まえに すすむ チカラ -->>

一歩ずつでも 自分の足で いっしょうけんめい 歩いてゆこうとしている。そんなあなたに”まえにすすむチカラ” となることばをお届けします。「自分に生まれてこれてよかった」あなたにもこんな気持ちを味わってほしいから。




人間関係における悩みのほとんどは、
「人からどう思われるか」
そこが気になることに起因する。

そう思います。



や、しょうがないんだけどね。

だって私たちは集団で生活する生き物だから、
その集団からつまはじきにされたら、生きてはゆけない。
その集団での立ち位置は生存にかかわってくるんだもん。



ま、「生存にかかわってくる」とはいっても
今は「即しぬ」わけではないんだけれども、
それでも「親和欲求」なんてものもやっぱりあるわけだしね。


だから、
自分が所属している集団のメンバーからどう思われるかが気になる。
どう思われるかを気にする。
それはもう至極当然のこと。


だから、
ここを変えようとがんばるのは
努力のわりには結果が見えづらく、ただ苦しいことになってしまう。
けっこうな割合でね。




じゃあ、そのままやり過ごすしかないのかな?


いや、けっしてそうではない。




とりあえずは私は、
「どう思われるかが気になるのは当たり前」って
これを聞いたときにすごくホッとできました。


で、
「人からどう思われるかが気になるのはしょうがない」とそれを認めた上でどうしてゆくのか、
なんですよね。



ただ気になるだけなら(だけってこともないか;)
まだいいかもしれないけれども、

気になるあまりに、
したいことをできなかったり
なんでか分からないけど自分で自分に制限をかけてしまったり、
やりたいことをやりたいようにできなかったり、
言いたいことを言いたいようには言えなかったり、、、と、
なんしかいわゆる自然体っていうのんとは全然ちがったり、、、っていう感じになっちゃうのはね;

それに、
しょうがないとは分かってはいても
それでも気になるのはしょうじき自分でもめんどくさいし;


で、くだらないと思うんだけどね。そんな自分のことを。

好きではない人に好かれようとしてみたり、
好きではない人からさえもきらわれることを怖れてみたり、
起こるかどうか分からないことをあらかじめ心配してみたり、
必要かどうかも分からない嫌いな人対策にたくさんの時間や労力を費やしてみたり、、、と、そんな自分のことを。



はっきりいって、ハートがとじているときは、することが増えるねん^^;

することの工程が増えるし、
することの効率も下がるし、
達成までの時間も遅くなる。


わたしは「効率Love」な人なので、
ほんとイライラしちゃいます^^;



+ + +



そう、
人のことを気にかけているときは
ハートはじわじわとじてゆく。


だから、
ハートをひらいて生きてゆけたなら
それだけでもかなり効率があがるよなーって思います。
ほんと思う。




こっちを向いてくれない人の背中をぼんやり見つめているヒマなんてないよ。

その人が気まぐれにこっちを振り向いたら振り向いたでハッとおどろき、
「何て思われてるんだろ、何言われるんだろ」とまた不要なくよくよをやるだけで。

そんなのほんとにもったいない。

何がもったいないって、
あなたが
あなたの時間が
あなたの才能が
あなたの能力が
あなたのポテンシャルが
あなたの「ほんとうはできているはずのことたち」がもったいない。


そう、
ほんとはできていたはずのことが、もっとたくさんあったはず。


今からでも取り返そう。
ハートをひらいて。


+ + +


なんか最初と最後で話が微妙に変わってしまっちゃったけど^^;
なんしか、人のことを気にしているときにハートはとじていて、
そして、人のことを気になるというのは人間関係の悩みごとの大きな一因だなぁと思ったので、
とじがちな人は人間関係で悩むことも多いのかもって思いました。


その悩みのなかには
「実際には存在しない出来事への悩み」も多いのだと、そうも思います。




ハートをひらけば、うまくゆく!
「ハートをひらく」とは?
「心をひらく」ではなく「ハートをひらく」
うまくいってる人はみんな 「ハートがひらいてる」
「ハートをひらく」とはどういう状態?
ハートがひらいているときの特徴
ハートがとじているときの特徴
ハートがひらいていると、ネガティブな感情はなくなる?
「ハートをひらく」には、自分から行動をおこすことが必須
うまくゆくかどうかはチカラやセンスや才能の差ではなく、こころの持ちようの違いなだけ。
「ハートをひらく」には「ありがとう」も有効。特に「想定外のありがとう」が。
“たった一度”だけやってもダメ。”つづける”ことが大事です。
誰かひとりの人にしっかりと向き合っているとき、どうやらハートはひらいている
「ハートをひらく」は、「せきらら」や「カミングアウト」とは違います
ハートがとじていたとしても、それ自体は何も悪いことではない
「高揚感」ではなかった。「ハートがひらいていた」んだ
「ハートがひらく」というワードが私の中に初めてあらわれたときのこと
ハートがとじてうまくいかないとき、比べるべき相手は「ハートがひらいていたときの自分自身」です
「ハート “を” ひらく」か、「ハート “が” ひらく」か
「ハートがひらいているとき」は『愛情』がベースにある。「とじているとき」は『怖れ』がベースにある
いいことの証拠さがしをすることで、ハートはどんどんひらいてゆく
ハートをひらきたければ、 ハートがひらくような方向を見るようにすればいい
「誰かのために」を心がけていると、「人の反応を気にする」になってゆかないかな?
心が委縮してゆくと、ハートもとじる方向に向かっていってしまう
私が「ハートをひらけばうまくゆく」を伝えたいと思った理由
迷いがないときは、ハートがひらいている。
「ハートがとじる元」から逃げてもいい。すべてに立ち向かわなくてもいい
「ハートがとじる元」を克服できなくてもいい。そこにも確かに才能があるんだ
不安なときはハートがとじる。安心できるとハートはひらく


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※このテーマ【ハートをひらけば、うまくゆく!】は、やりたいことがあるんだけど、なんでだか人の目を気にしてしまったり、周りの人の反応が気になったり、そういう理由からすんなり行動できずにいる、、、そんな方に特に効果的です^^





すごく当たり前なことを書き忘れていたー;


不安なときはハートがとじる。
安心感はハートをひらかせてくれる。


そりゃそうだよね^^


+ + +


こわごわ何かをするときって、ハートがとじがちです。


だって、そりゃあこわいんだもんね。

コワさや不安に気持ちが向いてしまうときに
知らず知らずにハートがとじてしまうのは
もう仕方がない。
それに、その気持ちすごーく分かります。


(そういう意味では、
 「うまくゆくだろうか、、、」と心配しているときなんかも、
 とじ気味だといえるかも。)




ただ、
その心配を
払拭させてくれるようなものがあれば
またハートはひらき出します。

(そう、ひらき出す。だいじょうぶ!)




で、「心配を払拭させてくれるもの」って、何だろう?

何だと思う?




それは、「安心できる何か」。


安心できる考え方かもしれないし、
安心させてくれる誰かかもしれない。


なんしか
「あなたにとっての安心できるもの」。
「あなたを安心させてくれるもの」。

そういう存在があれば
またハートはひらいてくれるよ^^


+ + +


何があったら、安心できるだろう?


これは、人によってもちがうよね。


たとえば、
応援してくれる誰か。
味方だと感じられる誰か。
見守ってくれている誰か。


そして、
そんな人たちがいることで
一人じゃあないと思えること。


もしくは、
「あれだけやったんだから大丈夫」
そう思えるような何か。

それって、たとえば、
勉強だったり練習だったり
そういった努力の積み重ねが
自分に安心感をもたらしてくれる場合もあるよね。


そう、「お守り」のような存在。
「それがあるから大丈夫」と思える「お守り」のような。

それらが私たちのハートをひらかせてくれる。




そう思うと、

「どういう状況なら、私は安心できるだろう」
「私にとってのお守り的な存在って?」

それを考えてみることは
「自分オリジナルの“ハートをひらく方法”を見つけること」に
つながってゆきそう。


それを考えてみることで
今よりもたやすくハートをひらけるようになれるはず^^





ハートをひらけば、うまくゆく!
「ハートをひらく」とは?
「心をひらく」ではなく「ハートをひらく」
うまくいってる人はみんな 「ハートがひらいてる」
「ハートをひらく」とはどういう状態?
ハートがひらいているときの特徴
ハートがとじているときの特徴
ハートがひらいていると、ネガティブな感情はなくなる?
「ハートをひらく」には、自分から行動をおこすことが必須
うまくゆくかどうかはチカラやセンスや才能の差ではなく、こころの持ちようの違いなだけ。
「ハートをひらく」には「ありがとう」も有効。特に「想定外のありがとう」が。
“たった一度”だけやってもダメ。”つづける”ことが大事です。
誰かひとりの人にしっかりと向き合っているとき、どうやらハートはひらいている
「ハートをひらく」は、「せきらら」や「カミングアウト」とは違います
ハートがとじていたとしても、それ自体は何も悪いことではない
「高揚感」ではなかった。「ハートがひらいていた」んだ
「ハートがひらく」というワードが私の中に初めてあらわれたときのこと
ハートがとじてうまくいかないとき、比べるべき相手は「ハートがひらいていたときの自分自身」です
「ハート “を” ひらく」か、「ハート “が” ひらく」か
「ハートがひらいているとき」は『愛情』がベースにある。「とじているとき」は『怖れ』がベースにある
いいことの証拠さがしをすることで、ハートはどんどんひらいてゆく
ハートをひらきたければ、 ハートがひらくような方向を見るようにすればいい
「誰かのために」を心がけていると、「人の反応を気にする」になってゆかないかな?
心が委縮してゆくと、ハートもとじる方向に向かっていってしまう
私が「ハートをひらけばうまくゆく」を伝えたいと思った理由
迷いがないときは、ハートがひらいている。
「ハートがとじる元」から逃げてもいい。すべてに立ち向かわなくてもいい
「ハートがとじる元」を克服できなくてもいい。そこにも確かに才能があるんだ



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克服できる日がくるまでがんばりたい。


前の記事「ハートがとじる元」から逃げてもいい。すべてに立ち向かわなくてもいいでそう書いたけど、


克服なんてできるのかな?



+ + +



たぶん、克服はできないと思う^^;



「克服できる」っていうのは、気にならなくなる状態ってこと。


それは無理だし、
そしてそれは私の望むことではない。


誰かのことや
人の反応を気にならなくはなりたいけれども、
でも、ほんとに気にならなくなりたいわけではない、というか。



この「気になる」「気にかかる」「気にする」っていうのは、
ある意味本能なんですよね。


ヒトって、昔っから集団生活をしてきた生き物です。
(だからこそ、大きなマンモスをみんなで倒すことができたし、日にちのかかる農耕もみんなでやってこれたわけで)

そんな「集団生活をする生き物」なのだから、
所属する集団の中での《自分の人気》が気になるのは
それ、基本的に当たり前なことなんですよ。

なんというか
それが普通。
「そりゃそうやろ」ってくらいに。

だって、集団の中でなければ生きてはゆけないのだから。


それゆえ、
集団の中に居場所がないというのは致命的。
集団の中で好かれてないというのはもってのほか。
ほんとにほんとに死活問題。
言葉通り、命にかかわってくる問題なんですよね。





だから、
人の反応が気になるとか
人の目が気になるとか、
できれば良く思われたいとか、
あわよくば好かれたいとか、
そう思うのは自然の流れ。

生きるために必須なことなのだから。



+ + +



そして、
「気になる」には、もう1つ別の側面があります。
とっても大切な側面が。


それは何かというと、
「気になる」は「気がつく」「気にかける」にもつながります。

だから、
それは誰かへの気遣いにもなってくれるんですよね。


そのせいか、
「気にする人」のが
人に親切だったりやさしかったり
それもさりげない、受け取りやすい、高レベルなやさしさを発揮していることって多いです。


これって、、、才能だよね。
真似しようと思ってできるものではないもん。

(前に、そういうやさしい人たちのことを「こっそりやさしいあなたへ」と呼んで、そういう人たちのことを書いてたんだけど、また復活しようかなぁ)



そして、
親切ゆえに、仕事のできる人も多い。

人がほしいものが分かるから前もってそれを用意できたりとか
そういうかゆいところに手が届く的なことを
絶妙なタイミングで差し出せたりもする。

それも、人の反応があんまり気にならない人にはできないレベル・クオリティのやさしさで。


そして、そのやさしさゆえにやっぱりみんなから好かれてもゆくしね、
(あぁ、でも、気遣ったゆえに好かれているのだとしてら、そんなのほんとの私が好かれているわけではないし、、、と新たな悩みが生まれたりもするのよね。悩ましいよね^^;)




なんしか、そんなわけでね、
「気になる」をなくすということは
大事なものを手放すということにもつながっていってしまう。


だから、私はそんなことは望まないです。



ただ、
「克服」とは違って、気にならなくはなりたい。

もしくは、
気になったとしても気にせず(ってなんか矛盾してるなぁ^^;)
やりたいことがやれていたい。


そう、
やりたいことに影響が出なければいい。
そこが気になってなんにもできなくなるのはイヤだ。

そう思ってます。


そのためにも
ハートがひらいているか、とじてはいないか
そこを意識してゆきたい。




「いまハートはひらいているだろうか」
「いまハートはとじてはいないかな?」

そこを気にかけることで、
繊細ゆえに才能あふれ
でも、繊細ゆえにうまく発揮できずにいる人たちの
こころ強い後押しになればいいなぁ、と思いながら。。。。^^





ハートをひらけば、うまくゆく!
「ハートをひらく」とは?
「心をひらく」ではなく「ハートをひらく」
うまくいってる人はみんな 「ハートがひらいてる」
「ハートをひらく」とはどういう状態?
ハートがひらいているときの特徴
ハートがとじているときの特徴
ハートがひらいていると、ネガティブな感情はなくなる?
「ハートをひらく」には、自分から行動をおこすことが必須
うまくゆくかどうかはチカラやセンスや才能の差ではなく、こころの持ちようの違いなだけ。
「ハートをひらく」には「ありがとう」も有効。特に「想定外のありがとう」が。
“たった一度”だけやってもダメ。”つづける”ことが大事です。
誰かひとりの人にしっかりと向き合っているとき、どうやらハートはひらいている
「ハートをひらく」は、「せきらら」や「カミングアウト」とは違います
ハートがとじていたとしても、それ自体は何も悪いことではない
「高揚感」ではなかった。「ハートがひらいていた」んだ
「ハートがひらく」というワードが私の中に初めてあらわれたときのこと
ハートがとじてうまくいかないとき、比べるべき相手は「ハートがひらいていたときの自分自身」です
「ハート “を” ひらく」か、「ハート “が” ひらく」か
「ハートがひらいているとき」は『愛情』がベースにある。「とじているとき」は『怖れ』がベースにある
いいことの証拠さがしをすることで、ハートはどんどんひらいてゆく
ハートをひらきたければ、 ハートがひらくような方向を見るようにすればいい
「誰かのために」を心がけていると、「人の反応を気にする」になってゆかないかな?
心が委縮してゆくと、ハートもとじる方向に向かっていってしまう
私が「ハートをひらけばうまくゆく」を伝えたいと思った理由
迷いがないときは、ハートがひらいている。
「ハートがとじる元」から逃げてもいい。すべてに立ち向かわなくてもいい



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