一瞬のひらめきを、インスピレーションを、大切に。
2007-04-24 10:32:37

春風を想う

テーマ:Short Short Stories

春の風が ひんやりとした朝の空を彷徨う頃

あなたのまっすぐな髪を思い出す。


春の暖かな風が 日差しが降りそそぐ窓から部屋へと迷い込む頃

あなたのまぶしい笑顔を思い出す。


春の夜風で 桜の花が舞い散る頃

あなたの温もりを思い出す。


春の風で思い出すのは

あなたのことばかり。


あなたは

春風のように ぼくの心にここち良くあたり

ほんの少し戯れて また行ってしまった。


また春風が吹く頃には

あなたはぼくのところへ来るだろうか?


ほんの少しの期待を持ちつつ

今日もぼくは 春風に身を任せる。



この刹那が

ぼくはたまらなく好きだ。

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2006-11-14 11:02:33

怨念のポトフ ~切ない涙風味~

テーマ:Short Short Stories

じゃがいもを洗い、一つ一つ皮をむく。


   「お前のカレーはいつもうまいな。一番だよ」

   -------なに言ってやがる。

芽をえぐる円が大きくなり、必要以上に身をそがれたいびつなじゃがいもが、次々に水に満たされたボールの中に落とされる。

あぁもったいなことしちゃった。


   

   「にんじん入ってるの?あぁ小さく刻んである。俺がにんじん嫌いだからだな」

   ------あぁそうだよ、にんじん嫌いのあんたのためにいつも小さく刻んでるんだよ。今頃気づいたのか。。。

みじん切りから粗みじんになり、ぶつ切りにされていくにんじん。機械的に動く包丁の動きを、客観的に上から見下ろしてる私。



   「いい味出てるよね。たまねぎをずっと炒めたりしてるんでしょ?」

   ------あの時のカレーは5分くらいしか炒めてないよ。

たまねぎ、縦に四つ割。ゴロゴロ。



   「このウインナーがいいよね。いつも入ってるこのウインナーが好きなんだよ」

   ------その時初めて入れたんだよっ!いつもビーフだったけど買い忘れたから間に合わせでウインナー入れたんだよ。あんた寝言で言ってたよね。カレーにウインナーって!

そういう手作りのカレー、どこで食ったんだ?私のカレーに媚売ったってボロは出るんだよ。

ウインナー、切らない。まるごと。

   

大きさの不ぞろいな材料を一気に鍋に入れて、水をばしゃばしゃ入れて、ただ煮込む。もう炒めてやったりしないよ。うまいカレーが食べたいなら、よそで食べな。




「お前が一番だよ。お前の全てが、誰よりも一番だよ」

そう言ってくれてた時期もあった。一緒に買い物したり、旅行に行ったり、同じ映画を観て泣いたり、辛すぎたチゲ鍋に文句つけたり。

そんな些細な日常が幸せだったのに・・・・・。いつからこんな、お互いのゴキゲンを取るような、探るような日常になってしまったのだろう。




鍋に塩を振り入れていた手の甲に、一粒、涙が落ちた。次々にあふれる涙が、鍋の中に零れ落ちる。

よし、カレーにするのはやめた。ポトフにしよう。材料の味も、スープの味も、それそのまんまを味わえるポトフに。

あいつは、ポトフは味が薄くてイマイチだと、なんか調味料を足して食べていたっけ。


しかし今日は、そのまま食してもらおう。

私の涙が最高のスパイスの、このポトフ。

あなたのために作った、このポトフ。

鍋一杯に、私の気持ちと同じように、あふれ出そうなくらいたくさん、たくさん作った、このポトフ。




の こ さ ず く え よ 。


                                            END

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2006-11-11 15:25:21

チョコチップ・クッキー

テーマ:Short Short Stories

やわらかく練り上げられたバターの中に、卵黄を落とす。こんもり盛り上がった頂上に極上の艶をしたため、この上のない存在感で、そこにある。

その上を、泡立て器で一往復、二往復。ボールの中に一気に鮮やかな暖色みが散らばる。

まんべんなく混ぜ合わさった頃、うまみの凝縮されたペーストができる。


私は今、クッキーを焼いている。私のささやかな趣味だ。




二ヶ月ほど前だったろうか。今日のようにクッキーを焼いていたとき、窓の外から遠巻きにして、1人の少年がこちらの様子を伺っているのが目に付いた。ちょうどクッキーがこんがりと良い香りを漂わせて焼きあがる頃で、オーブンの加熱終了の音と共に天板を引き出すと、マーブルクッキーがおいしそうな焼き色をつけて現れた。

 それを天板ごとケーキクーラーに載せ、焼き具合をチェックする。よく焼けている。天板を持ち上げ、一つ一つクーラーに移していく。その間も、窓の外からの少年の視線をずっと感じていた。

 クッキーを焼いているのを目にするのが珍しいのかな。食べたいのかな。そんなことを思いながら、次の生地を天板に並べる。

 外からの視線が物欲しそうな様子に変わってきたのをなんとなく感じる。でも知らない子だし、どこの子かも知れない子に食べ物なんかあげたら、あとでその子の親が文句つけてきそうだしなぁ。・・・・・なんだか作業がやりづらい。


 生地を並べ終えた天板を再びオーブンに入れ、セットする。

 思い切って首を伸ばして窓の外を見たら、少年はさっきの立ち居地よりも若干窓に近づいた位置で、身を乗り出してこちらを覗いていた。

 清潔そうにカットされた頭髪、若干大きめの眼鏡、品の良い紺のジャケット、首から提げた子供用の携帯電話、背中にしょっているリュックはこの辺でもよく見かける、どこかの塾のものだ。この子まだ小学校1~2年生くらいじゃないのか?こんな頃から塾なんて行って、今の子は大変だなぁ。きっとかぎっ子なのかしら。 

 まともに顔を向けた私とまともに視線を合わせてしまった少年はさっと身を引いて、最初の立ち居地まで戻った。でもまだこちらを見ている。

 

 私は先ほど焼きあがったクッキーを一つ取り上げ、窓際から顔を出し、少年を手招きした。

 少年は最初おどおどした顔をしていたが、すぐにとことこと近づいてきて、無言で差し出されたクッキーをこれまた無言で受け取り、躊躇いながら一口かじった。その一口を飲み込むのと同時にまた一口、もう一口と、あっという間に食べ終えてしまった。

 最後の一口を飲み込んで口元を手の甲でぬぐい、少年はほっと息を吐いた。息をつく暇もないほど一気に食べたのだ。

 

 はっとした表情と共に少年が携帯の液晶画面を見る。時間を確認したようだ。あわててくるりと向きを変え、2,3歩走り出す。その足をぴたりと止め、またくるりと向きを変えてこちらを向き、

「ごちそうさまでした」

という一言と共に一礼し、塾のある方向へと走っていった。





 粉を混ぜやわらかめに練った生地に、チョコチップを入れ再び混ぜる。私はこのチョコチップクッキーが一番好きだ。





 毎週火曜日と金曜日に、少年は窓の外に顔を出すようになった。私はそれに合わせるように、毎週火曜日と金曜日の夕方前に、クッキーを焼くようになった。

 「クッキーおいしい。ぼく、手作りのクッキーって初めて食べたんだ。こんなにおいしいクッキー、食べたことなかった」

 チョコチップクッキーをほおばりながら少年がポツリと言った言葉だ。

 「お父さんもお母さんもいつも仕事してて、あんまり会わないの。お母さんが作ったごはん、食べたことない。」

 これは確かピーナツクッキーを食べたときの会話だ。 

 少年とクッキーを食べながらした会話は、これだけだ。そして私は「そう」とだけ言って、自分のクッキーを口に入れる。それでいい、と私は思っていた。 クッキーを食べ終えた少年の顔は、食べる前と比べてより人間的というか、より子供のような、無垢な顔になる。それで、充分なのだ。





 天板にスプーンですくった生地を落としていき、オーブンに入れてセットする。しばらくして、あの香ばしくて甘い香りが部屋を満たす。そろそろ少年が来る頃だが・・・・。


 道路のほうで子供たちの声がする。私は窓辺に寄り添ってみる。

 少年だ。数人の同級生らしい子に囲まれて、なにか揶揄されている。

 大きな笑い声と共に、取り囲んでいた子供たちが走り去っていった。あとに残された少年は、うつむいてじっとしている。 そのままとぼとぼとこちらへ歩んでくる。

 私は焼けたばかりのチョコチップクッキーを二つ取ってきて、窓越しに一つを少年に渡す。うつむいたまま受け取った少年と、いつものように無言でクッキーを食べる。

  

 少年が鼻をすすっている音がする。押さえようとしても後から後からあふれ出す涙を必死で止めようとでもするように、むしゃむしゃとクッキーにかぶりつく。


 クッキーを食べ終える頃、鼻をすする音もあふれ出す涙も止まった。口を手の甲でぬぐいながら眼鏡をはずして目元もぬぐい、すばやく眼鏡をかけると、こちらを振り向き、「ごちそうさまでした」と一礼して、彼は歩いていった。



 後姿が、少し強くなったように見える。

 少年よ、負けるなよ。



                                               END

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2006-11-07 14:50:20

ぼくと彼女の ある一夜。

テーマ:Short Short Stories

とんとんとん。

外の階段を上ってくる音を、ぼくの耳は聞きつけた。誰の足音だろう?隣の人か、はたまた・・・・。

この足音は・・・・・・マキだ。

いつものように玄関までお出迎え。

ドアの向こうで足音が止み、カチャカチャと鍵を開ける音。

ぼかっ。ぼくの耳にはドアの開く音、こんな風に聞こえる。


---おかえりなさい!

「ただいま。いい子にしてた?」

---今日もいい子にしてたよ。

「おなか空いたでしょう?おやつ、あげようか」

---それよりもごはんがいいなぁ。

「今日はね、君にいいもの買ってきたよ。きびなご!」

---にゃご!(最高!)

そう、ぼくは猫。マキがぼくのご主人様。

ぼくはマキがだいすき。


「まだお夕飯前だからちょっとね」

半分になったきびなごをマキはぼくのごはん皿に置いてくれた。ぼく、一匹食べたいのにぃ。

マキはお風呂場に行ってお湯をジャージャー溜めながら、コーヒーメーカーをセットする。夜帰ってきたときはいつもこれ。時々、マキの鼻歌が聞こえる。ぼくはきびなごに夢中であまり耳に入ってこないけどさ。でも、マキが鼻歌するときはね、機嫌がいいときなんだ。


ぼくがきびなごを食べ終えて口の周りを前足で器用に拭いている頃、マキの鼻歌が聞こえなくなった。マキの方を見ると、ちっちゃい四角いものを手に持ってじっと見ながら、親指を忙しく動かしている。ぼくそれが何だか知ってる。ケイタイというもので、誰かとお話しできたり、手紙のやりとりができるらしい。楽しそうな音楽もたくさん鳴るんだよ。それにしてもマキの親指、ときどき止まったかと思うとすっごく早く動き出したり、人間も器用だねぇ。まぁぼくの顔洗いにはかなわないけどね。


ピピピってお風呂場から音がした。お湯が溜まったよ、マキ。ケイタイに夢中になってるマキの代わりに止めてきてあげたいけど、ぼくにはちょっと難しいみたい。

---にゃー(マキー、お湯)

「あぁお風呂!」

マキ、ケイタイをソファーの上になごりおしそうに置いて、お風呂場に行った。ぼくが教えてあげなかったらお湯がいっぱいになっちゃってたんだからね、ぼくのおかげだよ、マキ。

今度はシャーっていう水の音。マキお風呂に入った。さて、いつものようにお風呂場前のマキの着替えの上でマキが出てくるのを待っていようかなぁ。あ、でも何か音が聞こえる。ぼくはしっぽをゆらゆらさせてその音を聴く。これはジャズっていう音楽だ。マキは機嫌がいいとお風呂に入りながらこのジャズって音楽を聴くんだ。ぼくには耳にシャカシャカうるさいんだけどね・・・。じゃぁここで待とう。

ひょいとソファーの上に乗る。ぼくはいつも真ん中に座るのに、今はケイタイが真ん中にいる。ちょいちょい、っと前足でつついてみる。なんにも鳴らないし、光らない。もちろん動かないしね。仕方ない、端っこでいいよ。しっぽの先までまん丸になって、マキが出てくるのを待つんだ。


突然ぼくの耳元で音楽が!ぼくびっくり。ケイタイから音楽出てる。かわいらしい音。

この音、一番よく鳴る音だ。マキ、この音が鳴るといつもウキウキしながらケイタイとにらめっこするんだよ。そのときは、ぼくが隣にいようが膝の上にいようが、関係なくなっちゃうみたい。ケイタイと真剣ににらめっこしてる。そんでね、すごく嬉しそうなんだ。でもさ、ぼくは不愉快だよ。またちょいちょいっと前足でつついてみる。音が止まった。やった、ぼく勝った。


そういえば何日か前、その音が鳴ったケイタイとにらめっこして、マキが泣いてた。それからその音、鳴ってない。マキを泣かすなんて!手紙の相手は誰なんだ?ぼくは許さないぞ!また前足で、今度はバシバシとケイタイを叩いてやった。


シャーの音とジャズの音が鳴り止んで、マキがお風呂から出てきた。シャンプーのいい香り。ぼく、前のシャンプーより今のほうが好きだよ、マキ。

でもマキ、いそいそとケイタイを持った。「だめだよ、君の遊び道具じゃないんだから。あ、着てる着てる!」な~んて、嬉しそうな顔しちゃって。ぼくはソファーの端っこでまた丸くなってふくれっ面。

ちらっとマキの顔を見る。なんでそんなに嬉しそうなんだよー?ぼくはつまらん。あーもう!ひっくり返っちゃおう!

「あらあら、どうしたの、おなか丸見えだよ!明日はね、仲直りのデートなんだ!」

ふーん、そっか。手紙の相手はオトコなんだね。鼻歌とかジャズとか、ゴキゲンだったのはそのせいなのね。あぁーもうもう!伸びちゃうから!

背中をそらせたぼくをちらっと見て笑いながら、マキはケイタイを握ったまま、淹れたコーヒーをこれまた楽しそうにカップに移して飲んでる。

ぼくいつもはそのコーヒーの香りも好きだけど、今はなんだか憎らしく思えるぞ。


でもいいか。今日もぼくはマキと同じ布団で眠れるんだもん。毎日毎日、毎晩毎晩、マキと一緒にいられるんだもん。

ぼく、猫でよかった。

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2006-10-25 11:31:23

右肩上がりの癖

テーマ:Short Short Stories

美和子の描く僕の絵は、決まって右肩が上がっていた。

最初の何枚かが仕上がったときには気づかなかったのだが、彼女の描く僕の絵が彼女の部屋の壁一面を占めるころ、僕はある一枚の絵を見たときにやっとそのことに気づいた。


その絵は、僕が彼女の部屋のベランダで煙草を吸っている後姿が描かれた絵だった。ベランダの手すりに両肘を置いて部屋側に背中を向け、暮れかけている夕日を見ながら煙草をふかしている僕を、部屋の中から彼女が見た風景を描いたものだ。キャンパスの回りぐるりと描かれた窓枠が、そのまま額縁になっているような構成だった。その僕の右肩がほんの少しだけ上がっているのが、受けている夕日の陽射しと出来た影から、ほかの絵よりも強調されて見えたのだ。

それに気づいた僕は壁に貼られた他の絵を見渡してみた。微妙ではあるが、すべての僕の右肩が上がっていた。自分では意識をしたことなど全くなかったので、これは彼女の絵の中のことだけ、彼女がモチーフにしているものなのかと思っていたのだが、あるとき聞くともなしに彼女に聞いてみたことがあった。


「あら、あなた、リラックスしているときにいつも右肩が上がってるのよ。ほんのちょっとだけどね。自分で気づかなかった?あ、ちょっと頭動かさないで・・・」


と、ロックで入れたウイスキーの氷を左手でカラカラと鳴らし、右手で鉛筆をせわしなく動かしながら、何を今更、というように、美和子は答えた。僕の聞き方もさらっとしたものだったが、返ってきた彼女の答えがあまりにもサバサバしていたので、僕は拍子抜けしてしまったのを覚えている。なんだ、気づかなかったのは僕本人だけなのか?と、しばらく間抜けな顔をしてしまったものだ。



そう、あのときもウイスキーを呑んでいたが、彼女はアルコールを愛していた。といっても、依存症や中毒になっていたわけではない。呑む頻度は月にせいぜい2~3度程度だった。しかし、呑むときにはウイスキーでもウォッカでも決まってストレート、つまみは一切なし、マイペースにひたすら、何時間でも呑む。それでも驚いたことに、一度も泥酔をしたことがなかった。

アルコールを呑んでいるときの美和子は、無性に創作意力が湧きたてられるらしく、一度筆を執ると止まらなくなる。描いて描いて描きまくり、そして、その間もアルコールを呑み続ける。

美和子の作風は、観ている人が反対の壁まで飛ばされるのではないかと思うくらい力強さが溢れているものもあれば、観ている人の内側から何かがはらはらと崩れ溶け、それが涙となって流れてくるような、儚くもの哀しい感情を抱かせるものだったりする。おおよそ、同じ人物が描いたとは思えないくらい、まるで違った作品を作り出すのだ。特に呑みながら描かれた絵はその特徴が強く出るようだった。

また、妙におどけてみることもあり、悪乗りで僕の裸の絵を描くこともたびたびあった。もちろん、彼女の記憶から勝手に描いているのだが。それは時に男性的だったり女性的だったりするのだが、他の人に言わせるとどちらも僕らしさが表現されているらしい。一つのものを全く正反対に表現できるのも、彼女の才能のすごいところだと思う。


そんな、画家の卵なら誰でも羨ましがる才能を持っていながら、彼女は本格的にプロとして絵を描こうとはしなかった。彼女の絵の露出頻度は、絵描き仲間数人と何度か小さな合同展示会を開いたり、それを観た人から熱烈なラブコールを受け何度か個展を開いたり、という形でポツリポツリと発表し、気が向いたときだけ売ったりする程度だった。うわさを聞きつけて個展を観た何とかという有名な絵描きから本格的にプロとして活動してはどうかと声をかけられたりもしたが、悩んではいても、彼女は首を縦に振ろうとはしなかった。美和子ほどの才能を持ち合わせながらプロ活動をしないのを不思議がる人は周りに何人もいた。何となく、僕もその一人だ。


「絵描きのプロになって、それでお金を稼いで生活して、ってなってしまうと、私の作品が私のものでなくなってしまうような気がするの。お金稼ぎの手段にするのでなくて、私の生涯のライフワーク程度に留めておいたほうがいいような気がするのよ。」


美和子の答えはこうだった。

ライフワーク程度に留めているからこんなにも自由で自分らしい作品ができるのだ、という言い分らしい。彼女がそう言うなら、そう思えてしまう。きっと彼女が彼女らしくあるためには、今のまま気ままに描くのがいいのだろう。仕事にしてしまったら、きっと今とは違った彼女になってしまうのだろう、と僕は解釈した。


そんな美和子が、突然ニューヨークに絵の勉強をしに行くと言い出した。

このまま僕の恋人として、またルームメイトとして絵を描き続けるものかと思っていた僕としては、美和子のその発言に驚き、狼狽した。画家としてプロは目指さない彼女のポリシーはいったいどこに行ってしまったのか?それで金が稼げるなら金稼ぎの手段にしてしまう気か?今までの作風が崩れてもいいのか?彼女が彼女でなくなってもいいのか?

さまざまな感情が沸いてきて、僕は憤慨し、腹立たしい気持ちをなんとか抑えるのがやっとだった。


「あっちで勉強をしたからといって、そのあとプロになるとかじゃないのよ。たぶん絵描きだけで食べていくことは一生しないわ。何ていうかな、ちょっと環境を変えてね、全く別の場所で描くことができたら、どんな絵が描けるかなと思ったの。絵描き仲間があっちに行っててね、ちょっと来てみないかって」


そんな言葉を残して、彼女は海の向こうへ飛び立って行った。

美和子の部屋には、彼女が描いた無数の僕の絵がそのまま残されている。主を失った部屋は少しだけ冷たい空気を帯びている。しかし、いずれ彼女はここに戻ってくるのだ、いつか・・・・。


美和子が渡米して一年ほど、僕らはあまり頻繁には連絡を取っていなかった。機械に疎い彼女は電子メールのやりとりも気の向いたときしかしない。むしろエアメールのほうを好んだ。向こうで描いた作品をいくつか見せてくれ、送ってくれと言っても、ついぞ彼女は一枚の絵も送っては来なかった。そんな風だから、美和子が海の向こうでどう変化したのか、僕には想像もつかない。変化しても、彼女らしさはそのまま残っているのだろうか、あの、時に力強くて、そして時に繊細な画風は変わっているのか、いないのか・・・・。なにより、美和子が美和子自身でい続けられているのか、僕の中でその思いは心配から不安に変わりつつある頃、美和子から一通の電子メールが届いた。


「来週帰国します」

たった一言だけのメッセージだった。美和子が帰ってくる。


美和子の乗った飛行機の到着時間をだいぶ過ぎてから、僕は空港に到着した。事故渋滞にはまってしまって、遅刻は仕方のないことだった。美和子との待ち合わせのロビーで彼女の姿を探す。ここまで走ってきて息が乱れている状態で大勢の人込みのなかから彼女を探すのは思いのほか重労働だった。目の前を足早に過ぎ去っていく人々。ビジネスマン風の人や団体旅行らしい集団、子連れの家族などが次々に通り過ぎていく。

ふと、人々の流れが途切れた先のベンチに、1人の女性の後姿を発見した。髪はだいぶ伸びて少し軽い色になり、多少痩せたようではあるが、それは美和子の後姿だった。

その彼女の右肩が少し上がっていた。少しだけ。

いつだったか、彼女がつぶやいた言葉を思い出す。


「恋人同士はね、離れていても、時が経って変わってしまっても、心が通じ合っていると、お互いの癖が自然と移るそうよ。わたしもそのう右肩が上がるのかしらね?」

そう言って彼女は、こちらを見て、軽く微笑んだ。朝日を逆光で浴びたその笑顔は、柔らかい綿毛のようだった。


ふと、彼女が右肩越しに振り向いた。軽く微笑む。

あの時の笑顔と同じように。柔らかな、綿毛のように・・・・・。




                                            END

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2005-12-27 15:09:08

雨 ・・・マスターの場合(5)・・・・ ~Short Story6-5~

テーマ:Short Stories

(4)よりの続き


 彼がマグをくいっと勢い良くあおって立ち上がった。おやお早いお会計だと、私もレジへ向かおうと腰を上げかけたが、彼は出入り口脇のレジの方ではなく、逆の店奥へと足を向けた。レストルームへ行くのかと推測したが、カウンター越しに私の前を通り過ぎていった彼の目はどことなく泳いでいた。レストルームへ向かう入り口には案内のプレートがかけられているから迷うことはないのだが・・・・?

 さりげなく彼を目で追っていくと、彼はそのプレートのついた入り口手前で足を止め、こちらに背を向けた。つまり、一番奥の席に座っていた彼女の方へ体を向けたのだ。さてはシャイ君、ついに彼女に接触を試みたのだな?しかし、雨が降っているときだけここで会える関係というのもなかなかオツなものだと私は思うのだが・・・・。

 シャイ君が手に持っていた白い紙切れを彼女の前に差し出し、なにやら彼女に話しかけた。その紙切れをじっと見ていた彼女が、ふっと彼を仰ぎ見る。

 整った顔ときれいな瞳でまっすぐに彼を見上げるお嬢さんの顔、その彼女の視線をやさしく受け止めて、凛々しい二重で見つめ返すシャイ君の斜め後ろからの顔。なんともシネマ的な映像美を湛えたその光景は、この薄暗い店内で眩しいほどの光を放っている。彼女と彼がそれぞれ発するオーラが融合して、神々しいほどの光を発しているように私には感じた。今まさに、彼女と彼の世界が融合しているのだ。

 さらに何か一言彼は彼女に話しかけ、入り口の方へ歩き出した。私も慌ててレジへと急ぐ。ちらと腕時計を気にしていつもより急いだ感じで会計を済ますと、彼はまた扉を勢い良く開け、店の外に出た。その扉が閉まりきる頃には、彼はまた腕時計を一瞥し、その腕を頭上にかざして走り去っていった。


 彼は彼女に何と言ったか。確か「もう来れない」とか「連絡を」などと言ってはいなかったか。彼はこちらに背を向けた状態で話していたので、よくは聞き取れなかったのだが、そんなような言葉の断片が耳に入ったように思う。ということは、彼はもうこの店には来ないと言うことか。そして彼女に連絡するように促した。とするとシャイ君がお嬢さんに差し出した紙切れには、彼の連絡先が記されているということになる・・・・・


 ちゃりちゃりん、と足元でけたたましい音がした。あれやこれや考えているうちに、彼から受け取った何枚かの小銭を落としてしまったようだ。

 これは彼女と彼のと問題なのだ、推測などしても仕方がないか。

 レジ越しにお嬢さんのほうをそっと伺い見る。彼女は今しがた彼が置いていった紙切れを、きれいな指先でつまんで、じっと眺めていた。そのうつむき加減な瞳は、その紙切れから何かを読み取ろうとしているようにも見えた。

 それをそっとバッグの中へしまい、また彼女はしばらく雨を眺め始めた。


 

 静かに、彼女が立ち上がった。ゆっくりとレジのほうへ歩いてゆく。私もカウンター内からレジへ移り、彼女からいくつかの小銭を受け取った。 彼の退店時にはうっかりしてしまったが、彼女には傘を貸してあげようか。ふと扉のガラス越しに覗いた外は、もう雨は止んでいた。

 扉から外へ出た彼女の歩く後姿が窓越しに現れる。その後姿がいつもより軽快そうに見えたのは、雨が止んだせいなのか、はたまたそれ以外の何かがそうするのか・・・・・。


 もう推測はしないことにしたのだ。これ以上考えないようにしよう。


 

 でも私にはなんとなくわかる、彼女はきっと彼に連絡をするだろうということが・・・・・。


                                            END

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2005-12-27 15:08:00

雨 ・・・マスターの場合(4)・・・・ ~Short Story6-4~

テーマ:Short Stories

(3)よりの続き


 カチャリ、と右側からカップをソーサーに戻す音がする。小さな楕円形の眼鏡の上からそっと覗き込むようにそちらを覗うと、もうお嬢さんの顔や上半身や全神経は外の雨に向いている。

 今度は左側のシャイ君のほうを伺い見る。相変わらず手帳とにらめっこである。いつもはお嬢さんのように外の雨を見たり、そっと彼女の横顔を見つめたりしているのだが、どうしたことか今日は下ばかり見ている。先ほど少し放り出すようにテーブルの上に置かれた携帯が、今にも落ちそうなほど端のほうであやうく踏ん張っているのが私にはずっと気になっているのだが・・・・・・・。

 極薄のイタリアンローストを一口含んで、また生豆の選定作業に戻る。小さすぎるものや欠けている豆をはじき出す。生豆独特の青臭い香りが鼻の奥をくすぐる。私がこの作業をカウンター内でしているのを、彼は不思議そうに見ていたことがあったっけ。




 シャイ君が来店するようになったのは、梅雨が明けた頃だったか。店が空いていても彼はカウンター席に座ってアイスコーヒーをブラックで飲みながら、何か本や雑誌を読んでいた。カウンターに座ると窓に背を向ける状態になるので、彼は手元の本に集中するか、時折グラインダーが豆を挽く様子やサイフォンがふつふつとコーヒーを湧き上がらせるのを眺めていたりした。

 

 シャイ君とお嬢さんが最初にこの店で同じ空間を分かち合った日も、当然のように雨が降っていた。店内に入ってきて店奥の彼女の姿を一目見たときから、彼の様子はぎこちないものになった。いつものようにカウンターに座り、持参した雑誌を紙袋から取り出してパラパラとめくっているが、彼の心は買ったばかりの雑誌や私がおいしく淹れたアイスコーヒーにはこれっぽっちもなく、すべてが後方の彼女に向いていた。心ばかりでなく顔までがそちらに向いていた。彼も彼女のあまりに美しく、そして消えてしまうかのような儚い存在に魅了されてしまったのだろう。じきに彼女が席を立ち上がったので彼は慌てて雑誌を見る振りをしていたが、バレバレだよ、シャイ君。でもきっと彼女は外の雨を眺めることに夢中で気づかなかったろうが・・・・。

 

 そして彼も雨の日に来店する客になった。オーダーはアイスコーヒーからフレンチローストに変わった。これから夏の盛りになろうかと言う時期にホットでサーブするフレンチローストに変えたのは、きっと彼女と同じように小さな世界を作りたかったからだろう。そして彼女のその完璧な世界を壊すことのない範囲で彼女とは別の風味を欲したのだ。

 彼が思いつくことは私と同じだったと言うわけか。彼にフレンチローストをサーブした後、私はそれまでカウンター内で飲んでいた薄淹れのフレンチローストを処分し、次にイタリアンローストをごく薄く淹れた。

 



 彼女が来店すると、私はいつも自分用に薄淹れのフレンチローストを淹れていた。まろやかなコクのあるそれの風味は、彼女がいつもオーダーするラテの甘いミルクの風味ととても良く合うからだ。黒と白の風味がマッチする感覚を楽しみつつ、しかし彼女の世界を邪魔しないよう、私はフレンチローストを薄く淹れ、そしてなるべく彼女から遠い位置で楽しんでいた。

 そこへ、彼もフレンチローストのオーダーをしたではないか。少し唐突なオーダーだったが、彼の選択は間違ってはいなかった。彼には普通の濃さに淹れたそれをサーブしてから、さて、私は何を飲もうか考えた。同じフレンチローストを飲むのではあまりに芸がないし、彼ら二人の世界の邪魔にならず、そして自分の世界も作れる香りがいい。結果、迷わずイタリアンローストの豆瓶に手を伸ばしたのだった。フレンチより深入りで風味も強いが、ミルクの香りにも良く合うし、フレンチにも近い。これをごく薄く入れれば良いだろう。ま、コーヒー屋としては邪道だけれど。そして私も彼らと同じように外の雨を眺めるのだ。




 右と左と手前で、三人はそれぞれの香りをくゆらせながらそれぞれの世界をつくり、そこから同じ外の雨を眺める。あぁなんと贅沢な時間なのか。できるだけこの時を長く味わいたい。


 


 そんな彼らの来店時でも、私はたいがいカウンター内で何かしらの作業をしていることが多い。しかしふと気づくと、豆の選定やシュガーポットに砂糖を足している手が完全に止まっていることがある。視線は彼女らの間を通り過ぎ、窓の外でしとしとと降り続く雨に向いている。そのときの私の心には何もない。「無」なのだ。しいて言えば、白、である。そう彼女にとても良く似合う、白。

 ちらと両脇を見ると、彼女らも「無」のオーラを出している。彼女らのそれぞれの小さな世界はそこにしっかりと存在しつつ、それでいて「無」なのだ。そして私の心も「無」。これが、雨の他にそれぞれに共通しているものだ。それはきっと彼女から発せられているのだろう。白い「無」の存在が、私や彼の世界にも影響を及ぼしているのである。これに気づいたときの、なんと心地の良かったことか。今でも三人の世界が「無」になっている刹那が、わたしの安らぎだ。


                                           (5)へ続く

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2005-12-27 15:07:09

雨 ・・・マスターの場合(3)・・・・ ~Short Story6-3~

テーマ:Short Stories

(2)よりの続き


 雨に降られてそれぞれ来店してきた二人は、今日も小さな世界を右と左に作っている。

 エアコンの温度をもうちょっと上げようか。二人にタオルを差し出した後、少し温度を上げておいたのだが、もう少し和らげてあげないと風邪を引いてしまうだろう。特にお嬢さんは未だにタオルを使う気配がない。相変わらず上半身を半分ひねって向こう側の窓のほうを向いている。こちらに向けられた細い背中にしっとりと湿った黒髪がぴったりと寄り添っている。ここで風邪を引いて外の雨が眺められなくなったら気の毒だ。後ろの壁の裏口脇のリモコンをそっと操作し、温度を上げる。ついでに風量も最小にする。




 「ラテを下さい。」

 お嬢さんのいつものかわいらしい声を思い出す。

 彼女が最初に来店したのは、梅雨の盛りの時期だった。赤い傘を差した彼女は、店の前の道から一人の客もいない店内の様子を見つめながら、ゆっくり、ゆっくり歩き、店の入り口前でしばし足を止め、そしてそっと扉を開けたのだ。窓の外からこちらの様子を窺っていた彼女のことを、はっきりと覚えている。透き通るような白い肌に緩く曲線を描いた漆黒の髪、はっきりした色だが決して派手ではない傘の赤い色が、絶妙なコントラストを作り出していた。まるで映画のワンシーンでも観ているかのように、その彼女の姿は儚く、しかし完璧だった。

 

 入店した彼女は店内の様子を眺めながらカウンターとテーブル席との間の通路をゆっくりと歩き、店の一番奥の席に着いた。そしてすぐに窓の外を眺め始めたのだ。その姿があまりにも自然で、こちらがそんな彼女をしばし見入ってしまうほどだった。はっと気づいてお絞りとお冷を彼女の席まで運ぶ。ずっと彼女を眺めていたかったが、店のサービスを怠るわけにはいかなかった。

 「失礼します」と言いながらテーブルの上にお絞りとお冷を置く。ふと我に返ったような彼女が、やっとメニューに手を伸ばす。一通り眺めてから、「ラテを下さい。」とオーダーした。そのひっそりとささやかでいてかわいらしい声は、ラテを淹れている私の耳元でしばし心地良い響きの余韻を残していた。

 お嬢さんは時々ラテに手を伸ばしながら、店内にいるそのほとんどの時間を窓の外を見つめて過ごしていた。


 以来、彼女は頻繁に来店するようになった。日頃からそれほど客数が多くはない我が店は、雨降りの時はこの古めかしい店内が余計に古めかしく、やぼったいものに感じるのか、梅雨時期はめっきり暇な日々を送っていた。だからかもしれないが、彼女の記憶や印象は、実際のその彼女のひっそりとした存在感とは逆に、とてつもなく強烈なインパクトを私に与えた。

 梅雨が明け蝉の声がけたたましく響き渡る時期になっても彼女は来店を続けた。しかし彼女が来るのは、決まって雨が降っているときだ。彼女は雨を大切にしていた。その右側の席から窓の外に向ける瞳は、外で降り続く雨を見ているのだ。私は梅雨が明ける頃にはそのことに気づいていた。彼女と雨は非情に良く似合っていた。


                                         (4)へ続く

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2005-12-27 15:05:56

雨 ・・・マスターの場合(2)・・・・ ~Short Story6-2~

テーマ:Short Stories

 (1)よりの続き


 右側の店奥の席には、美しい瞳と美しい姿勢で窓辺から外の雨を眺めるお嬢さん、左側の店舗入り口近くの席では、そのお嬢さんを気にしつつ同じく窓の外を見るシャイ君、そんな彼らと、正面の窓の外の雨とを、カウンター内側から眺める私。

 窓際に4つ並んだテーブル席のスペースとほぼ同じ幅だけの開口幅を持つ窓は、その枠が内側の風景を切り取ってワイド画面の映像を見ているようだ。画面の端と端に彼女らがいて、距離を置いて向かい合っている。そして、外の雨を眺めている。ここ最近の、私のとびきり楽しみにしている空間だ。

 この3人と雨が揃ったとき、この小さなカフェに独特の世界が生じる。時間の流れが、とても、とてもゆっくりに感じる。同じ空間にいながらその中で互いの世界を作り出し、それを各々が大事にしている。それでいてこの空間に奇妙なまとまりがあるのは、窓の外で降り続く雨がそれぞれの世界をつなげているからだ。この場合、雨は欠かせない存在なのである。 

 こんなシチュエーションを私は欲していたのだ。




 そろそろ40歳に手が届くかという頃、一念発起してカフェ経営を始めた。それまではグラフィックデザイナーの仕事をしていたのだが、日々パソコンに向かっている生活に嫌気が差し、生身の人間と接触のできる空間を欲したからだ。コーヒーは昔から趣味で自家焙煎などをしていたのが幸いして、おいしいコーヒーが飲める店として、カフェは若い層を中心に繁盛した。しかし駅前の大通りからほどなく行った場所柄かスタイリッシュに仕上げた店内の為か、予想以上に繁盛し(ありがたいことなのだが)、今度はただコーヒーを機械的にサーブするだけの空間になってしまった。

 

 もっと静寂な空間が欲しい。

 

 そんな気持ちがきっかけで、一年ほど前に今の場所に移転してきたのだ。駅からはさほど遠くもないが、大通りから少し入ったこの場所はあまり目立たないせいか、客は適度な人数まで減った。以前の店舗の壁面に移転のお知らせの紙を張っておいたので、移転初期は以前の客であろう人が何人も訪れた。しかし以前の店舗とは打って変わって古めかしくまとめられた店内に違和感を持つのか、だんだんと客数が減り客層も変わっていった。しかし私は客が減ったことは全く気にしていない。代わりにこの空間を必要として、大切に思って来店してくれる客が増えたからだ。


 そう、彼らのように・・・・・。


                                         (3)へ続く

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2005-12-27 15:00:13

雨 ・・・マスターの場合(1)・・・・ ~Short Story6-1~

テーマ:Short Stories

 窓辺のおばちゃん二人連れのマシンガントークは続いている。もう一時間以上、一杯づつのアイスコーヒーとブレンドでねばっている。夏がまだ完全に終わっていなく、蒸し暑い外よりいくぶん過ごしやすい店内で、そのマシンガントークぶりはそこだけ気温を上げていた。私はカウンター内で、今日入荷した豆の品質を確認する作業をしていた。

 「あらやだ、降ってきちゃったわよ」

 「あら本当、洗濯物干しっぱなしなのよ。とりこまなきゃ!」

 おばちゃん二人は、今日は私が出すわよ、あらいいのよ奥さん、などとお決まりのやり取りをけたたましく交わした後、賑やかに会計を済まし退店していった。店には一人の客もいなくなった。急に静かになった店内に、スコールのように降ってきた雨の音と、それまで流れていたが聞こえなかったジャズの古いナンバーが流れる。さて、雨が降ってきたところでマシンガンもいなくなった、これでいつでもお嬢さんを迎えられる。

 

 客席テーブルの片付けを終えてまた豆のチェックを始める。今日は彼女は来店するだろうか。しかし突然の降雨だ、来る前に止んでしまうかもしれない。

 いつになく期待していたのだろう、選定作業をする手が止まり、外の雨を窓越しに眺めていた。

 チャリリン、と軽い音が店内に響いた。店舗出入り口の扉の上方についた鈴の音だ。新たなお客様のご来店だ。

 「いらっしゃいませ」

 「ミルクたっぷりのラテ、熱々で」

 この雨に降られたのだろう、彼女は長い髪から雨の雫を落としつつ、いつもの指定席に着いた。

 

 いらっしゃいませ、お待ちしていましたよ、お嬢さん。

 

 さまざまなデザインのカップの中から、真っ白なそれを選ぶ。彼女には白がとてもよく似合うからだ。

 棚からカップを出して作業台の上に置いたとき、またもや鈴の音が響いた。今度はかなり勢いがいい。パタンと閉まった扉の手前には、こちらも全身から雨の粒を滴らせているシャイ君が、半ば呆然と立っていた。

 「いらっしゃいませ」と私が発した言葉は、彼の「あぁすっかり降られちゃった・・・・」という言葉にかき消されたような格好になった。フレンチローストを、と彼はいい、こちらも彼の指定席に着いた。

 突然の降雨は、彼女と彼を同時に誘導したのだ。私はこの時を待っていたのだよ、お二人さん。


 ジャズの音量を少しずつしぼっていき、やがて完全に消す。彼らに作られた音楽はいらない。雨の音がそれの役目を担っているからだ。情緒的でいて情熱的に降りしきる雨の音・・・・。今日の雨は最高だと思わないかい?



 彼女たちは雨を大切にしている。その風景を、その音を、その存在を。

 だから私は、特に彼女が来店したときは、さりげなくBGMを消すのだ。その雨の世界に心置きなく浸れるように・・・・・。




 出来立てのラテをサーブするとき、ずぶ濡れのシャイ君とお嬢さん(私は勝手に彼らを心の中でそのように呼んでいる)にタオルを差し出した。彼は受け取ってすぐに使い始めたが、やがて彼のフレンチをサーブする頃になっても、彼女はタオルを使わなかった。 

 雨の音が、それぞれの世界の隙間を埋め尽くす。

 

  シャイ君がいつになく落ち着かない様子で、手帳を開いたり閉じたりしている。お嬢さんはいつものように整った顔を窓ガラスに映し、音を立てて降り続く雨を見ている。私はそんな彼らをちらと見ながら豆粒の選定作業を再開し、時々ごく薄く淹れたイタリアンローストを口に含む。さて、今日はどのくらいこの時間を楽しむことができるか・・・・。


                                        (2)へ続く

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