1972 サーティーズTS9B/ティム・シェンケン
テーマ:フォーミュラ1972 SURTEES TS9B/TIM SCHENKEN
自身の名を冠した自分のコンストラクターで走ったF1ドライバーは多くは無い。ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレン、ウィルソン・フィティパルディ…etc さらに設計者もドライバー自身だった例となるとサーティーズを数えるのみである。
サーティーズはモーターサイクルレースから4輪に転じフェラーリやホンダでその名を轟かせた後、1969年から自身の名を冠したレースカーコンストラクターとしての道を歩み始めることとなった。最初の作はレダの設計をそのまま購入したF5000のTS5である。
その後、自身の設計による最初のF1であるTS7をデビューさせたのが1970年。TS9は1971年シーズン、そしてTS9Bは1972年シーズン用のF1マシンだった。ちなみにTS9に対してTS9Bは単なる改良型の様にも思える型式番号だが、その実体はまるで別のマシンと思えるほど大きく外観が変わっていた。
具体的にはフロントラジエター+ウイングノーズだったTS9に対してTS9Bはサイドラジエター+スポーツカーノーズというもの。さらにエンジン上部には小振りながらインダクションボックスもセットされていた。
こうした変化の背景に存在していたことは他でもなく、当時のF1ではラジエターのレイアウトに関して様々なトライ&エラーが為されていたことである。従来型のフロントが良いのか、それともロータス72が先鞭を付けたサイドラジエターが良いのか? サーティーズはこの命題に対してメインモノコックを大きく変えることなくサイドラジエターをテストするという離れ業を見せた。
とはいえ、その空力的処理はやや行き当たりばったり感は拭えず、フロントのスポーツカーノーズからラジエターダクトを収めたサイドポンツーンのデザインがまとまりのあるものとなるのは、1973年シーズン用のTS14からのこととなった。
サーティーズのF1においてTS9Bのポジションは基本的に過渡的な存在とあって、実戦でも様々なトラブルに晒され満足の行く成績を残すことはできなかった。当時のドライバーはワークスのファーストチームがアンドレア・デ・アダミッチとティム・シェンケン、そしてセカンドチームがマイク・ヘイルウッドである。いずれも強力なライバルが存在しなかったノンタイトルのフォーミュラリブレでこそ多くの一桁順位を記録していたものの本番というべきGPでは概ね下位に沈み、唯一1972年のイタリアGPにおいてマイク・ヘイルウッドが僅差で2位に入ったのが最上位である。
サーティーズのF1は1976年シーズン用のTS19からそのデザイナークレジットにサーティーズ本人に加えてケン・シアーズの名が加わった。さらに1978年には新型のTS20を投入するも既に時代はグラウンドエフェクトカーの世界に入っていたことからその存在感は希薄だった。
1979年から1980年にかけてサーティーズは1台のTS20をベースに大改造を加えたグラウンドエフェクトカーを試験的にノンタイトル戦を走らせたものの、結局GP本戦には姿を見せることなくサーティーズのF1もこのモデルがラストとなった。





