そんな気持ちを持っているんですよね、ずっと。
一色になったほうが、はっきりすると思うんです。
見られるにも、理解されるにも、都合はいい。
ただ、一色は、ぼくには合わないと思ってました。
震災以後のいろんなことを考えるにも、行動するにも、
そればっかり一色になって邁進するというのは、
おそらく、これからも、ぼくらはやらないと思う。
人にも、いろんな色があります。
いろんな色の人がいる、という意味ではなくて、
ひとりの人に、いろんな色があるんです。
「あんたは、カメレオンか!」と言われそうですが、
カメレオンなんか、たかが知れてるんじゃないかな。
人間のほうが、ずっといろんな色変りをします。
「どっちつかず」は、いけないこととされるけれど、
「どっちつかずじゃない」というのは、
判断をするほんの瞬間、のことなのではないでしょうか。
でも、約束を守るとか、ひとつことをやり続けるとかは、
「どっちつかず」の人間にもできるんですよ。
‥‥なんてことをね、散歩しながら考えてたんです。
京都にいるときには、散歩の距離が長いし、
クルマの通らない細い道とかがあるので、
犬とぼくは考えごとをしながら歩いているんです。
「どっちつかず」って、人として当たり前だよなぁ、と。
そしたら、唐突に思いつきましたよ。
「非僧非俗」っていうことばをね。
坊さんという専門のものではないよ、と。
かといって、まったく俗世間だけのものでもない、と。
僧でも、博士でも、先生でもいいんだけど、
「専門」になっちゃうと一色じゃない?
それは、ぼくにはつまらないなぁと思えたんです。
かといって「俗」の底から浮かべないのも不自由で。
「どっちつかず」の権化が親鸞 だったのか‥‥。
なんて勝手なことを思いつつ、散歩してました。
「非想非俗」とか、調子のいいこと言おうかなぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
のんびりした企画を、ちょこちょこ読んでいってください。


