テーマ:AMANOホール&パルケ・デ・ボスケ
2005年01月12日(水) 23時29分46秒

■しつこくて、しぶとい

16日の「大新年会」が迫ってきているので、宣伝のためにもブログを書きたいところだけど、仕事の方が大ピンチ。しばらくマトモな更新ができなくなる可能性が大です。とりあえず更新にかける時間は10分程度と決めて、やっていきます。

「AMANOホール」の最大の弱点はそれぞれが非常に多忙だということ。佐藤さんはハンドベルの指導者として週に何回もレッスンを行いながら仕事をしているし、芝さんも別イベントの企画運営、手伝いなどで過密スケジュール。イチバン若い私がその二人の穴を埋めなくてはならないところだが、やはり仕事でてんてこ舞い。

そんな状況なのに、なぜやるの? そんな声も聞こえてきそうな感じだけど、そんな状況だからこそやる、という部分が強い。使命感なんだろうか、はたまた危機感なんだろうか……なんとしても夢や情熱を共有できる場所を作りたい! という押さえきれない気持ちがそうさせるんだろう。

多分、「AMANOホール」の継続は難しいんじゃないか? と思っている人も少なくないと思う。だけど、そう簡単には終わりにはならない。なぜなら佐藤さんも芝さんも、そして私も、「そんなこと続かないよ」とまわりから言われるようなことをスタートさせ、結局は続けてきた人間だから。そう、夢がある人間はかなりしつこくて、しぶといものなんです。

では、「AMANOホール」で逢いましょう!

テーマ:AMANOホール&パルケ・デ・ボスケ
2005年01月08日(土) 23時27分48秒

■打ち合わせ

8日は夜から佐藤さん、芝さんと打ち合わせ。16日の新年会、23日のウリアナさんのライブなどがメイン。私はパソコンのセッティングをしながらだったので、いまいち集中できてないままの打ち合わせだったかもしれない。パソコンのセッティングといってもケーブルでつないだ程度だったんだけど、アッという間に起動できてしまう。私はMacなのでWindowsは使ったことがない。イマイチ操作がわからないが、なんとか覚えていけば使えるようになるかな。それにしてもパソコンは、もはや家電製品だよね。

打ち合わせの後はホール隣にある焼鳥屋「たなばた」で飲み。残念ながら私は車で来ていたためにウーロン茶。いつものことだが、飲みながらの話は政治とか行政の問題、クラシックやジャズの音楽話など、非常に多岐に渡る。私はもっぱら聞き役。自分より10~20年も長く生きてきた人たちの歴史や言葉は非常に勉強になるし、そういった環境の中で活動ができるというのは幸せなことだ。

それにしても佐藤さんのお酒の量がちょっと気になるかも。

※写真右手が芝さん、左が佐藤さん

テーマ:AMANOホール&パルケ・デ・ボスケ
2005年01月06日(木) 23時20分09秒

■すぎなみ文化通信

杉並区を中心にして配布されているミニコミ誌『すぎなみ文化通信』をご存知でしょうか? 創刊は1988年12月。なんと10数年も続いている月刊誌なんです。これを創刊された方が「AMANOホール」の運営者の一人である芝貞幸さん。これを会社員時代に立ち上げて継続させてきた芝さんのエネルギーには驚かされてしまいます。現在、芝さんは編集長を竹内ゆかりさんという女性に譲りながらも、しっかりと活動のバックを支えていらっしゃいます。

いきなり批判めいたことを書いてしまうので、思いっきり反感を買われてしまうかもしれませんが、「だいたい夢を語れる人は多いんですが、形にできない人って物凄く多いですから! 残念!!」と波田陽区ばりに斬りたくなってしまいたくなる人って、ものすごく多いと思います。途中で止めてしまった人に石を投げるつもりはありませんが、現実はそんなもんです。だからこそ芝さんのやられてきたことの凄さに頭が下がる思いです。

よく芝さんと話をするわけですが、非常に面白いことを言ってらっしゃいました。「何かをスタートさせたら、すぐに後継者作りを考えなくてはいけない。そうしないと必ず継続できなくなってしまう。主宰者なり、何かをやり出した人が最初にすべきことは、後継者をどうやって育てていくかなんです」。まさにその通り! 私には耳が痛い話でもあったわけなんですが……。

※写真は『すぎなみ文化通信』2005年1月号

テーマ:AMANOホール&パルケ・デ・ボスケ
2005年01月04日(火) 18時10分30秒

■初コメントにニッコリ♪(わたなべの音楽の思い出)

ブログに初めてのコメントがつきました。すごく嬉しかったです。しかも『ハート・トゥ・アート』のことも知ってらっしゃる方のようで、私としては二重の喜びっていうヤツです。コメントをくださった方は「PS. ソング・ライター」さん。忌野清志郎さん&三宅伸治さんが大好きだそうで、とくに清志郎さんのことはかなり詳しく書かれています。読んでるだけで情熱が伝わってきます。

せっかく清志郎さんの名前が出たので、自己紹介もかねて私の思い出を少し書いておきましょう。忌野清志郎を初めて知ったのはRCサクセション時代。たしか中学か高校あたりです。イチバンよく聴いたアルバムはライブ盤『ラプソディ』かな。当時、私はバンドでベースをやっていたんですが、知り合いでベースをはじめたばかりの女の子に「よォーこそ」のベースを教えて欲しいと言われてコピーして教えた記憶が残っています。あれって、けっこう動きのあるベースソロみたいなのもあったし「初心者には無理だよ~」と言いながら教えていたような記憶が残ってます。

その頃のRCサクセションは飛ぶ鳥を落とす勢いっていうんですかね。日本の音楽(ロック)シーンの話題を独占していたような気がします。いや、それは過大評価しすぎか? YMOなどのテクノブームと話題を二分していたって感じかも。ちなみに私はP-MODELにハマリまくってました。ファーストの「IN A MODEL ROOM」など何回聴いたか記憶にありません。セカンドの「ランドセル」ではパワーダウンしちゃいましたが。

話をRCサクセションに戻しましょう。好きな曲を挙げろと言われたら「スローバラード」。これにトドメを刺します。彼には他にも名曲はいっぱいあるんでしょうが、当時、聴いたときにかなり感動しましたから。あとは「ダーリン・ミシン」。これは理由はありませんが自分の耳に馴染む曲だったみたいで、よく聴いてました。

そうそうバックのブラス隊「生活向上委員会」も良かったですね。彼らはテレビ朝日の「題名のない音楽会」に出演したことも記憶してます。真面目な顔して黛俊郎が彼らを紹介していたような記憶が残ってます。彼らを紹介した黛俊郎って、やっぱりスゴイ人だと思います。彼が死んだ後の「題名のない音楽会」など一度も見てません。※こんなこと書いておきながら、記憶違いだったら恥ずかしいですね(><)

ああ、それにしても懐かしい……。青春時代っていうヤツでしょうか。まぁ、今も私は青春してますけどね。身体は老人化してついていけなくなってしまいましたが……。

ということで『ハート・トゥ・アート』をやってる私がなぜに「AMANOホール」を? という疑問を持たれる方も少なからずいらっしゃるでしょうが、私は完全にアート側ではなく音楽側の人間だったりします。幼少時代にハーモニカや木琴からスタートし、小学1年からオルガン&ピアノ教室に通い、クラシックギターを手にしたのが小学5年。鼓笛隊でクラリネットを吹き、バントをやりはじめたのが中学……いまだに楽器を捨てられずに宝物としている状態です。もちろん今は残念ながら何も弾けない身体になってしまいましたが……。

当時、コンテストに出たりしていたのが懐かしいです(地方大会で落選しましたけど)。LMCではデビュー前のチェッカーズがすごく楽しいステージをやってましたし、スーパースランプや爆風銃もいました。そういえばチェッカーズのメンバーは上京したときには東高円寺周辺に住んでいたはず。

『ハート~』であまり積極的に音楽を扱わない理由は、好き過ぎるからですが、ひとつだけ大きな夢があるんですよね。これは具体的には口外しませんが、私が最高のジャズピアニストだと確信している●●●●氏を呼びたいんですよ。で、アートと融合させたパフォーマンスを実現させたいんですよ。いつ実現できるかは不明ですが……。ということで今回はわたなべの思い出をつらつらと書きながらの自己紹介でした。つーか、音楽の記憶を書き出したら止まらない感じになっちゃいます。かなりジャンルは偏ってますが(^^;

※写真は私の家宝のひとつ、リック・ニールセンのピックたち

テーマ:AMANOホール&パルケ・デ・ボスケ
2005年01月01日(土) 05時53分58秒

■芝貞幸さんのこと

新年明けましておめでとうございます。いきなり地震がありましたね。福島県地方の方は大丈夫でしょうか?

さて今日は「AMANOホール」の運営者の一人である芝貞幸さんのことを簡単に紹介しようと思います。芝さんは杉並区で何かイベントや音楽活動をされている方ならたいてい知ってらっしゃるというスゴイ方なんです。なんといってもスゴイのが所有している音響機材。もう個人所有のレベルを遙かに超えています。それを無償に近い形で杉並区で活動されている人たちに提供し続けてきた方なんです。もう、芝さんに足を向けて寝られない人は多数いるはずです。もちろん私もその一人です。

芝さんのことを書き出したら、いくらスペースがあっても足りないんですが、今回はハーモニカ奏者としての経歴を簡単にご紹介いたしますね。

<芝さんの簡単なプロフィール>
●7歳の頃よりハーモニカに親しむ。
●1987年頃からハーモニカによるタンゴの演奏に興味を持つ。
●1993年5月日本ハーモニカ芸術協会公認指導員の資格を得る。
●1997年正月にアルゼンチン、ウルグアイを旅行し、ライブ・ハウスやラジオ、テレビに出演し、賞賛を得る。
●1997年8月から1999年3月までほぼ毎月、新中野駅そば、鍋屋横丁のレストランで「午後のハーモニカ」と題するハーモニカ・ソロを開催
●1999年11月から荻窪名曲喫茶ミニヨンで隔月でハーモニカライブ「はもにか金曜日」を開催
●1999年12月アルゼンチンからのウーゴ・パガーノ楽団と共演
●2000年1月に3日間にわたり「下井草ふれあいの家」において琴奏者と共演
●2000年7月はもにか金曜日Live5でバンドネオン、ギター、ベースの田邊義博タンゴトリオと共演
●2000年8月26日吉祥寺ヘリオトロープでタンゴアルモニカとして、バンドネオン、ピアノ、ヴァイオリン奏者と共演
※杉並ハーモニーメイツ、ハミングバード、MEQ、美音座の各ハーモニカアンサンブルのメンバーとして、ハーモニカ・アンサンブルを経験した。ハミングバードは1997年全日本ハーモニカ連盟より、“フォークダンス曲という新しい領域を切り開いた”として「日本ハーモニカ賞」を受賞する。
現在は全日本ハーモニカ連盟常任理事、関東ハーモニカ連盟機関誌編集長を務める。また「パルケ・デ・ボスケ(スペイン語で“森の公園”の意)」の代表として、多くのハーモニカコンサートの企画・音響を担当している。パルケ・デ・ボスケはセシオン杉並ホールで杉並区教育委員会との共催で区民に広くハーモニカの魅力を伝えるコンサートなども開催。「ハーモニカ・マガジン」に「ハーモニカ・イベント入門」を連載執筆中。


とにかくこれは活動のほんの一部。書き出したら、キリがありません。2005年の予定もギッシリ埋まっている状況なんです。もうビックリです。とりあえず私の今年の課題のひとつは、芝さんの活動を克明にまとめることなんですが、かなりの大仕事になってしまいそうです。

さて実際のハーモニカ演奏についてですが、これは簡単に真似ができるレベルではありません。いつもハーモニカを3本、4本と持って、演奏中に素早く取り替えたりしながら吹かれるんですが、唖然としちゃうほどスゴイです。

それにしてもスゴイスゴイと一人で言っていても、かえって逆効果ですよね(><) 「AMANOホール」でライブが行われるときには大概いらっしゃるはずなので、いらっしゃった方は親睦会で芝さんのハーモニカが聴けるかもしれません。

では、「AMANOホール」で逢いましょう!

テーマ:AMANOホール&パルケ・デ・ボスケ
2004年12月30日(木) 00時55分25秒

はじめまして! AMANOホールです

「AMANOホール」の運営者の一人、わたなべです。はじめまして。そして、こんばんはです。

杉並区東高円寺に「AMANOホール」というライブ&イベントスペースが誕生しました。ご存知でしたでしょうか? ほとんどの方は知らないですよね。そうでしょう。宣伝があまりにも不足しておりますから。それに昨年の9月にオープンして以来、まだ数回のイベントしかやってないですし。

しかし05年はそうも言ってられません。できるだけ一人でも多くの方に知ってもらおうと思い、blogを開設しました。ここでは「AMANOホール」のこと、開催されるイベントのこと、やってみたいイベントのこと、出演してくださるアーティストのことなどを書いていこうと思っています。

ぜひお近くの方でも、お近くでない方も少しでも感心を持っていただければ幸いです。そして、タイトルにもしましたが、いつか「AMANOホール」でお逢いすることができたら最高にハッピーです。

また音楽に限らず、演劇でもパフォーマンスでも、落語でもアートでも、講演会でも、交流会でも、講座でも、どんなジャンルでも使ってみたい! と思ってくれる人が一人でも現れたらこれ以上嬉しいことはありません。

「AMANOホール」については左記のプロフィールやHPをご覧になってください。では、どうぞよろしくお願いいたします。


Amebaおすすめキーワード