先月の18日に母が他界した。
平成19年に赤芽球癆の為、手術をする際の精密検査で
初期の肺癌も見つかり、肺の一部を一緒に切除した。
多分、その時の癌が再発したのだろう。
「だろう」と言うのは、はっきり判らなかったからだ。
昨年の3月に肺に白い影が映り始め、
3ヶ月ごとにレントゲンを撮って様子をみていた。
どんどん影がはっきり、大きくなっているようだったので
MRI、CT、PET、気管支鏡で細胞を取ってきたりと検査は続いたが
結局最後まで「癌」と断定できないままだった。
しかし12月の声を聞いた所で、かなりの確率で癌だと思うので
治療をするかしないか選択に迫られた。
肺癌はどうやら骨(胸椎)にも転移し始めたらしい。
進行を遅らせるために、放射線を当てた。
何とか終了した。
しかし癌は大きくなっている。
母は高齢の為、もう手術は不可能なのと抗癌剤の投与も出来ないとの事で
最後の可能性として、裁判で争っていた薬「イレッサ」を使うか
そのままにしておくか・・・のどちらかだった。
随分と迷った。
迷った末に、イレッサを投与してっもらうことにした。
入院しての使用ではなく、家での服用だった。
かなり心配だったが、12月の中頃から飲み始めた。
副作用としていろいろあるが、中でも下痢が酷くおむつをしないと
いけないほど、ひどかった。
10日ほど飲み続けた頃の朝方、すごくお腹(正確には胃)が痛いと言い
救急車で入院した。
検査の結果は胃潰瘍。
薬が強かったので胃が荒れた結果だった。
折角苦しくも続けたイレッサがここで中断され、胃潰瘍の治療となった。
入院中、コマめな検査を続けた。
母の癌はもうあちこちに転移していて、緩和ケアしていくしか無い状態だった。
食欲が落ちて何も食べられないので、点滴を続けたがすぐに血管がだめになり
差し替えていたが、とうとう針をさす所も難しくなった。
とても痛々しい手になっていた。
その病院は大学病院なので、癌末期の患者をそのまま継続して
入院させておくことができないらしく、近くの連携している病院への転院を勧められた。
ドクターからはっきり言われた。
「この病院は、生きる可能性がある患者さんを優先させているので
癌末期(ようは死んでいく人間)の患者さんを入院させていることはできない」と。
思えばこの時の母の状態が一番良かった。
転院などさせずに、家での介護にすれば良かったと後悔している。
転院先の病院の空きを待って、病院を変わった。
それが2月1日のことだった。
連携している病院と言えど、大学病院とは看護の仕方も違えば
看護師、ヘルパーのレベルも相当違った。
ドクターはだけは、大学病院の同じ科から派遣されているので安心だった。
特にヘルパー事件(後に語れると良いが)があり、それが私の逆鱗に触れ
院長まで病室に謝罪に来る事となった。
何処の病院でも必ず私に向けて言われることば。
「医療関係の方ですか?」
・・・・ちがっうってば。
全くの素人だが、下手な看護師よりも勉強はしているかもね。
だって、医者も看護師も信用していないから。
そんなこんなしている時に、テレビのニュースに驚いた。
「◯◯病院、インフルエンザで患者、スタッフ75名が感染。
うち患者2名が死亡」
・・・・・・・・・・・・。
もうありえない世界だった。
幸いにも母は感染しなかったが、手にできない点滴のくだを足の付け根に
入れ変えた夜にそれが外れ、看護師・ヘルパー、それに気が付かず。
朝には失血による危篤状態に。
またもやブチキレました。
それから母の具合が悪くなりだした。
1月8日に救急で入院してから、一度も家に帰っていないので
泊まりこみで付きそう私に泣きながら訴えた。
「お願いだから家に連れて帰って」
家での介護になると父の負担が大きくなるのは判っていたが、
余命幾ばくもない母の願いを聞き入れたくて
自宅での介護に切り替えたいと父に申し出た。
父も考えた末に、自宅介護をすることを了承してくれた。
ドクターにいろいろ相談している間に、母の容態が悪くなった。
モルヒネの量も増え、肺に負担がかかるのか横になることを嫌がり
すぐにベットに腰掛けたがった。
兄もそうだった。
肺に水が溜まると横になると苦しいのだ。
モルヒネで意識が翔ぶことが多くなった中でも
はっきりと会話をすることが出来る時もあり、不思議な会話をした。
(この不思議な会話の内容も、いつか話しができると思う。)
そのうちに、めったに弱音を吐かない母が
「もう、あかん。お迎えが来ている」と言い出した。
兄も言っていた。
さすがに私も覚悟はしていたが、この時母の死期が近いことを感じた。
モルヒネの量が限界まできていたが、痛みは増すばかり。
連日泊まりこみで寝ることができない私は、気力も体力も限界に来ていた。
夜中、痛みに暴れじっとしていない母を力尽くでベットに抑えつけた。
その時、幻覚に囚われていた母が私の顔をみて恐怖に怯え、
助けを求める叫び声をあげたことを忘れることはないだろう。
私を娘だと認識できていなかったとはいえ、
何か自分に危害を加える怖い存在だったことは間違いない。
テレビで介護疲れのため、無理心中・・・とかニュースに出ることがあるが、
その時そのニュースをみて「酷いとか可哀想」と思っていた
自惚れた自分が打ちのめされた瞬間だった。
私はやっぱり偽善者だったのだ。
それからもうモルヒネだけでは、母の痛みを止めることができなくなり
夜は強めの睡眠薬を投与することが始まった。
昼は父も病院にいてくれるので、なんとか母をずっと診ることができるが
夜には私一人になるので、なるべく負担がかからないように
夜は母を寝かせる・・・という事だった。
それでも、時折痛みのために目が覚めるようだった。
強めの薬を始めてから2~3日後、母は静かに息を引き取った。
もう苦しまなくても良い。
つらくも無い。
開放されたね。
家に連れて帰れなくてごめん。
それだけが心残り。
いままでありがとう。
ずっとずっと忘れません。
今は、まだ歩き続けているんだよね?
頑張って。
極楽浄土へ行けるまで、応援しています。
皆さんにひと事。
今日できることは、明日に伸ばさず行ってください。
周りの人を大切にしてください。