いろんなメディアが、いろんな角度から、あの日と向き合う番組やコンテンツを発信するでしょう。
ぼくは昨年の3月11日、原宿にある自分の店にいました。
その時間までは、若者で賑わう普段の金曜日でした。
強い揺れに恐怖を感じて外に飛び出し、パニックになる街を、唖然としながら見渡していたことを
思い出します。
店にテレビはなかったので、ラジオで津波の警戒を呼びかける声をを聞きました。
山手線を含むほとんどの交通機関は運行を停止し、ぼくはスタッフを自宅に送るために隣駅にある
自宅まで歩いてクルマを取りに行きました。
夕方の5時ごろ原宿の店を出てから、大泉、清瀬を回ってまた、代々木の自宅に帰ってきたのは、
明け方の4時半でした。
幹線道路をひたすら歩く人々を横目に見ながら、譲り合いを忘れない、クラクションも聞こえない
渋滞のなか、『この国の人々の美徳は、世界に誇れる』と思ったものです。
それから10日後、息子がこの世に生を受け、ぼくはこの因果について考えざるを得ませんでした。
震災の経過年数と共に年をとっていくことを宿命づけられた息子に対して、父であるぼくは、いったい
どんなものを見て、どんな行動をしたのか、伝えなければいけないと強く思いました。
それから十数回、宮城や福島の被災地に赴き、ぼくの仕事である犬を通した支援活動をしてきました。
ガレキで埋め尽くされた大地、黒焦げになった街を見るのは、辛かったです。
大自然に対して、人間が如何にハカナく弱いものなのか、無常を感じることしばしでした。
しかし、そこから立ち直ろうとする人間の強さも、やはり感じることも多々ありました。
彼の地で人間に寄り添って生活してきた犬たちが、様々な運命に翻弄された現実にも直面しました。
支えようと思ってアクションをしたはずのぼくらが、逆に支えられ、生かされていることを実感することも
多かったです。
震災の影響は、ぼくの仕事にもありました。
正直、人助け、犬助けをしている場合ではなかったかもしれません。
しかし、ぼくは自分の幸せを追求するため、被災地へ行くことを続けたいと思います。
誤解を受けるような表現ですが、自分の行動を、自分の中で『自己犠牲』と捉えてしまうと、
無意識的に『こんなにしてあげたのに・・・』とか『これだけやってあげたんだから・・・』と、なんというか、
内側に貸しを作ってしまい、相手に対価を求めてしまう気がします。
しかし、自分の行動を、『自分の幸せのため』と捉えれば、その対価は自分に対してのみ支払われる
から、相手に何か求めることはありません。
この場合の『自分』の範囲を、家族や仲間、あるいは、自分がタイセツにしている物事などと定義
すれば、自分自身も成長できると感じるのです。
それに、『自己犠牲』は長続きしないけど、『幸せの追求』なら長続きしそうです。
ぼくを作ってきたラグビーはよく、『自己犠牲』のスポーツだと言われます。
しかし、チームの勝利だったり、自分の成長だったりは、いわば『幸せ』。
この『幸せ』が欲しいからこそ、身体を張って痛いプレーを厭わなかったり、仲間のためにチカラを
尽くしたりするのだと思います。
ちょっとリクツっぽいですが、ずっとラグビーをやってきたぼくが、震災を経験し、新しい家族を迎え、
被災地で活動して、行き着いたひとつの答えです。
今年に入ってからも、2度被災地へ行きました。
福島県の南相馬市です。
原発事故で土地ごと奪われた方々と、その犬たちは、狭い仮設住宅で暮らしながら、明るさを
忘れていません。
しかし、ヒトもイヌも、この一年で心に負ったキズは、ひとり一人、いちワン一ワンごとに深く、確実に
存在しています。
奥ゆかしい彼らは声に出して言わないけれど、HELPの手を必要としています。
ぼくはこれからも、ぼくに出来る範囲で、ぼくが守るべきものを、守っていきたいです。
もちろん、『自分の幸せ』のために。。。






