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2010-03-18 09:00:20

1973 ポルシェ917/10 ハーレイ・ヘイウッド

テーマ:グループ7

1973 Porsche 917/10/Hurley Haywood

乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ


1972年のワールド・チャンピオンシップ・フォア・メイクス、すなわち世界耐久選手権の開幕を前に、FIA/CSIはメイクスタイトル対象カテゴリーを新たにグループ5スポーツカー(最大排気量3リッター)とグループ4GT(排気量無制限)に変更する旨を発表した。この決定でポルシェ917はタイトル対象外となり、ポルシェはその新たな道をかつて試験的に参戦していたカンナムに見出すこととなった。


1969年に限定的ながらカンナム参戦を行っていたポルシェにとって、1972年からの世界耐久選手権におけるレギュレーション変更はカンナムに本格的に復活する上で大きな動機となった。ちなみに1969年に使った917PAはシリーズ終了後もアメリカに残され、運用を望んだプライベーターの手で熟成作業が行われていたものの作業ははかどらず、ミルト・ミンターのドライブで復活したは1971年のこととなった。しかもこの年の半ばからポルシェはそのワークスの手でほぼ新造マシンへと生まれ変わった917/10をジョー・シフェールと共に投入。その変更点は912型水平対向12気筒エンジンの排気量を4.5リッターから5リッターへと拡大していたこととシャシー周りを軽量化していたこと。さらには本来低速コースでの運用を主眼としていた908スパイダーのボディをベースとするなど空力的に熟成不足の感が否めなかった917PAから、一転して非常に複雑な形状のフロントノーズと大型の後部垂直安定板を装備するなど高速域でのダウンフォースとスタビリティ向上を狙っていたのが特徴である。



軽量化のために新たに導入されたパーツはアルミ合金製のフロントハブ、チタン合金製のリアハブ、マグネシウム合金製の本体に加えてアルミ合金製ピストンとマグネシウム合金製のボルトを採用したブレーキキャリパー、マグネシウム合金製のステアリングボックスサポート、アルミ合金製のシフトロッドなど多岐に渡っていた。これは構造上スチールでなければ強度が保てなかった部分以外はそのほとんどが軽合金化されたことを意味しており、かつてのヒルクライムマシンであるベルクスパイダー並の軽量化への取り組みが為されるようになったことを意味していた。


これら軽量化の努力の結果は1969年型917PAの775~780kgに対して、1971年型917/10の740kgという車重に現れていた。この40kgこそは血の滲むような努力から導き出された数字であり、これまでも数々の軽量化に対するトライを実施してきたポルシェノウハウの集大成というもの。操縦性に影響を与えたことからその使用が限定されていたマグネシウム合金フレームを使用するとさらに15kgの軽量化も可能だったと言われている。


エンジンの排気量アップに伴う最高出力の向上は4.5リッター仕様の580ps、4.9リッター仕様の600psに対して5リッター仕様は630psというもの。700psを超えていたシボレー・ビッグブロックにはまだ及ばなかったものの、マルチシリンダーならではの伸びの良さでほぼ互角に戦うことができるようになった。


1971年シーズンのカンナム、シフェールと917/10はシーズン半ばというハンデをものともせずに68ポイントを挙げランキング4位に食い込んだ。上位3台は2台のワークスマクラーレンと1台のワークスローラ。まったくの新型レースカーによる参戦としてはまあまあ納得できる結果だったといって良い。そして翌1972年、確かな手応えを掴んだポルシェは大量の917/10と共にシリーズの制覇に乗り出すこととなった。


1972年度カンナム開幕戦モスポート。そのスターティンググリッドには3台の917/10が並んでいた。そこでデビュー戦でポールポジションを取ったのは久しぶりの参戦となったペンスキー・スノコ・レーシングのマーク・ダナヒューに託された917/10Kだった。10KのKとは何か? 実はコンプレッサーの頭文字であり、917/10のニューモデルは新たにターボチャージャーを装着してきたのである。ターボ本体はエーペルシュペヒャー社製のターボユニットを使ったツインターボである。なおエーペルシュペシャーは後にその社名をKKKと改めることとなる。


開幕戦に現れた「K」は1台だけだったもののクオリファイ時のフルブーストセットで1000ps、パワーを抑えた決勝セッティングでも850psという大幅なパワーアップによって驚異的にスピードを披露した。ボディカウルもさらにダウンフォースを高めたフロントノーズと大型のリアウイングを加えた新型となり、その200km/h前後の速度域におけるダウンフォースは車重に匹敵する800kgに達していたと言われている。ターボ化に伴って車重は820kgに増大していたものの、パワーアップ効果はその増加分を補ってまさに余りあったのである。


1972年度SCCAカンナムは第2戦から917/10Kで参戦を開始したジョージ・フォルマーが圧倒的な強さを見せ初めてのチャンピオを獲得した。遂にマクラーレンの牙城は崩れたのである。これ以降917/10の参戦も増え続け、最終的には5台を数えるまでになった。5台の中で純ワークスはペンスキーの2台だけだったものの、他の3台もエンジンはワークスチューンが供給されていた。また第8戦のラグナセカまではターボエンジンの供給量が十分では無かったためペンスキー以外のエントラントはコースに合わせてターボとNAを適宜併用していたものの、最終戦のリバーサイドでは全車ターボとなった。純然たるプライベーターとして3年落ちの917PAを駆っていたサム・ポージーにまでターボエンジンが供給される様になったことから見て、プライベーターでもその運用が可能となる程熟成が進んでいたということであろう。


続く1973年、純ワークスのペンスキーには最新型の917/30が供給されることとなり、前年に大活躍した917/10勢はその大半がターボエンジンを搭載した上でプライベーターに供給されることとなった。開幕戦のモスポートにおけるそのラインナップはジョディ・シェクター、ジョージ・フォルマー、チャーリー・ケンプ、ハーレイ・ヘイウッド、ハンス・ウィドマーというもの。この他にNAエンジンの910/10を駆っていたスティーブ・ダーストがいたものの、こちらは途中で乗り換えている。ちなみに917/10Kといった具合にターボエンジン搭載車についてはKを付加した表記は一部のエントリーリストなどで見られた識別のための表記であり、ポルシェ側の正式な車名はいずれも917/10でありKの表記は付加されなかった。


1973年のカンナムにおけるポルシェ917勢の中で、ワークスの917/30だけはフルブースト1200psの5.4リッター仕様を搭載していた。この5.4リッターユニットはシーズン半ばには他の917/10勢にも搭載される様になったともいわれているが、その詳細は明らかにされてはいない。なお今回紹介しているレースナンバー59のハーレイ・ヘイウッドはチャンピオンを獲得したフルワークスのマーク・ダナヒュー、そしてダナヒューに次ぐ存在だったセミワークスのジョージ・フォルマーに続いてランキング3位を獲得していた。この成績は純プライベーターとしては最上位であり、翌1974年も917/10と共に健闘している。そして1990年代まで歴戦のポルシェ使いとしてその名を轟かせることとなるのはご存じの通りである。






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