テレビ取材獲得プロジェクト~小さい飲食店のプレスリリース道場~

料理に自信があるのに
何故か、他店舗にお客さんが殺到する
そんな理不尽な経験ありませんか?
それには理由があるのです・・・・・

そんな不安を一気に解消するのが
「テレビ取材獲得プロジェクト」で
記事を発信しております


テーマ:

はじめまして、私は2014年より横浜市中区で
僅か20席ほどの小さい飲食店を営む
飛田和晃(とびたかずあき)といいます。

2017年より、小さい飲食店をサポート出来なかと
思いたちブログやフェイスブック中心に
記事を書いております

かつては、お店は閑古鳥でじり貧状態
何度も何度もお店なんてやめようと思い
正に、泥水すするような経営してまいりましたが

今では、おかげ様で行列の出来る繁盛店へと
しかし、そんな状態になったのはつい2年ほど前
それまでは、苦難の道のりでありました

結構、長編となりますが
最後までお付き合いください



【思えば苦難の連続】


幼少期より、人一倍要領が悪く結果を出せない自分
流れのまま何も考えないずに
言われるがまま両親が経営する
市場内の食堂(横浜中央卸売市場)で社会人スタート

料理人と言えば、格好いいかもしれませんが
当時は、まだまだ市場も活気のある時代で
お店も忙しいこともあり皿洗い要因として
連れ戻されたのが現状でありました。

結婚して息子が産まれても毎日皿洗いの日々
正直、妻や息子(2人)たちに誇れることは何一つなし
そんな頃に大きな転機がやってきました

2009年前後から明らかにお店の売り上げが
毎月落ち込んでいきました。
原因は明白で市場で働く人たちが
次々と廃業・引退されてお客さんが減り続けました。

当時は、市場関係者のみでの営業だったので
大打撃をうけることとなりました。
給料は遅配・減額が当たり前のようになり
生活は一気に困窮を極めました

しかし、経営者は両親で台所事情も理解出来たので
給料をきちんとくれなどと言うことも出来ずに
我慢しておりましたが、決起する日を迎えました。


【陸の孤島で、たった一人の挑戦が始まった!】


市場から年々人が少なくなり、近隣にはコンビニが台頭
このまま現状の商売していたら確実にお店を潰れ
家族は路頭に迷い一家離散も確実な状況だったので

20年間、皿洗い一筋(自慢になりませんが・・・)でしたが
いつか自分の料理を食べてもらいたいという気持ちもあり
親の目を盗んでは料理を勉強しておりました。

このままではダメだと思い。
当時のお店は、市場内でも陸の孤島と呼ぶに
ふさわしい一番の奥で目立たなかったので
車でないと来店するのは厳しい環境もあり

若い男性をターゲットに料理を作りたいと
両親に懇願いたしましたが
元々、自分の親兄弟とは味覚が違うらしく
自分の作る料理を誰一人食べることはありませんでした

当然、一口も食べれない料理を出すなんて
言語道断とばかり大反対に
現座のお店で看板メニューである

玉子焼き・とろとろチャーシューも
「ニワトリに謝れ!」「豚に土下座しろ!」と
一刀両断されてしまう始末。


  「ニワトリに謝れ!」         「豚に土下座しろ!」


当然、反対されるのは想定済みなので
歩合制を提案しました。
両親は、給料払わなくていいので合意。

だが、これが後々、窓際に追い込まれ
最後は、左遷・リストラへと実の両親から
戦力外通告を受けることとなりますが

この話は、後々でとなります。
40歳手前で初めてお客さんに料理を作る
オールド料理人として人生をスタートするのであった。


「天は見放さなかった!お店は右肩上がりへ】


両親の大反対承知で、自ら料理を作り販売することに
しかし、お店のことを全く知られていないので
どうしたらいいのかと考えた方法が

テレビや雑誌に紹介されるお店を目指すことでした
何をやればいいのか皆目見当つかず
そもそも、取り上げられるのは
すべて出来レースと当時は思っておりましたが

この道しか生き残る術はないと
当時、妻にも退路をたつように
「3年以内にテレビに紹介されなければ料理人失格で廃業する」と宣言

ここから、自分自身の大きな勝負を迎えることになりました。
地道にお店をしってもらうとブログやプレスリリースを
そして、料理も若い男性客に合うものはないかと試行錯誤する日々

テレビや雑誌には縁はありませんでしたが
地道に行動することで結果が徐々に出ていき
自信を深めていよいよテレビに紹介される
繁盛店への仲間入りを果たす寸前まで来たのである。

【新聞に初回されて遂に、テレビデビュー!】


2010年、自分にとっては人生で一番の充実期となりました。
最初が、当時開催されたバンクーバーオリンピックでした

たまたま、一緒に飲んでいた方が青果市場で
お店やっているんなら青果と聖火をかけて
「聖火丼っていうのはどうよ」と

聞いた瞬間、ピーンときて今だから話せますが
丼の中身は全く思いつかず開催まで1週間足らず
時間もないので先にプレルリリースは配信

取り上げられたら丼の中身考えればいいやと
全く無謀な考えでスタートでしたが
信じられないことに翌日には新聞社から反応が!

オリンピック期間中に7社に新聞社から取材が
(読売・朝日・産経・毎日・神奈川・東京・日本農業新聞)


 
2010年2月「神奈川新聞」


2010年2月 TBS「ひるおび」


後々、知ったのですが横浜と姉妹都市というもの
追い風となり、そして、TBS「ひるおび」にも紹介ましたが
全く反響なくほろ苦いデビュー戦となりましたが

名の知れない飲食店でも取り上げてくれるという
確固たる自信が芽生えるのであった
そして、人生を大きく動かすメニューが登場するのであった!


【ねぎとろ番長デビュー行列の出来る繁盛店へ!】


 
  看板メニューを紹介する雑誌に一部

2010年2月にバンクーバーオリンピックが終わり
お店の知名度は若干上がったものの
まだまだ、市場外の方には蚊帳の外でしたが

その1か月後にグルメ雑誌のオファーが
運命のいたずらとで言うのでしょうか
オファーらもう寸前に自分のライフワークでもある

ベイスターズの開幕戦は三浦大輔投手でしたが
一度も開幕に勝っておらずエールを贈る意味合いから
「ねぎとろ番長」を作ったのですが

肝心のご本人が先発を回避で幻に終わると思ったのですが
雑誌のオファーがありここで載せてもらうことを考えました。
今でこそ全国から来店もありメニューに誇りもあり
商標登録までする愛着度ですが

 
当時は1食も売れないことも、何度もパクられるメニューへ


当時は、こんな妙なメニューを作って売れないと
恥ずかしいという葛藤がありましたが
思い切って販売したのは大正解。

雑誌を見たお客さんが週末中心ですが来店してくるように
関東ローカルですがテレビにも紹介されて
やっと看板メニューかと思いましたが、幻想でありました。

販売して半年を過ぎると宣伝効果もなくなり
平日どころか週末も売れなくなり
1日0食なんて日が続くようになり

元々、自分の料理を出すのを大反対していた
両親からは毎日のように「やめろ」というプレッシャー
でも、売れないメニューをやめるのは正論と思い

丁度、半年で2010年11月いっぱいで販売しないことを
自分で決断しましたが、ここでも奇跡が起こりました。
11月下旬、中年の男性客が食べ終わり
会計と思ったらテレビ局の方でした。

話を聞くと、フジテレビ「スーパーニュース」(当時)で
丼特集をやるので是非、ねぎとろ番長をと打診されました
遂に、公約して2年で民放テレビ局に紹介されることに

 
  2010年12月暮れに遂にテレビに紹介されることに!



実質、初めてのテレビは想像を絶する忙しさで
生まれて初めてお店に行列が気づけば売り上げも2倍に
ここから更なる飛躍を誓うのですが
気づけば自分は一従業員の一兵卒。

経営者・社長は両親であり人一倍プライドの高いので
自分たちが主役でないと気が済まず正に、目の上のたんこぶ
ここから、お店を去るまでの約3年間は逆風と苦痛の日々。

テレビのオファーいただく度に、
両親からは「殺す!」「死ね!」と引導渡れる毎日
兄弟・親戚一同も賛同したので更に逆風に日々
味方は妻と息子と嫁さんの身内だけとなった。


【40代で新たなチャレンジ】


2011年を迎え、売り上げは年々倍増の勢い。
お客さんも東京や関東一円は当たり前となり
全国から来店がある毎日。

お店の知名度が上がることでテレビや雑誌の取材も
先方から定期的にいただくようになり
当初の目標を達成し充実した毎日でありましたが

「ねぎとろ番長」が嬉野に反比例して
両親の作るメニューの売り上げは激減
当然、お前のせいだから責任とれと毎日言わることに

正直、毎日販売するのが苦痛で仕方ありませんでしたが
それでも、家族の生活のため、お客さんの注文だからと
言い聞かせて作り続けましたが

最後に両親から「お前の作る料理を食べるのは
バ〇と片〇だけだ」と言われたときに
店を去る決心が固まりました

その間にもテレビ取材もたくさんあり
(両親居る時間帯は引き受けられないので断るケースも)
デパートの物産展に呼ばれたりと


   物産展の成功が自分でもやれるという自信に・・・・


色々と雑音言われ続けてやるよりも
自分でやった方が手っ取り早いし
この勢いならいけるという自信と確信もあり踏み切ることに

そして、自分は再び皿洗い要員に戻りなり
両親のメニューが売れるようになりました。

と同時にこのまま死ぬまで一兵卒でいいのかという
思いがフツフツと沸き起こり
このまま悔しい人生では終わりたくない!

そして、開業すると決めたのですが
開業する際には3つの条件を課しました
自分の意志・家族の同意・融資を受けれる体制

この3つをクリア出来なかったら諦めるつもりでした。

当然、リスクも大きく両親引退するまで我慢しろと
確かに、繁盛店捨ててなんて考えるのは自分くらい。
しかし、上にも兄弟がおりリストラは時間の問題
業績上げてリストラされるなら自分からの思いもあり

粘り強く説得して最後は妻もついてきてくれました
「失敗したときはマグロ船や原発行って働く」と約束
そのときの感謝の思いは今でも忘れることはありません

何とか融資も靴をすり減らし何件も当たって何とかクリア
辞める際は「早く潰れろ!潰すまで邪魔をしてやる」と
言われたのが両親との最後の会話となりました

それでも、新しく勝負するという思いが強く
いよいよ人生最大の大一番が迫ってまいりました


20席ほどの小さいお店ですが一国一城の主に



【オープン直後、地獄3丁目へと・・・・】


2014年4月に念願かない「バンバン番長」をオープン
店名は看板メニュー「ねぎとろ番長」をイメージしました
開業前はセミナーや勉強会に参加

開店前に、テレビ取材2件もいただき
これでお店も順風満帆間違いなしと当時は思いましたが
これが自分自身大きな油断と驕り
が生じることとなり洗礼を浴びることに。

テレビで紹介されるという話はドタキャンとなり
宣伝活動もろくにせずに開店
それでも知名度あるし大丈夫だろうと妙な安心感。

そして、開店前にセミナーで知り合った男が
色々と親切に近づいてきましたが
すっかり夫婦ともども信用したのが悪夢の始まり。

料理以外は、素人だったこともあり用具から従業員まで
手配任せてしまったのが大失敗
すべて相場の4倍5倍修理が必要でも来ることなしの悪徳業者

更に、送り込まれた従業員も金銭闘争目的で
融資のお金はあっという間にその男に吸い取られ
3か月後には通帳残高8円という無残な結果だけが残りことに


   3か月で廃業に危機が到来!

お店の経営が失敗した時は、
マグロ船・原発・臓器売って家族を支えるという言葉が現実に
それでしか責任を果たせない状況に追い込まれました。

当時は、毎日が「3年B組金策先生」状態で
頭の中は資金繰りでいっぱいで
原付で通っておりましたが何度も赤信号で直進
して大事故になる寸前を数回も味わいました。

当時は、自殺願望まではなかったと思いますが
死んで責任取らなければと頭の片隅にあったのかもしれません。


【お客さんの支えで・・・・・】


オープン当初は、閑古鳥が鳴り響き
いつお店が終わるかもしれない日々でしたが
ベイスターズファンが集まるお店というコンセプトもあり

野球開催日を中心に少しづつお客さんが増えていきました
オープン当初は、ガラガラ蛇で心配したお客さんたちが
忘年会・新年会開いてくれて

厳しい厳しい2014年を乗り切ることに
半生振り返っても2014年ほど辛い1年なかったと
そして、2015年には何度もドタキャンされたテレビ取材が実現


いきなり宮迫さんら大物芸能人の方々が!

今まで、知られていなかったのが嘘のように
一気に知名度がアップして1年以上かかりましたが
やっとお店を軌道に乗せることに

何度も辞めた方が楽と思ったこともありましたが
1年あまりでたくさんの心暖かいお客さんに支えられて
今現在迎えられるのは感謝の思いでしかありません。

2017年より「プレスリリース道場」ということで
小さいお店の知名度アップをと新たなチャレンジとして
コンサルタント業もスタートしておりますが

実際、その後のテレビ取材などは
すべて先方からの依頼ばかりで自分からの
働きかけは一切しておりません


2016年5月、「スッキリ」日本テレビ

こちらの番組で紹介されると
翌月の売り上げは100万円以上アップ!
単純に僅か3分足らずの放映でこの効果

同じ飲食店主さんで売り上げ伸ばしたいと
思っている方がいるのではないかと思い
現在は、サポート活動をお店やりながらやっております


開店当初に比べて売り上げ5倍増!

現在は、開店前から行列が出来るほどに成長
これだけ、たくさんのお店を知っていただけたのは
やはりテレビの力が大きかったと思います

そして、「ねぎとろ番長」のモデルであった
ハマの番長こと三浦大輔投手も遂にご来店!


遂に!ハマの番長がねぎとろ番長を



わざわざ、試合で着用したユニファーム持参で!
こんな感動味わえたのも宣伝活動あればこそ
特別な技術や才能も必要ありません!

マスコミ50社以上の取材経験通してこその
ノウハウがありますので
興味・感心ある方は、気軽のお声かけください


かなりの長編大作?でしたが
最後まで読んでいただきありがとうございました!











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