アルツハイマーの母と

アルツハイマーの母と

50代でアルツハイマーを発症した母と家族の毎日。

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『大漁』 

朝やけ小やけだ 

大漁だ 

大ばいわしの 

大漁だ。 

はまは祭りの 

ようだけど 

海のなかでは 

何万の 

いわしのとむらい 

するだろう。



…今日の夕飯は奇遇にもいわしの南蛮漬けだった。


JR高島屋で開催されている「金子みすゞ展」へ行ってきた。


金子みすゞは大正時代の童謡詩人。


離縁した旦那から子供を守るため、みすゞは26歳で自殺した。

みすゞの元亭主は、遊郭通いが原因でみすゞに性病をうつすような男だ。
大正時代、女性に親権はなかった。

離縁した男から子供をよこせと言われたら、法的にも逆らうことはできない。


だから、自分の命をかけて抵抗した。


「どうか娘を連れて行かないで。

あなたのような鉄面皮な男の下で育ったら、この子はいったいどうなってしまうんでしょう?」 

男が子供を迎えに来る朝、みすゞはすでに冷たくなっていた。

元亭主は、かつて妻だった女の、文字通り必死の抵抗を無視できるほど非情ではなかった
のか、その後みすゞの娘は、みすゞの実家で祖父母に育てられたという。


展示されている詩を読んでいて、何度も涙が出てくるのをこらえていた。

はじめて読む詩ではないのに。

みすゞの人生に同情してではない。

こんなにも平易な言葉で、こんなにも鮮やかに情景を浮かび上がらせる、その才能に。

自然を見つめるやさしい目線に。

物事の真理を確実につかむ哲学者のような一面に。


展示の中に、何人かのイラストレーターとみすゞの詩のコラボレーションがあった。

そのうちのひとりの紹介文にこんなことが書いてあった。

「みすゞの文章は完璧で、イラストレータの私から見たら、すでに1枚の絵のようだ」と。

ほとんどの絵はみすゞの詩の説明に過ぎないと感じたが、ひとりだけ、みすゞと真っ向勝
負しているイラストレーターがいて、好感を持った。

とうとうきたか。


昨日の朝、母に言われました。


「あんた、だれだっけ?」


けっこう、ショックです。


日々、ゆるやかに進行しているのね。


はやく介護保険の申請しないと。

私には最近、彼氏(みたいな人)ができた。


(みたいな人)とつけたのは、私の今までの常識ではらかに彼氏なんだけど、彼がそう認めないから。


なんていうと私、思い込みの激しいストーカーみたいじゃん!!


まぁ、今回は彼氏かストーカーか、という議論は置いといて。




その彼はうつ病なんです。


私、うつ病って心の病気だと思ってたんです。


でも、違うんですね。


あれって、脳内の化学物質の分量の多い少ないで起きる、体の病気なんですって


難しい話は本を読み直さないと書けないから割愛しますが、彼と出会ってから、それなりにうつ病のことを勉強しました。




まさか、うつ病の本人に


「うつ病ってどんな病気なの?」

って直球投げられるほど、私も子供じゃありませんからぁ!


彼の部屋に転がってる数種類の薬の名前をメモって、ネットでどんな薬か調べたりね。



彼は一番ひどいときよりはマシらしいんですが、出会ったときは既にうつでした。

だからうつじゃない彼を知らないんですね。


つまり、うつ病の彼に惚れたわけなんですよ



考えてみてください。


水虫だろうが、骨折していようが、胃炎だろうが、風邪だろうが、

素敵な異性には惹かれるもんです。

それが「精神科にかかる病気」っていうだけで、なんでみんなから不思議がられちゃうんだろう?

精神科にかかる病気=精神が病んでるわけじゃないですから。




彼が私に自分の病気のことを教えてくれたのは、彼のおうちに初めてお泊りした日でした。



病気の告白もそんなにものものしくではなく、自然な会話の流れでなされたので、あんまり覚えてないくらい。



たぶん、「明日、精神科に薬もらいに行かなきゃ~」みたいな感じだったと思います。



彼と出会って、母のアルツハイマーもちょっとは理解できるようになったかな。



アルツハイマーも精神科で扱う病気です。



でも、アタマがおかしくなってるわけじゃない。



神様を信じてるわけじゃないけど、しかるべき時期に、出会うべく人に出会うようになってるんだよね、人生って。


ブログをはじめたのも、きっと、そうすべきだからじゃないかな。


(だから、もっとちゃんと更新しなきゃね…)

今日、久々に中国気功に行ってきた。


勤めている会社の社長の紹介で、1年位前から行き始めた。


私は小学校のころからすごく姿勢が悪くて、もう絶対に治らないとあきらめていたのだが、


ここに通い始めてからなかなか調子がよい。


姿勢が悪いと血行が悪くなる。


すると脳みそに血液がいかなくて、心のバランスも悪くなる。


ここの先生は、体の調子だけじゃなくて、心の調子も見抜いてしまうからちょっとコワイ。


今日も少し泣かされそうになった(いじめじゃなくてね)。


心と体はつながっているんだなぁ…


昔、大学の美術科を受けるとき通っていた画塾の先生は、


顔色を見ただけでその子が今日朝ごはんを食べてきたか、


今何か悩みがあるのかぴたりと当てていた。


芸術家の観察眼ってすごい…


でも、普通の人だって、よく観察すれば、きっとわかるはず。


私も母のことをもうちょっとよ~く観てみよう。


まずは見ること・理解することからだと思うから。

ながらくブログを放置していた…

文章を書く仕事をしているので、仕事以外でテキスト打ちたくない病にかかってました。


でもコメントはちゃんと読んでます。

読んでくださったみなさん、ありがとうございます。


うちの母は、いまのとこ、そんなに進行もせず、元気にしております。


ところで、私、家を出ることにしました。


母が病気だから実家へ戻ってきたわけなんですが、

一緒にいるのが本当にいいことなのかいろいろ考えさせられる出来事がありまして。


最近知り合ったとある男性に言われたんです。


「本当に親のために家に帰ったの?世間に自分が悪者に思われたくないからじゃないの?」

と。


…ショックでした。

本音はそのとおりかもしれません。


その男性は、3年前にお母さんを癌で亡くされてます。

身内が病気になったら、つきっきりで看病するのが常識ですが、彼は母親とは別々に暮らしたままでした。


当然、周りは非難ごうごうです


「親が大変なのに、そばにいてあげなくていいの?」だとか

「自分のことしか考えてないんだね」とか。


でも、彼は言いました。


「病気の自分のために、身内の生活を変えてしまうことのほうが、

本人にとってはよっぽどつらいんだよ」


「そばにいることが最良の手段じゃない。離れていて、たまに会うことがいいことだってある」

それは彼自身も癌経験者だから、いえることなんでしょう。



でも、たしかにそうかもしれません。


私は母親がアルツハイマーになって、いろんなことが分からなくなってると思ってました。


でも、母が最近、近所のおばさんに

「おとうさんに迷惑掛けてるから、もう離婚したい」

「家を出て一人で暮らしたい」


あげくのはてには「死にたい」とまで言っていたそうで。


私が実家に引っ越すときも

「仕事場が遠くなるけど大丈夫?」

「おかあさんのために無理しなくてもいいからね」


って何回も言ってました。


私が母のためにしたことが、母の負担になっているのです。


病気になっても親は親。

娘の本音なんて、見抜かれているんです。


私の職場は残業が多い上に、通勤に往復3時間かかる。

家にいる時間は、平日なら24時間中7時間ほど。

うち起きているのは2~3時間。

母と顔を合わせるのは、朝のほんの数分だけ…


こんな生活じゃ、帰ってきた意味がない…


だから家を出ます。

平日は思いっきり働いて、睡眠時間含めきちんと自分の時間を確保して

週末は父と母に親孝行する…


そんな生活に切り替えようと思います。


でも、1回実家に帰ってきたことは後悔してません。

いろんなことが見えたから。

父から「芝居をやめろ」と言われる。


私は名古屋市内で活動している某劇団で役者をやっている。

それで生計を立てているわけではない。

世間的に言うアマチュア役者だ。


まぁ、父の言わんとしていることはわかる。


「おかあさんが大変なときに、役者ごっこなんかしてる場合か!」


ということだ。


さっき、私は「アマチュア」という言葉を使ったが、

学生のサークル活動で役者をしていたときから、この言葉が好きじゃない。

自分は役者で食ってなくても、お客様は時間とお金を費やして観に来てくださるわけだから、

気持ちだけでもプロでありたいと思っている。


それを「役者ごっこ」と言われるとカチンと来る。

とりあえず「はいはい、わかりました」と言っておくが

やめる気などさらさらない。


というかうちの劇団は年1回しか活動しないのだ。

公演2~3ヶ月前の土日のみの稽古。


うまくやればバレない(うふ♪)

会社勤めをしながら公演前に1週間の有給が取れるのも、

普段から文句を言わせないくらいの仕事をこなしているからだ。

それを家庭でもやればいいだけのこと。


時間は自分で作るものだ。

4月15日はマイバースデイです。

28歳です。

この歳になると、別にめでたくもなんともないねぇ…。

彼氏でもいりゃあ、別でしょうが。


というわけで、誕生日の金曜の夜、仕事帰りに芝居を観に行く。

流山児★事務所の『ハイ・ライフ』@芸文小ホール


面白かった~♪

流山児初見にして打ちのめされる。

4人の麻薬中毒者のお話。

パンフに書いてあった演出家の

「最近はきれいな話が多すぎる。私は世の中の底辺にいる人を描き続けていきたい」(原文ママじゃないっす。こんな感じ。)

という言葉に感銘を受けました。

これからも素敵なテイヘン、期待してます!



その帰り。

男に声をかけられる。


男「あの~、今、ヒマですか」


私「今から帰るところです」

男「ちょっと座ってお話しませんか?」

私「話くらいならいいよ~」


男「おいくつですか?」

私「今日で28」

男「え?今日、誕生日なんですか?おめでとうございます」

私「あ~、ありがとー」


男「じゃあ、今日、28歳の思い出作りましょう!」

ちょっとやけくそ気味だったし、なかなかかっこいい子(見た目たぶん年下)だったので、

呑みに行くのもいいかなぁと思っていたら…


男「ホテル行きましょう!」

…直球やな~~!!

いや、そこまでさみしくないです。

間に合ってます。



そ・れ・に、だ


ナンパには手順というものがあるだろ!!

とりあえず、飲みに行くとか、ドライブとか。


ただ、ヤリたいだけだったら、H専門の出会い系サイトとか、

フーゾクって手があるじゃん。


街を歩いているソノ気のない子を、ヤル気にさせるのがナンパの醍醐味!

ナンパ師はオトす過程を楽しめ!


まぁ、相手が悪かったね、坊や。

もう一度出直しておいで。

すごい世の中ですよね。

遠く離れた、同じ病気と戦っている人や、介護されているご家族とコンタクトを取ることができるんですから。

アルツハイマー患者を抱えるご家族が発信されている、介護日記を読むと、そのリアルさに愕然とします。

失禁、徘徊、不眠、被害妄想、記憶や言語の喪失――。

アルツハイマーが根治できない病気である限り、いつかは母にもやってくる。

その前にやらなきゃいけないことがある。

私は、もうすぐ28歳。3人姉妹の長女である。

現在独身で、付き合っている相手もいない。

しかし、そろそろ、結婚しなくてはいけないと思う。

母から記憶がなくなる前に、花嫁姿を見せたいし、できれば孫を抱かせてやりたいと思う。

以前から「あ~、早く孫の顔が見たいわ」と言っていた母。

最近も「付き合っている人いないの?」と口にする。

正直「うっとうしいなぁ、ほっといてよ」とも思うけど、娘を心配する母の気持ちもよくわかる。

母の介護がはじまるまでに、あと何年かかるだろう?

できれば介護が本格的に大変になる前に、結婚して、子供をある程度まで育てたい。

子育てと介護を一緒にやるのは無理だろうから。

結婚願望は強いほうではない。

あるのは義務感と焦燥感。

でも、そんな気持ちで結婚して、本当に幸せになれるんだろうか?

そもそも、そんなうちに婿に来てくれる男性はいるのだろうか?(苦笑)

現在、母の受けている治療は、アリセプトの投薬と、民間の治療院での電気療法です。

その母の治療方針について、現在、父と意見が真っ二つに分かれています。



父は「西洋医学マンセー派」。

漢方や鍼、整体などの東洋医学、なんとか茶とかキノコとかの民間療法は一切否定!



「そんなもんは、医者に見離された奴らが気休めにやるもんじゃ~!オレは認めん!!」



と代替医療をうさんくさく思っているお人です。

父が民間療法嫌いなのは、自身がリウマチになったとき、

それで痛い目にあっているからなのです。



一方私は、「良くなるならなんでもやろうよ」派。

今飲んでいるアリセプトをやめる必要はないけど、それにプラスして

いいと言われている民間療法や食品はどんどん取り入れていったほうがいいと思っています。



そのひとつが上にも書いた電気療法なのです。

(これについては後日詳しく書きます)

私が母を民間の治療院に連れて行き始めたときは、父と口論になりましたが

今のところ、アリセプトの代金は父が、電気療法の治療費は私が払うことで、折り合いをつけています。



「母によくなってほしい」という気持ちの方向は一緒のはずなのに

父は「そんなものでよくなるはずがない」とう言葉を、母の前で平気で口にします。

本当は家族できちんと話ができればいいんだけど、

父とはしばらく話ができそうにありません。

母失踪事件を書くのにちょっと飽きたので(笑)

今日は別のテーマで。

うちの母はアルツハイマーとは言っても、脳の萎縮進度が遅く、

事情を知らない人から見れば、普通の人と変わらない生活を送っています。


雑だけど、料理も洗濯も掃除もやりますし、

会社員の私のお弁当も作ってくれます。


(おかあさん、いつもありがとね)

昔はパンやお菓子、ホワイトソースの凝った洋食、

手作り味噌など作っていた母ですが、今は

魚を焼く、野菜をゆでる、味噌汁を作る、ご飯を炊くくらいしかできません。


それだけできれば十分かもしれませんが、

昔の母を知っている私からすると、少しさみしく感じます。

作ってくれた料理も食べられないことはないけど味付けは雑だし、

母自身も料理が億劫なのかスーパーでお惣菜を買うことも増えました。


気をつけていないと、冷蔵庫に納豆が
56パック入っていたり、

賞味期限切れの食品が増えてしまいます。


買い物をする時に、冷蔵庫に何が入っていたか思い出せないし、

賞味期限の近い食材から使うという考えもあまりないみたいです。

洗濯は、干す作業を途中でやめてしまったり、

取り込むのを忘れていたりすることも。

掃除はもともとニガテでしたが、前より家の中は汚くなりました。

でも、ちょっとくらい家が汚くても死にません。

母がアルツハイマーになってから、

物事をおおらかな気持ちでみるように努力しています。


昔は、娘の甘えも手伝って、よく母に文句を言っていました。

「おかあさん、これ、賞味期限切れてるよ!」

「この料理、味付け、なんか変じゃない?」

「このジーンズは洗わなくていいって言ったのに!」

母は一生懸命、家事をこなしていたのに、

否定の言葉を言われて、たまったものじゃなかったでしょう。

今はすべて「ありがとう」と言っています。

「お弁当おいしかったよ、ありがとう」

「洗濯してくれて、ありがとう」

アルツハイマーの人も、そうじゃない人も、

自分の存在を認めてもらうことが、一番うれしいはずだから。