小学館社員、週刊ポスト編集員が大麻所持で
逮捕されたとのニュースが流された。
小学館!週刊ポストと名指しでテロップが
流されているのを見ながら・・・ついに来たか・・
という印象はぬぐいきれない。
狙われたな!・・・ということである。
小沢裁判でも一貫して無実を指摘し
検察の体質についてもかなり具体的な
論陣を張っていたのは、主な週刊誌では
週刊ポストだけであるからである。
週刊新潮や文春、そして週刊現代でもこの辺は
殆んど口をつぐんでいるのである。
週刊現代【講談社】にいたっては、小沢無罪判決後
いきなり小沢をスル―して唐突に「橋下総理と維新の会」
への期待論を打ち上げ始めるという高度な
方法を展開中である。(相対的に小沢問題をシカトし
相対的な位置を引き下げるために・・・)
小学館はかつて・・・といっても30年くらい前に
「日本国憲法」という本を出してベストセラーにした。
現在の日本国憲法の条文を大きく並べながら
美しい日本の風土を背景にしたきれいな本であった。
憲法改訂論議が盛んになっていた時に
日本国憲法そのものをまともに取り上げたのである。
法律を扱った本としては卓越した企画であった。
全国から大きな反応が寄せられ小学生から90歳の
お年寄りまで、日本国憲法の美しさに惹かれたと
感想が寄せられた。小学館はその声を一冊の
文庫版にして発行した。これもよく売れたのである。
文庫版の発行は小学館の防衛的な判断でもあった。
「こんなに多くの全国からの声があります!」という
防衛線だったのである。
その頃、旺文社では昭和の歴史というシリーズを
発行したのだが、ある巻にクレームが出され
完結セットができなくなったしまった事がある。
クレームと著者との折り合いがつかず、随分と
手間取ったのであった。
言論に対する攻撃はその頃から執拗に繰り返されて
きたのである。その象徴的な事件朝日新聞社の
大阪支社の記者銃撃事件でもあった。(犯人は
いまだに不明である)無防備な新聞記者に向けて
猟銃を発砲するという言論の自由に対する
卑怯な攻撃は、しかし、マスコミ人に対する威嚇には
充分だったろう・・・右翼と言われる人達のやり方は
基本的に、弱い者いじめであり、卑怯な脅し以外の
何物でもない。陰険である。
しかし、これによってマスコミ人は不用意に本当の
事実を伝える事ができなくなったことは確かである。
同じように弁護士や法律の世界でもテロは大きな
脅しが作用している。その端的な事件はオ―ム真理教の
弁護士一家殺害事件であろう。
マスコミの報道記者や弁護士、大学教授といった人達は
民主主義社会の中で暗黙の権威を持っていたのである。
出来るだけ客観的な立場で自由にものを言い、
立ち入りもある程度自由に認められるものであったが、
暴力やテロの前では、無防備な存在でもあったのである。
そうした自由社会の暗黙の了解を奪い去っていった
これらの事件は日本をかつての治安維持法体制のように
締めあげ始めているのである。
生活に苦しむ国民はこうした動向にも、かつては平和な
日常におぼれ、不景気になってはそれどころではなくなって
無頓着にに過ぎてきたのではないだろうか。
今回の大麻事件の報道のされようにどこか気になる
手法が感じられるのである。小沢裁判に私が関心を
持ったのは、厚生省の村木局長の事件も発端は
民主党の当時副代表であった今はゴルフ事件の
石井一氏が電話をかけて・・・要請!というのが
事の起こりであり、小沢裁判もまた明らかな政治攻撃
だったのである。(悪評高い西松建設に手を入れること
から始まった・・・しかし、西松建設からは、小沢の
有罪は出せなかった…それどころか他の国会議員の
話の方が多かったのである。その人たちは一様に
罪を許される代わりに口をつぐんでいるのだが)
小沢一郎は西松建設内にきちんと政治団体を組織し
会費を集めて、献金を受けるという同法的な手続きを
しっかりとっていたのである。
流れ流れてどうでもよいような報告書の虚偽記載と
なったいったのであって、小沢一郎氏が日本の民主主義
のためにと主張するのは全く正当なのである。
(まさか小沢一郎に民主主義を標榜されるとは
思っていなかったのだが、彼はこの攻撃の中で確かに
ある種の昇華を遂げていると言ってよい、その限りで
私は支持をしている。)
今回の大麻事件も詳細は知る由もないが
報道で大々的に『小学館』と週刊ポストが名指しされ
る手法の中に、わずか0.7グラムの大麻にしては
思わせぶりな意図を感じるのである。
自宅のテーブルの上にあったものをどうやって
現行犯に出来たのか・・尾行や捜査対象として
俎上にのっていたからに他なるまいとおもうのである。
いやな時代だ。このブログはあまり影響力がないから
大丈夫だろうけれど・・・・(笑い)