アレフ問題対策のブログ

洗脳教化・家族支配・賠償拒否・麻原死刑等の、アレフ(Aleph)の諸問題をお伝えしていきます。

クローバー「アレフ洗脳教化被害者・賠償請求法律相談窓口」 を設置しました
 右矢印アレフの洗脳的な教化の被害に遭われた方が、金銭や精神的損害を取り戻すため、

  弁護士さんにご相談するなど、お手伝いさせていただく相談窓口です。>>詳しくはこちら

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昨日30日、アレフ信者3人が、ヨガ教室の入会金と偽り、アレフに入会させたとして、
詐欺容疑で逮捕されたとの報道が、今朝ありました。

アレフと偽ったヨガ教室の洗脳教化の実態・危険性は、本ブログでもずっと訴えてきましたが、
逮捕者が出たのは初めてのことです。

取り急ぎ、ニュースのリンクを貼っておきます。

■詐欺容疑でアレフ信者3人逮捕=SNS利用、「ヨガ」勧誘-滋賀県警(時事ドットコム)
http://jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012053000813

ヨガ教室の入会金と偽り、現金をだまし取ったとして、滋賀県警警備2課などは30日、詐欺容疑で、大津市国分、無職藤原淳子容疑者(33)ら3人を逮捕し た。同課によると、3人はオウム真理教の主流派「アレフ」の在家信者で、いずれも「覚えていない」と容疑を否認しているという。・・・・・・・・・・・・・・・略

■「アレフ」3信者逮捕(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20120530-OYT8T01374.htm
ヨガ教室と偽ってオウム真理教主流派「Aleph」(アレフ)に入会させ、入会金などの名目で2万円をだまし取ったとして、県警警備2課と東近江、甲賀 両署は30日、いずれもアレフ在家信者の大津市国分、無職藤原淳子(33)、京都市伏見区深草西浦町、会社員有田環(25)、同区石田桜木、アルバイト店 員村川奈々恵(33)の3容疑者を詐欺容疑で逮捕した。「覚えていない」と否認している。
・・・・・・・・・・・・・・・・略


■動画 元オウム真理教「ヨガ教室へ」Aleph(アレフ)信者を逮捕(mbs関西放送)2012年5年31日8時41分

http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120530165900573359.shtml





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先週末の、NHKスペシャル『未解決事件 オウム真理教』は、大変見応えのあるものでした。
わたしたちアレフ問題対策室のスタッフ一同は、
その日、松本サリン事件の被害者でありご遺族でもある、河野義行委員長方が
東京本部にお越しになり開かれた、ひかりの輪外部監査委員会に参加し、
終了後、NHKを拝見しました。

被害者の方にお会いし、事件を扱うテレビを見たこの日は、
決して忘れることのできない一日となりました。

女性幹部が主人公となっていたドラマ仕立てのほうは、
教団内部の様子が、たいへんリアルに再現されていて、
たいへん重い気持ちになりました。

二度と、同じ過ちが起こらないよう、このドラマを心に刻み、邁進してまいりたい思います。

本対策室の宗形真紀子も、その主人公とと同世代で、オウム真理教で一緒でした。

今日は、宗形の、入信に至る動機から、オウムや麻原の変貌、薬物人体実験やLSD、
高温の湯に複数回連続で浸からせる「温熱修行」他多数の、
一歩間違えれば死んでいた(実際に死亡した者が複数いる)
過酷な体験、
地下鉄サリン事件、麻原からの獄中メッセージの存在、
上祐史浩の出所、上祐の秘書の経験、上祐から聞いた告白、
そしてオウム・アレフを脱会して、今に至るまでを、詳細にリアルに描写した手記
『二十歳からの20年間――“オウムの青春”の魔境を超えて』をご紹介します。

自身が脱却するのに長年を要した、オウム・アレフ・麻原の修行が、
いかに人を、自己中心的で傲慢な「魔境」と呼ばれる精神状態に導くのかということや、
それを選んだ自身の心の問題につい
て、実体験と心の軌跡を赤裸々に記すことで、
その脱却のプロセスまでを教訓として記しています。


一般の方々が、元オウム信者である宗形の、わずかな価値を見つけ出し、
励ましてくださり、出版が実現しました。

以下に、細かな目次を載せました。
内容がおおよそわかるようになっています。
ぜひ、本書をお手にとっていただき、実態を知っていただけたらと切に願います。

宗形本

■内容紹介

《魔境という名の青春》
少女を待っていたのは、オウム特有の「グルイズム」(=麻原絶対主義)と
「マハームドラー」(=与えられた試練を超える修行)でした。
薬物人体実験をはじめとする数々の無理難題について、
「おかしい」と思う一方で、「帰依を続けなければ」と考える精神の葛藤が
痛々しいまでに描き出されます。

そして、地下鉄サリン事件――
身に覚えのない容疑での自身の逮捕に至ってもなお、
彼女はオウムと決別できないまま、8年もの年月を過ごします。
しかし、日本各地の聖地を巡り、自然に回帰することによって、「憑き物が落ちる瞬間」を体験、
苦しみを作り出したのも、その苦しみから抜け出していくのも、
自分の心なのだという当たり前の結論にたどり着いたのです(2007年にアレフ脱会)。
自らの精神と深く向き合ったことで書くことが可能となった「心性ノンフィクション」といえます。

■内容

苦しみを作ったのは私、苦しみから抜け出すのも私―。
自らの精神と深く向き合った心性ノンフィクション。
だれの20年間にも、消せない傷と価値がある。

■出版社からのコメント

二十歳からの20年間――それはまさに、精神の変遷の歴史。
幼少より感受性が強く心の扱いに悩んでいた少女は、二十歳のとき、
「救われたい・生きる意味を知りたい」という一心で、
すべてを捨ててオウムに出家します。
しかし、少女の運命はオウムによって翻弄され、
1995年、ついに地下鉄サリン事件が起こるのです――。


■目次

はじめに

第一章 霊的体験と、生きることへの悩み
――二十歳でオウムに入った背景(一九六八~一九八九)

打ち砕かれた、傲慢な思い込み
三歳までの心の衝撃
自然の中ですごした幼少期
「わたしは悪い心を持った人だ」
14歳――霊体験での苦しみ
16歳――受け入れられなかった父の死
演技の限界――ノイローゼ・登校拒否と自殺衝動
自殺を救った「湧き起こる強い思い」
翁のような導師を求めて上京する
カフェバーと初めての宗教
女霊能者の先祖供養と人助け
演技のいらない初めての友だち「うめちゃん」
三日三晩連続した夢体験とオウムとの出合い
「自我肥大」という大きな落とし穴
オウム入信と、夢と現実のシンクロニシティ
「神の祝福」体験は、じつは煉獄だった
八八年、オウム真理教への入信
斬新だった初めて知る仏教の教え
「修行に行くから、成人式には出られない」
麻原との初対面と、オウム的思考のはじまり
地球の救済のために出家を決意する
ある神秘体験
グルを切望した理由と、既存仏教への幻滅
傲慢な思い込みにより母を苦しめてきたわたし
八八年から存在していた「救済」の裏の麻原の「野心」


第二章 私を縛り付けていた何か
――サリン事件までの出家生活(一九八九~一九九五)

出家してすぐのリアルな夢
マハームドラーととらえてしまった選挙活動
「グルからの特別扱い」に浮かれ、どんどんおかしくなり始める
最後の呪縛となったグルイズムとマハームドラー
信者と外部の両方に向けられた、麻原と教団の嘘
選挙は本気だったらしいと知る
麻原の陰謀論(被害妄想)と殺人の関係
「ヴァジラヤーナ」という名の大量殺戮の準備がはじまる
「修行の早道」のため、麻原の指示に従おうとする心理
布教の成功を誇らしく思っていた時期
先輩弟子たちとのかかわり
麻原のポアの決意と神格化により、過激に変貌した教団
選民思想の増大と神格化の加速
毒ガスを作りながら「毒ガス攻撃を受けている」との主張がはじまる
麻原による女性信者への支配構造
手段から目的に変貌してしまった「麻原グルイズム」
薬物人体実験を受け入れる
麻原のクローンを作るための究極装置
神秘体験を重視した過ち
麻原に褒められること=修行の目的と成り代わる
薬物(LSD)と温熱修行による成就認定
終末思想や陰謀論と、麻原グルイズムの加速
麻原と合一する観想による、人格破壊の危険性
釈迦牟尼の教えに反し「自己」でなく「グル」が帰依処となる
地下鉄サリン事件直前の、ヴァジラヤーナのお食事会


第三章 絶え間ない葛藤と現実逃避
――地下鉄サリン事件後の五年間(一九九五~二〇〇〇)

地下鉄サリン事件と強制捜査を陰謀ととらえる
誇らしいと思いこんだ逮捕
親しかった幹部の逮捕や自供
「教祖逮捕」を予言の成就ととらえる
坂本弁護士一家の遺体発掘の衝撃
「地獄に堕ちる」という脅し
それでも、退廃的な教団に戻る
「後継者・麻原家三女」への懇願の手紙
秘密の麻原からの獄中メッセージ
麻原初公判と公判傍聴席での不謹慎な修行
破防法弁明手続き意見陳述の改ざん
麻原家三女と自己の神格化
麻原の息子の幼児二人による「猊下体制」
観念崩壊セミナー
「グルの指示」を断れない背景にあるもの
麻原家三女の神格化の過ち
麻原の不規則発言はじまる
教団内外での対立の激化
「一九九九年ハルマゲドン」の予言が外れる
オウム崩壊寸前


第四章 魔境に気づく

――オウム脱会まで(二〇〇一~二〇〇七)

上祐から聞いた告白
新たなアレフ体制が始まる
忘れていた、心の教え
ヴィジョンに基づく「妄想」
ヴィジョンに基づく妄想から来る魔境
自己の潜在的な欲求を投影した、夢によるヴィジョン
自己の潜在的な欲求を投影した「霊的ヴィジョン」の誘惑
ヴィジョンに基づく妄想による破綻――麻原の場合
久しぶりに自然の中へ行き、珍しい虹と出合う
ヴィジョンに基づく妄想を現実に当てはめ出す
日本の聖地に通い始める
ヴィジョンに基づく妄想による破綻――わたしの場合
突然の、教団活動からの排除
虹体験とともに魔境に気づく
神のような虹に導かれていたと気づく
夢の続き――夢と現実のシンクロニシティ
オウム事件の原因である魔境に気づく
さまざまな本から教えられる
事件に関する勉強会と、オウム批判本
オウムで「外道」とされた日本の聖地に導かれる
たくさんの人に助けられる
アレフ信者の上祐への反発の理由
教団改革の続行
オウム・アレフからの脱会


エピローグ ――魔境が教えてくれたこと

オウムの総括作業が教えてくれたこと
水の神に助けられる
病気が教えてくれたこと
憑きものが落ちる瞬間
霊や魔物の体験を作り出しているもの
神の体験を作り出しているもの
麻原彰晃とわたしの魔境
内観による自分自身との同調
いままでとこれから
二〇年間の空白と誓い


■著者について
    
宗形真紀子(むなかた・まきこ)
1968年、静岡県生まれ。感受性ゆえか、幼少期から心の扱いに悩んでいた少女は、
20歳のときオウム真理教に入信。
地下鉄サリン事件後に身に覚えのない容疑で逮捕されるなど、事件の渦中に巻き込まれる。
その後、自らの心と深く向き合う作業による精神の変遷を経て、
2007年、アレフ(オウム真理教の後継団体)を脱会。
幼いころに育まれた大自然に回帰しつつ、執筆・表現活動を行なっている。

『二十歳からの20年間――“オウムの青春”の魔境を超えて』

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大阪の、覆面ヨガ教室(※アレフへの勧誘目的であることを隠したという意味で「覆面」としました)の、
新たな情報をいただきましたので、以下に、追加しました。

なお、以下の情報はすべてではなく、ご提供いただき、把握できた情報のみをのせていますので、場所や人や、やり方などは、もっとあるかもしれません。

もしかして・・・・と思われた方は、ぜひご相談下さい。

そうと知らずにアレフの洗脳被害に遭う可能性のある方について、一人でも多く、
未然に、アレフへの入信、妄想的なオウム事件に関する陰謀論や、麻原は絶対だとの崇拝をしないように、
防ぐことができればと思います。

わかり次第、随時、最新情報を追加・更新していきますので、その実態についてご存じの方は、ぜひ情報提供のご協力をお願いいたします。(koho@hikarinowa.net まで)


北海道での勧誘活動


覆面ヨガ教室

・主催地: 道内各地
・ヨガ教室の名前・実施内容: 本村ヨーガ教室、ハートフル・ヨガ(との情報あり)
・ヨガの先生・勧誘員 :2~3名 E・本村(男性)、S・伊藤(男性)、K・H(女性)など

※先日の読売新聞では、「アレフ札幌道場(札幌市豊平区)の男性(40代)」と報道された。
 
・アレフ入信数 :全国最大。2011年の一年間で、75人が、新規にアレフ信者になった。
 【関連記事】アレフ新規信者、北海道で突出…全国の36%(2012年2月4日読売新聞)


◆北海道での勧誘の実例

アレフ入信寸前(北海道・東京で勧誘)だった、18歳の男性と上祐代表のメールやりとり①②

アレフ入信寸前(北海道・東京で勧誘)だった18歳男性と、上祐代表とのメールやりとり③④⑤

※北海道の偽装ヨガ教室問題が、上記読売新聞で報道されるほどの社会問題となっている中で、これまで、北海道の偽装ヨガ教室の勧誘を受けた方からの相談から詳細な情報提供もあり、詳細を知り得ています。
  そして、本村らの、オウム事件をオウムの犯行ではなく何者かの陰謀との虚偽を流布したり、事件を正当化したりするなどの言動が、著しく社会的な規範に反し ており、洗脳=詐欺的な行為の疑いがあり、大きく被害者支援機構との賠償契約に反していることを深く憂慮し、やむなくプライバシー権を考慮しても、本件の 実名を公表することにいたしました。


◆書店での勧誘


 E(女性)に、書店で声をかけられ、本村ヨガ教室に勧誘された実例あり。



東京都内での勧誘活動


覆面ヨガ教室 その1

 HP クンダリニー・ヨガの会 http://yoga-yoga.rakurakuhp.net/


29日の昼時点で、このHPの内容が消され、「幸福の言葉」という、麻原の説法の抜粋情報に入れ替わっているため(麻原の『マハーヤーナ・スートラ』などの抜粋)、このHPは、アレフ信者であると公表したものであると考えます。

未然に、偽装ヨガ教室での入信者を防ぐため、HP上のデータから一部の該当部分を記しておきます。

 主催地: 東京都内・名古屋で活動
 教室名: クンダリニーヨガの会
 教室開催予定・場所:

201226日(日) 阿佐ヶ谷区民センター 13時~16時 参加費2000

2012220日(日) 阿佐ヶ谷区民センター 13時~16時 参加費 2000

 ヨガの先生: 宮田雅之(教団名:ララナー・ネッカンマ・ムッタ)
 連絡先  tel  080-6523-8847 (宮田雅之)、mail  yogamiyata@gmail.com

◎少人数ヨガクラス :参加費2500円

◎個別指導: 2時間のレッスンで、3000円となります。


覆面ヨガ教室 その2

 主催地: 杉並区西荻窪近辺 在家信者の家
 ヨガの先生 : H (27~8歳くらいの女性 在家信者

 実際に偽装ヨガ教室に勧誘された実例のあるmixiアカウント:シャンティ
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=15343691&route_trace=010000400000 

 

◆書店の精神世界コーナーでの勧誘

 中野の書店の、精神世界コーナーで、K(30代男性)、U(男性)から、声をかけられ、偽装ヨガ教室に勧誘された実例あり。



 
大阪府での勧誘活動

偽装ヨガ教室
きっかけ: 梅田の書店の、精神世界や心理学コーナーなどで、声をかけられた複数の情報あり。 その後、メールの交換、お茶をし、ヨガ教室に勧誘の複数情報があり。

主催地: 大阪市内 今里駅近辺

ヨガの先生や、勧誘員: こ○げ(名字)  30代 女性 在家信者)、か○○た(女性、在家信者)、柴田(男性、40代男性)など、

勧誘員、先生: 他にも多数いると思われる

指導法: 個人指導、教室指導などいろいろなパターンあり

・偽装ヨガ教室に勧誘された実例のあるmixiアカウント
 碧 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4442837


愛知県での勧誘活動


覆面ヨガ教室 その1

 HP クンダリニー・ヨガの会 http://yoga-yoga.rakurakuhp.net/


29日の昼時点で、このHPの内容が消され、「幸福の言葉」という、麻原の説法の抜粋情報に入れ替わっています(麻原の『マハーヤーナ・スートラ』などの抜粋)。このHPは、アレフ信者であると公表したも同然です。

未然に、偽装ヨガ教室での入信者を防ぐため、HP上のデータから一部の該当部分を記しておきます。

 主催地: 東京都内・名古屋で活動
 教室名: クンダリニーヨガの会
 ヨガの先生: 
宮田雅之(教団名:ララナー・ネッカンマ・ムッタ)
 連絡先  tel  080-6523-8847 (宮田雅之)、mail  yogamiyata@gmail.com

ヨガ教室の内容

・少人数ヨガクラス :参加費2500円

・個別指導: 2時間のレッスンで、3000円となります。

 

覆面ヨガ教室 その2 

 HP:「アセンションとヨガ」
 http://aitoawaremi.rakurakuhp.net/
 指導内容: アセンション・ヨガ
 主催地: 名古屋市内

 主催者: 宮田真幸 (上記「クンダリニー・ヨガの会」と、HP形式がほぼ同じで、メールアドレスが同じことから、同一人物である可能性が高い)

29日の昼時点で、このHPの内容が消され、「幸福の言葉」という、麻原の説法の抜粋情報に入れ替わっています(麻原の『マハーヤーナ・スートラ』などの抜粋)。このHPは、アレフ信者であると公表したも同然です。

 

石川県での勧誘活動


覆面ヨガ教室

主催地: 金沢市内
ヨガの先生: 女性1人 (出家信者)
勧誘員: 女性2人 (在家信者)
mixiで勧誘。


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本日、本対策室のメンバー広末晃敏が、新たなブログを開設しました。

新ブログ 「ひかりの輪から地域のみなさまへ」

全国各施設の地域住民の皆さまに向けて、直接情報発信するとともに、
ご意見・ご質問・ご要望等をお受け付けするためのブログです。

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地域住民の皆さまには、これまで、ひかりの輪の取り組みがあまり伝わっておらず、
誤解や不安を招いていた点が多々ありました。

これも当団体の努力不足に起因することを反省して、インターネット上で、
より積極的な情報のやりとりに努めさせていただくことにしました。

 もちろん、これまで通り、一部地域で実施してまいりました地域住民の皆さまへの説明会や、
実際に対面しての交流なども行わせていただきたいと思いますが、
 いまだ直接のやりとりが実現していない地域の方のためにも、
インターネット上での情報発信を行わせていただくことになりました。

 地域の皆さまには、ぜひご覧いただければと思います。
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●オウム事件と真摯に取り組むひかりの輪の各種サイト

 ひかりの輪では、サリン事件等の一連の重大なオウム事件に対して真摯に向き合い、反省・総括を深め、自分たちだけでなく誰もが二度とオウム・麻原の過ちを繰り返さないための活動に取り組んできました。その具体的内容は、以下のサイトをご覧ください。

『オウムの教訓――オウム時代の反省・総括の概要』

 マスコミ関係者もよく参照しているという、ひかりの輪が総力を挙げてオウム事件について反省・総括して作成した総括文を掲載したサイトです。

『ひかりの輪・外部監査委員会』

 ひかりの輪の活動を外部から監査する一般識者による外部監査委員会(河野義行委員長〔松本サリン事件被害者〕)のサイトです。


テーマ:

先日、お知らせしましたように、本日までにひかりの輪で、


4月22~23日に仙台支部、
5月13日に千葉支部、
5月20日に東京本部で、


それぞれ内観セミナーを実施しました。


ひかりの輪の外部監査委員をお務めになっている大学教授の内観の先生が、
外部監査委員の権限に基づき、ひかりの輪会員への精神的指導の一環として、
全国各施設をまわって丁寧にご指導をして下さっています。


内観では、両親をはじめとする多くの人から


①してもらったこと
②して返してあげたこと
③迷惑をかけたこと


の3つについて、自分が生まれた時から現在に至るまで、
時期を区切って丹念に思い出していく作業をします。
そして、一定時間ごとに、内観の先生が参加者一人一人に丁寧な作法で面接に訪れ、
内観のサポートを行ってくださいます。


内観中は内観に集中専念できるように、特製の屏風の中に入ります。
他の人との会話はもちろん、電話、メール、テレビ、読書等を一切シャットして、
静かな環境で、ひたすら自己の内側に意識を向け、
内観を深めることができます。


以下は、それぞれ、仙台、東京の各本支部で、内観用の屏風を設けた模様です。
この中に参加者一人一人が入って内観します。


中に入ってみると、内省に集中できる、なかなか快適な空間です。

仙台支部

 

東京本部


今回各地で参加された皆さんは、大変有意義な体験をされていました。
以下に、参加者の感想をご紹介いたします。


※参加された方の感想

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◆専従会員(出家スタッフ)


◎TOさん 40代男性 関東在住

自分が他人にしてあげたことの少なさを痛感しました。
そしてそれを正当化するような心の働きもあるように思いました。
今後はもっと他のためにしてあげることを多くしたいです。
自分を見つめる良い機会になりました。


◎SKさん 70代女性 関東在住

祖母、父に関する内観をさせていただきました。
普段思いついても詳しく考えず、簡単に見過ごして放っていたことを、
先生に話して聞いていただいたことで清算できなような、心が軽くなった気がします。
時間があったらまたやっていただきたいです。先生ありがとうございました。


◎JKさん 80代男性 関東在住

私は約30年前、東京の代々木内観研修所というところで1週間内観を経験した
ことがありますが、その時、かなり心も浄化されたような気がしました。
30年ぶりで、今日同じような経験をし、多少は心も浄化されたと思います。
どうも貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。


◆非専従会員(在家の会員)


◎HFさん 20代男性 関東在住

父、母にしてもらったことを思い出しているうちに、
まず、自分は比較的に恵まれている環境で育ち、かなりやさしくしてもらったと思います。
母からは怒られた記憶がないくらいです。
それなのに僕は、ほとんど何も恩返しをしておらず、
してあげたことはほとんどみつかりませんでした。
これはいけないと思ったので、せめて何か、父の日や母の日にしてあげるとか、
定期的に実家に顔を出すなどして、感謝の意を伝えなければいけないような気がしました。


◎TSさん 30代男性 関東在住

母・父・妻・息子に対し(自分を)調べましたが、
母・父には金銭的にも負担をかけることが多く、
妻・息子には精神的に心配・苦労をかけてしまい、
申し訳な い気持ちで一杯になりました。
一方、いままでしていただいたことにも多く気づかされ、
感謝の気持ちが自然に湧いてきました。
自分の姿を少しは客観視するこ とができたかと思います。
過去を振り返り、様々なことを改めて発見することができ、現在を生きる活力を得た気がいたします。
とても良かったです。次回あれば参加させてください。


◎TKさん 30代女性 関東在住

まず、普段の感謝が足りないことに気づかされました。
当たり前のことと思っていたのだろうと、
今になり気づいた次第です。思えば仮死状態で生まれたわたしが、
これまで一人で生きられるはずなどありません(産声もあげなかった私です)。
自分が折れそうになったときに、ひかりの輪の内観修行というものに会いま した。
ありがたく思います。
また自宅のそばで内観修行があればいいです。


◎HTさん 40代女性 関東在住

母や父から、してもらったことがこんなにもあったのがと思い知らされました。
とてもありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。
「弟と比べて、自分はしてもらったことが少ない」と思っていた事がはずかしいです。
母や父に、愛情深く育てられたことに感謝したいです。
一日内観で、このような気持ちになれたことを嬉しく思います。
父は他界していて、感謝の気持ちを表すことはできませんが、母にはこれからは、
できる限り、感謝と慈愛を持って接していきたいと思います。


◎YMさん 40代男性 関東在住

まとまった時間をとってやることができてよかった。
見えない、してもらったことにも気付けた。
「何もしてあげられていない」という言葉は、「してあげたい」という気持ちから出ている。
親の精一杯が、子の結果に結びつかなかったとしても、それは仕方がないこと。
<内観の気付きでつくった詩>
※してもらえなかったこと
「してもらえなかったこと」という事実は存在しない。
「してもらいたかったけど、してもらえなかった」という思いがあるのであって
「してもらえなかったこと」という事実は存在しない。
「してもらったこと」が事実なのであって
「してもらえなかったこと」という事実は存在しない


◎KSさん 40代男性 関東在住

自分ではわかったつもりになって、過去を把握していることがよくわかりました。
まだまだわかったつもりになっている部分のほうが大半だと感じます。
内観法は、新しい意識を私に生じさせました。
もっと自己内省ができるようになりたいと思います。


◎KIさん 40代男性 関東在住

今まで、母も父も、面白くない悲しい人生を送られている人達だと思っていましたが、
母さんはとてもやさしくて、僕にとっては最高の友達だったんだんだなと思えました。
考え直しました。老いて病んでしまったけど、
まだ生きている母さんに、なんとか恩返しをして、
気持ちを入れ替えたことを理解していただけたらと思います。
お父さんは亡くなってしまっていますが、今日の内観によって、
きちんと、お別れをさせていただきましたし、
とても力強く生きた方だったんだなと理解できました。
誰とでも仲良くしていた若い頃の美しいお母さんは、理想の女性像だったし・・・。
とても知的だけど自由で、どこか面白いお父さんは、
僕自身のあこがれでもあったんだなとわかった。
僕はここに存在させていただいております。
お父さん、お母さん、ありがとう。


◎HYさん 50代男性 関東在住

自分の人生のほとんどが、自分のことだけを生きてきたことがよくわかりました。
その中で、オウムと出会って以降の人生は、親などを否定しつつ、
全ての魂のためといって、頑張っていました。
少し違和感はありましたが、居心地が良かったのも事実で、
父母に対しての自分を見つめる上で多くの関わりを感じました。
その後、オウム・アレフを脱会し、ひかりの輪に入り、父母の幸福を考えることができるようになり、
またこのような機会にも恵まれ、本当の意味で心が楽になっていく手応えは感じました。


◎KMさん 50代女性 関東在住

小さい頃から、独り立ちするまでに、
どれだけ親に見守られ育まれ、成長してきたのだろうと思った。
それに対して、させていただけたことは、とてもとても少ない。
大きな心配と迷惑(特にオウム真理教を始めて)をかけてしまったが、
そのつぐないをすることが父親に関してできなかった。会いに行くだけでも、もっとすればよかった。
それと、成長期に入ってからは、自分本位になっていき、
親がどのようなことを考えているのか、
2番目になっていったのだなと気づいた。
親になった自分は、とても両親がしてくれたようなことを子供にできなかった。
そのような環境をつくることは、とても大変な努力を続けて下さったのだと思う。


◎TSさん 50代男性 関東在住

改めて両親にいろいろしていただき続け、迷惑をかけ続けてきたかを思いました。
自分は当然のことのように庇護を受けてきましたが、それがとても膨大なものであり、
偉大なものであったことに気づき、それらに不足・不満を感じてきたこと や、
いろいろな迷惑・負担をかけてきたことを考えますと、
自分がいかに愛のない貪り多い人間であるか反省させられました。
未だに、迷惑をかけ続けている今、いたたまれない気持ちになりました。
このような企画をしていただき、誠にありがとうございました。
また、先生のお人柄に感銘を受けました。大変お世話になりました。


◎AKさん 50代女性 関東在住

3年前に内観を行ったことがあるのですが、3年前の内観より、
具体的なシーンがたくさん思い出されました。
忘れていたシーンの中に、今の私を作りあげていることがたくさんあり、
私を取り巻く人々に感謝がわきました。
自分が恵まれていることがよくわかりました。
少々疲れ気味の今頃でしたが、無理をせず、恩返しをしていきたいです。
してもらったことは忘れてしまうことが多いですが、
これからも思いだしていく時間を持ちたいと思いました。


◎0Hさん 50代男性 関東在住

一応、母親に対して、現在までの自分を調べるところまでできました。
ノートを取っていないので面談に来られたときに、話せなかったことも出てきていますが、
考えることが重要なのですね。
また、時間を区切って行っていますが、次の年代を考えているときに、
前の年代にこんなこともあったと思い出すことも多かったです。
けっこう時間がたっている割には長く感じられないです。


◎TNさん 60代男性 関東在住

母親からの恩恵と親孝行ぶりで並べてみると、母親似と考えていた自分の性格が、
むしろ父親似であったことに気付きました。
もちろん、改めて父親からの恩恵 を考え直すと、
更に違った自分に気付くのではありましょうが。
何にせよ、思っていたより、そして両親のどちらより、自分の性格は悪かったようです。
年を取ってみないと分らない身体能力の劣化と併せて、これは困ったことではありますが、
死なないうちに知ったことができたのは幸いです。


◆会員でない一般の方

◎20代男性 関東在住

ゆっくりと自分の母親に対して考え、思い返したことがなかった為、
改めて両親に対して感謝を感じることができる時を過ごすことができ、とてもよかったと思いました。
正直な所、口で感謝していると言ったことがあったのですが、
いまいちどの辺りでそう感じたのかわかっていなかったために、ひどくあやふやなものでした。
しかし今日、この内観という自身にとって初の体験を元に過去を振り返り、
真に感謝できるように感じます。今日はありがとうございました。

.
.......................................................................................................................

なお、内観セミナーには、ひかりの輪の会員ではない一般の方もご参加になれます。

今後のスケジュールです。

6月17日(日) 大阪支部
7月 1日(日) 名古屋支部
7月 7日(土) 長野連絡所
7月22日(土)~24日(火) 福岡支部


ご参加を希望になる方は、上記各支部までご連絡下さい。
(参加者数に制限がありますので、定員に達した場合はご了承下さい)。

なお、上記の予定以降も、全国各支部で今後開催を続けていきますので、
皆様のご参加をお待ちしています。


テーマ:
5月26日(土)と27日(日)の2日間にわたって、NHKスペシャル『未解決事件』第2弾として、
「オウム真理教」(ドキュメンタリー×実録ドラマ)が放映されます。

NHKスペシャル『未解決事件』「オウム真理教」のサイト

これは、NHKが総力を結集して、オウム事件がなぜ起きたのかを徹底的に検証した番組です。

ひかりの輪でも、長期間にわたって、数多くの情報提供や、
上祐代表のインタビューなどを通じて、取材にご協力してきました。

番組の制作にあたっては、ささやかながら、ひかりの輪が作成した総括文書や、
宗形真紀子の書籍などもお役に立てたようです。

NHKでは、麻原の700本以上もの説法テープを入手し、
専門で解読するチームを作って、研究・分析したりするなど、
オウム事件以来、最初で最後となるであろう大きなプロジェクトだったとうかがっています。

オウム事件の再発を防止するためにも、ぜひご覧いただければと思います。
上祐代表のインタビューも放映される予定です。

以下は、NHKの番組サイトからの引用です。
..............................................................................................................................

NHKスペシャル『未解決事件』第2弾「オウム真理教」(ドキュメンタリー×実録ドラマ)
 
 5月26日(土)総合第1部 午後7:30~8:43
          第2部 午後9:00~10:13

 5月27日(日)総合第3部 午後9:00~9:58

 「オウム真理教」事件を初ドラマ化

日本中に大きな衝撃を与え、今も生々しい記憶を残す「未解決事件」を
実録ドラマとドキュメンタリーで徹底検証し、
未来へのカギを探るNHKスペシャル『未解決事件』シリーズ。
第2弾では「オウム真理教」を取り上げる。

昨年7月に放送された「File.01 グリコ・森永事件」が大きな反響を呼び、
放送後、NHKに「地下鉄サリン事件」の遺族から
オウム真理教の事件を取り上げてほしい」と要望が寄せられた。

国内外から今なお注目を集め続けるオウム真理教の事件。
番組では、独自に入手した教団内部の700本を超す音声テープと元幹部たちの証言をもとに、
教団の暴走への軌跡を初めてドラマ化。

さらに死刑判決を受けた元幹部との手紙のやりとりや、警察関係者への徹底取材によるドキュメンタリーで、
世界初の化学テロ「サリン事件」がなぜ起きたのか明らかにする。

実録ドラマでは、事件発生時から取材を続けてきたNHK記者・片桐高太郎に俳優・萩原聖人、
上司の矢吹圭吾に豊原功補、教団初期からの古参幹部・深山織枝に冨樫真、
織枝の夫で元信者の早坂に羽場裕一らが出演。(以下略)
アレフで行われている「密教の修行」の一部には、一般の人がなすならば、
精神的・身体的な危険性があるものが含まれています。

実際に、オウム真理教では、その激しいヨーガ・密教の集中修行や、
さらに、LSDや覚醒剤などの薬物を使った修行(オウム事件前)のために、
精神疾患が発生したと思われるケースが少なからずありました。

これは割合としては一部の人に起こるので、そうした場合、
アレフでは、「麻原への帰依がないから魔境に入った」などとして、
「例外的な事例」として排除され、問題視されませんが、
実は、伝統宗派では、アレフで通常行われている「密教の瞑想法」などの
修行法を多くの者に安直に与えること自体が
大きな問題であるとされているのです。

その危険性と問題について、参考書籍を参照しながら、
以下に詳しく述べていきたいと思います。


アレフの「密教修行」は、密教の精神の基本を満たしていない

アレフでは、麻原に対する絶対的な帰依の実践をして、
麻原と合一する境地を目指しており、
そのために「秘儀瞑想」と呼ばれる観想法を「密教の修行」として行っています。

ですが、アレフのそれは、正統なチベット密教などの密教の修行が目的とする
一つの共通点とは、まったく違う目的となってしまっています。

それは、本来の大乗仏教の重要な見解と思われる、

「この世界が、本質的には、涅槃の世界・仏の浄土と同一で、
 凡夫は仏と同一である」という、世界や人々を、浄土や仏であると、
豊かに感じるという一元の境地(「仏陀の境地」と呼ばれる)
の精神がないという、重大な問題点です。

アレフでは、その大乗仏教の精神とは正反対に、
信者以外の人々と、自分たちを明確に区別して、
この世界は滅びるものとして否定し、
麻原の弟子となった者たちだけが救われると、おおよそ以下のように考えています。

「この世界は悪業多き世界で、ハルマゲドンで滅びる。
 死後に、この世界と別の、遙か遠くの高い世界にある“マハーニルヴァーナ”
 に生まれ変わることを目指す。
 また、仏は麻原だけであり、地獄に堕ちるほとんどの凡夫と違い、
 アレフの修行者だけは高い世界に生まれ変わる」

このように、アレフの教えは、「密教」と自ら呼んでいても、
本来の大乗仏教の豊かな精神と、正反対といえる考え方なのです。

ですので、アレフの修行を「密教」と呼ぶことは適切ではないと思われますが、
ここでは、アレフの「秘儀瞑想」と呼ばれる手法自体について、
チベット密教において、高度と呼ばれるものに類似した瞑想手法を使っているために、
便宜上、「アレフの密教修行」と呼ぶことにします。


 適さない人にも、危険性のある「密教修行」をさせている問題

「密教修行」のうち、高度な行法や瞑想を行う場合は、本来は、

 ① 心身の状態が、そういった修行法に適しているかどうかの向き不向きを判断し、
 ② 向いているとしても、先の「仏陀の境地」に至るような
  精神的な教えを十分に修習し、心を浄化しつつ行う

という必要があります。

それにもかかわらず、この精神的な浄化を伴わないで行うアレフの密教の瞑想修行は、
本当の効果を上げないばかりではなく、
瞑想修行による神秘体験により、慢心が増大し、いわゆる「増上慢」「魔境」
と呼ばれる状態に陥りかねません。

特に、密教で「究竟次第」「無上ヨーガタントラ」「チャンダリー」
「グルヨーガ」と呼ばれる修行や、
ヨーガでクンダリニー・ヨーガと呼ばれる修行は、その危険性が大きいものです。
さらに、この修行は、適切なやり方をしなければ、特に身体に負担をかけ、
心身の健康を損なう危険性があります。

しかし、アレフでは、入会したての人にさえ、ほとんど無条件に、
そうした高度な瞑想法の手法だけを模した瞑想法を行わせています。

こういった密教の瞑想に関する問題・危険性・注意事項、
そしてオウム・アレフの瞑想法に対する問題について、
ダライ・ラマ法王の命によって来日し、その後
「日本において密教の最高級の修行法を正しく紹介してほしい」
という要請を受けたというゲルク派の僧侶ツルティム・ケサン氏(大谷大学教授)と正木晃氏が、
その共著『チベット密教 図説マンダラ瞑想法』(ビイング・ネット・プレス)の中で、警告を発しています。

その著書の中で、高度な瞑想法が公開されているのですが、
本来は、密教以外の仏教、顕教を学び、修行を成就して、
灌頂という入門儀式を
授けられていなければならないとされています。
そして、その意味合いについて以下のように書かれています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その本質はその人物が密教を学ぶにふさわしいか否かを判定することにある。
むろん、灌頂を云々する以前に、顕教を学ぶためには出家していなければならない。

こうした厳格な条件を考えれば、仏教者であるか否かもわからない読者の方々に、
密教の瞑想を解説する行為は、はなはだ疑問がある。
古来の文献を見ても、門外漢に密教の秘法を開示することは、かたく禁じられている。

にもかかわらず、私たちがチベット密教の瞑想を、多くの方々に知っていただきたいとねがい、
出版するに至ったのは、いま、時代がそれを要請していると判断したからなのだ。

すでに、チベット密教の瞑想は、ある程度まで、世情に流布してしまっている。
それも大半は、あやまっていたり断片的だったりするものばかりである。
ましてや、それぞれの瞑想のもつ深い意味や危険性などは、ほとんど無視されてきた。
その結果が、オウム真理教の暴走だったと、私たちはみなしている。


こうした状況をただすためには、正確な情報が欠かせない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ここでツルティム・ケサン氏は、密教の修行をするためには、
密教者としての資格が必要で、そのためには、顕教の教義を成就したうえで、
灌頂を授けられていなければならない、としています。

ですが、これは、誰でも、潅頂を受けていればいいのではなく、

「灌頂というのは、外面的には、師の僧(ラマ・グル)から頭頂に
水をかけられる入門儀式(イニシエーション)だが、
その本質はその人物が密教を学ぶにふさわしいか否かを判定することにある。」

という点が重要なところです。
すなわち、本来はそれを授ける師の僧の側が、
密教に適切な人間を選ばなければならないということなのです。

ですが、オウム真理教の場合は、現在のアレフも、
密教どころか、顕教も成就していない、入会したての人にさえ、ほとんど無条件に、
無上ヨーガタントラとか、ツァンダリーとかグルヨーガといった高度な瞑想法を
伝授していることは大きな問題なのです。

ツルティム・ケサン氏は、そうしたやむにやまれぬ時代の状況に鑑み、
著書の中で、瞑想法を公開したと書かれています。
しかし、その危険性について、何度も、以下のように付け加えられています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ただし、チベット密教の瞑想には、いろいろな危険性もつきまとう。
その点は、すでに指摘したとおりだ。
私たちの発した注意は、くれぐれも守っていただきたい。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

やり方を誤れば、逆に心身に危険性もつきまとうという事実について、繰り返し述べられています。
そこで、同氏は、チベット密教の瞑想の危険性に関連して、
それを行う場合の心身の条件、すなわち、どのような場合は瞑想が好ましくないか
についても詳細に述べているので、その一部を参照しますが、
特に、アレフ信者で、このような「密教修行」を行っている方は、ぜひとも
一度、
『チベット密教 図説マンダラ瞑想法』(ビイング・ネット・プレス)の熟読を
強くおすすめします。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「しかしながら、では誰でも瞑想できるのか? というと、そうはゆかない場合もある。
瞑想することによって、心身の状態をかえって悪くしてしまう事態も起こるからだ。

一般論としていえば、心身に違和感がある場合は、瞑想はしないほうがいい。
(略)したがって、高血圧や低血圧の症状がある方、心臓や肺に疾患がある方などは、
瞑想は控えたほうが無難である。(略)

さらに、いわゆる精神病理的な症状がある方も、瞑想はおすすめできない。
鬱症状や躁症状をはじめ、神経症などの疑いがある場合も、
瞑想は症状を悪化させてしまう可能性が否めない。
(略)

とくに精神病理的な症状を呈していなくても、人と物とを問わず、

なんらかの対象に強い依存傾向のある方は、瞑想は実践しないでいただきたい。
いわゆる瞑想依存症ないしは瞑想オタクになりかねないからである。

そうなると、四六時中、瞑想していないと、生きている実感がもてなくなったり、
瞑想以外の行為にまったく関心がもてなくなってしまう危険性がある。
かつてオウム真理教の信者のなかに、この種の人物が少なからずあった。
こうした人々は、一見すると、熱心に瞑想に取り組んでいるかのように見えるが、
実は瞑想に依存しているにすぎない。」(同前掲書)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

さらに、最上級の瞑想の中でも、さらに高度な瞑想とされるものに、
チャンダリーなどの究竟次第の瞑想があるが、その瞑想になると、
同氏の示す条件はさらに厳しいものとなります。

オウム真理教では、チャンダリーの瞑想が、無差別に伝授され、
アレフにおいてもそのようにされていますが、
それはチベット密教のものから見れば、単純・簡易なものだったとはいえ、
その実践には、相当な注意を要することがわかるはずです。

この、ダライラマ法王からの命で発刊された、
高僧と正木晃氏の共著を、ぜひお読み下さい。
ぜひとも、その危険性を、熟知していただきたいと切に願います。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「究竟次第(完成のプロセス)系の修行は、なまはんかなことでは実践を許されない。
(略)
その理由は究竟次第系の修行をすすめてゆくと、往々にして心身生理に不調を生じがちで、
それに耐えられる強靱さをもっていないと、とんでもない結果が待っているからだ。
多少の体調不良くらいで済むならばまだしも、ひどくすると、死に至ることもある。
また、異様な精神集中をつづけさせられるせいか、脳生理にも悪影響が出やすい。
そして、精神錯乱の果てに、狂気に陥ることもある。(略)

むろん、チベット密教の伝統は、こうした事態にどう対処するか、を久しく検討してきた。

その結論は、未然に防止するにまさる手段はないということだ。(略)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

一般論からいうと、出家した僧侶のうち、だいたい十人に一人くらいしか許さないとも書かれていました。
果たして、この条件に当てはまる、アレフ信者は何人いるのか疑問が生じることと思います。
アレフは、それを行う大前提として、伝統的な密教の基本精神を押さえていないのですから、
誰一人して、この条件に当てはまる人はいないはずです。

このように、アレフで気軽に無差別に伝授されている
「小乗のツァンダリー」「グルヨーガ」「グルヨーガマイトレーヤの瞑想」
などのいわゆる「秘儀瞑想」といった瞑想法は、大変に危険な瞑想法であると言えるのです。


アレフの密教修行の問題 ①麻原を絶対とすることは間違っている 
の続きです。

そして、こうしたオウム・アレフの反省に基づいて、わたしたちは、ひかりの輪で、
アレフのように、グルと絶対者・崇拝対象とするグルイズムを超えた
修行法・宗教観を形成してきました。
  
そのために、ヨーガ・仏教の教えを再度研究し、
「グルがいないと修行ができない」という考え方は、仏教やヨーガ全体の考え方ではない、
と結論しました。
  
仏教の修行においては、密教でこそグルが強調されますが、
釈迦牟尼自身が説いた上座部(テーラヴァーダ)の教えでは、
ご存じのように、それはありません。
 
むしろ、釈迦牟尼は、

「釈迦牟尼を含めて、人を崇めることを否定する教えを説いた」

ということが、仏教研究上は、広く認められている事実です。
弟子たちに、「めいめいの自己と法則を帰依処とするように説いた」ということです。
  
ですから、アレフが主張する「グルがいないと修行できない」という考え方は、
「間違ったグルイズムが強調されたオウム真理教の一種の固定観念」
でしかないのです。
 
では、これらの釈迦牟尼の教えについて、以下に引用したいと思います。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『大パリニッバーナ経(大完全煩悩破壊経)』(岩波文庫『ブッダ最後の旅』中村元訳)
  
アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか?
わたくしは内外の区別なしに(ことごとく)法を説いた。
完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳[にぎりこぶし]は、存在しない。
  
『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』
とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
  
しかし向上につとめた人(※漢訳では「如来」となる)は
『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。

向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。
  
アーナンダよ、わたしはもう朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、
老齢に達して、わが齢は八十となった。

アーナンダよ。譬えば古ぼけた車が皮紐の助けによってやっと動いて行くように、
わたしの車体も皮紐のたすけによってもっているのだ。
  
しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき、かれの身体は健全なのである。
  
それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、
他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。
(中略)
  
 アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、
誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、
かれらはわが修行僧として最高の境地にある
であろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
この経典を見ると、釈迦牟尼は、
「自分が教団の指導者である」ということを自ら否定していることがわかります。
その代わり、「めいめいの自己と法をより所にすべきである」としています。

次に引用する経典では、
釈迦牟尼が、「私(釈迦)を仰いでも何の意味もない」と言明する部分があり、
釈迦牟尼個人を崇拝してはならず、
崇拝すべきは法である
ことを示している経典として、有名なものです。
  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『サンユッタ・ニカーヤ』(相応部経典)より
  
釈迦は、弟子・ヴァッカリの余命が幾許もないと聞き、家を訪れたが、
その時、病いに臥せていたヴァッカリは、
「末期の思い出に、今一度、世尊の御顔を仰ぎ、御足を頂礼いたしたいと思いました」
と言った。

その言葉に応えて釈迦は死期の近いヴァッカリに、厳しく言い放った。

汝は、この私の爛懐の身(壊れ爛れる無常の体)を見てもなんにもなりはしない。
 汝はかく知らねばならない。法を見るものは我を見る。我を見るものは法を見る」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
次に引用するのは、ダライ・ラマ法王の見解です。
この著書の中で、法王は、「師ではなく、教えに対する信を持て」と説いており、
しかも、それを示唆する釈迦牟尼の教えを引用しています。
  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダライ・ラマ十四世著『宇宙のダルマ』より
  
この解釈学的なアプローチで重要なのは、大乗の四つの信の理論です。それは、
  
    (1)師ではなく教えに対する信、
    (2)言葉の表現ではなくその意味に対する信、
    (3)一時的な意味ではなく真実の意味に対する信、
    (4)知識ではなく深い体験から生まれる超越的な智慧に対する信
    からなります。
  
四信の理論の一番目は、教えを聴いたり論書を読んだりするとき、
そこで述べられていることの妥当性を、
語り手の名声や財産、地位、権力にもとづいて判断すべきではなく、
教えそのものの価値にもとづいて判断すべきだということです。
二番目の理論では、著作の判断は文章の形式によってではなく、
主題についてどれだけしっかり論じているかによって行うべきだと言っています。
三番目の理論は、命題の妥当性について考えるときは、
その一時的な意味ではなく、究極的に言わんとしている内容によって、
判断すべきだと命じています。
最後に、四番目の理論は、真理を信頼する場合、
経験を通して獲得した智慧と理解の力にもとづくべきであり、
理論的知識だけに頼ってはいけないと述べているのです。

このアプローチの妥当性を示す証左となる一節を、
ブッダ自身の言葉の中に見いだすことができます。
彼は次のようにすすめています。
  
「おお、比丘たち、そして賢者達よ、あたかも金職人が、焼いて、切って、擦って、
 金を試すように、私の言葉を、吟味して、受け取りなさい。
  私への崇拝の念だけで受け取ってはいけない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

こうして、グルイズムを非常に重視してきたチベット密教において、
その最高指導者であるダライ・ラマ法王が、
「師ではなく、教えに対する信」を強調していることは、
非常に興味深いことだと思います。
 
また、アレフでは、密教だけでなく、ヨーガの修行を進めるためにも、
グルへの帰依が不可欠だと説いていますが、
ヨーガ根本経典においては、グルのいない場合の修行の方法が説かれています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
佐保田鶴治著『ヨーガ根本経典』より

しかし、本物のグルに出会うということは今日まれな幸運ですが、
昔も事情は変わっていなかったと思います。
そこでグルに出会うことができない運命にある行者は絶望的かというと、
そこに救いとなるのが、自在神のめい助を祈願するという方法です。
自在神はグルのグルなのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
そして、人を神やグルとしない実践を行う「ひかりの輪」では、
現在、修行として、ひかりの輪独自の「三仏心経」を実践しています。
これは、すべての人の中に、「仏性」という仏に至る可能性、種子があると考える
大乗仏教の教えが入っています。

これは、修験道の修行を行うなかで「般若心経」を繰り返し読経したことから
生まれたものですが、その内容は、オウムの誤ったグルイズムの教えを
越えていくものでもあります。

「万物恩恵、万物感謝、
 万物仏、万物尊重、
 万物一体 万物愛す」

という短い経文を、意味を考えながら唱える修行なのですが、

「万物を恩恵と見て感謝する、
 万物を仏と同等に平等に尊重する、
 万物を一体と見て愛す」

という意味で、オウムの精神的問題を乗り越える内容でもあり、

「万物恩恵、万物感謝」は、自分たちを支えている社会への感謝を忘れて、
それを攻撃した、麻原・オウムの教義を乗り越えるものです。

「万物仏、万物尊重」は、麻原のみを仏の化身として絶対視し、
オウム以外の人々を軽蔑した傲慢な教義を乗り越えるものです。

「万物一体、万物愛す」は、自分たちと社会を強く区別し、
社会を敵視した麻原やオウムの教義を乗り越えるものです。
 
こうした、心の訓練を行うことが、オウムの誤ったグルイズムに陥らずに、
心を本当に豊かにしていく道だと考えて実践しています。

少し前に、「現在のアレフの修行の重大な危険性」について、以下の3まで述べましたが、
その続きの項目を載せていきたいと思います。

1 アレフの修行は、気づかないうちに、人を傲慢にする
2 アレフの修行は、人を妄想・現実逃避・精神病理に導く
3 アレフのヨーガの修行は、心身の健康を損ねる恐れがある

上記のように、
現在、アレフで行われている「アレフ的密教の修行」は、
心身の健康を、大きく損ねる恐れのあるものです。
それは、これまでオウム・アレフを経験してきたわたしたちは身をもって知っています。
現に、麻原の高弟だった何人もやその子女が、精神を病み、精神病院に入院したり、
廃人同然となってしまった事実があります。
  
特に、今回の項目では、そのなかでも、最も重大な問題のある、
「アレフの密教の修行の問題点」について、詳しく述べたいと思います。

※特に、新しくアレフに入信した方にも、アレフでは安易に提供されるその「アレフ的密教の修行」が、
いかに危険性のあるものかをお伝えすることで、すぐにでもやめていただきたいと切に願っています。



4 アレフの密教修行の問題 ①麻原を絶対とすることは間違っている

アレフで行われている密教修行とは、オウム行われていたのと同じように、
グルである麻原を絶対とし、麻原に対する絶対的な帰依・服従が、タントラヴァジラヤーナという
密教の教えの実践だとするものです。
それが、最も速やかに麻原と同じ最終解脱の境地(※最終解脱という概念自体が間違っている
のですが、アレフはそう信じている)に至る修行だとして行われています。

それには、麻原の力により進歩するとする行法、麻原への帰依を培う目的で行う礼拝や布施、奉仕、
マントラの念誦、密教的な瞑想の実践などがあります。
しかし、それらにはすべて、心身の健康を大きく損ねる危険性があるのです。

まず第一に、そのアレフの修行の根幹である、グル・導師(麻原)を絶対とする教え自体が、
実はその「密教」の本場である、伝統密教から見れば過ちだ
という事実を、知識としてしっかり知らなければなりません。

この、麻原を絶対とする教えが、オウム事件の一因になったことは周知の事実です。

事件後、わたしたちは、オウムの教えの問題を知るために、
チベットなどの伝統的な密教の教えを総合的に研究・検討してきたのですが、
その結果、確かに、密教の教えの中には、
「グルを完璧、絶対的と見る」と解釈できるような教えが説かれているものの、
その教えに関するオウム・アレフの解釈は、伝統的な密教の解釈と大きく違っており、
過ちであった、とはっきりわかりました。

具体的な違いは、以下の通りです。

チベット密教が説く教えでは、

① 「グルが絶対で完璧だ」という事実ではなく、あくまで、
 弟子である自分のエゴを弱めるための修行法として、
 そのように見なすことを意味しています。

② 密教的な帰依・実践をする前に、グル側だけでなく、
 弟子となる側も、その土台として、さまざまな条件を満たす必要があって
 自分が(特定の密教のグルに)帰依するべきかどうかについて、
 慎重に適切に判断しなければならない、という大きな責任があります。

 というものでした。

 この点について、チベット密教関係者の教えを以下に引用します。

■密教は、「グルが完璧である」という客観的事実を主張しているのではないこと

◎カルマ・ゲレク・ユトク師 ダライ・ラマ日本代表部事務所の元代表

 「法師(=グル)に欠点を見出すことなく、完璧な存在として見るよう指示しているが、
  これは(法師が完璧であるという)客観的事実とはほど遠く、
  本来、弟子の主観的自我を清めることを意図したものである。」
 (ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPから引用)


■密教的な実践をする弟子には、帰依すべきかどうかを判断する重大な責任があること

◎カルマ・ゲレク・ユトク師(前出)
   「...ある人を自分の師とするにあたって、慎重かつ注意深くやらなければなりません。
     急がずに、十分に時間をかけて、法師の行動、
   性質に常に注意をはらうことが、基本として挙げられます。
     師の候補となる人についての情報を信頼する人から聞くこと
   関わりを持つ以前の彼のスピーチやダルマ説法を聞くこと、
   彼の日常の生活や行動をきちんと吟味すれば、
   これから自分の法師になろうとする者について知ることができます。
     ...その条件を有する法師は、学識かつ経験を積んだダルマを体得した人であること。
   正直で平静かつ謙虚な者。
   最高の真理を会得し、それに従って生きる者。
   生きとし生けるものに溢れる慈悲の心を持つ者。
   精神的な師としての務めに常に励む者。
     ...もう1つは、真の倫理を守っている者。
    真の分別の知恵を守っている者。
    真の利他主義を守っている者。
   上記の条件に十分相当する師は、この世でどんなに貧しい身分でも、
   たぐいまれな精神的師と言えるのです。」

このように、伝統密教では、「グルが本当に完璧である、絶対的である」と説いてはいません。
それは、「弟子のエゴを弱めるために、グルを完璧・絶対と見なす、考えるようにする修行法がある」
ということにすぎません。

しかし、アレフの場合は、「グルが完璧、絶対である」から、
信者はグルに犯罪行為を指示されたとき、それに従わなければならない
と考えるケースがあり、現在、アレフでは、「麻原は絶対である」と言い続け、
事件についても「深い考えがあってのこと」などと正当化する発言があります

しかし、これは、上記のような伝統的「密教」の考え方に照らしても、完全に間違っています。

まず、麻原自体が、上記のような伝統的密教でいわれる「グル」の条件に、
全く当てはまっていない事実を、受け入れなければなりません。

そして、麻原のなした無差別大量殺人というものについては、
人として、「殺人犯」であるのはもちろんのこと、
伝統的密教の説く「グル」としての行動からも、完全に外れている過ちであり、
麻原は「グル」として、不的確であるという事実・現実を受け入れなければなりません。

オウムは、
あくまでも、自分の心の中でグルを完璧と見るように努めるという、
伝統的密教の教えを踏み外し、
自分以外の第三者を巻き込んで、グルを絶対として第三者を殺す
というオウム事件を多数犯しました。

このような事件を、「グルは絶対だから」と正当化しているアレフは、
伝統的密教の教えに照らしても、完全に過ちを犯しているのです。

そうでなければ、

自分の帰依の修行のためには第三者を犠牲にしてよい

ということになり、
弟子のエゴを弱めて解脱に至ろうとする修行であるどころか、
逆に、あまりに自己中心的な、エゴイスティックで傲慢極まりない行動、
そして実際に行えば犯罪、ということにしかなりません。

事件当時のオウムは、このように「グルへの帰依」という名の下に、
自分たちでは気づかないうちに、エゴ、煩悩をこの上なく増大させてしまっていました。
その過ちを、アレフの「麻原を絶対とする」修行は、犯し続けているのです。

アレフ信者が、グルを絶対・完璧であると考えるなら、
それは同時に、その瞬間から、自分たち自身を、
「グルの指示があればこの世の中で殺人を含めて何をしてもいい存在」
にしてしまうことでもあり、
これはアレフ信者自身を絶対化してしまうことになると思います。

また、伝統密教では、密教の教えを実践する場合に、
そのグルだけではなく、弟子となる側にも、正しいグルを選ばなければならない
という重大な責任があると説かれています。
  
しかし、「この弟子側の責任」という考え方については、
オウムでは全く言われず、オウムの信者は、こういった責任を全く果たさずに、
密教の教えの実践を行ってしまうという過ちを犯しました。
  
新しくアレフに入信し、麻原を「グル」としている方は、
まずはこのことをしっかりと考えていただきたいと心より思います。

先日の記事
【盲信原因と脱却⑦】「輪廻転生」を、原理主義的に盲信してしまう
の続きです。

こうした盲信によって、
「輪廻への恐怖があるから麻原への帰依をやめられない」
というオウム・アレフ信者は数多くいますが、
麻原への帰依などなくても、その恐怖を克服することは十分可能です。
以下に、その盲信から脱却したひかりの輪のスタッフの体験談をご紹介します。



■宗形真紀子(アレフ問題対策室)

わたしは、2007年にアレフを脱会しましたが、それまで、脱却を阻むものとして、
最後まで残り続けたのは、
オウム・アレフ・麻原信仰の中核にある
「グルイズム」と「マハームドラー」という独特の考え方でした。
この2つの考え方の基盤に「輪廻転生への盲信」があったのです。

社会の中での事件の現実や教団の現実などに気づいたのにもかかわらず、
その考え方が、わたしのアレフからの脱会を思いとどまらせ続け、
95年から10年もの間の、長い呪縛となりました。

しかし、それを吹っ切れたとき、現実に、盲信をやめ、アレフを脱会することができました。

これはおそらく、多くのアレフ信者にも共通する呪縛だと思いますので、
どうやって抜け出せたのかを、拙著を引用しながら書いてみたいと思います。


1995年 死の恐怖と輪廻転生への盲信から、脱会を思いとどまってしまった


最初に、オウムをやめようとしたときに、その呪縛が思いとどまらせたのは、
1995年の秋、拘置所で取り調べを受けていたとき、
坂本弁護士のご遺骨が発掘されたニュースに触れたときのことでした。
当時の心境を、拙著から抜粋します。

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『二十歳からの20年間“オウムの青春”の魔境を超えて』三五館 p142~145より)

●「マハームドラー」という呪縛

 取調官に見せてもらった、麻原の逮捕時の、札束とともに隠し部屋に隠れる
という情けない姿での様子を見たときは、一瞬、「なんて情けないんだろう」と
思ったものの、今までもずっとそうしてきたように、すぐに、

「麻原はわざとこのような情けなく見える状況を作り、
それでも付いてこれるか弟子を試すマハームドラーをかけているに違いない」

と考えました。
 
「きっと、この逮捕のされ方も、弟子を解脱させるための、
深遠なグルのマハームドラーの修行に違いない」

と無理矢理強く思い込むようにして、帰依を続ける決意をしました。

 取調官には、自分に言い聞かせるようにして、
「オウムがそんなことするわけがありません。脅迫も身に覚えがありません。
 わたしたちが学んできた教義は虫一匹殺さないもので、
そのように実践しています!」と、一生懸命訴えていました。

 取調官の二人は、最初は、殺人の実行犯だった人の車の運転をしていたわたしを、
凶悪犯人のように扱っていましたが、だんだん、わたしがさまざまな事件を本当に知
らず、凶悪犯人ではないと理解してくれ、しだいに強硬な態度が和らいでいきました。
 そして、「あなたのような真面目な普通の女性は、狂った教団から一刻も早く脱会
したほうがいい」と、親身になって脱会を勧めてくれたのです。
 わたしはそれらに心が動きだしていました。

●坂本弁護士一家の遺体発掘の衝撃と、脱会

 それでもそのように信じたくなく、しかし、さまざまな状況に追い詰められ、
わたしは動揺して、
「あんな残酷な坂本弁護士一家殺害事件が、オウムの犯行のわけがありません。
もし坂本弁護士事件がオウムの仕業だったらオウムをやめます!」
と叫んでいました。

 そして独居房では、現実を受け入れたくないという気持ちや、いったいどういうこ
となのかという疑念や不安、そういったことを打ち消すために、麻原に帰依するマ
ントラを唱えたり、麻原を観想したりして、必死になって帰依を保とうとしました。

 九月になったある日、血相を変えた取調官がやってきて、

「たいへんだ! 坂本弁護士一家の遺体が発掘されたぞ!」

とテレビを見せてくれました。
  信じられない思いで、頭の中で何かがガラガラと崩れていく気がしました。

 「そんなはずがない」「でも遺体があった」
 「オウムがやった」「嘘だ」「それならわたしはオウムをやめなければならない」
 「オウムはやめたくない」

 そういう思いがぐるぐると頭の中を駆けめぐり、涙が出ました。

 そして結局やめなければならないと考え、脱会届を書きました。
 その日は殺人事件の衝撃と、すべてが壊れてしまうショックと悲しみとつらさで
泣いていたのを覚えています。

●死の恐怖と「輪廻転生」の盲信から、脱会を撤回

 脱会届けを教団に送ったことをきっかけとして、悶々とすごしていたある日、
わたしにとっての大きな出来事が起こりました。

 逮捕直後、警察官が極悪人扱いする中、ただ一人わたしに優しくしてくれた
二十代そこそこの婦人警官がいたのですが、その人が休日に鳴門のうず潮に
呑まれて死んでしまったと聞いたのです。

「あんなに優しかった人があんなに若くして死ぬなんて」

と、ショックとともに死の恐怖が間近に襲ってきました

 それをきっかけに、麻原がつねに説いていた

「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
 死の前に有効なものは修行とグルとの縁しかない

という言葉が思い出され、

現世ではなく、死や来世に有効なものこそもっとも価値がある

というオウムの教義が思い出され、わたしが脱会しようとしたときに、
身近に起きたこの現象もまた「グルのマハームドラー」のように思えてきました。

「きっとこれは、オウムをやめようとした自分に、麻原が死を見せて、
 何が価値があるのか考えろと教えている現象なんだ」

「いつ死ぬかわからないのだから修行しかない」
と思い直し、

「これは、大きな観念を超える試練についていけるかどうかの
 グルのしかけなんだ、あれだけ救済を説き、ゴキブリ一匹殺さない麻原が、
 もしも事件を起こしたとしたのなら、
 何か未来を見越した深いお考えがあってのことに違いない」
という思いが駆けめぐりました。

「そうだ。そもそも、直接麻原から話を聞かないとわからない。
 裁判が始まらないと真相はわからない。本当は陰謀かもしれない。
 お世話になった生まれて初めてのグルなのだから、
 本人に聞かずにやめるのは浅はかだ。マスコミの情報を鵜呑みにしてはならない」

などと思い直し、必死で、帰依を培う思考訓練をし続けていったのです。
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このようにして、わたしは、その後10年近くもの間、
アレフで麻原信仰を続けてしまったのです。

その後、現実を直視したり、教団の外の方々や、聖地や、本などに助けられ、
徐々に麻原信仰を脱却していき、
2003年~2005年頃、現実の行動では、麻原を信仰するような修行を
しないようになってからも、

「麻原への帰依をやめたら、麻原が説いたように無間地獄に堕ちたらどうしよう」
という呪縛が残っている状態があり、アレフを脱会できずにいました。

具体的には、以下のような精神状態でした。


2003年~2005年頃まで残っていた「輪廻転生」への呪縛

『二十歳からの20年間“オウムの青春”の魔境を超えて』三五館
 p80~82より抜粋)

 そのときのわたしの素直な心や感性は、すでに麻原グルイズムよりも、
日本的な、自然の中に神を見るという考え方や、
すべての人の中に仏を見るという考え方などに強く惹かれるように変化していました。

 場所や修行法としても、麻原の写真を拝みながら
自然から切り離された道場の中に閉じこもって麻原を観想する瞑想よりも、
日本の聖地やさまざまな神社仏閣、大自然の中に行くほうが、
はるかに意識が広がり、修行になると実感していました。

 そのため、実際のわたしの行動は、麻原が禁じていたことを無視して、
そういった日本の聖地や自然の中に行くことを選択していました。
 そして、だんだん麻原のマントラが大音響で流れる教団施設での修行になじめなくなり、
外にいることが多くなったほどでした。

 それにもかかわらず、意識のどこかに、一〇年も培った思い込みとして、

「密教の教えにあるように、一度自分が帰依すると決めたからには、
 最後まで帰依し続けなければならないのではないか


というものと、

もしも麻原がレベルの高い特別な魂だったら、帰依をやめることは、
 グルイズムが重視される密教の教えでは、
 グルとの縁を傷つけることになり、麻原が言うように、
 無間地獄に堕ちてしまうのではないか」

という危惧が脳裏のどこかにこびりついているような、
すっきりしない気持ち悪さを感じている状態でもありました。

 これは、わたしが出家当時から最重要視して、ずっと修習していた
「グルイズム」と「マハームドラー」の考え方の影響でした。

 すでに実際の行動はすっかり変化して、現実の行動に影響を与えていない
にもかかわらず、そういった思い込みだけが、観念世界のどこか隅のほうに
残像現象のように残ってこびりつき、まるで呪われているような感覚でさえありました。

 祟りが起きることを恐れているような感覚ともいえます。
 この二つは、それほどに根深く最後まで残っていた、
わたしのオウム時代を象徴するキーワードとなっていました。
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輪絵転生の盲信と、地獄に落ちたらどうしよう、という恐怖からの脱却


その後、わたしは、大乗仏教の基本的な考え方や、日本の神道やアニミズムなどを学び、
すべてのものに感謝を培う自己反省法「内観」を実践し、
そして、実際に、多くの教団の外にいる素晴らしい方々や、素晴らしい日本の自然や聖地など
たくさんの麻原以外のものに触れさせていただくことで、
麻原からは得ることができなかった、多くのものをいただくことができました。

この、現実の、この世界で、麻原よりも素晴らしいものがたくさん存在しているという事実こそは、
わたしにとって、

「麻原のみが輪廻転生で自分を救う」
「麻原の帰依をやめたら地獄に堕ちる」
という盲信や、恐怖を超えるに余りあるものとなりました。

わたしの素直な心は、
「麻原だけが特別な魂だというのは不自然な考え方で、
麻原のことだけを考え、麻原だけとの縁にこだわるよりも、
本来の仏教のように、すべての人に仏性があると考え、
すべての人から学ぶことのほうが大切で、人間的に成長できる道であることは間違いない」
と感じていました。
「だから、麻原のみに帰依する麻原グルイズムや、麻原だけが輪廻で救う魂と
考えることは間違っている」
と思いました。

それに、輪廻転生、死後のことは、実際に死んでみないと、本当にはわからないことです。
(死ぬまで一生わからない)
それなのに、それについて、「ああなのでは」「こうなのでは」と
怖がって、不安や恐怖の心を増やしていることは、「想像」「妄想」「心配」「不安」でしかなく、
現実を無視して、未来のことをあれこれ考えているだけなのでは
と思うようになりました。
心配や不安をやみくもに増大させることは、免疫力が落ちて身体にも悪いことでもあります。

もしも、この気持ちを持ち続けるなら、
一生の間、死んでみるまで、確証のないことのために、
不安や恐怖を増大させることにしかならず、
死ぬまで幸せな心、安心した心にはなりようがないと思いました。

オウムに出家して、教団の中で病気になり、亡くなられた女性のことを
友人から聞きました。
彼女は、死にいたる重病だったので、絶えず死を意識する状態となり、
毎日、

「死んだ後、死後の世界で、グル(麻原)が出てきて救ってくれなかったらどうしよう」
「自分はカルマが悪いから、麻原が出てきてくれなかったらどうしよう」
「麻原が救ってくれず、地獄に堕ちたらどうしよう」

と言って、最期までそうして亡くなられたとのことでした。

これを聞いたとき、アレフの信仰とは、
生きている間も、
死ぬ間際も、ずっと不安や恐怖を持ち続けなければならない、
不安や恐怖によって、麻原に縛り付ける教えなんだと心から思いました。

アレフ信者が、
「麻原しか、死後救ってくれる魂はいない」
「死後、高い世界へ行くには麻原に帰依するしかない」

と思って、必死に麻原への帰依を培う修行をしたとしても、
完璧な人間はいませんので、

「自分が帰依が足りないから、麻原が出てきてくれないのではないか?」

という不安を、ぬぐい去ることはできないのではないでしょうか?

わたしたちが、アレフ内で、脱会の勧誘活動をしていたとき、
アレフ教団側は、
「上祐と話をすると、グルとの縁が傷ついて、地獄に堕ちる」
と言って、「上祐代表やわたしたちと、話さえしてはいけない」という指示を
信者たちに出して、脱会を防ごうとし、
その指示を守って、わたちたちと、話さえしないようにする人たちがたくさん出ました。

しかし、これも、わたしたちと話をすることで、地獄に堕ちるかどうかは、
死ぬまでわからないことです。

それよりも、
今、現在、この時に、たくさんのものから、多くの恩恵をいただいていることへの感謝の気持ちが
持てたり、出会うたくさんの方々を尊重し、素晴らしいところを学び合い、
いまこの時に、この時代に、この同じ宇宙に、地球に、日本に生まれているみんなと仲良く、
愛し合って生きたほうが、幸せなことだと思います。

死後のことは死ぬまでわからないのだから、
生きている今の、その心の延長上で、安らかな死があるのではないでしょうか。

このように、アレフの「輪廻転生への盲信」は、死ぬまで、人を幸せにしない考え方で
あることは間違いありません。