ごちそう帖

ここに来てくれてありがとうございます。

日々の雑事にかまけて忘れそうになるいろいろなことを内田百閒先生の名著の題名を拝借してつらつらと書き留めてみます。


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ブログのデザイン(PCの方です)を変えました。

ピンク系にしたものの、「なんとなく違うな」と思い、グリーン系に。
ブログのデザインに限ったことではなく、私にとってピンクを選ぶということは、結構決断力を要することです。一言で言えば、好きではない色ということ。それでも選ぶのは、安直だけど「女性らしさ」みたいなものがちょっとはつくかな、という願望ですな。

そうはいっても、ピンクだとなんとなく疲れるような気がして、これも安直かもしれないけど、落ち着くグリーンにしてみました。

ちなみに、赤は好きです。「さあやるぞー!」という気になるので。
だから仕事で使う文具はなるべく赤を選ぶようにしていて、手帳やペンケースは真っ赤、愛用の多機能ペンはえんじ色です。

さて、このブログについて。
最近更新していなかったのですが、その間でもツイッターやfacebookはちょこちょこつぶやいたり書いていました。

先月、携帯電話をスマートフォン(i-phone)にしたところ、思った以上にツイッターやfacebookへのアクセスが簡単で、気軽に書ける(つぶやける)というのも大きかったかなと。

あとは、いろいろな方のブログを読んでみて、自分は今後どんなスタンスの記事を書けばよいかな・・・と考えてしまって思うように書けずにいた、というのもブログからやや遠ざかっていた一因。

ブログを書き始めたのが2004年12月だから、もう7年を過ぎました。
読み返してみると、過去の記事には結構思ったことをストレートに書いているものがあります。
主に、何かのきっかけで腹立たしく思ったことを書いていたのですね。

最近でも、いろいろ腹の立つことはあって、よほどブログの日記に恨みつらみ書いてやるー!と思いました。
でも、そのとき腹が立ったことについて、ブログを書くときには、またもう一度思い出して、文章にするために組み立てを考えたりしないといけない。

ブログに書いてやる!と思うほどのことだから、当然思い返しても腹が立つし、相手に対して悪く思う気持ちを自分で再燃させてしまう・・・落ち着いて考えてみると、自分だけが嫌な思いを何度もしなければならないのって、非常に疲れることだな・・・と気付いたわけです。気付くというと大げさだけど、少なくとも数年前、毒を吐いていたときはそれに気付かずに書いていたわけで。

こう思うに至ったのは、いろいろな方のブログを読んで気付いたことでもあります。
私が読んでみて「この記事いいなあ」「この人のブログは本当にいいなあ」
と思うものに共通するのは、前向きな姿勢です。

もちろん、辛い思いをしたことが書かれているときもありますが、そんなときでも誰か・何かを一方的に悪者にするような書き方はしていないように見受けられます。

逆のスタンスのブログや記事もあるわけですが、どうもそういう傾向のものは読んでいるこちらも後ろ向きですさんだ気持ちに引っ張られてしまう・・・ということです。

外ヅラを良くする・・・という意図はゼロではないですが、それ以上に自分が書いていて辛くならない内容にしたいな、と思って、それじゃあどういうのを書こうかな、、、と考えてしまって書けずにいました。

まあ、基本的にはお気楽なことをちょこちょこ書いていくかなと思っています。


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年賀はがきが発売になったからというわけじゃないけど、

「子供or結婚しましたの写真つき葉書は独身者に送るのが気が引ける。だって悪いじゃん~!」

というのを聞くと、

「電車で席を譲ると、相手に『年寄り』というみたいで悪いから何もしない」

というエピソードを思い出してしまいました。きちんと読んでないからダメですが、15年くらい前に出た『優しさの精神病理』という岩波新書を思い出した。優先席のネタは確かその本で取り上げられていたような覚えが。

というより、我々独身者というのは、
「哀れまれるべき存在」なのか、そんなに低く見られなければならないのか、そんなことを考えてしまうわけです。

だから、そんなわけで写真つきのお便りは楽しみにしています。私も、今年自分が出掛けた名所や山の写真を年賀はがきに載せて、存分にアピールするんで、よろしくお願いします。

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朝起きるとニュース(NHKです)、夜帰宅してもニュース(これまたNHK)で、(関東地区では)当たり前なんだけど毎日原発のニュースや、どこかで基準値を超える放射性物質が検出された(折しも今見ていたニュースでは、江戸川区のゴミ処理場の焼却灰の中から基準値を越える放射線セシウムが検出されたそうで)という話題が毎日。

それを平然と聞き流せるようになっているのもどうかと思わないではないけど、怖がったところで何も始まらないし、自分のやらなければならないことを放ってここから逃げ出すわけにも行かないし(そもそも逃げ出そうとも思わないし)、独り者としては当然の反応だと思う。

さて、ここからは取り越し苦労なんだけど。
今週末に東海地方に帰って、友人数名に会う予定。中には小さいお子さんを持つ人もいるわけで、そういった中で放射線の話が出てきたら、正直自分としては居心地が悪いというのか、申し訳ないというのか、どう反応してよいか迷うような気がする。独り者で子どもを産む予定がしばらくない者と、そうではない者とでは意識が違うのは当然だろうし、小さな子どもを持つ人たちが、たとえば屋外のプールで授業を受けることを非常に怖がるといったようなことはいたし方ない、というのも分かる。だからこそ、無頓着でいる自分がこれでいいのかとか、もっと言ってしまえばそんな自分が名古屋にノコノコやってきて会っても良いものか、とか要らないことを考えてしまう。

自分の友人たちなので、心無いことを言うことはないと信じているし、↑のように書いてしまうことで彼女らを疑ってしまう自分を恥じるのだけど・・・。その手の話題が出ると「東京は大丈夫か」といった心配もされそうな気がする。心配してもらえるとすれば、それはありがたい半面、困惑するというのも正直なところ。

まあ、考えすぎだろうけど。何しろ、今度の集まりのメインは10月に結婚する人のお祝いなので、その話題だけでも十分楽しんであっという間に時間が過ぎるような気がする・・・というかそうあってほしいし、ゲストとしてはそのように努力するべきだろうから。

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あの震災から1週間経つか経たないかの時期に、たまたまラジオ(TOKYO FM)で聴いて、ダウンロードした曲がこの曲。歌詞の内容よりも、「ふくしま」が「名古屋」や「愛知」だったら・・・という思いで聴いてしまって何となく心から離れない歌に思えた。



適切な言い方でないことを百も承知で言えば、3月11日の地震の揺れを感じた時に真っ先に思ったことは、東海・東南海地震ではないかということで、さらに震源が東北地方と知ったときに「名古屋(愛知)でなくて良かった」ということだったから、人並み?の愛郷心があるのかと思う。裏返して言えば、もし名古屋・愛知・東海地方の地震であれば、非常にショックを受けただろうと思う。(名古屋では普段から「東海・東南海地震に備えて・・・」といったことを耳にしていたので・・・だからといって何か有効な策を打っていたわけでもないが・・・)

この記事でもさんざん、「明日と言わず、今すぐ、今晩にでも名古屋(愛知)に帰りたい」、「赤みそを食べないと元気が出ない」というようなことを書いているが、私が生まれたのは京都、物心ついて中学生の前半(中2の1学期)までの十数年を滋賀(大津)で過ごしているので、実は生粋の名古屋人ではない。(両親はともに名古屋及びその近郊の出身だから、血統的には名古屋人かもしれないが(笑))

大津から名古屋に出てしばらくの間はさすがになじめなかったものの、高校に進学するころにはすっかり名古屋弁が身に付き、友達からも「ずっと名古屋の人だと思った」と言われるほどになるまで3年もかからなかったのは、自分にとって10代半ばの時期がもっとも密度が濃い生活をして、言ってみれば今の自分の人格を形成した重要な時期だったからだと思う。だからこそこの時期に過ごした場所は「故郷」と言えるのだと自覚している。

「故郷」というのは生まれ育った場所とは限らなくて、一般的に見たら短期間であっても、その人の人生で大きな影響を受けた時期に過ごした場所が「故郷」と言っていいのかな、と思う。

さて、名古屋で十数年暮らし、3年前に仕事の都合で東京に住むようになったものの、話す口調はかえって名古屋弁がきつくなり、加えて関西への出張の多さから話す相手によっては関西弁が自然に出てしまう(幼い頃使っていた言葉だからほとんど違和感がない)ようになり、初対面の人からの「どこにお住まいですか」という問いに対して、とっさに「東京です」と答えられないくらいにこの地域に馴染んでいない。この地域で恋愛して結婚でもすれば、自分にとって東京が「故郷」といえるようになるかもしれないが、あいにくそういった予定はない。

今、福島の特に海沿いの地域の人たちが、帰りたくても帰れないだけではなく、思い出の多い土地が風評被害を含めて散々なことになっている。でもこれは、たまたま今回は東北だっただけで、名古屋・愛知でも十分起こりえることだったと思うと、いたたまれなくなってしまう。だからこそ、冒頭の歌が自分にとっては身にしみる歌に思える。

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花見や花火大会の自粛、どう思う? ブログネタ:花見や花火大会の自粛、どう思う? 参加中

私は自粛しなくてよい 派!


エネルギーを無駄に使う恐れがあるとか、あまりいも不謹慎(といっても思いつかないが)なイベントはもちろんNGでしょうが・・・。

経済への悪影響というのは、今更言うまでもないこと。
加えて思うのは、「自粛」という言葉で思考と行動が停止されることの危険性ではないかといこと。

なんでもかんでも「自粛」という「錦の御旗」を掲げれば、(本当に今やらなければならない何かを)やらないことの理由になると思っているんじゃないか、という、非常にひどいことを考えたりもします。ムードに流されて思考停止していないか、自粛が被災地にとってプラスになるのか、やるべきことを先送りする言い訳にしていないか、しっかり考えないといけません。(そして、私にとっては自粛は被災地にとってのプラスにもならず、今やるべきことをやらない言い訳にしかならないように思えてならない。)

自分は東京にいるので被災者ではないけど、かといって今回の地震の影響がゼロではない。これって、かなり微妙な立ち位置ではないかと思う。

あるとき、名古屋にいる人が
「地震や原発騒ぎで大変なときに、冗談なんか言って申し訳ない」
といったことを、地震からかなり経過した時に言ってきた。(この直前に冗談めいた内容のメールを送ってきたので。私は何とも思わなかったのだけど・・・。)
彼女の気遣い=冗談を言うことの「自粛」でもあるけど、こういう自粛で彼女が縮こまってしまってもそれは誰にも何の影響も与えない。

ここからは、自分のやることがどのような影響を与えるかをしっかり考えないとなあ、と自分に対する戒めとしてのメモですが、何でもかんでも自粛すればいいという考えも、原発の一連の対応を言いがかりに某社の社員に対して嫌がらせすることも、放射能が危ないからといって関東の農産物を買わないというのも、ムードに流されて自分の考えを持たずに行動することでは共通していると思う。








花見や花火大会の自粛、どう思う?
  • 自粛すべき
  • 自粛しなくてよい

気になる投票結果は!?


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あまり書きたくないことなんけど、ある銀行のシステム障害の原因を「義援金振込件数の増加」というなら(まだ原因は解明されていませんが、一部憶測ではそんな情報があるようなので)、他の金融機関は黙っていないと思う。

処理方法はそれぞれの金融機関で違えど、どこも振り込み件数が増大しているには違いないわけで。某金融機関だけが言い訳が許されるわけではない。(自分が思うには、合併のときもいろいろあった所なので、義援金が引き金ではないと思うのだけど・・・。)これ、通常のときだったら大変な騒ぎになっています、たぶん。

ある発電所の事故や計画停電も、事故そのものや実施施策は想定外の事象だったかもしれないけど、それに対する対応はもっと良い対応ができたのではないか、と思う。

こういう状況下なので「特定の企業を叩いても仕方が無い。まずは今それぞれができることを」という雰囲気は間違っていないけど、それに当事者が逃げることは(そんなこと無いと信じたいのだけど)あってはならないと思う。

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昨日いろいろありまして
なんだか足が重いけど
ぐっとおへそに力をこめて
今日をのりこえる

・・・という歌詞(NHKの「2355」という番組で流れている「のりこえるの歌」)が頭に浮かぶくらい、やや弱り気味。徹底的に叩きのめされる、というダメージではなく、何となくジワジワと侵食されるような感じ。

嬉しいはずの知らせがあんまり嬉しくない、
おいしいはずのものがあんまりおいしくない、
チャンスなのかもしれないことがあんまり面白くなさそうに思える

そんな感じ。

自分を弱らせる(と思い込んでいる)ファクターをここに書いて、愚痴って・・・とも思ったけど、だからといって何か根本的に解決することではないということに気付いて止めにしました。

気晴らしに走ってくるかな。。。

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「子どもがほしいから結婚する。配偶者は好きでもなんでもない」旨の発言をしていた知人(この記事 を参照ください)に先月会いました。

SNSの日記で近況は知っていたものの、実際に会ったのはしばらくぶり。
先だっての記事に書いたように、近況を日記で見ていた限りでは幸せとは思えない状態で、怒るのを通り越してひどく辛い気分いなっていました。そのため、会うまでは
「はた目に見えるほどひどくやつれているとか、辛そうな状態だったらどうしようか」
ということを考えていましたが、実際に会った感じでは元気そうでした。
(目の色に元気が無かった、というのは後付けの自分の主観だった・・・と思うことにします。)

結論としては、会って話さないことにはその人の悩みは分からない。そして、会って話して悩みを聞いても、その悩みを自分(聞き手側)が解決することは不可能だと思い知りました。(悩みが何であるかはセンシティブな情報を含むのでここでは書きませんが。)
できるのは、その人が話したいこと、思っていることを素直に聞くことだけ。
自分がコメントすると、どうしても自分の主観や経験に即したことしか出てこなくて、でも、そのコメントは相手が求めていることではないから、衝突するだけになってしまう。

私としては、
「そんなに辛ければ(結婚生活そのものを)やめてしまえば?」
と言いそうになるけど、その答えは相手が求めるものではないのが分かっている。
やめるかどうかは、その人が悩み悩んだ結果で決めるべきことだろうからね。
私ができるのは「やめるという選択もある」ということを伝えるだけだろうな。だから、そのことだけは言っておきました。

こんなことがあるので、結婚するということについていろいろ考えてしまうわけです。



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「婚活鬱」という言葉を、ある仲人さんが開設しているブログの記事で見付けたついでに、こんな記事 を見つけました。

仲人をやっている方のブログでは「ちょっとくらいふられた(お見合いでお断りされた)くらいで落ち込んでいてどうする」的な記事。私はお見合いをしたことはありませんが、普通にふられても十分引きずり(下手をすると数年は引きずった)、合コン(片手で数えるほどしか行ったことがないです。しかも20代前半の頃)で楽しく話せなかったことをいつまでもクヨクヨ思い悩み、自分が悪かったと責める性質の自分にとっては、何回もお見合いをやって、その度ごとにお断りされたらそりゃあ凹むわなあというのが正直な感想。しかも結婚できなければ人にあらず的に追い詰められてしまえば病気にならない方が不自然だと思う・・・といったことをそのブログの記事にコメントしようと思いましたが、あまり建設的な意見ではないし、開設者に何と言って責められるかが恐ろしかったで自粛した代わりに、ここで書いています。(相変わらず卑怯者のヘタレです。)

「前向きに考えて、何が自分に足りなかったかを考えればいいじゃない」
というのは、心身ともに参っているときには無理。

そういえば自分自身も婚活鬱ではなく本当にうつ状態になったことはあって、そのときには
「結婚しなければ人間失格」
的に追い詰められていた。(自分の発症のきっかけは不明です。時期としては大きな異動と重なるのですが・・・。ただ、主治医の話やいろいろな本を読むと、うつになるのに特段のきっかけはないのだそうです。結婚とか、昇進とか、一般に喜ばしいと思われるときにでも発症するのだそうで。)

うつ状態が始まったと思われる時期と結婚情報サービスやら結婚相談所へ話を聞きに行ったりしていた頃と時期が重なっているので、自分にとっては結婚相談所の類は未だに鬼門です。(ちなみに、全く活動しなかったけど登録だけしていた地元の格安結婚相談所を「やめます」と言った時期と治療を開始したのも同じ時期。自分なりに心の整理をつけたからこそ、治療を開始できたのだと思っています。)

「結婚しなければ」という思いが何をきっかけにして発生するかは人それぞれでしょうが、もし追い詰められた状態(他者が追い詰めるのではなくても自分でそのように思ってしまうというのも含めて)で発生したものであれば、それは心身に宜しくないなあ、と思います。

そういや、こんな本がありました。かなりぶっ飛んだ意見もありますが、私にとっては一読の価値はありました。
「婚活」がなくなる日―結婚=幸せという洗脳 (主婦の友新書)/苫米地 英人
¥800
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うどん屋の隣の席で「(子供には)予防接種を一度も受けさせたことがない」と自慢げに言っていて、しかも同席の人も「素晴らしいですね~」と同意してるグループが。
「いやそれ違うし」と小一時間問い詰めたい衝動に駆られたよ…まだこういう人達っているのね。
受けないことのリスクはお分かりかな…。
あまりに衝撃的だったんで携帯から投稿です…。さ、仕事に戻るかな。また落ち着いたらこの詳細は書こうと思います。

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