お尻の肉が無い、ということで、安定が保てないのです)

★だから、結局、タオルを濡らして

    上半身だけを 拭いただけでした。
2011-08-16 10:01:27

醤油も薬味も使わせない京都の豆腐屋さん!

テーマ:ブログ
☆昨日 FB で次のことを書きました:

9:40am
☆ハンバーガー発祥の地は、コネチカット州のニューヘイブン ←​イエール大学のある町。

100年前に "Louis Lunch" の店で。

「なにか持ち帰りながら食べられるものを」という客の依​頼で、

ステーキ肉の端を細切れにして焼いて。

(続き) Louis Lunch のお店でハンバーガーを頼んだ主婦が

「ケチャップください」と言​うと、

厨房で作っていた店の男性が

「この店は最高の肉を使ってい​るから、味をごまかすものは出さない」と。

しかも彼の着ているシ​ャツの背中に

「KETCHUP」と書いてある絵に赤い丸に赤い斜線!

ピックル​スの入っていない素朴な100年前のハンバーガーでした。

☆そうすると僕のコメントを読んでくれた卒業生のOKくんが

    次のような情報を書いてくれたのです:

北山通り衣棚下ルの豆腐店・堤食品さんは、

   http://shoes.aleaders.jp/e852.html ←この豆腐屋さんについての情報がイッパイ!

冷や奴用にと​豆腐を買いに行くと

「あの~、できたら醤油とか薬味はナ​シで食べてもらいたいんですけど・・・」

とおっしゃいま​す。

「醤油とか薬味つけて食べはるんやったら、別にウチの豆​腐とちごてもよろしやん」

(← こう書くと高飛車なよう​ですが、すごく低姿勢な方です)

☆今日はお盆のさいちゅうなので

    明日あたりにその堤食品さんへ妻と買い物に行ってみます!

☆ほんとに

    FB も、twitter も

       僕にはサイコ~の「情報源」になっていて

          現代に生きておられることに (←僕、70歳なんで)

             感謝感謝、コマスミダ! Thanx! Mahalo!
2011-08-05 07:59:47

1945年8月6日、66年前の原爆投下の日

テーマ:ブログ
☆66年前の8月6日、明日のことですが

    僕は4歳でした。

☆昨年の日記にも書きましたことを。再度、載せます:

1945年8月6日朝8時15分

広島市方向へ向かってゆく「銀色の2機」を
田んぼで働いていた母と祖母は目撃した

  今日もアメさんは
  どっかに空襲に行くんじゃのぉ

と2人は思いながら草取りしていて数分後

西の山の稜線に

  モクモクモク・・・
  どす黒い雲が湧いてきた

農家の家の中で遊んでいた僕は
すぐに呼び出されて

  母親は4歳の僕の手を取って
  祖母とともに山へと逃げるように走っていった

それは「変な雲」だった

  真っ白ではない
  ただひたすらに「どす黒い」

  フラスコの中で沸騰しているのを
  超スローモーションにしたように
        モクモクモク・・・ムクムクムク・・・
            「変な雲」はだんだん大きくなっていった

午前8時ごろ、東広島市(←当時は西条町)の上空を
西の山へ消えて行った2機の
             B29

今日もアメさんの空襲か、
と思った思いは
その後、65年たった今でも
広島や日本だけでなく
全世界に影響を与える課題を残し
今や『核廃絶』への運動につながるものとなった
世界史的なできごとになったのだ

      何十万人もの尊い犠牲者に心からの合掌を

★健常者時代のある暑い夏
 僕は広島平和公園にお参りに行ったその公園のベンチで
 ひとりのおばあさまから次のようなお話を聞いた:

   ありゃ、とてもえ~天気の朝じゃった
   わたしの嫁が、産まれたばかりの赤ちゃんを抱いていたとき
   信じられんようなものすごい爆風でのぉ

     嫁も赤ちゃんも吹っ飛ばされたんじゃ
        何十メートルもさきの鉄パイプの先に
        赤ちゃんの頭がのぉ・・・
     嫁は立ち上がって
        急いで赤ちゃんのところに行って
        両足を持って引き抜こうと・・・

 その母親も相当なダメージを受けておられたことでしょうが
 自分の傷などの騒ぎではなかったと思われます

★静香という叔母は
   原爆投下後1週間して
   「衛生補助要員」として召集がかかった

 当時15歳の女子学生も動員せねばならないほど
 看護助手の手が不足していた

 手持ち弁当を持って、SLに乗って
 広島市までの1時間、毎日通った

   仕事場は「学校」
   原爆投下直後の広島市内で
   負傷者の治療する場所が無くて
   学校が緊急の治療所になった

 駆り出された女子学生たちは
 2人1組の3シフト制での勤労奉仕に

   静香叔母は真夜中のシフトになったとき
   救護所になっているひとつの教室の担当に

 夜中でも
 「みず~ッ!殺してくれ~ッ!」などの声が・・・

   自分の担当教室で、ひとりのかたがお亡くなりに
   もうひとりの女子学生はご遺体の両足を持って
   静香叔母は両肩部分を持って
   緊急用の遺体安置所にあてられている教室へ運んだ

 そのとき安置所に、ご遺体を安置しようとした直前に
 棚に置いてある別のご遺体の片手が
 叔母の首筋に、あたって・・・

これは僕が健常者時代に
直接、叔母から聞いた実話なのです

  その後、叔母は60代でガンでおなくなりになった

 あれから66年                心からの合掌を捧げます!

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