1969 フォード トリノ タラデガ/リチャード・ペティ
テーマ:セダンレースカー1969 FORD TORINO TALLADEGA/RICHARD PETTY
1968年度NASCARグランナショナル最終戦間近、リチャード・ペティをエースにストックカーレーシングの頂点に君臨していたペティ・エンタープライゼスは次期レースカーの選定に苦しんでいた。
ペティといえば父親のリーの代からプリマスのとの関係が極めて深く、当のリチャード自身そのレースキャリアのほとんどをプリマスと共に歩んできたという経緯があった。しかし1969年シーズンからというもの、クライスラーがダッジのみに空力性能を重視したスペシャルボディのレースカーを供給するとの話が流れた時点で、同じクライスラーでありながらプリマスユーザーのみが不利になってしまう事態に陥ってしまったのである。
それもこれも早い時期からその空力性能の優秀さがクローズアップされていたダッジ・チャージャーとボディを共用する兄弟車がプリマスには存在していなかったことが理由だった。この弱点は1968年からのニューマシンだったロードランナーの存在によって幾分改善されたものの、新たにチャージャーベースの空力スペシャルが登場するということは、やっと縮めた差がまた開いてしまうことを意味していたのである。
この問題に際してペティ側はロードランナーベースの空力ボディをクライスラーに要求したもののそれは叶わなかった。同様にダッジへのスイッチも既にワークス枠が一杯だったことから不可能となった。その結果、ペティは苦渋の選択をすることとなる。何と1969年シーズン用のレースカーをプリマスからフォードにスイッチすることとなったのである。
フォードは1969年からダッジの空力スペシャルと目されていたチャージャー500に対抗するためにロングノーズとフラットグリル、そしてワイドバンパーで武装したトリノ・タラデガとマーキュリー・サイクロン・スポイラーIIの導入を決めていた。加えてエンジンは新型のヘミユニットであったBOSS429の搭載が予定されていた。ペティとしてもダッジに対抗するにはもはやフォードに乗るしか無かったのである。
こうした動きに際してフォードは全面的なバックアップを約束すると同時に広告においても大々的にペティの移籍を報じた。そしてペティのチームはホールマン・ムーディー、ジュニア・ジョンソン、ウッドブラザース、バンジョー・マシューズなどフォード系強豪と共に新た道を歩むこととなったのである。
このシーズンにおいてリチャード・ペティとトリノ・タラデガは全54戦中出走した50戦において10勝を記録、38戦でトップ10に入賞するという素晴らしい成績と共にランキング2位を記録した。この年のチャンピオンはホールマン・ムーディーのデビッド・ピアソンであり、最強のライバルと目されたダッジ・チャージャー500及び改良型としてシーズン半ばから投入されたチャージャー500デイトナ勢ではジェームズ・ヒルトンの3位が最上位だった。
ちなみにペティは翌1970年には新たにロードランナーをベースにチャージャー500デイトナと同様のリアウイング&延長ノーズをプラスしたスーパーバードがプリマスからリリースされることとなったため、古巣のプリマスへと戻っていった。
ペティのチームで1年間だけ使われたトリノ・タラデガはその後別チームに売却され数年に渡って下位カテゴリーを走った後にいつしか行方不明となっていた。しかし20年ほど前にとある熱心なストックカーファンがマーキュリーのボディを架装された状態で放置されていたペティのトリノ・タラデガを発見。オリジナルの状態にフルレストアされたのが今回紹介している写真の個体というわけである。
過去から現在まで一流チームの手でビルドアップされたレースカーとは極めてリセールバリューが高く、幾つかのチーム間を転売されるのも珍しくはないのがストックカーの世界である。そして多くの場合最後は酷使され尽くした上での廃車である。その意味では土に還ると思われていた歴史的な名車が無事発見されレストアされたのはある意味奇跡的な出来事だったと言って良いのかもしれない。





