幸せのみつけ方

みなさん、ちゃんとご存知なんです。
忘れているだけです、思い出してください・・・


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こんにちは、みなさん。




もうすぐ私の母方の法事があります。
そんな話をしていたら、たまたまある詩に出会いました。



私にも同じような経験があるので、もらい泣きしました。
ご紹介したいと思います。




ばあちゃん


糖尿病を患ってて、目が見えなかった、ばあちゃん。


一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする。


一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんの体が弱っているのは子供だった私でもわかった。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、
ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。

たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ、私だってわからなくなっていた。

「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばぁちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。

それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなっていった。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。

誰が誰だか、わからないんだって。

私のことも、わからなくなっているらしい。
なんとなく、覚悟は出来てた。けれど、悲しかった。

それから半年くらい過ぎた頃、 ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終った。

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。


「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』ていう封筒が入ってたんだよ。」
そう言って、私に封筒を手渡した。

ばぁちゃんの字で、"さぁちゃんの"って書いてあった。
中身は通帳だった、私名義の。二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話しいた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」

「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。






玲奈のお婆ちゃんは、どちらも他界しています。
私の母が少ない年金から毎月姪や甥のために学資保険を積み立てています。



私のお婆ちゃんが私にしてくれていたことを今は私の母が孫にしています。




お婆ちゃんは、私が高校を留年した時に泣きながら電話をかけてきて、



『玲奈、ごめんね。ごめんね。お婆ちゃん、今、お前を抱きしめてやることもできゃしない。情けないね。
泣いてないかい?お婆ちゃんのとこに来るかい?』




本当に優しい祖母でした。
私の父を含めて6人の兄妹は、みんな祖母を尊敬していました。
怒ったことがなく、声を荒げだこともなかったそうです。
とにかくいつも穏やかで優しかったと父は話していました。




私は、父が大好きでした。
祖母にそっくりでした。
高校時代、ある時から祖母の家から通うようになりました。
京都から2時間かけて奈良市内の高校に通っていました。




私と祖母が暮らした一年は、私の財産のひとつです。
暮らして本当に良かったなと思っています。
祖母の家から通うことを快く承諾してくれた父にも感謝しています。




私と祖母のふたり暮らしでした。



ある日、祖母が私にお腹を見せて

『玲ちゃん、お婆ちゃんのお腹どんどんカエルさんみたいになるね、便秘かな』


『ほんと~ 便秘薬を帰りに買ってきてあげるね。苦しいの?』


『そうだね~、ちょっとだけ苦しいかな』



そんな会話が二ヶ月ぐらい続き、
私は便秘薬を飲んでもまだ大きくなるお腹をみて少し焦りました。



そしてある土曜日に学校を休んで病院へ連れていくことにしました。
病名は腹水炎でした。緊急入院と言われたことが、あの時かなりショックでした。




それから三週間、
祖母は他界しました。もっと早く病院に連れていけば良かったと後悔し、泣きました。




その時に父は、
『そうかな~、そうじゃないな。お婆ちゃんはお前を置いて病院なんかで、おちおち寝てられないと思うよ。
今日がなんの日か覚えてるか?お爺ちゃんの命日、一周忌だよ。
親父、自分が寂しいもんだからお袋を連れていきやがった(笑)
だから、絶対に玲奈のせいじゃないさ』

私はその言葉に救われました。



私が大学に合格した朝、父から色あせた貯金通帳を見せられました。
毎月、3,000円づつ積み立てしてあり、16年間貯めていたそうです。




このお金に恥じない大学生活をしなくちゃな。そう父は言いました。




お婆ちゃんの49日に、今度は父が他界しました。父は、ガンでした。
父の亡骸にすがり尽くように泣く母に



『痛み止め薬が効いているうちで良かったのよ、お母さん。
薬が効かなくなって痛さが増す前に、お婆ちゃんが連れていったのよ、きっと。だからこれで良かったのよ』



母は、ようやく父から離れました。



父は心臓マヒでした。どうして心肺停止したかは理由はわかりません。
ただ苦しまなかったことだけは分かりましたので救われました。不思議でした。




大事な人を一年のうちに、ふたりも亡くしました。
ですが、短い間でしたが祖母と父にはたくさんの教えと愛情を貰ったと感謝しています。




無償の愛、
動物は命をかけて子を守り育てます。
人間は今、どうなんでしょうね。
無償の愛を注げていますか?



まだ、あなたのお婆ちゃんやお爺さんがご健在ならば是非ともお顔を見せに行ってあげてくださいね。
きっと待っておられるはず。




就職先が決まったことをふたりの墓前へ真っ先に報告をと車を走らせたのを今でも昨日のように覚えています。




私の名義の祖母の積み立て金を遣うことが未だに出来ません。
だから、私はこの祖母の思いを受け継ぐことにしました。



私には子どもがいません。
だから甥の名前で積み立てをはじめました。
彼の夢は、脳外科医。



祖母の積み立て金をこれからは私が引き継ぎます。
彼の夢のために、今度は私が。




明日もまた、あなたのために日は昇ります。


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こんにちは、みなさま。




世界に影響力を持つユダヤ人とは?
ユダヤ人といえば、一般的には、アインシュタインやロスチャイルド、スピルバーグといった金融、科学、文化の面で世界的に活躍している、白人のことを指しますが彼らはローマ帝国にエルサレムを追われたユダヤ人とは異なります。
基本的にユダヤ人という民族はいません。ユダヤ教を信仰する民がユダヤ人なのです。


白人のユダヤ人は今からおよそ1000年前のカザール人が起源であると言われています。
当時のカザール王国はキリスト教の東ローマ帝国とイスラム教のイスラム帝国という宗教を軸とする2大帝国にはさまれた、立場の弱い国でした。
カザールの王様はもめごとを嫌い、キリスト教とイスラム教の両方の宗教の親である、ユダヤ教を国教と決め、中立の立場を示しました。(元々カザール王国は無宗教の国)
しかし、結果的に領土を奪われたカザール人は、難民として東ヨーロッパに散っていきます。
そして離れ離れになりながらもユダヤ教の教えを守り常に強い結束で結ばれていました。

カザール系ユダヤ人の他にも、エルサレムを追われたユダヤ人の子孫も存在します。
しかし、彼らはアラブ系の民族で、多くは日雇い労働者などの貧しい暮らしをしています。
カザール系ユダヤ人はアシュケナジー。
エルサレムを追われたユダヤ人はスファラデーと呼ばれ、豊と貧の対称的な存在として語られることが多いのですが、現在のFRB議長ベン・バーナンキのように、影響力を持つスファラデーもいます。

ユダヤ人があらゆる分野に進出し成功を収めているのには、国を持たず強く生き抜いてきた環境のほかに、ユダヤ教の聖書である旧約聖書にも秘訣があるようです。
一般に広く有名なユダヤの格言とは、その多くは旧約聖書の言葉です。
最近では日本でも成功の指南書として、聖書を読むビジネスマンが増えています。実は私も4年前から旧約聖書を愛読しています。
日曜学校などに通い、意味を神父様に伺いながら勉強してまいりました。
深いです(笑


その教えの中に実は、引き寄せの方法なるものが書かれています。

聖書はヘブライ語で、母音なしで綴られていたのをなんとか意味を時代背景とあわせながら考古学者などが読み解いてまとめたものです。


善なる考えで心を満たすとき、全ての望みは余すことなく叶えられる。


そうなのです、すべてあなたの思考が今の現実を創り出しているということです。




古代から成功者は知っていた・・・宇宙のルール「引き寄せの法則」


宇宙にはある2つの法則が働いています。
1つは「それ自身に似たものを引き寄せる」という法則。


この法則を知らない多くの人間は、
全くの惰性で「それ自身に似たものを引き寄せて」毎日生活しています。
そして、もう1つは
「思考を向けることで、引き寄せるものを自ら決めることができる」という法則。


大多数の人間はこのルールを知らずに生きているのです。
このルールを知れば人生を必ず有意義なものにすることができます。


思考はプラスの良いことだけに向けなくてはなりません。
なぜなら不安や心配などの悪い思考も引き寄せてしまうからです。


惰性ではなく自分の意思で引き寄せるためにはこの2つが必要です。
「強く欲求する」+「実現すると信じて期待する」
どちらがかけても引き寄せられません。



宇宙の法則では時間のバランスが上手に取られており、思考がすぐに現実となるわけではありません。
私たちは一度決めた思考をキャンセルしたり、変えながらゆっくりと調整することができます。
そして、プラスの思考のほうがマイナスの思考よりもはるかに強いので良いことのほうが悪いことよりも、早く現実として現れます。

具体的に行動を起こすときには、感情のナビゲーターにしたがう。
どちらか迷ったときには自分の気持ちに聞いてみて、気分の良い方を選ぶとよい。

繰り返しますが、マイナスの考えは一切持たないようにする。
もし、紛争地域や貧困で苦しんでいる人をテレビで目にしたら苦しい気持ちを共有はせずに、募金をしてプラスの気持ちに変える。
成功者が寄付をするのは、実は、結果的に自分のためになるからなのです。


生きていれば、いろんなしがらみもあります。ですが、私たちの心は自由に形を変えれます。どんなしがらみがあろうともあなたの心は人に左右されません、あなたの心の形はあなた自身の思考のあらわれだからです。


迷うときは、あなたの良心に従い物事を決めてください。


そうすれば失敗はありません。




明日もまた、あなたのために日は昇ります。



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こんにちは、みなさん。



過去のブログを遡り、今ひとたびみなさまにご紹介したい記事をこの頃はアップさせて頂いています。



今の私にとって、そしてみなさまにとってヒントになる記事でありますように。



ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、これはこれでまことに結構なことであるけれど、なかなかそうは事が運ばない。


時には悲嘆にくれ、絶対絶命、思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。


しかし、それもまたよし。
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、窮境に立って、はじめて世間の味わいを学びとることができるのである。



頭で知ることも大事だが、身をもって知るということが何よりも大事。
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。知るということにも、いろいろあるのである。



窮境に立つということは、身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、苦しい中にも勇気がでる。元気がでる。
思い直した心の中に新しい知恵がわいてでる。


そして、禍(わざわい)を転じて福となす、つまり一陽来復、暗雲にひとすじの陽がさしこんで、再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。



「道をひらく」 松下幸之助著




考え方ひとつで、やる気が起きたり、やる気が失せたりします。


私はこの松下幸之助さんの一陽来復の考え方が大好きです。
困難を困難と思わない考え方。


ものは、考えようです。
考えようで勇気が湧いてくる。
やる気が湧いてくる。



経験、体験、すべて人生のスパイス。
幸せを味わいたいならまず、辛いことをたくさん味わねばならぬ。
人に優しいさを与えたいならばまず、悲しいことをたくさん経験せねばならぬ。それが人生を味わい深いものに仕上げてくれよう。


これは、春日大社の葉室神主の言葉です。



悲しいことや辛いことを経験することは、後に幸せを味わうときにそれを何倍にも感じるためなんですね。



そう考えれば、目の前にある辛さや悲しみに対して乗り越え甲斐がありますね。



共に人生に、スパイスを。



明日もまた、あなたのために日はのぼります。



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こんにちは、みなさん。



いつもブログを楽しみにしてくださって有り難うございます。
日々、いろんな事を聞き、学び、感動し、そして勇気を貰っています。
そんな環境に身を置かせて頂いていることに、今はただただ感謝しています。


そしてブログを通じてなにかお役にたてればという思いを胸に更新に励んでおります。


また、あたたかいお言葉を添えて読者登録をしてくださった読者さま。
心から御礼申し上げます。
どれだけ私の心の支えと励みになっているのかをここで上手く表現できないぐらい感謝をしております。


この場をお借りし、
改めて読者さまに御礼を申し上げます。本当に有り難うございます。





家族四人で夕食を食べている時でした。お父さんが申し訳なさそうに、


『私の弟に返してもらう予定のお金が、返ってこないことになった。
残念だけれども、海外旅行は延期にしよう』


と話しました。
こどもたちは、旅行を楽しみにしていたので、次々と文句をいいました。


『あんな人は、死んだほうがいい』



と高校生の息子が言ったときに、我慢出来なくなったお父さんは思わず、



『おまえたち、いない人の悪口を言うな。いい加減にしろ‼ 』



とテーブルを叩いて叫びました。
その後、息子さんと娘さんは黙って食事をすませ、自分の部屋に行ってしまいました。
奥さんもお父さんと目を合わせてくれません。この日以来、
お父さんは家族と話が出来なくなりました。


一緒に夕飯を食べていても会話がありません。
いつの間にかわざと遅く帰るようになりました。
三ヶ月後、やっと今のままではいけないと思ったお父さんは、家族に謝る決心をします。


会話のない夕飯を終えた息子さんが席を立ちあがろうとしたときです。
お父さんが、



『この前は、怒鳴って悪かった。みんなが弟を責める気持ちはもっともだと思う。
確かにひどい人かもしれない。
でも、いつも小さい頃一緒に遊んだ弟を思い出すんだ。

弟は、いつも兄のお父さんと遊んでいた。泣き虫だった弟は、転んですりむくと、
小さな傷なのに、お兄ちゃん、助けて!と言って目に涙を浮かべて体を震わせていた。
その頃の弟を思い出すと、どうしても助けずにはいられないんだ。

みんなにも、そんなお父さんの気持ちをわかって貰いたかったし、
優しい家族だと思っていたみんなから、ひどい言葉を聞いて、
思わず叫んでしまった。本当に悪かった。』


と話すと、深く頭をさげました。
息子さんは、お父さんが話し終わると、黙って自分の部屋に行ってしまいました。


その夜、息子さんの部屋に様子を見にいった大学生の娘さんが戻ってきてお父さんに、



『さっき、2人で話したんだけどさ、あいつ、お父さん、カッコよかったと話してたよ。
勇気がないと謝れないよな、俺には出来ねぇや。やっぱ、すごいよだって・・・』



と、笑顔で話してくれました。
小さなことで家族ケンカしたら、もったいないですね。
謝る勇気が大切だと思いました。

                                             「心のサプリ」より



お父さんが謝れなかったのは、
親としてのプライドが邪魔していたんだと思います。
私が謝る必要はないと思っていたと思います。



でも、本当のところは家族に自分の気持ちを理解して貰えなかったことが
とても寂しかったんでしょうね。


会社でも学校でもそうですが、
立場が上の人は自分の弱さを下の人に見せてはいけないと思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。



しかし本当に強い人とは、自分の弱さもさらけ出せる人だと思います。


自分の正直な気持ちを隠さずに、勇気を持って開示できたとき、人は心を動かされるのではないかと思います。


なかなか「ごめんなさい」が言えずに終わった恋、友情、etc・・・
みなさんにも、ご経験があるのでは?(笑)



本当の勇気とはなにかを考えさせられた物語でした。
みなさんは、如何でしたでしょうか?



私の父は私が小学生のとき、
頭を下げてきちんと謝罪してくれた事がありました。



私は父が亡くなるまで、父には多くのことを教わりました。
父が他界したのは、私が19歳の時でした。
今でも父の娘で本当に良かったと思っています。



私に子どもができたら、父のようになりたいと思います。
子どもに尊敬される親って、どんな親なんでしょうね?
お子さんがおられる方は、一度考えてみてください。




明日もまた、あなたのために日は昇ります。


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おはようございます、みなさん。




この頃、流行っている言葉があるそうで。。。
どんな言葉かと申しますと『人間力』という言葉。


書店にもこの『人間力』と書かれた本がちらほら目につきます。
では一体、人間力とは何ぞや?(笑)
そんな質問をサロンのお客様に頂いたので、私なりの解釈ではありますが書いてみようと思います。



飲食店などで時々目にする光景。
来店されるお客様のなかには、何かと難癖をつけなければ気の済まない体質の人もいます。



なかでも、しつこく食い下がられるお客様は、比較的社会的地位の高い人が多いように感じます。




この人たちの共通点は、『自分のいう通りにならなければ許さない』『人のいうことは、まったく聞こうとしない』『自分の基準でしか物事を考えられない』『人のことはどうでもよい』『しつこい』ということです。
考え方が刹那的で、判断基準は『自分だけ』『いまだけ』。





たぶん、こうした人は、会社組織のなかで自分の成績をあげることだけに
躍起になって生きてこられたのでしょう。
どちらかというと、アメリカナイズされた価値観のなかで、ただひたすら駆け抜けてきた自信家ではないかと思います。





それだけに、自分以外の価値を容易に認めようとしません。
ある面では、競争社会で心が歪になり、破かれてしまった人なのだといってもいいかもしれません。





当然、人間は誰しも、しあわせを求めて生きています。
しかし、『自分だけ』では幸せになれません。
現実社会で『自分だけ』が幸せになろうとしても不可能なことです。
だとしたら『自分だけ』という考え方を捨てて、『みんなで』幸せになる方法を考えることです。




そのためには、どうでもいいことはできるだけ譲ることです。




鍵山 秀三郎著





『自分だけ』とか『まず自分が』という歪な心。
あまりにも狭い視野で物事を見過ぎではないでしょうか?





まずは、自分自身を大切に出来なければ他人を大切になど出来ないとはいいますが、これを勘違いされている方が多いように思うのです。





これは、自分がまず幸せにならなければ、他人の幸せに目を向けることが出来ないという解釈をされておられるからではないでしょうか…




そうではないと思います。
地位や名声を得ても、それが幸せになる方法かといえば、そうではないように思いますが、如何でしょう?




心が満たされると人間は満足するように創られた生き物です。
物質的なものでは、満足するようには創られていません。




視野を広げ、心を養うことが『人間力』をあげるということなのではないかと私は思うのですが、みなさまは如何でしょうか?




みなさまの『人間力』のあげ方をまたコメントにて御意見賜ると幸いです。
よろしくお願いします。





明日もまた、あなたのために日は昇ります。



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こんにちは、みなさん。




人間は、ひとりの例外もなく幸せに生きたいという願望を持っています。
ところが、どうしたら幸せな生き方が出来るのか、具体的にわからない人も多いのではないかと思います。




ひとつ目の幸せは、『してもらう幸せ』。

赤ちゃんの時だれもがお腹が空けば泣いたし、オムツが濡れれば泣きました。
するとお母さんが飛んできて、おっぱいを飲ましたり、オムツを替えてくれました。
そのとき、私たちは幸せでした。
これが『してもらう幸せ』です。





ふたつ目めの幸せは、自分で『できる幸せ』。

字がかけるようになった。
一人で自転車に乗れるようになった。
サッカーがうまくなった。
何でも自分で出来るようになると、偉くなった気がして嬉しいものです。
これが『できる幸せ』です。





そして最後は、人に『してあげる幸せ』。

人に物を差し上げる。何かして差し上げる。相手の喜びをわが喜びとする。
そんな人は、人から好かれ頼りにされます。




『してあげる幸せ』は、三つの中でも最高の幸せです。




私たちも『してもらう幸せ』から『出来る幸せ』へと進み、そして『してあげる幸せ』を味わえる人生を送りたいものです。




鍵山 秀三郎著





人からまだ、『してもらう幸せ』を望んでいるとしたら、それはあまりにも幼稚だということ。



『してもらう幸せ』を味わい、そして今度は『出来る幸せ』の経験を経て自信を得る、その自信を今度は『してあげる幸せ』と役立てていくのではないでしょうか?




早く大人にならなくては、いけませんね。あまりにもしてもらうことを
望んでいる方が多いように感じます。




自分の価値を見出したいのならば、
まずは『してあげる幸せ』の喜びを仕事に見つけては如何でしょう?




どんなお仕事も人さまのお役に立っています。
まずは自分が喜んでさせていただいているかじゃないでしょうか?




環境は、自ら整えていくものです。
何処の職場に行っても、うまくいかずすぐ辞めたくなる人は、だいたいが自分のせいではなく、周りのせいにしています。




環境が自分にあわせてくれると思っています。
それこそ『してもらう幸せ』を待っているのでしょう。



赤ちゃんじゃないのですから、
これからは環境を整えるという『できる幸せ』をまずやってみてください。



それが出来たならば、今度は『してあげる幸せ』を実行してみてください。
きっとあなたの周りに人は集まり、あなたは頼りにされます。



そしてはじめて貴方は、
『してあげる幸せ』という最高の大人の喜びを味わえるのではないかと思います。



明日もまた、あなたのために日は昇ります。

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こんにちは、みなさん。




今日は、仕事について書いてみます。
何のために仕事をするのか?
みなさんは、何のために仕事をしていますか?




働きこそが最上の喜びです。
働きを通じて喜び、感謝出来るようになったとき、仕事に命が吹き込まれるようになります。



私はよく若い人に『君は何のために仕事をしているの』と聞くことがあります。
ほとんどの人が『食うためです』と答えます。
では君は『食えたら仕事をしないのかか』ということです。




若者の中にフリーターが増えているのも、こうした意識の表れだと思います。
『食うため』だけに仕事をするという発想は、犬や猫と同じ。
人間として、あまりにも幼稚で情けない考え方です。




もともと人間は、働くのが本能です。
身体を動かしていること、そのことが生きるということにも通じます。
『食うため』のお金が十分にあって仕事をしなければ、人間は間違いなく死を早めます。





早く死にたくて生きている人はいません。二度ない人生、
どうせ生きるのであれば、仕事を通じて生きがいを求めるのが人間の知恵というものです。





私も70歳を過ぎた現在、毎朝無事に目が覚めただけでも感謝の念でいっぱいになります。
ましてや、やるべき仕事が与えられているということは、
私にとって無上の喜び以外の何ものでもありません。





これからも、歓喜に満ちた気持ちで仕事に取り組み、
ますます自分の仕事に命を吹き込んでいきたいと考えています。



鍵山 秀三郎著






仕事に対しての取り組み方が、明日から変わりそうですか?(笑)



『食うため』に仕事をしている人は幼稚で情けない考えの人らしいです。



私も考えてみました。
仕事が無かったら、毎日なにをしてるだろうって。。。
廃人のようになっているかもしれないと。




お金は沢山あって死ぬまで食べるに困らない。だけど、仕事はない。



お金はそこそこでも、仕事がある方を私は選ぶと思います。



仕事は、人間が生きていくうえでたくさんの学びと成長と、そして喜びを与えてくれるものだと私は思いますが、みなさんは如何でしょうか?



私も目が覚めただけでも感謝の念でいっぱいになります。
だって、明日も目が覚める保証なんて
何処にもないからです。



だから、仕事が出来る喜びはこのうえないと感じています。



鍵山氏の著書から抜粋してブログを書いてきましたが、鍵山氏は誰ですか?という質問に、ここでお答えしておきます。



ただひたすら掃除をやり続けて、
みなさんもよく御存じの『イエローハット』をあそこまでの優良企業へと育て上げた方です。



人間の成長とともに、会社も大きくなるのでしょう。
比例しているということ、ですね。
私も後に続けるように頑張りたいと思います。




みなさんの仕事に対しての取り組み方が、変わること願い今日はこの辺りで終わります。





明日もまた、あなたのために日は昇ります。



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こんにちは、みなさん。




2010年に一度UPした
記事を再度書かせていただきます。




部屋である本が目にとまりかなり気に入ったので、みなさんにご紹介したいなと今日はこの本の記事について書きます。




運命を切り開く具体的方法


「運命はその人の性格の中にあり」    芥川龍之介


何事かをなしとげるのは、その人の才能ではなく、性格です。
性格を変えるためには、いままでの考え方を変え、習慣を変えることです。
そうすれば運命がかわります。


具体的には「下座行」に取り組むことがもっとも効果的だと思います。
「下座行」とは、自分の身を低くして、手足を汚すことを厭わず(いとわず)行うこと。
しかも、人から顧みられない(かえりみられない)ようなことを実践することです。


「下座行」が性格を変えるのに効果的なのは、自分自身の行いを通して
自ら学ぶことができるからです。

私は、「下座行」ともいえるトイレ掃除を、40年以上続けてきました。
掃除に参加した人に、雑巾の絞り方まで細かく指導することがあります。


あえて注意するのは、よいと思われることを確実に実行してほしいからです。
自分を変えるきっかけは、体を通して実感することから始めてもらいたいからです。


大切なことは、手間隙を惜しまず一生懸命打ち込むこと。
こうして実践を積み重ねることで必ず運命はかわります。


                 「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」から引用




もう一度、みなさまにお伝えしたくて。
心に響く言葉、ありますように。。。



自分を信じるのです。
一生付き合って
幸せな気分でいられるような自分を、
自ら作り出すのです。

by ゴルダ・メイヤー



未来は起こるのではない。
人によって作られるのだ。

by ウィル・デュラント


あなたという存在は、
自分が植えて育てた思考の果実だ。

もっといい収穫を望むなら、
もっといい思考を植える必要がある。

by ロバート・アレン




転ぶのは恥ではない。
転んだままで
いるのが恥なのだ。

by ドイツのことわざ




過去から学び、
今日のために生き、
未来に対して希望を持つ。

大切なことは、
何も疑問を持たない状態に、
陥らないようにすることである。

by アインシュタイン



誰かが「生きるって難しい」と
嘆くのを耳にしたら、
いつも聞いてみたくなる。
「何と比べて?」

by シドニー・ハリス



人間にとって
最も大切な努力は、
自分の行動の中に、
道徳を追求していくことです。

by アインシュタイン



自分のためだけに生きることは
実は不幸の原因となるのです。

by 浜口直太




ほとんどの人が、
成功とは手に入れるもの
だと考えています。

でも本当のところ、
成功とは与えることなのです。

by ヘンリー・フォード


人が人の世のためを
本位として生きる時
その心の中に卑しい不平不満の
火は燃えない。

by 中村 天風



経験とは、
あなたに起こった出来事ではない。

あなたに起こった出来事を、
あなたがどう受け止めたかである。

by オルダス・ハクスリー




幸福は
偶然でもなく願うものでもない。
幸福とは自ら築くものだ。

by ジム・ローン




「魅力的な人間になりなさい。
あなたが、魅力的な人間にならなければ
人は集まらないし、ついてこない。
心を成長させなさい。
人が好まない事を進んでしなさい。
人の嫌がる仕事を進んでしなさい。
人が不潔にするところを進んで清潔にしなさい。
人が喜ぶことをたくさん進んでしなさい。
生半可ではなく、徹底してするのです。
そこから学ぶものがとても大きいからです。」

哲学者ジム・ローンがセミナーに参加した私たちに贈ってくれた言葉です。

あのコカ・コーラボトラーズを世界的な地位へとのしあげたのは、哲学博士ジム・ローンだということは、あまりにも有名ですよね。



掃除が行き届いていない人に成功している人はいないとジムは言っていました。


性格を変えるのは、容易なことではありませんが今の自分に、生活に、満足していない方は、まずは、自問自答してみてください。



あなたの運命を切り開くことに邪魔している性格はどれですか?



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瓦を磨いて鏡となす
(かわらをみがいてかがみとなす)


利益ばかり計算して動くのを止めてみる



「仏になるため座禅をする」と考えてしまいがちな若い僧を戒めた言葉とされています。
『伝燈録』に記された 唐代の僧、南嶽懐譲(なんがくえじょう)と弟子の修行僧、馬祖道一(ばそどういつ)の問答が有名です。



昔々、熱心に坐禅する馬祖道一を見て、南嶽和尚が問いました。

南嶽和尚「ふむ、坐禅に熱心なようじゃの」

馬祖道一「はい」

南嶽和尚「何の為に坐禅してるんじゃ?」

馬祖道一「仏になる為です」

南嶽は、おもむろに落ちていた瓦のかけらを拾います。

馬祖道一「…?」

南嶽和尚は、何を思ったのか、いきなり砥石でせっせと瓦を磨き始めます。
ひたすら瓦を磨いている南嶽和尚。
馬祖道一が哀れみを感じ、近所のお医者様に連れて行こうか迷ったのかは定かではありません。

馬祖道一「え~っと…南嶽和尚、何してるんですか?」

南嶽和尚「鏡をつくるんじゃ」

馬祖道一「ハァ?和尚、瓦をいくら磨いても鏡になるわけないじゃありませんか?」

南嶽和尚「では、おまえさんは坐禅をして仏になれるのかね?」

馬祖道一「………」

馬祖道一が「この屁理屈じじい…」と思ったかどうかは置いておいて、南嶽和尚は「悟りを開く為」、「仏になる為」など、「~の為」に坐禅をすることを戒めたとされています。

南嶽和尚が瓦を磨いて伝えたかった事は、果たして…

・悟りの為の坐禅は、瓦で鏡をつくろうとするのと同じくらい無意味である

でしょうか?それとも…

・目的や結果を求めずに無心で磨く行為にこそ尊さがある

でしょうか?

色々な受け取り方がありますが、禅の修業において、結果ばかりを求めた行動からは得ることが少ないという事ではないでしょうか。
私達人間はどうしても、利害関係ばかりを考えて行動しがちです。

「これをやってあげれば私は後々有利だ」

「この人と良い関係でいれば自分にとって後々良いことがありそうだ」

「あの人とこの人を会わせるのは自分に不利になるから止めておこう」

ひとたび利害損得で動き始めた人は「自分は常に賢い選択をしている、しなければ…」と考えてしまいがちです。


中には、自分の中で勝手に他人と勝負を始めて不平不満を感じたり、イライラしてしまう人もいます。
この姿勢では、思い通りの結果が得られなければ、とんでもない徒労感に襲われてしまいます。

逆に、素の自分から湧き上がってくる気持ちや、使命感から行動している人は、結果の良し悪しに関係なく、達成感や充足感を得る事ができます。

お金、地位、名誉、人…

これら人間が持つ無限の欲求を目的としてモチベーションを上げることは大切です。
南嶽和尚の言葉は、これらの欲求に支配されて自分を見失なわないように戒める意味もあるのではないでしょうか。




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みなさま、こんにちは。
心配とは、心を配るという意味だそうです。



山本玄峰(やまもと げんぽう)1866年~1961年
静岡県三島市の龍沢寺の住職。
終戦の詔勅中にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したのは有名。
新憲法における象徴天皇という概念を示唆したとされ、鈴木貫太郎首相の相談役も務めた人物です。




私たちは毎日いろいろな「心配」をしています。
その多くは不安で心が痛くなるような状態ではないでしょうか。

禅僧 山本玄峰師は、「心配」は大いにしなさいと言ったそうです。
これはどういうことでしょうか?




「思いやりを持ち、自分だけではなく、周りにも心を配る」

師が勧めたのは、心を痛めるよう「心配」ではなく、心を配るという意味での「心配」です。


とはいえ、心は配れば良いというものではありません。

恩着せがましかったり、相手を不快な気分にしてしまう心の配り方は「心配」ではありません。

上っ面だけで空っぽの心を配るのも、単なる自己満足です。


心を配るには、少なくとも相手の立場になって物事を考えられなければなりません。

「言うは易し」ですが、心を配ろうとすると、自然と相手の気持ちになって考えるようになっていくでしょう。


「いや、そもそも他人の心なんてわからないから」といってしまったら、何も始まりません。


ここは一つ、大いに「心配」してみてはいかがでしょうか。





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