魂からデトックス★NYC発スピリチュアルSPA

セレブ御用達NYと東京在住女性アロマテラピストによるスピリチュアル鑑定とヒーリング


テーマ:

ノブリスオブリージュって何だろうと調べていたらでてきた良い言葉。

田坂広志さん主催の起業フォーラムのもようが書いてあった。

そこに参加した人が心にジーンと響いたことばです。


成功するだけでなく、人々に良い影響を与えるような人徳のある人間になりたいものです。

また、日本人に生まれ日本で育ったことを誇りに思います。

貧富の差が激しいニューヨークでは、いろいろな意味でカルチャーショックで考えさせられることも多くて。

そしてこの国ほどお金がものを言う国も無いと思う。

成金の国だ。

これは皮膚の色で完全に差別されるヨーロッパと違い、まだ有色人種にもチャンスはあるということ。

ある黒人のセレブの友達がいった。

「アメリカは色は関係ない。お金があるかどうかが問題なんだ」

金さえあれば人も殺せるのがアメリカ。クロをしろに変えることもできる。

金があるからこそ人種差別を受けなくてすむこともある。

お金を払えば安全も保障される。

なんでも金で解決できるのがあからさまにわかる。


厳しい国なので本来の目的を見失ってしまいそうになるのだけれど、この言葉を思い出して、人間的にもすばらしい人になりたい。



①「その人の生きた意味・価値は、その人が人生を終えたときではなく、その人にご縁をもらった人々の棺が閉じたときに決まる」



②「志と野心の違い。野心とは、己一代で何かをなしとげようとする心。 志とは、己一代ではなしとげられないほど大きなことを次の世代へ託すための祈り」



③「命は、いつか必ず終わる。一度しか訪れず、またいつ終わるかは誰にもわからない。そのような命を享けた人間にとって、使命とは、『命を使』って成し遂げるべきことである。また志を語る意味とは、この瞬間を生ききるためにある」



④「日本に生まれたこと自体が世界的にみれば経済的エリートの証であり、ノブリスオブリージュ(高貴な人が自覚する義務)を意識すべき。同時に、『義務を自覚する人々の高貴さ』もまた真実。」


下は田坂さんの著書です。


人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの/田坂 広志
¥1,260
Amazon.co.jp

ガイアの思想―地球・人間・社会の未来を拓く/田坂 広志
¥2,520
Amazon.co.jp

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

こちらもあるサイトからの抜粋です。落ちこんだときに元気がでるかもね。


前回でも触れたように、私は「思いやり」に、とても敏感な人でした。
「思いやり至上主義」だったと言ってもいいでしょう。
大切なことの優先順位の一番が、「思いやり」だったのです。
だから「思いやり」よりも、「こだわりやプライド」を優先する人が信じられませんでした。
ただし…私がいつも相手に対して思いやりを持てていたかというと、
…全くそうではなかったと思います。
また、どんな行動をもって「思いやり」と思うのかは、
人によって全然違うのだということも、解っていませんでした。

ところで、人が相手を拒絶する時、NOと言う時には、
いろいろなパターンがありますよね。
相手に事情があって断る場合や、
もうこちらに熱意や愛情がもてなくなった場合は、
相手の言葉から、「悪いとは思うけれど…」という
思いやりのニュアンスが感じられます。
この場合は、私なら「仕方ないけど…OK」だと思うのです。
けれど「こだわりやプライド」を優先する人からは、
そういうニュアンスはあまりなく、急にそっけなくされたりします。
つまり、その人達は一般的に、相手への思いやりを表現することよりも
自分のこだわりを大切にしていることが多いのです。
(例外もあります)

でも、これは安易に責めるべきことではない気がします。
前回も書いたように、その背景には双方の複雑な過去があるからです。
また、思いやりを示してもらえなかったのは、
こちらの責任であることも、十分に考えられます。
一方的に責める前に、自分の言動に原因がなかったかを、
振り返る必要があると思います。
 (相手の事情や予定を、きちんと把握していなかったり、
  誠実に丁寧に対応していなかった…など)

また、よく考えると私は「思いやりが何よりも大切」という
「こだわり」をもっていたのです。
だから人の「こだわり」を、間違っていると否定するのは、変なお話ですよね。
確かに人間的には、思いやりを一番にする人のほうが素敵だと思います。
ただ、それは価値観や優先順位の違いですよね。
またどんな人でも、常に思いやりを一番に持ってくるのは至難の技です。

私は、どんな人生も支配や強制ではなく、
自由意志で選ぶことに、意味があると思っています。
人はみんな、自由に生きていいのです。
ただし先ほどの原因のように、
「自分がしたことと、しなかったこと」の責任(結果)は、
やがて自然に…自分で負うことになります。
「自分が苦しい時に、助けてもらえない。
嬉しいことも分かち合えない」という結果です…。
良い悪いという意味づけよりも、人生には
シンプルな「原因と結果」があるのだと思います。
人間関係では、誠実にやるべきことをやっていなかった場合、
大抵双方が、この結果を負うことになります。
これを繰り返していると、自分の力を信じられなくなっていきます。
自信を失ってしまうのです。
誠実さは、自分の自信を守るためにもあるのです。

私を含め、これを解決するには、
人に指図や強制されることなく、
「自分の自由意思で、自分の行動を見直す」という
素直で謙虚な気持ちが、必要になってくると思うのです。
どんなことも罪悪感や義務感で動くのではなく、
自分でしたいから、そうするのでなければ意味がないのです。
これが結果的に、人に依存するのではない
「自分で自分を助ける方法」になるのかもしれません。


             **********

少しお話がそれますが…「こだわり」に関連して、
以前にあった私の体験から、ひとつ書きたいことがあります。
このお話は、みなさんに「私の考え方と在り方」を
ひとつの参考にしていただきたいと思うものであり、
私信や自己弁護を目的としたメッセージではありませんので、
どうぞ、ご理解ください。
いやな人は、読み飛ばしちゃってください。
(登場人物も、お友達や身近な人とは関係ありません)

みなさんもお気づきのように私の言葉は、
説明が多く、とてもくどいです。
それは過去に、説明責任を果たさず、相手を不安にさせたり、
たびたび誤解とトラブルが発生したことを、教訓としているからです。
今では、「できるだけ誤解を避け、正確な意味を伝えたい」という
大きな目的のために、「意識的に」そうしているのです。
それでも、まれに、…苦しさのあまり
ネガティブな感情でいっぱいになっている人からは、
…私の言葉の意味を、決めつけられてしまう事があります。

…「あなたのその言葉は、自分に有利に持っていくための心理操作でしょう?
隠そうとしても分かるのよ。 私の何を利用したいの?」というふうに…。
(ご存知だと思いますが、心理操作というのは、
下心をもって褒めたり、遠まわしに脅したり同情を誘うなどして、
相手を思い通りに操ることを言います)

本当に素直な気持ちで、褒めても励ましても、
それは下心があるようにしか思われず、
こちらの現状や気持ちという「事実」を伝えただけでも、
「遠まわしに私を責めるんだ。私のせいだと言いたいのね?」と、
びっくりするくらい、曲解されてしまう…。
こんなふうに人が何を言っても、つい裏の意味を読み取ろうとしてしまうのです。
それはきっと過去に、とてもいやな思いをしているので、
つい、そうなってしまうのですよね…。
ただ人を信じない人は、これが普通のことになっているので、
自分では、ほとんど気づかないものなのです。
だから、誰といても人間関係に、きしみが出てしまうのです。
人の言うことが、当てつけや、遠まわしな嫌味に思えたり、
偉そうに指図され、バカにされている気がするという人。
または、頻繁にプレッシャーをかけられているように感じたり、
何かを見抜いた気持ちになる人は、
…ちょっぴり用心が必要かもしれません。

どんな言葉も、疑いのフィルターをかけて見れば、
「ありがとう」さえも、偽善の言葉に変わってしまいます。
誰に対しても、うがった見方しかできなくなった苦しむ人に…
真実を伝えることの難しさを、感じています。
もちろん私の表現が未熟だから、問題が起こるのですが。

私がどんなに、「ウソは、ついていない」と言っても
このコラムのように、言えば言うほど相手の人には、
「それ自体がウソなんだ。力説しているのが怪しい」と思えるのでしょう…。
でも、たとえ冤罪でも、
「私の真実は私だけが知っていれば、それでいい」と
思うことがあります。
それは胸を張って立っている、
凛とした自分が、心の中にいるからです。

私も、ついうがった見方をして決めつけてしまう事は、あります。
でも、そんな気持ちを持ち続けたまま、
良い人間関係が保てたことは、一度もないと思います。
私は、解ってくれない人を、押さえつけるようにして解らせることは
その人の、「人としての尊厳と自由」を奪うことだと思っています。
だから私を完璧なほどに理解してもらわなくても、…もういいのです。
たとえ真実が証明できなくても。

私は私の真実を、純粋な目で、まっすぐに見ようとしてくれる人と
共に歩みたいと思っています。
…ただし、入り口にある「見えない扉」が、閉ざされることもないと思います。
私を信じて、見ようとする人には見える扉です。
私もまた、人を信じる、少女のような輝く瞳をもつ人で
ありたいと思っています。

疑いの目で見てしまう人にも、おそらく過去のつらい経験から来る、
譲れない「こだわり」があるのでしょう。
「こだわり」は自分を支える、大切なものです。
ただ、こだわりすぎると必ずと言っていいほど、トラブルが発生すると思います。
私の「完璧主義、思いやり至上主義」がそうであるように。
自分のこだわりが何なのか、はっきりさせておくことが大切です。
そしてそれに、こだわりすぎて、自分が苦しむ結果になっていないか、
きちんと分析しておかないといけないと思うのです。

私も、自分のこだわりや正しさに「こだわる」よりも、
みんなと平和に優しい気持ちで過ごすことのほうを選びたい…と
思うようになりました。
「正しさ」を主張しすぎたり、頑固に意地を張ってしまっても、
誰一人として、穏やかであったかい、
ふんわりした気持ちにはなれないのでした…。
誰しもが、「ほんとは仲良くしたい」そう思っているはずなのに。


            **********

あっ…お話がそれてしまったので、戻しましょうね。
「完璧主義と思いやり」についてでしたね。
えっと…

完璧主義の人が傷つくとき…
それは相手を、「いつもいつも、思いやりをもって行動できる人」

だと思い込んでいるところに、問題があるのです。
少なくとも私はそうでした…。 
気がついていませんでしたが。
でも、自分のことに置き換えた時、それがいかに
無茶苦茶な要求であったかが解ったのです。

 「私は、いつもいつも礼儀正しく、思いやりをもって行動できているだろうか?」
 「人の要望に、NOと言ったことは一度もないだろうか?」
 「傷つけると解っていても、断らざるをえなかった時は、一度もなかっただろうか?」

答えは…NOでした。
体調が悪かった時、他の問題で悩んでいた時、
何かに夢中になっていた時…。
いつもいつも思いやりをもって行動できていたとは、
とてもとても、恥ずかしくて言えません。

「私は人を傷つけたことは一度もない」と胸を張って言える人は、
これからも人に対して、「完璧な優しさ」を求めても構いません。
そして、これから先の長い人生でも、「絶対に人に、ひどいことはしない」、
「思いやりを忘れることは一生ない」と想像できる人は、
人が優しくしてくれないことを責めてもいいと思います。

さて、あなたは完璧主義でしょうか…?
それとも思いやり至上主義でしょうか?
今までで深く傷ついた時、怒った時、
相手に「完璧な優しさ」を期待していませんでしたか…?


              **********

            ★【減点法をやめよう!】

これから書くことは、すでに体験的に知っていて
実践しているという方も、たくさんいらっしゃると思いますが、
参考までに読んでみてくださいね☆

たとえるなら完璧主義の人は、自分がテストでは80点だったのに
人には100点を取ることを求めてしまう人なのです。
自分が相手を傷つけていることは、記憶から排除しても
相手が一度でも、こちらを傷つけるようなことをすると、
なかなか許すことができません。
完璧主義の人は、言い換えると、「減点法をする人」なのです。
減点法というのは、とにかく不毛なものです。
それは、先ほども書いたように
「いつもいつも100点を取ることを望んでいる」からです
減点法なので、誰と仲良くなっても、
1回でも「冷たい態度」や「非常識な行動」と
思えるようなことをされたら、ほとんどそこで終わりです。
「この人も、やっぱりだめだった」と言って…。
仮に1、2度は許せても3度目は…ないでしょう。
だから相手がどんな人でも、人間関係が長続きしないのです。
でも人の失敗というのは基本的に、ずっと続くものです。
前回も書きましたが人は同じような失敗をするのが、当たり前だからです。

減点法を使っている限り…残念ながら一生幸せにはなれないでしょう。
それは自分に対しても、いつも減点法を使って
「また今日も、うまくいかなかった」と思うからです。
人が優しくないと…いつもがっかりしているからです。
うまくいかなかったことばかりに注目していたら、
どんなに頑張っていても、やる気も自信も育つことはないでしょう。
また、相手のあげ足を取るクセがつくと、
相手が本来持っている、「大きな優しさ」と触れ合うことができなくなるのです。

私達は、小さい頃から学校でテストを受けて育ったため、
加点法で、物事を見られる人は、とても少ないのです。
テストで仮に80点を取っても、「20点失敗していなければ…」と、常に減点法です。
80点を取ったことは、自分でも認めないのです。
でも本当は、0点を基準にすれば、80点も取れているのですよね。
だから人に対しても、「あの人は今日、20点失敗した」と思うのではなくて
「確かに失敗したけれど、それでも80点も取れている」というように
考えるクセをつけてほしいのです。
これが仮に、30点でもいいのです。
全く何にもないのではなく、30点もあると思えると
人間関係は、とてもスムーズに運ぶようになります。

相手が、できないことに文句を言うのではなく、
できていること、過去にしてくれたことに感謝するのです。
「減点法」から「加点法」に切り換えるのです。

時々声をかけてくれること、見守ってくれること、
そばにいてくれること、お世話をしてくれること…。

人がしてくれることで、当たり前のことなんて、どこにもないのです。
これは、そばにいる家族を思い出すと、良い例になるかもしれません。
(一人暮らしの方、海外にお住まいの方は、お世話になっている方で)

私のことでもありますが、今自分の身近にいる人がしてくれていること、
過去にしてくれたことを、真剣に考えたことがある人は、
どのくらいいるでしょうか…?
もしもその人が、明日ふっ…と何処かへ消えてしまったとしても、
みなさんは、全く困らないでしょうか…?
伝えておきたかったことは、何もないでしょうか?


私の周りにも、さりげなく時に力強く、支えてくれる人達がいます。
…いつも、ありがとう☆

それでも、
「う~ん そんなこと言われても、言うは易し行うは難しだから…」という人は、
これからご紹介する方法で、自分自身にも、加点法を使ってみてくださいね。
以前、うちの常連さんでも、
「自分の行動を自分で評価していく」という方法を
考えて実践されている方がいましたが、
たぶん基本的には同じだと思います。(ご報告ありがとうございました)
その方も効果があったとおっしゃっていたので、
結構効くのではないかと思います。
これから説明する加点法は、特に夜寝る前が、おすすめです。
ちなみに私がご紹介する方法では、なるべく小さなこと、
人から見ると、「やって当たり前なこと」に焦点を当てて、
自分を褒めてあげてほしいのです。

これには理由があります。
人が褒めてくれるような大きなことでは、あまり意味がないのです。
それは、心の中で人と比較するクセを強調してしまうからです。
誰かと比べて、立派だから褒めるという方法は、
なるべくしないほうがいいのです。
それよりも、1ヶ月前の自分より良くなったと思うところや、
本当に、ささやかなことがいいのです。

では、具体的な褒め方を書いてみますね。
以下は私の一日ではありませんが、参考にしてみてくださいね。
特に終わりの承認する言葉が大事なのです。

「えっと…今日は何をしたかなぁ…?」と考えて、
そうそう、
 
 「TVや新聞で必要な情報を集めた…よしよし」
 「休んでいた塾に行った…えらいえらい」
 「本を読んだ…うんうん少し賢くなったかも」
 「子供をぎゅっと抱きしめた…よしよし」
 「綺麗にお掃除をした…おつかれさま」
 「自分のどこが悪かったのかに気づいた…頑張ったね」
 「掲示板にカキコした…勇気出したね」
 「予定をきちんとやり終えた…おつかれさま」
 「体を休めるために、のんびりした…OKOK」
 「昔のことを振り返って反省した…うんうん頑張ったね」
  最後に、「今日もいろんな事したなぁ☆ よしよし、お疲れさま」 で終了です。

この、人からは「やって当たり前」と思われる小さなことに
焦点を当てて、自分を褒めることで、
人から何かをしてもらった時に、それが小さなことであっても
ありがたいと思えるようになるのです。
義務感から感謝するのではなく、素直な心で「ありがとう」と思えるのです。
私も本格的に始めたのは、わりと最近ですが、
実際にやってみると、「私って意外といろんなことしてたのね…」と
自分のことを、少し認められるようになった気がします。
また人がしてくれていたことにも、以前より深く感謝できるようになったと思います。
みなさんも慣れてきたら、次は「今日、人がしてくれたこと」に変えて
褒めてみてくださいね。

この「自分で自分を褒める方法」が最終的には
「自分を好きになること」、「自信」、「人を尊重する気持ち」に
繋がるのだと思いました。
人と比べて、勝った負けたという方法は、
大抵、他人からの評価が基準になるため流動的で、
本物の自信を育てることには、ならないのです。
やはり小さなことを粗末にする人には、大きなこともできない気がします。
「今、自分にできること」から始め、
自分の足で階段を、ひとつひとつ上っていきたいと思います。

なお、「自分で自分を褒めるのは、どうもピンと来ない」という人は、
好きなアーティストや、アニメのキャラクタなどを想像して、
褒めてもらうのもいいと思います☆
視覚的な癒し効果も兼ねるので、疲れている人には特におすすめです。

それでも完璧主義が直らず、人の思いやりのない行動やマナー違反が
どうしても許せないという人がいたら
今日からあなたが人をがっかりさせたり、問題を起こさないようにして
3ヶ月だけ、過ごしてみてくださいね。
(だからといって人と交流を持たなかったり、話さないのは意味がありませんが)
そして3ヵ月後にもう一度、このコラムを読んでみてくださいね。
果たしてあなたは、何の問題もなく過ごせたでしょうか…?
誰にも不愉快な思いをさせなかったと言いきれるでしょうか…?
そう…あなたが人に望んでいたことが、
どんなに無謀なことだったかが解るはずです。

なお、これは何でも許せばいいという意味ではなく、
許せなくて苦しんでいる人のための方法です。


今日からみなさんも、「減点法」から「加点法」に切り替えてみませんか?
それだけで、落ち込む回数が減ることを、少しだけお約束しますよ♪
またできるだけ毎日、「自分で自分を褒める」ことができれば、
人を批判する気持ちも、やわらいでいきます。
その平和な気持ちから、自分の手で未来を創り上げていく勇気と、
やる気が生まれるのではないかと思います。

長くいろいろと書いてきましたが、私の考え方や私自身に、
なんだか違和感を感じるという人は、
決して無理をしないでくださいね。
人は誰でも、何度でも…拒絶する自由があるのですから。
人の言いなりにならず、自分の意思で考えること、
それは、とても大切なことだと思います。
住む場所や考え方が違っても、それぞれの活動域で、共に頑張り、
それぞれの二度とない時を、力強く前に進んでいけたら、
私は、それだけで素敵だと思うのです。


安心感のある、柔らかい温もりのような人との繋がり…
それは手を伸ばせば、いつもそばにあるのに、
今は、ちょっと見えなくなっているだけ…なのかもしれない。
…たとえ今は、暗闇で独り立ち尽くしているように思えても。

…人を信じられない震える自分ではなく、
緊張しきった毎日でもなく…
爽やかで堂々とした自分と一緒に、歩くことができたら…
もう怖いものはないはず。
いえ…私も含めて、変わりたいと思う人なら、きっとできるよね…☆
そして気がついたら…
完璧でなくてもいい、失敗しても許される
穏やかな人間関係が、そばにあるのではないでしょうか。


さて、みなさんは今、
これからどんな人になっていきたいと思っていますか…?

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

あるサイトからの抜粋です。落ち込んだときに読むと元気が出てきます。




  

私は、トラブルが起きて落ち込むたびに、
「今回の私はいったい何が、いけなかったのだろう…?」と考えるようにしていました。

「元気になる方法」で、かなり元気になったとはいえ、
自分の核心に触れるようなことに関しては、まだ見事に動揺していました。
…一番大事なところが見えていない…そんな感じでした。
そこで、「私が冷静に対処できるものと、
そうでないものの違いは、一体なんだろう?」
と考えたとき、それは突然…ひらめきました!
最近のいくつかの動揺も、
 あの日の立ち直れないほどのトラウマも
 『すべては私の「完璧主義・思いやり至上主義」 が原因だ』と!


私は、自分のことを最近まで完璧主義だと思っていませんでした。
ちょっと真面目とか、几帳面というくらいにしか。
完璧主義の人は、自分のことをあまり完璧主義だとは思っていません。
まるでダジャレのようですが、完璧に完璧主義ではないからです(笑)
おそらく落ち込みやすい人のほとんどは、完璧主義の要素を
かなり持っていると言ってもいいでしょう。

それでも私の完璧主義のクセは、3年前の半分以下には減っているのです(^-^;)
たとえば以前は、ネット上の誤字脱字が、気になってしかたありませんでした。
私は、自分が書き込みなどで、一回でも誤変換しようものなら、
もう恥ずかしくてたまりませんでした。
それは周りの人に「頭のいい人」だと思われていたいからでした。

でもこのサイトを始めて、メールやレスなどをたくさん書くようになってから、
完璧主義をやめるように努力しました。
なぜなら、誤変換を気にして長文で書いたものを何度も読み返していたら
時間がいくらあっても足りない…と気付いたからです。
そこで自分に「誤変換も、誤字脱字も、たまにはいいじゃない♪」…と、失敗を許したのです。
そうしたら、以前は気になっていた人の誤字脱字も、全く気にならなくなりました。
「頭のいい人」と思われるのをやめて、 私は、「ちょっと大らかな人」となることを
選択したのです(笑) d('-^o)

学校の成績が優秀だった人ほど、誤字脱字を許しません。
学校のテストでは、1回でも失敗は失敗であり、減点されるからです。
でもそれは、学生時代の癖が残っているだけです。
確かにあまりにも多いのは、問題がありますが、
たまに間違うくらい、人間だから当たり前のことなのです。
学校の先生や、お仕事でもない限り、
そんな小さなことで、自分や人のあげ足を取るほうが
「人間的に、ずっと恥ずかしいことなのだ」…と私は思うようになりました。

私は、今までにも自己啓発の本などで
「完璧主義をやめよう」という内容を、何度も目にしてきました。
でも自分では、本気でそう思っていないため、結局ひとごとだったのです。
だから本を読んでいても、きちんと自分のものにはしていませんでした。

              **********


       

★【あの人は、どうして解ってくれないの?】


傷つきやすい人、完璧主義の人は、自分では全く気付いていませんが
人に対して、 「ものすごく高い要求」をもっているのだそうです。

(↑岩月謙司さんの著書より)


ちなみにみなさんは、人に対してこんなふうに思ったりしませんか?

 「どうして気持ちを解ってくれないの?」
 「大切な時なのに、なぜ立場を理解してくれないの?」
 「また無視された」
 「どうして、あんなに冷たいことができるのだろう?」

…ん?
 「そんなに高い要求ではないじゃない…」と思ったあなた、
けっこう危険(?)…かもしれません。
完璧主義の人は、自分の能力が高いため(私は違いますが…(^-^;))
他の人も、自分と同じようにしてくれるに違いない、と思っているのです。
自分ができることは、人もできると思っています。
たとえば、理解力が優れている人、知性の高い人は、
自分がわざわざ言わなくても、
相手も察して、気を利かせてくれるものだと思い込んでいます。
他にも、携帯メールを一日何十通も送るような「マメな人」なら、
仲間からのメールが一日なかっただけでも、大騒ぎになります。

また本来は能力が高いにもかかわらず、病気や忙しさのために
思うように生活ができない人も、人に対して高い要求を持っているのです。
 「私は今は、たまたまできないけれど、他の人は時間も
  精神的な安定もあるのだから、できないはずはない」と…。

「私はできないけど、あたなにはしてほしい」と、
とても無茶なことを、当たり前のように考えています。
だから人に対して「どうしてできないの?」、「どうしてしてくれないの?」と
しょっちゅう怒っているのです。
自分は、できないことをすっかり忘れて…。
(はい、私も時々あります…反省(-_-;))

完璧主義の人は、人間がとても不安定な生き物だということを忘れているのです。
一見健康そうで、なんの悩みもなさそうに見える人でも、
頻繁に失敗したり、落ち込んだりしていることを知りません。
そこで私を含む完璧主義の人は、認識を改めることをしなくてはいけないと思うのです。
「人は、できることが当たり前ではなく、できないほうが普通なのだ」、
また「人は、同じ失敗を何度もするものだ」と。
こう思えない限り、ふつふつと沸き起こる怒りや不安が、
一生消えることはありません。

みなさんは、学校や職場などで、
「相手に何度も注意しなくてはいけなくて、イライラする」
といった経験は、ありませんか?
ちなみに私も最近知ったのですが、ある研究者によると
人はひとつのことを、7回以上言われないと覚えないのだそうです。
会社などでは、「社員は7回言われないと覚えない」として有名で、
それに合わせた教育プランが作られているところもあるようです。
7回…って、思ったより多い気がしませんか?

誰だって、嫌われるばかりの注意はしたくないですし、
いちいち指摘される方も、つらいですよね…。
ただ、この7回という数字を知っておけば、完璧主義に陥らず
「1、2回失敗しても、少ない方よね」と
相手を寛容な目で、見ることができるようになると思うのです。
ただしこれを自分への言い訳にして、開き直ることはいけませんね…(^-^;)
失敗したほうは、「もう一度相手に言わせる前に、自主的に気をつけよう」
という気持ちをもつことが大切ですよね。
(あぁ 自分の耳が痛い…)

              **********


      ★【人は何故、平気で「ひどいこと」をするのか?】


ところで、通常の人間関係で人が一番落ち込むことといえば
それは親しい人にNOと言われたり、拒絶された時ですよね?
やっと口にしたお願いを断られた時、無視された時、去られた時…。

そんな時、人は思います。
「どうして、そんなに思いやりのないことができるの…?
私は、そこまでされるほど極悪非道なことをしていたの…?」
そうですよね…。
一生懸命がんばっていたのに…突然冷たくされて、
悲しみの底に突き落とされる。
ただ悲しくて、何も見えなくなってしまう。

でも、少し待ってくださいね…
そのお相手は、いつもいつもあなたに冷たいわけではないですよね?
人が突然冷たくするのには、必ず理由があります。
「忙しくて、体調が悪くて、どうしてもできなかった」
「その人のこだわりやプライドに反することで、どうしても
YESとは言えなかった」など…。

理由が前者の場合、たいていの人は理由が解った時点で
「それでは仕方ないかも…」と思うことができます。
問題になるのは、後者の場合ですね。
相手のこだわりやプライドというのは、ふだんはっきりと言葉にされることがないため
とても解りにくく、きちんと把握している人は少ないのです。
そして、解らなくて不安になった人は、自分の物差しで
「冷たくされた理由」を勝手に考えてしまうのです。
「もう嫌われてしまったんだ」、「私のことを大切に思っていないんだ」などと…。
そして心を閉ざして、問題を悪化させていきます。
これは私もよくやってしまう失敗なのですが…、
このように人の気持ちを決めつけることは、とても失礼なことだと思います。
また推測は推測でしかなく、真実ではありませんよね。
「人の気持ちは、相手に聞いてみるまでは解らないのだ」と
しっかり覚えておくことが必要ですね。

ところでみなさんは、人にお願いをした場合、
相手が「YES」と言ってくれる確率は、どのくらいだと思っていますか?
50%…くらいでしょうか?
実は私たちが思っているほど、確率は高くないのです。
人が、あなたの希望を叶えてくれる確率は、
普通で、25%以下だと思っていてください。

タイミングや気分など、いろいろな場合を考えると、実際は、このくらいなのです。
「相手は解ってくれるだろう」という「期待」にも、同じことが言えます。
しかし傷つきやすい人、完璧主義の人は、
一回でも断られたり、うまくいかなかったりすると、すごいショックを受けます。
私もそうでした…。
もう全てが、だめだと思ってしまうのです。
相手も否定するし、YESと言ってもらえなかった自分も全否定します。
だから、ひどく傷ついてしまうのです。
でも現実は、たとえ相手が親友でも、長いお付き合いの人でも
NOと言われることは、結構あるのです。
場合によっては、それが裏切りと思えたり、
やむをえない別れになることもあるでしょう…。

でも人には、どうしても譲れないプライドやこだわり、事情があるのです。
プライドやこだわりとは、その人のアイデンティティ(この場合は独自性)を
支えるものなので、たとえどんなに好きでも、仲良しでも譲れない場合があるのです。
もしも無理して譲ってしまったら、その人は今までの自分を否定することになり
自信を失い、生きていけなくなるからです。
だからNOと言われても、それはあなたに対する気持ちとは、
まったく別のものなのです。

また、そのこだわりの背景には、トラウマが元になっている
思い込みや、決めつける気持ちがあることも多いのです。

 「人は信用できない、いつも人に見捨てられる」
 「男性は女性を召使いのように軽く扱う」
 「女性は男性をバカにしている」
 「誰かが親のように指図したりコントロールしたりする」…など。

このような気持ちが根底にあり、そこからくる過剰反応が、
トラブルを起こしてしまうことがあるのです。
それは、
 
 「過去に、誰かに支配され自由を奪われた経験がある」
 「何かを強要され続けたことがある」
 「裏切られた経験、誤解された経験」からの過剰防衛…などが考えられます。

今まで、みなさんがつい怒ってしまったことでも、
以前、他の誰かに「同じようなことをされていた」ための
過剰反応だった、ということはありませんか?

ところで、もし相手の理由がわかったとしても、やはり冷たくされた時には、
「私は、あの人のこだわりよりも劣る存在なの…?」
という疑問が浮かびますよね?
大変厳しい言い方になりますが…実は、それは当たり前のことなのです。
それは人が自分の命や独自性を最優先するように、
遺伝子にプログラムされているからです。
先ほども書いたように、
「こだわりは、すなわち、その人の命」なのです。
思いやりよりも、こだわりが優先されるのは、このためです。

また「思いやりよりも、こだわりが優先されるのは、よくあることだ」と
知っておいたほうがいいでしょう。
どんなに愛していても大切に思っていても、
悲しいけれど…人は時々、非情なことをしてしまうのです…。
この大原則をしっかり覚えておかないと、たびたび傷つくことになります。

このことは、人への思いやりという視点で考えると、
とても寂しい気持ちになりますよね…。
だけど、相手が長年かけて築き上げてきた、こだわりを理解すること、
そして相手に聞くことができない場合なら
「それを察する気持ち」を持つということが、大事になってくると思うのです。
それが自分の中の「思いやり至上主義」という偏った考えを、
改めることに繋がるのです。
そして「人に完璧を求めない自分」、「傷つきにくい自分」、
「本当の意味での思いやりが解る自分」を育てることになると思うのです。
私は最近、人の言いたくても言えない心を
「察する」という気持ちを忘れていたように思います。
これでは、みなさんに偉そうなことを言っている場合ではありません…ね。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

子供のときは鵜呑みにしていたんだけどTVがやらせだってのは、TVに出演したときにわかった。

とくにひどいのが、バラエティー番組。

もう、脚本ができていて、指示されたとおりにうごいたり、しゃべったりする。


TVを見ていると、うまく編集されていてイカにも偶然いろんな出来事が起こるようになってるような感じだけど、全部演出。

素人がでてるのなんか、ノンフィクションみたいだけど、あれ、全部しくまれてるんだよね。


ようするにTVドラマの女優さんになった感じ。


そんなの見て鵜呑みにしていたし、TVの影響力ってすごいよね。


日本の国民があれを見て洗脳されてるんだから。


それと日本のマスコミ、うそが多い。真実を伝えていない。

もちろんそれは日本だけじゃなくて、アメリカもひどいけどね。


なにを信じていいのかわからなくなってくる。


とくに映像と音声のダブルパンチはかなり洗脳されそうだし。


ほんとに。


だから、私はTVはほとんど見ない。


必要な情報はネットや口コミでさがしている。



あるある元関係者「いつかこうなると思った」
 「納豆でやせる」と実験データを捏造したことが発覚し、打ち切りが決定した『発掘!あるある大事典2』(関西テレビ制作)に、新たな捏造が指摘されている.......... ≪続きを読む≫


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

私も去年の10月から獣鳥の肉をきっぱりやめた。


理由は、もっと早く成功するのにパワーをつけたいからというのと、もっと運を良くして成功への道を加速させたいから。


ダイエットや動物愛護とうよりは、スピリチュアル的な意味のほうが強い。


願掛けみたいな。


大好きだった肉をきっぱりやめる。


「スタミナがなくなる」というのは真っ赤な嘘。



食べないほうが体が軽くて頭も冴える!!!!


それに太りにくくなると思う。

私はこの新谷博士の食事療法を参考にしている。


自分の両親にぜひ勧めたい本だ。

いままでの栄養学の常識は日本人にはあっていなかったみたいだ。

元看護婦の母親でさえあの頃はずっと間違った栄養学を実践してたんだからね。

だから私は子供のときからずっと肥満に悩まされてきたのだ。

学校給食から間違っていたのだから。


病気にならない生き方 -ミラクル・エンザイムが寿命を決める-/新谷 弘実
¥1,680
Amazon.co.jp

病気にならない生き方 2 実践編 (2)/新谷 弘実
¥1,680
Amazon.co.jp

何人もいろんなセレブにあってると、黒人のヒップホップの歌手もベジタリアンがいるのだ。

黒人といえばいろんなルーツのひとがいるけど、ジャマイカンのラスタマンと呼ばれるレゲーのミュージシャンたちはベジタリアン。

でもアメリカのヒップホップ系だったらゲトーの人が多いので、ジャンクのハンバーガーとかチキンとか太るものばかり食べてそうなんだけど、みんなやはり体重とかきにするんだろうね。

それに、良い曲をつくるのにスピリチュアルになるのかもね。


とにかく、マドンナをはじめ、結構ミュージシャン系のセレブは肉を食べません。

女優さんも体重管理とかアンチエイジングのために肉を食べない人多いと思う。


だから、もしこうゆう人たちと関わりたいのなら、ベジタリアンになって、タバコもきっぱりやめることが第一条件でしょうね。自分のためにもなるしね。



こちら野口さんのブログの抜粋です。

こんな理由でアメリカではLOHASがはやってるんですね。



LOHASという言葉は、Lifestyle Of Health And Sustainability の頭文
字だそうです。
「自分の健康や幸せと同時に、地球環境や周りの人の幸せも考えて行動
するライフスタイル」
のことです。

このLOHAS,日経MJの今年上期の“ヒット商品番付け”で、なんと
西の大関になっています。
(ちなみに東の大関は“愛知万博”)



アメリカでは、すでに成人人口の約3割(5000万人以上)がLOHAS
消費者と言われていますが、ポール・レイ博士によれば、この10年で
人口の半分までいく可能性があるとのこと。

また、ヨーロッパでは、すでに8000万人ものLOHAS消費者がいます。



日本では、LOHASという言葉の認知度は現在約15%と、アメリカや
ヨーロッパから見ると、まだ遅れています。
しかし、日本におけるLOHAS市場の規模は、20兆円といわれていま
す。

今後、ますます広がっていくものと思われます。



LOHAS消費者の傾向としては、次の5つが挙げられます。

1.持続可能な経済の実現を願っている
   (風力発電などの代替エネルギー、緑化を助ける商品、など)

2.健康的なライフスタイルを送っている
   (オーガニック&自然食品、など)

3.予防医学・代替医療を心がけている
   (自然治療、東洋医学、ホリスティック医学、など)

4.自己啓発のために投資する
   (精神性向上のための本、自己実現、人間関係への時間投資、心と
    体とスピリチュアルなもののバランス、など)

5.エコ・ライフスタイル
   (環境にやさしい商品、など)



「ずいぶん、幅広い特徴を持っているんだな」とか「自己啓発とエコ・ラ
イフ、どんな関係があるの?」とか、疑問に思った方もいるかもしれませ
んね。

この5つの項目は、深くつながっているんです。



LOHASのベースにある世界観は、個人と全体がつながっているという
考え方です。

ですから、「自分さえ健康で幸せになればいい」という考え方とは違いま
す。
また、「自分を犠牲にして、社会のために尽くす」という考え方とも違い
ます。



『自分の健康や幸せを追求するとともに、全体(社会)の幸せをも同時に
考える』のです。

以前、
「真の幸せ、最高の幸せとは?」という記事 で、宮沢賢治の次の言葉
を紹介しました。
LOHASに通じるものがあります。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」



これまでの「効率優先、便利さ優先の経済」によって、地球温暖化をはじ
めとする深刻な環境問題が生じました。

また、経済的豊かさのみを優先した結果、「お金持ちにはなったけど幸せで
はない」という人もたくさん出てきました。



こういった過去の時代の流れに対する危機感の中で、このLOHASが広
がっているように思います。

本当の幸せ、本当の自己実現を世の中が求めているんだと思います。



「世の中全体が、幸せ成功力を高めようとしている時代」
こう考えると、ワクワクしてきます!

日本をロハスに変える30の方法 ― BUSINESS LOHAS/ローハスクラブ
¥1,500
Amazon.co.jp

anemone (アネモネ) 2006年 07月号 [雑誌]
¥870
Amazon.co.jp

MY LOHAS (マイ ロハス) 2007年 01月号 [雑誌]
¥600
Amazon.co.jp


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。