派手な服を親に注意された
テーマ:青春の悩み「服と音楽」で自分を表現したい。
将来その仕事に進みたい。
でも、派手な服を着ると、親は「普通の格好をしようよ」と言います。
親の気持ちもわかるので、つらいんですが、納得いかないです。
という悩みもありました。
それは、親の無認識である場合もあるでしょう。
「みっともない」という親の見栄の場合もあるだろうし、また親の愛情でもあるでしょう。
たしかに「ただ従う」というのでは、自分の個性を抑えつけられていると感じるでしょう。
しかし、反発するだけが、それでは個性的なのかというと、違うと思う。
家庭に限らず、一つの世界に入った場合には、賢明に、それに調和していこうという心も大事です。
そういう応用性をもてることも、それ自体が個性です。
ただ従うだけの「惰性」でもなく、反発だけの「わがまま」でもなく、釣り合いを取って調和を図って行く。
そのような聡明な考え方をできるのも個性です。
それがなくて、たんなる自分中心主義になってしまってはいけない。
自分だけが生きているんではない。
親、友人、そして世界の中で生きている。すべて関係している。
そのなかで個性を光らせることが大切です。
わがままではなく、自分も、周囲をも、よい方向に伸び伸びと持っていける生き方、あり方こそ立派な個性と言える。
「流行が気になる」という人もいれば「まったく気にならない」という人もいます。
問題は「同じじゃないと、いじめられる」という傾向です。
ある人は「同じ年代の子ども同士で、服はこれじゃなきゃだめという決まりがある」
また「みんなと違う意見を言うと、ふつうは・・・と言われて白い目で見られる」
と語っていました。
これは根が深い問題です。
日本人は、昔から、画一性を重んじてきた。善きにつけ、悪しきにつけ。
西洋との大きな違いです。個性観が全然、違う。
個性を埋没させる国民性が時代の進歩を妨げたことも大いにあるでしょう。
いわゆる集団的なファッションで囚人のように行動を縛るのは、個性をなくしていこうというものであり
人権無視のいちばん不幸なことです。
本当は、人の個性を尊重し、自分の個性を伸ばしていくところに、自他ともに価値ある進歩ができる。
人を見かけで判断するようなことは、人間に対する侮辱です。
個性を大事にする心とは正反対だ。
アメリカの人種差別撤廃の運動の偉大なるお母さん、ローザ・パークスさんは私の尊敬する人です。
どこまでも優しい、しかし、とても芯が強い女性です。彼女は語っています。
「どのくらいお金を持っているか、どんな家に住んでいるか、どんな服を着ているかということで人を判断してはいけないと、母は私に教えてくれました。人は、自尊心と他人に対する尊敬の念によって判断されるべきだと、母は教えてくれました」














































