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今日は西尾漠さんに取材

今日は「原子力資料情報室」の西尾漠さんにインタビューさせて頂きました。
やはり、聞けば聞くほど、「原発との共存不可能」を感じますね・・・。
放射性物質も、1秒でなくなっちゃうものもあれば、450億年かかるものもあり。
廃棄物だって、処理しても1万年とか10万年経ったら安全かも、って話だったり・・・。
一番危ないのは80万年後とか、もう聞けば聞くほど「原発って無理」とつくづく思います。
この辺の詳しいことは、現在鋭意執筆中。

ということで、昨日は東大でゼミに呼んで頂き、お話してきました。
医療と貧困についてのゼミです。
学生の方が呼んでくれたのですが、とても活動的な方々で刺激されました!
楽しかったです。ありがとうございました!

東大前で
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さてさて、書かなきゃいけない原稿がたまってるんですが、明日のデモが楽しみすぎて何も手につかない!
なんかよく「デモなんかやって意味あんの?」とか聞かれるんですが、もし自分も含めた人々が今の状況に対して何もしなくて、その上なんとなくこの事故が「収束ムード」(ホントには収束してなくても)に向かっていって、で、報道も少なくなっていってだんだん忘れられていって、いつの間にか何事もなかったようにまた元に戻って、それでまた将来、事故とかあったら「2011年3月11日以降に原発止めようとしなかった奴らってどんだけスットコドッコイなの?」と未来の人々に思われることは決まってるわけで(私だったら絶対思う)、そんなことを考えると、今どうしようもなく当事者である人間の責任として何かしなければならない、と思うわけです。
「ロクでもないもの残しやがって」と将来の世代に恨まれたくない、というか。

そういえば、ずっと前に湯浅誠さんが「自己責任」について書いていて、詳しいことは覚えてないんですが、本当の意味での自己責任っていうのは、「全部自分が悪い」「すべて自分の責任」とか思うことじゃなく、社会に生きる一人の人間として、この社会でおかしいと思ったことに声を上げ、行動すること、というようなことを言っていて、とても共感した覚えがあります。
正確な言葉は覚えてないんですが、とにかくおかしいことにおかしい、と声を上げることこそが最低限の「責任」なのでは、という内容の指摘だったと記憶してます。
私はマトモな大人になるつもりは毛頭ないんですが、そういう責任は果たしていきたいと思ってますし、よく考えてみれば、こんだけデモったり「おかしいぞ!」とやたら騒いだりしてきたので、相当そんな責任は果たしてきた方なのかも、と思い、今、自分への評価が自分の中で急上昇しました(でも周りからは「好きだよねー」「またやってる」というような反応・・・)。

ということで、明日のデモで会いましょう!