…で、感想。
3章から5章について言えば、梅田さんや、弾さんが言うように、より多くの人たちが素直に手に取れば良い類いの本になっていると思う。
読む人が持つバックボーンによっては、多少、捉えられ方は異なるだろうけれど、自分たちが利用し、当たり前のように恩恵を受けている言語というものについて、ゆっくりと考えを巡らす良い機会になるのは間違いないし、漱石フェチの作者が語る、漱石論もなかなかに興味深い。あとまあ、人類の叡智がどのように蓄積されてきたかなんて話も面白い。
ただ残念なことに、本書には余計なというか、読み手を選ぶ文章がわざとメインディッシュの前後に付け加えられている。これがはっきり言って煩わしい。自らの立ち位地をどこにおくか…、それもリアルな社会的地位だけでなく、勝手に思い描いている将来のビジョンだったりも含めて、どのスタンスで読み始めるかによって、読後の印象が随分と変わってくると思うのだ。
まあ、1~2章ってのは、きっと、普段からあんまり本を読んでいない人に本を読んでもらうための疑似餌というか、小説家が書いたエッセーにしちゃあ、ちょっと物足りないくらいなんだけれど、本書を広く流通させるためには必要な要素だったかもしれないのでまぁしかたないとして…。
結局、この本のどこが、他の良書と違って、素直に読書を楽しむことを妨げているかというと、それは、この作者が全編を通して、「自分なんてたいした人間じゃないですよ」ってしつこいぐらいにアナウンスしているくせに、常に、自分は叡智を求める人=インテリゲンチャの視点に立ってものを述べているからなんだと思う。叡智を求めていない人はバカだから相手にしていませんって、ほんとに叡智を求めている人たちはそんなこと声に出していわないっつーの。まあ、そのためのエクスキューズとして、「私みたいな人間でも」みたいな、反吐が出るような日本語を何度も多用しているのだろうけれど。
ああ、やっぱり何か腹がたってきた(笑)
ソクラテスのように、「自分は無知だけれど、他の自らを知者だと思い込んでいる人々と比べ、少なくとも自分が無知であることを知っている」ってな感じを装っているのかもしれないけれど、そうじゃないことが透けて見えてるというか、まったくの逆効果。
こういう、結局、フィロソフィストになれないタイプの人がこういうことを主張をしてしまうと、本当は良いことや、的確なことをいっぱい言ってるのにも関わらず、本来、その内容が伝わることが有益な人たちにはなかなか伝わらず、すでに知っている人か、知らなくともいずれ近いうちに知っただろう人や、すごいことを知ったと喜んで騒いでいるけれど実はそのような人たちが知ったところで残念ながら別にたいしたインパクトはどこにも生じない類いの人たちくらいにしか伝わらず、「ああ、もったいないな」と思ったのでした。
ちゃんちゃん♪
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で/水村 美苗

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