確実に割高で、可採埋蔵量の点でも確実に劣る発電方法 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 世間などというものは、頭の中で作り上げた虚像に過ぎず、実のところは、おひとりおひとりの人間が、それぞれ、霧の中を手探りで進むように、おっかなびっくり生きているだけなのかもしれないけれど、ときに、「世間で主流の思考や行動様式から、かなり掛け離れて生きるのは、それはそれで、生きづらいものだな」と、思うことがあります。

 人間(じんかん)到る処青山(せいざん)あり。人が生きる間(はざま)、世界には、至る所に、骨を埋めるにふさわしい土地がある。
と言われているようだけれど、生きとし生ける物は、活動を終え、動かなくなれば、分解されて土に還る。土に還る身であるならば、至る所どころか、全ての土地は、青山ではなかろうか。僕は、そう思っています。人は、この惑星を、日本語では、地球(=地、大地の球)、英語では、the Earth(=soil、そのもの)と、呼んでいます。

 土に還る身である僕は、ある意味では、「生まれて、生きて、息絶えて、土に還るまでが人生だ」と、思っています。できれば、子々孫々の者に対し恥じないように、土に還りたい。
その土の中に、自分を含むいわゆる先進国の現代人が、便利で快適な生活をするために実行してきた原子核分裂(つまり、原子力発電)に伴い放出された放射性廃棄物を、ガラス固化体と呼ばれる状態にして、埋めてしまうことは、子々孫々の者に対し、顔向けできることなのか。

 感情論もさることながら、ウラン鉱をもとにする発電は、単年度ではなく複数年度、それも、100年、1,000年、10,000年単位の複数年度で、厳密に原価の計算をすれば、他の鉱物である石炭や原油をもとにする発電と比べ、限りなく割高であり、また、可採埋蔵量に着目しても、他の鉱物をもとにする発電と比べ、はるかに劣ることは、今更、言うまでもないことだと、僕は思っています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則