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2008-09-08 00:51:42

1966 コットン・オーウェンス ダッジ チャージャー/デビッド・ピアソン

テーマ:セダンレースカー

1966 COTTON OWENS DODGE CHARGER/DAVID PEARSON

NASCARストックカーは、ストックとは謳っていても、真の意味でストックと決別したのは決して最近のことではない。そんなNASCARの歴史の中で、早い時期からシステマティックなレースカー作りを実践していたエンジニア、それがコットン・オーウェンスである。


NASCARの歴史は、セダンレースカーがいかにして発達してきたかの歴史でもある。もともとストリクトリーストックと呼ばれ、安全装備以外はタイヤに至るまで完全ノーマルであることが要求されていた初期のNASCARレースカーは、レースが過激化するにつれて公認パーツの名のもと、次第にレース用パーツを多数使うようになっていった。そして当初はあくまでごくあたりまえの市販車を使っていたのに対して、1950年代の終わりには、早くもメーカーの生産ラインから直接抜いてきたホワイトボディをベースに、最初からレースで使うことを前提にボディそのものに手を加えるようになっていた。


こうした地道なレースカーのモディファイにおいて、エポックメイキングな成果を通じて、現代にその名を残しているクラフトマンは数多い。ジョン・ホールマン、ラルフ・ムーディ、バンジョー・マシューズ、レイ・フォックス、そしてスモーキー・ユニック。今回紹介するコットン・オーウェンスもまた、そんな名エンジニアの一人に他ならない。


エバレット・コットン・オーウェンスは、サウスカロナイナ州ピエモントに生まれた。コットンというのは彼の少年時代からのニックネームであり、まるで綿花のように美しく柔らかだったプラチナブロンドの髪が由来だった。オーウェンスは、第二次世界大戦を海軍の一水兵として戦った後復員、地元で自動車整備&解体業を営んでいた。

その一方でストックカーレースが盛んだった土地柄周囲にはレース関係者が数多く存在していたこと、そして彼自身もともとドライバーとしての才能があったこともあり1947年頃から出場し始めた草レースにおいてメキメキとその実力を発揮することとなった。


こうした彼の才能を地元のレーシングチームは放っては置かなかった。程なくしてスポンサーを獲得した上でモディファイドカーによるレースにフル参戦を開始する。ちなみにモディファイドカーというのは、1940年前後までの旧式車をベースに、相当の改造を加えることが許されていたカテゴリー。NASCARによるストリクトリーストックが1949年から始まっても、人気の高いカテゴリーとして多くのエントラントを集めていた。そのレースカーはストリクトリーストックより明らかにパワフルでラジカルだったのが特徴である。


これ以降、オーウェンスはモディファイドカーをメインに、ときおり1950年からグランナショナルとその名を改めたNASCARのメインカテゴリーを戦うこととなった。1957年までのメインはあくまでモディファイド。しかし1958年にはジム・ステファンズのグランナショナル・ワークス・ポンティアックをドライブ。そして1959年には、ついに自身のレースショップを構え、オーナー兼ドライバーとしての道を歩むこととなった。


1961年シーズンの終わり、オーウェンスはついに現役を退きワークスの息の掛かったポンティアックチームの一員としてレースカービルダーに専念することとなった。1962年シーズンにオーウェンスのレースカーに乗ることとなったのは、アグレッシブなドライビングで人気が高かったジュニア・ジョンソンである。


この時期になると、レースカービルダーとしてのオーウェンスの名声は、確固なものとなっていた。ベースとなるノーマルカーのボディを徹底的に解析し、十分なボディ補強を加える。マニュアルの類など一切ない、こうした地味な作業こそは、長年にわたってモディファイドカーのビルドアップを手掛けてきたオーウェンスの得意とすることだった。そしてここでさらに高まった信頼は、翌1963年からの純ワークスダッジの運用という大きな実を結ぶこととなる。


1963年のマックスウェッジに対して1964年にデビューしたA864レースヘミは、その強力極まりないパワーゆえ、ボディに対する負担はさらに増すこととなった。オーウェンスのレースカーは、とにかくボディ剛性の維持に留意していたことから、常に抜群のハンドリングが確保されていたという。


そしてこうした強力なエンジンの登場は、必然の結果として大幅なスピードの上昇をもたらした。こうなると次なる課題は空力性能の向上だった。ここでオーウェンスが取った措置はエポックメイキングだった。1966年の終わりに至り他のどのコンストラクターも注目していなかったダッジ・チャージャーにレースカーをスイッチしたのである。


オーウェンスのこの措置は、来るべきスーパースピードウェイにおける高速バトルを見据えてのことだった。この時期、アメリカで雑誌などに掲載されたNASCAR関係レポートの中では、デビッド・ピアソンの駆る♯6のコットン・オーウェンス・ダッジが大きく取り上げられることが多かった。テーマはいうまでもなく空力性能である。チャージャーの空力的優秀性は、オーウェンスの努力によって、周知のこととなっていった。その結果、それまでコロネットを使っていたダッジユーザーは、次々とチャージャーにレースカーをスイッチすることとなったのである。


1968年、ダッジはチャージャーをさらに空力的に洗練されたボディにモデルチェンジした。この傾向はさらにディテールを空力的にリファインしたチャージャー500、そして500をベースに大型のウイングで武装したチャージャー500デイトナというワークス製の空力スペシャルモデルの登場で頂点に達した。ここでもまたオーウェンスのノウハウがモノをいった。もはやオーウェンスは押しも押されぬ空力のスペシャリストとなっていたのである。


1971年、NASCARにおける空力戦争はルールの変更によって終わりを告げた。そして同時にNASCARは、パワー制限に着手。このことがオーウェンスの情熱に水を差したのかどうかは定かではないが、その2年後の1973年を以て彼は現役をリタイアしていった。かつて最高のレースカーボディを作った男の見事な引き際といって差し支えない。










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