2011年12月31日(土) 15時37分22秒
福島県:いわき市小名浜
311から10ケ月近く経ちます。いわき小名浜へ帰った時の写真をUPします。
震災直後の写真と比べると、かなり復興したように見えました。
らら・ミューやアクアマリンは復興し今はOPENしていますが、
いわき市江名のほうは特に民家の被害が多く、言葉もなく写真が撮れませんでした。
無事だったいわきの親せきや知人にも会ってきましたが、皆本当にたくましく生活していました。
311からの生活を話してくれました。
農家の人にとっては野菜も子供のようなもの。
原発で畑の野菜をすべて処分した時のこと。
知人が東電社員なので、妻と子供を市外に避難させて原発で働いていること。
1ケ月水も出ず、食料も少なく、そしてお風呂に入れなかったこと。
原発が水素爆発してすぐ、近所の8割の人が県外に避難して街が閑散としていたこと。
勤務していた病院も皆避難して、先生と看護師の2人だけで大勢の患者を診てきたこと。
原発20キロ圏内から避難されてきた近所の大規模仮設住宅のこと。
でもこうして生きているという幸せのこと。
そして
2万人近くの犠牲になった方や、家を失った方、原発で帰れない方がいる現実が今あるということ。
言葉がみつかりません。
来年は皆さんにとってよい年でありますように。
震災直後の写真と比べると、かなり復興したように見えました。
らら・ミューやアクアマリンは復興し今はOPENしていますが、
いわき市江名のほうは特に民家の被害が多く、言葉もなく写真が撮れませんでした。
無事だったいわきの親せきや知人にも会ってきましたが、皆本当にたくましく生活していました。
311からの生活を話してくれました。
農家の人にとっては野菜も子供のようなもの。
原発で畑の野菜をすべて処分した時のこと。
知人が東電社員なので、妻と子供を市外に避難させて原発で働いていること。
1ケ月水も出ず、食料も少なく、そしてお風呂に入れなかったこと。
原発が水素爆発してすぐ、近所の8割の人が県外に避難して街が閑散としていたこと。
勤務していた病院も皆避難して、先生と看護師の2人だけで大勢の患者を診てきたこと。
原発20キロ圏内から避難されてきた近所の大規模仮設住宅のこと。
でもこうして生きているという幸せのこと。
そして
2万人近くの犠牲になった方や、家を失った方、原発で帰れない方がいる現実が今あるということ。
言葉がみつかりません。
来年は皆さんにとってよい年でありますように。




























